たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

愛というのは複雑な感情

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愛というのは複雑な感情で、
愛する人に、
どうしても相容れない部分を、
発見したとき、

私は、大きな喜びと危機を感じる。
しかも、信念として、
それは許せない、というレベルの相容れなさでないと、
喜びは見いだせない。

別に、
難しい話ではなく、
相手の行動に、

ちょっとした違和感を感じたとき
を、思い出せば良い。
誰にでも、思い当たる話だ。

愛する人のたまらない、イヤさ。
それを、
放置すると、

世界に害悪を与えるのではないか?

と、すら思うレベル。
(これも、大変よくある話だ)
面倒なら、

そのまま、関係を断てば良いだけの話なのだが、
この状況は、
実に運命の分かれ道だと、仮定しよう。

「あなたは、私にとっていい加減なヤツじゃあない」

腹をくくるのだ。


違和感を、違和感のまま、
苦しむことなく、飲みこめるか。
無理を強いるわけでは、ない。
苦い薬を、
包むオブラートは、
愛する人の、存在そのものを、
わけもなく肯定している、
文字通り、純粋な愛の感情。

人間は、社会的な動物。
目を遠くにやると、

気持ちよく付き合える友人が、何人かいる。
意外に、少なくない。
でも、すぐそばにいるのは、愛する人だ。
愛する人の、相容れなさという、

何のロマンチックさもない、
単なる、イヤな現実を乗り越えるための、
アイテムが、
純粋な愛の感情だとしたら、
フツーに素敵ではないか。



主夫日記7月11日 ~共謀罪が施行された日、三人の老師との対話~

7月11日。
共謀罪が施行された。

 

京都市伏見区は大手筋にて、
有志と共に、
共謀罪反対街宣。


現場に着くと、偶然、日本共産党が既に街宣を。
友人のYさんの姿も見え、私はピースサインを送る。

共産党街宣車と、入れ変わるようにして、
活動開始。

私は、マイクでのアピールはせず、
無言で、このプラカードを掲げる。

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***************************************

①一人目の老師


すると、車道のド真ん中を歩く、
小柄で、日焼けした、キャップ姿のおじいちゃんが、
こちらをジロリと、見る。

「おまえらア、何をわかったこと言っとるんや!」


ナンダナンダ。


「わかったことって、な~にヨ!?」私は、おじいちやんに尋ねる。
「こんなんは、わかったことなんや、わかったこと言うてもアカンのや!

 アベはあ、アカン!アカンのや」おじいちゃん。


敵なのか、味方なのか、サッパリわからない。


(話してみよう)これも、太朗’sカフェだ!


おじいちゃんに、グッと近づいて見る。


明らかに、飲んでいる
(正午である)
歳は75歳。そんなにおじいちゃんでも、ない。
実年齢より老けている。
飲みすぎや。
「おまえはあ、いくつや?若いやろ。50くらいか」おじいちゃん
「40や…。10もちゃうで」私
「おまえ、麦飯食べたことないやろ!」
「白飯やな」


「そんなやつがな、こんなん言ってもアカンのや!戦争とか、知らん。

 ワシらん時は、大学なんかなかった!早稲田、慶応…あったけどな!」


なるほど、ロクに苦労もしてない若僧が、

耳学問で人に何かを訴えてもアカン

と、いうことを私に伝えようとしてくれてるのだ。

ならば、おじいちゃんではなく、老師だ。


「とにかく、アカンのやったら、麦飯のことは確実に覚えたから!」
と、私は老師に伝える。「アベもアカンのやろ。終わってもらうよう、こうして頑張るし、握手しようや!」

そう、申し出ると、
嬉しそうに、握手に応じて、何故か軽くハグして別れる。

老師は、フラフラとした、足取りで交差点を南方向に曲がる。
今から、また飲むんかいな。
私の真横では、弁護士の方が、共謀罪のバカらしい中身を、
冷静、論理的にアピール。
老師と対話していたもので、理解しやすかったであろうスピーチが、
聞きとれず、残念。
なるほど、これは、ひとつの景色だ…。

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***************************************

②二人目の老師

 

場所を変え、
イオン前にて街宣。
スーパーの前とは言っても、

通りは広くなく、車と歩行者の距離が近い。


仲間は、マイクアピールを続ける。
私は変わらず、プラカードでの無言アピール。

すると、歩行車を押した、色白の老人が、
私のプラカードを、静かに見上げ、

 

「えらい、時代になった。安倍晋三…同じや。あの頃と」静かに言う。

 

これは、二人目の老師だと、すぐわかる。
老師は、私を見る。
深い目を、している。
こちらの心の底を、簡単に見越すことができるのに、

あえてそれをしないような、目だ。

腰は、曲がっているものの、矍鑠としているのが、見た目ですぐわかる。


自分は92歳だと、老師は言う。
「あの頃と、一緒や。あんた‘白紙’って知ってるか?赤紙は知ってても、白紙は知らんやろ?」

「知らないです」私は答える・

「あれで、働かせられた。同級生は、はよ死んでいった。満州で」老師
「強制労働、いうことですか?」
「………」老師はそうそう、ハッキリとは答えない。
「休みは月に一度やった」と、ポツリと言う。


満州は、岸信介が暗躍していたんですよね」私は浅い知識を、口にしてみる。


岸信介、アレにやられた。戦後捕まっていたのに、簡単に出てきた。孫の安倍晋三
 は、去年までは花を咲かせられた。毒花かもしれんが。だが、もう駄目や。人には、
 先の運命がある。私は、それが見える学問を知っている。彼は、落ちていく」


「何という、学問なんですか?」

「気学」

「………」私
「戦争が終わって、とてつもなく税をとられた。六万。今の六万やない。六千万と同じ。財産。何もかも。えげつなく盗っていった。そういうことも知られてない」


ゆっくり、小さな声で老師は話す。完全な聞きとりは、難しい。どこまでが、真なのかも、わからない。とにかく、92年の重みを感じる。

 

街宣が終わり、仲間たちと共に、撤収。

私も老師も吊られて、ゆっくりと移動する。

老師の帰路を少し、共にするような形になる。

「理性と、意思の力がすべてや」それを、大事にするようにと言わんばかりに、
老師は私に伝える。


「理性と意思で、感覚を捕えるということですか?」


老師は、少しうなずき、
「…おかげで、私はこの年齢でも、なにひとつ薬はとっていない」
そう言い残し、老師は大手筋のアーケードを抜け、

北の方角へと、向かって行った。


(白紙とは、何だろう?

 気学とは、何だろう?

 理性と意思の力とは、何だろう?)

 

 老師の姿が見えなくなってからも、私は思う。

 

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③ 三人目の老師

 

さらに場所を変え、
今度は大手筋の最西、
東京三菱UFJ銀行前での、街宣。
私は、同じようにプラカードで無言アピール。

今度は、自転車に乗った男が、ペダルをこぐ足を止め、
私のプラカードを、じっと見上げる。
茶色く染めた髪に、軽くパーマを当てている。
いぶかしげで、鋭い目つき。
アロハシャツを羽織り、口髭をたくわえている。

フュージョン・ミュージックが好きそうな、
やや、コワモテな風情。


全学連知ってるか?」男は私に尋ねる。


「歴史で知ってるよ」
「そんなんのために、こんなんがあるんちゃうんか?」
わからない。理解するために、いろいろ尋ねてみる。


男は、73歳だという。
驚いた。
「ヤンチャ坊主」だった名残すらあるのに、何と若く見えることか。
73歳ならば、ギリギリ老師と言っても良い。
話しているうちに、
キケンな過激派や『テロ』を取り締まるために、共謀罪は必要だろう、
と、私に伝えたいのだということが、わかった。

浅間山荘事件って知ってるか」三人目の老師は私に、尋ねる。
「後藤田さんが、出てきたやつやろ」私
「そうや、あんなん、えげつないで」老師
「オレかて、あんなんはキライやで。身内に疑いと刃立てて、内ゲバ起こして、
命奪うような連中は、大嫌いや」私

私が、実感を語ったからなのか、老師は深く頷く。
「おたくは、どこのモンなんや?」老師は尋ねる。
「どこでもないで、政党はニガテなんや」私
「民主(進)、共産、社民ちゃうんか?」
「共産は、さっき、あっちで頑張ってたで」
「あんなモン反対ばっかやろ。何もしとらへん。何かせな」
民進は、反対ばっかでもないやろ。こないだヤメた〇〇さんとか、他〇〇さんとか…」
老師が少し、口元を緩めたので、私はさらに、言う。


「そら、おっちゃん言うように、共謀罪で悪いヤツ捕まえてくれたら、ええで。けど、法律なんて、アホな人間が作って、アホな人間が使うモンやろ。勘違いで捕まったらタマランで。どう見ても過激派には見えんやろ、オレ。おっちゃんは、犯罪心配してるんやろうけど、オレは法律の穴、心配してるんや」

「そらまあ、人それぞれやわな」老師は答える。

 

単語ひとつひとつ採ってみたら、全くわけのわからんオレの話に、老師、何という理解力だ。

「それぞれ言うても、世の中平穏であって欲しいいうのは、一緒やろ。そやし立場違っても、その辺は、一緒にやって行こうや」私は、老師に言う。


だが、(一体、何を一緒にやるというのだ)と、自分でも思う。


「けど、この法律は、通さなアカン!」老師
「え…?」私
「…?」老師


「とっくに通っとるわい!(笑&怒)そやから、必死でこうやって反対してるんや!!(笑&怒)
知らんかったんかい!もうええわ。通っとるん、わかったら、おっちゃん安心したやろ!オレあ不安でしゃあないわい!」


イカった(?)私が、そう言うと、老師は自転車に乗って、手を振り(ちょっとウチ帰って、高中正義聴いてくるわ)とでもいうような、ニッコリ笑顔で、
大手筋を西へと去って行った。
(何や、笑うとカワイイやないか…)私


今度は、近くで話を聞いてた、おばちゃんが近くへ来て、
「イヤイヤ、私はおかしい思うで、この法律。私は戦争終わったとき、7歳やったから、わかる!」と、話しかけてくれる。
礼を言う。

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追記)しかし、私にとって、本当に敬愛する老師は、村上さんなのだ。
村上さんは、いつものようにマイクで語られる。


治安維持法を疑わなかった、ご両親が満州へ行くことも、疑わず、その後…


私ごときが、書けないが、

運送会社で勤務中の若者が、仕事の手を一端止めてまで、村上さんの話に真剣に聞き入っていた。
共謀罪が施行された、今日、この日の出来事を、私は忘れないだろう。

 

ええで! ~あいつは、阪急ブレーブス~

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人間というのは、
脆い生き物で、
何にも依存せず、

「自己」のみで生きるというのは、難しい。

完全なる、無宗教状態だとは、
中々、言いきれるものではない。
これは、私自身にも言える。

イスラム教も、
キリスト教も、
仏教も、

インディアンの教えも、
天皇教も、
会社の社訓も、
ある種の政治思想も、
創価学会も、
自己啓発本も、
占い師も、

ジョン・レノンも、

何ひとつ、信じられなかったので、
本当に、病院送りになってしまった。
(感じは悪いが、イヤミで言ってるわけではない…)
今、現在、自分が延々と、主夫日記をつけているのは、
この辺りに、原因があるのかもしれない。

家庭すらなく、
本当に、街中をさまよっていただけの頃は、
野球だけが、ボクの生きがいだった。
これは、人間離れした状態だ。

関西人でありながら、
阪神タイガース」ノリに、
どうも、馴染めなかった自分には、


「阪急ブレーブス


と、いう選択肢があった。

とにかく、

オシャレである。
学校のプールの縁のタイルみたいな、

阪急電車に、
ピンク色のラインのユニフォーム。


高級感溢れる外壁の、

西宮球場(行ったことは、ない)
何より、
意味は知らないが、
ブレーブス」という、

何処か洗練された響き。

阪急黄金時代と言えば、

思い浮かぶ名前、
福本、大熊、加藤英、マルカーノ、ウィリアムス、高井、中沢、
長池徳二山田久志足立光宏山口高志

だが、これは後付けで、
76年生まれの私は、

こんな時代は知らん。

安保闘争」くらい、ピンと来ない。

実際は、
山田久志福本豊(もはや、決して走らない)
星野伸之佐藤義則、ブーマー、松永、石嶺、蓑田浩二
そして、何といっても、

アニマル・レスリー


と、いったところだろうか。

 

ウエさん(親しみをこめて)は、
関西大学を、
表口入学し、
(同期の村山実さんは、名前を書いただけで、通ったらしい。
 あくまでウワサ)
将来、進むべき道は、
法学か、野球か?の選択だった、
と、いうほどのインテリ。
野球の道を選んでからも、
常に手元に本を、4,5冊は置いていたらしい。

そんな人物が、
どうして、日本シリーズで、
「これ以上はムダやないか?」と、思えるような、
1時間19分もの、

猛抗議をしたのだろうか?

最も、
この伝説の抗議も、

ボクからしたら、歴史の出来事で、
リアルタイムで、

初めて、ウエさんを意識したのは、
阪急の大エース、

山田久志投手の、
連続開幕投手の世界記録を、
ウエさんの采配で、止めてしまったときだった。

後、天下のNHKのニュースか、ドキュメンタリーが、
ウエさんや、山田投手が、
それぞれの立場から
「あの時」を、
振り返るという、

ド不幸企画を、放映していた記憶が、
うっすらとある。
何か、スタジオだか、
どこか、場所が判然としない、
真っ暗な背景の中、
画面ドアップで、

何かを語る、ウエさんの話の中身は、
子どもの私に、

理解できるはずもなかったが、
その苦悶に満ちた表情は、

何かを、確実にテレビ画面の向こうに、伝えていた。

 

次は、もうはっきりと、記憶しているのだが、
ウエさんの、最後の現役監督としての仕事、
日本ハムファイターズの監督時代。
(最晩年の、落合選手が在籍していた)


さすが、

ウエさんの手腕、
日ハムが、

(確か相手西武やったかな…)
優勝争いの、

デット・ヒートを繰り広げ、
珍しく、

天下のNHKで、パ・リーグの試合が放送されるということで、
テレビをつけてみると、

 

そこに、ウエさんはいない…。


気の毒に、
一口では言えない、

事情があったらしく、

ご家族の、宗教問題で辞任するというのだ…

なぜ?なぜ?
ウエさんについては、
ホントにわからないことが、多かった。
ご自身は、
あの伝説の猛抗議について、
「引くタイミングが、見つけられなくなった」
と言ってたが、それでもよくわからなかった。

 

ウエさんのことを、
同じく、
パ・リーグの伝説的選手である、

西鉄ライオンズ豊田泰光さんが、

このようなニュアンスで語っていたと、
記憶する。

「頭が良すぎて、周りがバカに見える」
言い得て、妙である。

温厚で、知性的、冷静沈着な人物が、
意外と、瞬間湯沸かし器だったりする。
ウエさんのおかげで、
ここ一番、
あなたが、それを絶対やってはいかん、
という場面で、
人がとんでもなく、
エキセントリックな行動をとったりすることを、

全肯定とまではいかんにしろ、
何となく複雑な感情で眺める、
トコまでは、
自分を踏みとどまらせるように、
できるようには、なった。

何だって、明日は我が身なのである。

どういう人だったんだろうなア。
上田監督。
イメージかもしれないが、
結局のところ、

根本では、

単に、人情家だったのではないだろうか?
小選挙区制以来、
結果のみで全てが語られる、

世の中になり(多分)
効率と対策ばかりが求められ、
人情は、紙キレのようになってしまった。


ウエさんが、
その役割を、終えはったことで、
世の中から人情というものが、

少々は、復活するのではないだろうか?
と、思えんこともない。


自分はどうあがいても、
ドライにも、クールにも、

生きられそうにない。
より、一層、

熱く、ウェットに生きようと思います。


ええで!

 

朝顔

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ムスコが、

学校から、朝顔を持ち帰ってきたのだが、
ロクに世話をしない。
毎日、私が水をやっている。
まさかの、小学校以来の、朝顔の成長観察だ。
メンドくさくても、毎日、水をやる。
葉は大きくなり、
つるは、空にむかって伸び行き、
支柱の高さを越え、
自らの重みに負け、
だらりと、垂れ下がる。
行きどころのなくなったつるを、
横向きに、支柱に巻きつけるやり方を、
不意に思い出す。
33年ぶりの、行動だ。
指が記憶していたことに、

びっくりする。

赤紫のが、ひとつ咲いた。

 

みんなをしばる共謀罪

 こないだの、
太朗'sカフェで、


(太朗'sカフェについては、コチラ)↓

tarouhan24.hatenablog.com



こんな看板を、車のフロントガラスに、
大きく、掲げていた↓

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すると、
原付に乗った、どんぐりみたいなお巡りさんが、
じ~~~~~~~~っと、コッチを見つめてくるではないか…。

何てことだ、
お互い何もかも、疑ってかかるのが、
もう、当然な世の中になっちまったのか。
ボクは嘆いた。

ちょっと、
昔のコトから、
思い起こして行こう。
小選挙区制になってから…
イロイロあった。
自民党民主党自民党
ああ、けど政党だけ見ると、
変化こんなモンなんや…
どっちにしろ、
数とったトコが勝ちで、

好きなようにできる。


国会は、あのとおり無意味だ。

ついには、
共謀罪なんて、
通さしちまった。
エエ加減に、
政権交代して欲しいから、
通っちまった、共謀罪のことを、
クヨクヨ考えても、仕方ないから、
選挙、選挙。
選挙で勝つこと、考えろ。
ああ、何かどんどん進んで行く。
誰が、一番先端にいるのかを、
競争しているみたいだ。

人間が、
まるでスポーツ・カーのように、
スピーディーで、薄っぺらくなっていくようだ。
今までは、それで良かった。
共謀罪が、通されるまでは。
ネット社会と、オタク文化のおかげで、
竹槍戦術みたいな、
本当~の意味での
無駄な作業はなくなり、

新たな交流も、
獲得するという、メリットもあった。

…政治を、考える。
それは、この社会における、
小さな羽虫のような自分が、
向き合わざるを、得ない行為。
政府が作る「法」
と、エネルギーの元で、

ボクらは生きているのだから。
政変があるたびに、
人は、生き方の棚卸をする。
しないようでは、おかしい。

ボクの場合は、
「もっと、丁寧でないと」
と、思った。
そして、
「ゆっくりでないと」
とも。
まるで、
とてもクソ長い本を、読むかのように、
ゆっくりと。

確かに、
国会は存在しない。

しかし、
だからと言って、
世の中全員が、

選挙のみに注目し、
批評家みたいな目線で、
「対策」を講じたところで、
それは、

ヤリ口の一例を、
示し会っただけで、
この世界に存在する、
重たい石を、汗を流し、
必要な場所へと、移動させたわけじゃあない。
ルールの分析をしても、
グランドには、ひとりもプレイヤーがいない。
何より、本質を見失う。

 

ひたすら、
ネットでの情報や、
実用書の中身を切り刻んで、要約し、
ヤリ口を示し、
シェアしあい、
作戦を研ぎ澄ます。
早い、どんどん早くなる。
何もかもが。
そんなの、作戦に身を置いているだけで、
人生を生きているわけじゃあない。
一体、どうしろと言うのだ?

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そういえば、
冒頭の、
写真のプラカードは、
共謀罪が、ほとんど、
通されんとせん、
と、いう夜中に作ったものでした。
このスピーディーな世の中に、
あまりにも、遅い。
しかも、デザインがアナクロだ。

シールズとかと、
エライ違いだ。

ところが、
自分でも思っていなかったトコロで、
このプラカードの、
「手書き」が
案外、好評だったりする。

ものすごく、

遅いタイミングで、
きょうび、夜中に絵筆をとり、
政府への怒りを紙上に、
叩きつける
…行為も、アナクロだ。

遅い。
スピードと先読みの時代に、

何てことだ。

でも、

ココに大切な何かが潜んでいるような、
気もする。
悪政へのカウンターとして、
反射的に先取り行為に走るのは、
やむなしだ。

しかし、それは、必要なことだろうか?
ひょっとして、
全くの無意味、無効果の可能性だって、
充分にある。
だって、
世の中は、

全く良い方向に向かっていないから。

薄っぺらで、スピーディーな、
スポーツ・カーのような人間になって、
私たち大人は、子どもたちに、伝えられる大切なモノを、
持てるだろうか?
子どもたちにかける言葉が、
「How to」や「出世術」や「対策」や「工夫」
しかない、大人になっていたのだとしたら、
余りにも寂しい。

大の大人が、
子どもに伝えられることが、
ウィキペディアからの引用だけでは、
将来がコワいのだ。

人と人が、
直接出会い、
生き方を語り合う、
何かを交信する。
今度はそれが、
薄っぺらく、

無効果な

『スピーディー』への、
カウンターとなる。
遅さは、
最速のまわり道では、なかろうか
…と、
ひとり夜に、勝手に思ったりするのだ。

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読書の効用①~カラマーゾフの兄弟~

新聞を読む、というのは、
中々辛いものだ。
なぜなら、

自分は、出来る限り、
悲惨なことからは、
目をそむけようとする人間なのだが、
何かが、私にそうさせないから。

 

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↑例えば、
6月13日の朝日新聞
パレスチナ人の、

男の子は、
自分以外の家族を、
襲撃により殺された。
男の子は、私の息子と同じ歳。

世界から入ってくる、
情報に耐える自信が、
私には、ない。
情報が、重いからではない。
入ってくる悲劇は、
私の足元から、地面を通じて、
悲劇のある場所と、繋がっているからだ。
それが現在であれ、過去であれ。
だから避ける。

でも、自分は

何かの力の作用で、
何処か遠い場所で起こった、
悲劇を、自ら捕えに行くことも、ある。

情報から得た絶望を、

いかにやりすごして、

生きてきたのだろう?

それは、
間違いなく、
読書体験のおかげだ。


カラマーゾフの兄弟

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この古典文学のおかげで、
私はどれほど、
情報の難所を乗り越えることができただろう?

 

大学には、
入学してすぐ、行かなくなった。
18歳にもなって、
文化祭で、プロレスごっこをしたり、
TVゲーム「ぷよぷよ」をしたり、
幼稚なロック・バンドで遊んでいる、
周囲の状況が、
考えられなかった。
この状態の学生が、
40歳くらいになったら、
世の中どうなってしまうのだ?
と、思った。

なので、
アルバイトに行く以外は、
本を読むことにした。
大学は、
山形県にあったので、
冬になると、
アパートの周囲は、
日本海側独特の、
深い雪で包まれ、
信号機からは、つららが下がるほどだ。
外に出ること自体が、
難しい。
本を読むには、
持ってこいの環境だった。

とりあえず、


トルストイの「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ
ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟


だけは、読んでおこうと思った。
何故、長編ばかりなのかというと、
ある作家が、


「長さのある古典は、

 若く、体力と時間のあるうちでないと

 読めない。
 読んでおくとトクだ」


と、言っていたからだった。
実際、その通りだった。
今は、時間がなく、
とても、読めない。
この言葉に、感謝する。

もうひとつ、
これは、
結構、人生の分岐点ではないか、と思うのだが、
なぜ学術書とかではなく、
小説なのかと言うと、
(「資本論」とかに行くコースもあるはずだった)
単なる偶然か、資質なのだろうか…
また、違うタイミングで、
岩波文庫

ドイツ・イデオロギー
なんかも開いてみたのだが、
2ページで挫折した。


サッカーで言ったら、
フィールドに入った瞬間、
勝手に、肉離れを起こして、
退場したようなものだろうか?


これは最近、
ある人に聞いたのだが、
ドイツ・イデオロギー」は、
〇ルクスだか、〇ンゲルスだかが、
まだ若く、思想的にも、固まってない頃の著作で、
そのぶん、
読みこなしもハチャメチャに難しい、
ということらしい。


「薄いから行けそう」

と、思った私が、

浅はかだったのだ。

話を戻そう。
ドストエフスキーよりは、
トルストイの2作の方が好きだった。
トルストイの作品には、
素敵な女性が、出てきた。

アンナ・カレーニナ」のアンナは、
罪の香りがする、きらびやかな女性。


「戦争の平和」のナターシャは、
いつも一緒にいたくなるような、
かわいらしい、女性。

(作品最初の方では『女の子』ですら、あった)
~だったと、記憶する。

この二人の女性に、
この時期に、出会ったことで、
自分の恋愛や、

女性との友情は、
ある程度救われ、
また、研ぎ澄まされてしまったのかも、
しれない。

ただ、ここが
私のアホなところなのだが、
これほどの長編を読んで、
肝心のストーリーの記憶は、ほとんどない。
一回しか読んでないから、
当然だが。

「アンナが、可愛かった、
 ナターシャが、可愛かった」


が、この古典文学を読了した感想では、
情けなさすぎる。

だが、それで良いとも言えるのだ。
小説を読むのは、

気楽なもので、
学術書のように、
暗記したり、
マスターしたり、
論じたりする必要はなく、
言うなれば、旅行のようなものだ。
人物との出会いと、別れ。
うっすらとした思い出が、残れば良い。
「そういえば、あのとき、あんな女の人と出会ったな」
と、いう風に。
それが、後に生きてくる。

付け加えると、
トルストイという、
「おっちゃん」が創作した、
女性像だからこそ、
18,9歳ソコソコの頭でも、
ついていけたのかも、しれない。

トルストイに比べると、
ドストエフスキーの作品は、

「えらく…むさくるしいな」

と、いったところだった。
登場人物のほとんどが、男だった気がする。
カラマーゾフの兄弟
の3兄弟は、全員男で、
もうひとりの、主要な人物は、
兄弟の父親と、私生児の男、
あとは、長老…とか。
まるで、男子高だ。
しかも、
登場人物のひとりひとりが、
妙に理屈っぽく、
掴みどころが無い部分が、あまり無い。

だが、最初に述べたように、
新聞を読むことで、
私に、日常的に訪れる絶望から、
いつも、
救いあげてくれるのは、
この作品を体験した、
記憶だ。

カラマーゾフの兄弟」で、
特に好きな人物は、
次男のイワンと、
三男のアリョーシャ。


イワンは、

論理的に物事を考え、
世の中を、

冷めた目で見てるようだが、
心根は実は純粋で、
それゆえに、
常に、自分で自分を追い詰めている。

アリョーシャは、
無防備なほどの純粋さを、
世間に晒しながら生きているが、
実は、物語に出てくる、
誰より芯が強い。

この二人の、
対話が、
カラマーゾフの兄弟」の物語の根幹を、
支えている。

イワンは、アリョーシャに話し、
問いかける。
まるで、アリョーシャが、
唯一、心の奥底を、

打ち明けられる相手であるかのように。

以下、二人の会話で、
当時印象に残った部分を、
抜粋していく。


イワン↓
「30歳までは、どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪にも、
 オレの若さが、打ち克つだろうよ!
 オレは自分に、何度も、問いかけてみた。
 オレの内部の、この狂おしい、不謹慎とさえ言えるような、
 人生への渇望を、打ち負かすほどの絶望が、

 果たして、この世界にあるだろうか?

 そして、どうやら、そんなものはない、と結論したのさ」
 
イワンは、続けて言う↓
「アリョーシャ、生きていたいよ、
 だからオレは、論理に反してでも、

 生きているのさ。
 たとえ、この世の秩序を信じないにせよ、
 オレにとっちゃ、
 『春先に萌え出る、粘っこい若葉』が貴重なんだ。
 青い空が、貴重なんだよ。
 そうなんだ、
 時には、
 どこがいいのかわからずに、好きになってしまう、
 そんな相手が、大切なんだよ」

 

すると、アリョーシャは、兄イワンに問うのだ↓

「兄さんはなぜ『この世界を認めないか』を、僕に説明してくれる?」

イワンは答える↓

「『野獣のような』人間の残虐なんて、

 表現をすることが、あるけど、

 野獣は決して人間みたいに残酷にはなれないし、

 人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね」

 

イワンは、続けて言う↓

「五つの女の子を、
 両親は、

 ありとあらゆる手で痛めつけたんだ

 ~そのうちついに、

 この上なく、念のいった方法に行きついた。 

 真冬の寒い日に、女の子を一晩中、便所に閉じこめたんだよ」

(これは実際に19世紀のロシアであった、社会事件だろうか?)…太朗の疑問。

 

「自分が、どんな目に会わされているのか、
 まだ意味さえ理解できぬ、

 小さな子どもが、真っ暗い寒い便所の中で、

 悲しみに張り裂けそうな胸を、ちっぽけな拳でたたき、
 血をしぼるような涙を、恨みもなしに、おとなしく流しながら、
 『神さま』に守ってくださいと、泣いて頼んでいるというのにさ。
 お前には、こんなばかな話が、わかるかい」

 

「たとえ、苦しみによって、永遠の調和を買うために、

 すべての人が、苦しまなければならぬとしても、

 その場合、子どもにいったい何の関係があるんだい?

 ぜひ教えてもらいたいね。何のために子どもたちまで、

 苦しまなけりゃならないのか、

 何のために、子どもたちが、苦しみによって

 調和を買う必要があるのか」

 

「そんな調和は、小さな拳で、自分の胸をたたきながら、

 臭い便所の中で、償われぬ涙を流して『神様』に祈った、

 あの痛めつけられた、子ども一人の涙にさえ値しないよ!」 

 

 このイワンの執拗な、

 問いかけに、
 アリョーシャは、


「じゃ、粘っこい若葉は、大切な墓は、
 青い空は、
 愛する女性はどうなるんです! 

 どうやって兄さんは生きてゆけるんです?」


の、言葉と共に、
兄へのキスで、答える。

(今読むと、この状態の男性から愛される女性は、かなり迷惑かもしれない)…太朗


引用は全て、
新潮文庫原卓也訳からで、
上・中・下巻の、

上巻の最後のあたりだ。


(少しだけ、太朗が変えて引用してるとこも、あります)
 

中巻、下巻と読み進めてみても、
次男イワンの苦悩は、特に解決しない。

それどころか物語は、死、殺人、狂気、裁判、冤罪等々、
救いのない方向に、行くばかりだったと、記憶する。

はっきり覚えているのは、
物語の終焉だ。
さまざまな苦難と、兄弟の不幸を見届けた、
三男アリョーシャは、子どもたちに囲まれ、
彼女、彼らに、
希望に満ちた説法をする。
この場面は、ものすごく唐突だった。
絶望の物語に、
不意に現れた希望。

アリョーシャは、子どもたちを、
『美しい灰青色の子鳩』と例え、言う↓

 

「なぜ、悪い人間になる必要が、あるでしょう。
 そうじゃありませんか、みなさん?
 僕たちは、何よりもまず第一に、
 善良に、それから正直になって、
 さらにお互いに、みんなのことを決して
 忘れないようにしましょう」

アリョーシャの言葉の引用は、ほんの一部。
通して読むと、もっと、素晴らしい。


子どもたちは、アリョーシャを取り囲み、
口ぐちに、

 「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」
カラマーゾフ万歳!」
と、希望に満ちた叫び声をあげて、

物語は終息する。

何故、長すぎる絶望が、
唐突な希望となったのだろう?
それは、そんな話だったから、
としか、言いようがない。
通読すると、
「こうなるしか、ない」
と思えるのだ。
夜明けと一緒で、

来るものは、来る。
人間の力であり、人間の力を超えている。
そして、物語そのものの、力だ。

さて話を、冒頭のテーマに戻す。


私は、カラマーゾフのイワンのように、
体の中に絶望的な新聞記事を、通過させる。
それが、カラマーゾフ流に、
根拠のない希望に転換されるのを、
期待して。
絶望を知らぬものが、
社会に対して、
人間に対して、
貢献もできるはずもないからだ。

カラマーゾフの兄弟


この本そのものが、

一度だけ、私の体を通過し、
かろうじて存在する、
耐久力の装置を、
作り上げてくれた。
これが、読書の効用だ。

最も、
カラマーゾフの兄弟
は、そんな単純なテーマの話ではなく、
わずかな引用箇所を見ただけでも、
ピンとくる人は、
ピンとくるだろうが、
19世紀ロシアの生活に、
深く根を降ろしている、

カトリックの教義と、
合理的な現実感覚の対立、
と、いったテーマが大きいのだろう、
多分。

(そういえば、遠藤周作の「沈黙」は、日本型村社会・封建制度

 異端としてのカトリックの対立が、テーマだった。しかも、
 観念的でなく、人間ひとりひとりが、苦悩し、生き生きし、
 血が通っているのは、ドストエフスキーと、一緒)

 

 

冒頭のスクラップ記事と
同日の朝日新聞に、
ロシアで、
逮捕・流血も発生した
反政府デモがあったと、
載っていた。
私は、恥ずかしながら、
現在のロシアの事を、
全く知らないが、
この写真の中に、
イワンやアリョーシャがいるのではないかと、
つい捜してしまう。

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 何となく、
このまま、ダラダラ書き継げそうな、
テーマだが、
長くなり過ぎたので、
一端ここで終了とします。

よって①と、しときます。
続きはあるかもしれないし、
ないかも。

 

 

 

こんな文章にタイトルはいらない

 

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タイトルを見て、
面白そうだと思って、
読んで見ようという気になった方、
すみません。
面白くない文章です。
(よくある話です)
完全に、自分のための覚書です。
タイトル
TATTOO」でも、良いですね。
THE WHOの曲で。

前職の、

CD屋の店員をクビになって、
丸3年、経っていた。
一体、

3年間も、

何をやっていたのだろう、と思う。
現時点で、自分は何ひとつ成し遂げていない。
理屈抜きで、手応えとして、そうなのだ。

つい先程、
超個人的に、
「何でこんな、体たらくに…!情けない…!」
と、思える出来事があった。
別に、人間関係とかではない。
ほんの、小さな事かもしれない。
全ては、自分自身の不甲斐なさ。

「定職」から逃れ「自由」になった日から、
3年。
今の自分の立場を、
人は「主夫」という。
でも、そんなものでは、全然足りないのだ。
自身に成長がなければ、
世の中に変化など、起こるはずもない。

振り返ってみる。
20代から、
30代にかけて、
芸大の環境に、

納得がいかなくなった自分は、
少々、こぼれ落ちる存在になるのは覚悟して
(些細なことだった)
アルバイトをしながらで良いから、
細々と、
自分が表現できることを、
探して行こうと、決意した。
アルバイトを転々としながらでも、
世の中の事を学ぼうという、
強い意欲があった。
どれほど、困難な環境でも、
表現しようとする意欲は、

死ななかった。

納得したら、
就職しようと、思っていた。
惜しむらくは、

「意欲そのもの」しかなかった。
表現したい中身が、特になかった。

3.11以前の、
自分にとって、
現実的な社会問題は、
正直、
「若者の貧困」くらいのモノだった。
それくらい、ノン気でどうしようもなかった。


それでも、
絞り出すように、
20代の表現を生きた後、
何もかもに懲りてしまい、
CD屋のアルバイトとして、
30代いっぱいを、ほぼ過ごした。
一切の表現から、
手を切ったにも関わらず、
かなり出来の悪い店員だった。

40過ぎて、
もう一度、
表現しようと、やり続けている。
方法など、わからない。
こんな駄文を描き続けている。
自分の中の、
死に切れない何かが、
「書け」「書け」と言い続けている。
とにかく、
自分には、無駄にできる時間などないはずなのだ。
風邪をひくと、
悔しくて仕方がない。
責任を取れていないこと、
思いやりにかけていること、
だらしない肉体をしていることが、
悔しくて仕方ない。


ノン気を気どることなど、限界があるはずなのだ。
一分でも惜しいのだ。
その癖、貴重な時間をうっかり、
ドブに捨てては後悔を繰り返し、
友達とは、
考えられる限り、

ダラダラと過ごすのが大好きという、
矛盾に満ちた人間だ。

それでも、
今、生きているこの一日から、
無駄という無駄を、
絞って行こうと思う。
もっと、集中して行こうと思う。
何せ、誰も見ていないだから。
誰も見ていない時間の中に、
自分の最大の弱点があるのだ。