たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝② ~モアイという男~

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その男のことを、
‘モアイ’
と、呼ぶことにする。

モアイと工場内で、
初めて出会ったとき、
彼の顎周りの骨格が、
非常に、
しっかりとしていて、
なおかつ面長なのが、
まるで、
イースター島のモアイ像のように、
見えたからだ。
(悪い感じは、しなかった)

大体、
発表するつもりの文章に、
本名を、使うわけにもいかない。
それに、
モアイの本名を、
パソコンのキーボードで打ち込み、
見るたびに思い出すことに、耐えられない。
自分は、
モアイに酷い目に合わされたのだ。
そもそも、
モアイが最後に使っていたのが、
彼の本当の名前だという保証は、
どこにもない。

あのような、
喋り方をする男に出会ったのは、
初めてだった。

ベタな例えをすれば、
アクの強い、関西弁を使用する、
吉本興業
‘しゃべくりが旨い’
タイプの、
芸人のような感じだ。
彼の一言一言には、奇妙な吸引力があった。
互いの自己紹介をしたとき、
モアイは私に、

「大阪で宝石商の仕事をしとったけど、今は休職中」

と、言った。
自分は当時、
1から10まで、
嘘をつく人間というものが、存在することを、
まだ、知らなかったのだ。

工場に勤めてから、
1年も経つと、
自分の身の周りの人間関係も、
出来あがってきていた。
昼休み、
一時間の休憩時間、
派遣会社の人間たち同士、
機械音が鳴り響く食堂で、
油臭い、仕出し弁当を食べていた。

正社員と派遣社員の間には、
やはり、一定の距離があった。
正社員が派遣社員を見下しているとは、
特に思えず、
(あるいは、気付いていなかったのか)
『所詮、別会社だから』
と、いう単純な理由で食堂のテーブルも、
それぞれに、何となく分かれている、
くらいの感じだった。

派遣会社は、
自分の所属していた社だけでなく、
もうひとつあり、
そちらは、明らかに、
「ランクの低い」仕事に当てられていた。
ロッカーでの着替えのとき、
‘そちら’の、彼らは重油で黒く汚れた作業着を、
脱ぎ去る。
そのたびに、刺青の入った浅黒い肌が、
蛍光灯の光をぎらりと弾く。
見るたびに、
自分は、暗い気持ちになった。

一方、
自分の所属していた方の、
派遣会社には、
同年代の若者が多かった。
入社(単なる登録)理由を、
彼らに尋ねてみると、
「何となく」「雑誌で見て」「親に怒られて」「就職できなかった」「役者志望の劇団員」
…etcと、いったトコロだった。
90年代半ば、
不景気への危機感が、
当事者にも、まだなかった。

湯浅誠さんが岩波新書から『反貧困』を出版したのは、2008年のこと』)

グループをほぼ20代が占めてる中、
モアイの存在は、珍しかった。
彼だけが、40近い
‘オッサン’。
ゆえに、話すコトからは、
酸いも甘いも、味わってきたような
人生経験の豊富さがあるように、
若者たちは、錯覚する。
いつの間にか、
モアイが中心にいて、自分も含めた若者たちが、
彼を取り囲む形になった。

若者のひとりは、
モアイのことを

島田紳助みたい」と言う。

もうひとりの若者は、

松本人志みたい」と言う。

するとモアイは、
彼が、吉本興業に所属している芸人と、
友人関係にあるという話を、
するのだった。
その中には、
今では故人となってしまった、
関西圏では誰もが知る、
大物芸人の名も上がった。

「アイツとは、よう祇園で遊んでいたけど、今の姿からは、
 考えらんくらい、小心者やった」

「宴会のとき、アイツの目の前で裸になったら、
 『オマエみたいな奴は、貴重な人間やから、オレらと一緒に、お笑いやれ』と言われた」

…このようなモアイの話を、
自分たち若僧は、目を丸くして聞いていたのだ。

次第に、
モアイと、会社以外の場でも、
遊ぶようになった。
派遣会社グループの若者たちは、
焼けつくようなストレスを、抱えていたし、
刺激を求めていた。
高いアルバイト代も、
馬鹿馬鹿しい、欲求不満の解消へと、
消えていく。
ひとつは、酒と食欲だ。
グループで酒に強いのは、
自分と、モアイのみだったが、
皆、飲めなくとも、
仕事の帰り、
居酒屋や、焼き肉屋に入り浸り、
安物のビールと、
色のついた、
甘ったるいチューハイを、
ガブ飲みする。

とにかく、
モアイは自分の人生の中で、
‘新しい人間’だった。
彼は、酒の席で(いや酒の席でなくとも)
必ず、在日コリアンのことを、
こちらの耳を潰したくなるような言葉で、
罵った。
使用してはならない言葉の連続に、
自分は、

「どこの国だろうが、良いヤツ悪いヤツはいるやろ?」

と、素朴に応対したのだが、
モアイは、
「なら、一度アイツらと…」
さらに救いようのない言葉を、浴びせる。
自分が、
世間知らずだったのかも、しれないが、
当時、
差別感情の存在は、
道端の石の下側の湿った場所に、
あるように感じていた。
まだ、
ヘイト・スピーチという存在は、表に出ていない。
モアイが石の下から、
引っ張りだしてきた、ヘイトには、
呆然とするしかなかったし、
モアイのような考えの人間がいることが、
不思議で仕方なかった。

なぜ、そのような人間との付き合いを、
辞めなかったのか?
それが、わからない。

とにかく、何でも良いから、
自分は、アテにする存在が欲しかったのだろうか?
モアイと出会ったとき、
父が、すでに死んでいた。
手遅れの癌に犯されていた父が、死んだ日は、
英国で、あの可哀そうなダイアナが、
好奇の目に応える、パパラッチたちの目により、
高速道路で殺された、
1997年の8月30日だったので、
よく覚えている。

21歳で、父を失うというのは、
中途半端だった。
気持ちに踏ん張りを効かせたら、
父の存在など、
特に指針にすることもなく、
人生を、
切り開いていける年齢にも思えるが、
今にして思えば、
ただの子どもだ。

「寄り添う物が、欲しかった」

と、いうわけではない。
しかし、
強烈な個性の、年上男性を見ると、
虫が、電気の光に、
吸い寄せられるかのごとく、
ただ、本能的にそこに向かってしまう。
数字の上では、
成人しているとはいえ、
理由のない本能を疑うほど、
自分の心を、客観的に見つめることができる、
年齢ではなかった。

不幸中の幸いというのか、
両親が、
喫茶店経営の失敗で抱えた借金は、
父親名義によるものだったので、
父の死と共に、
相続放棄し、支払いの義務はなくなった。
それでも、
元妹の学費は稼がねばならず、
家に主要な働き手がいないことにも、変わりなく、
何より、
毎日毎日、兵器を作り続けているという灰色の事実が、
自分の心を、少しもラクにさせなかった。

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政権は、
相変わらず、橋本内閣だった。
当時自分は、借金を返すことのみを、
目標に生きていたので、
広く社会に向ける目など、持っていなかった。
だから、橋本内閣の仕事など覚えておらず、
ただ何となく、
鈍重な、安定感のようなものがあったのを、
単に感覚だけで、覚えている。
‘ポマード頭’などと、
くだらない指摘をよくされていた、
橋本龍太郎より、
その前、村山内閣の退陣と共に、
アッという間に、
社会党が崩壊してしまったインパクトの方が、
よほど強かった。
自分は、社会党のことなど、
よく知らなかったし、
村山内閣が、
自社連立政権であることも、
ちゃんと、理解していなかった。
それでも、
社会党という、
巨大野党の党首が、
内閣総理大臣の職についたのは、
人生で、初めてのことだった。

(細川内閣の時は、自分はモノを知らない高校生だった上、内閣の存在がアヤフヤだった)

それが、
何も変化を起こせず、
「売党村山」と、言われながら退陣し、
結局、
いつの間にか、変わり映えのしない、
自民党政権に落ち着いている。
自分が政治に対して、
何処か、二ヒルになってしまったのは、
この辺りが、
結構、原体験になっている気がする。

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モアイとの付き合いが、
本格化するのは、
工場での話ではない。
モアイは、
意外にアッサリと、工場を辞めた。
派遣会社の人事担当の人に
尋ねると、
「お母さんが危篤」
と、いうことらしかった。
(それなら仕方がない)
自分は、
これから、仲良くなるところだったのに、
モアイはずいぶん水くさいな、
と、思った。
モアイに限らずとも、
派遣仲間で、
長く工場の仕事を続ける人間は、
余りおらず、
グループにいる人間の回転も早かった。
自分は、
この兵器工場で、
3年半、
1999年の半ばまで、
働くことになるのだが、
辞めるころには、
周りの顔ぶれが、入社当初とすっかり変わっていた。

モアイから、
再び連絡があったのは、
年も明けた、
1998年の冬のことだった。
多くの人に、
携帯電話が普及し、
個人個人で連絡を取り合うことが、
以前よりも、ずっと容易になっていた。
自分もこの頃に購入し、
そのうち10ケタだった、
電話番号も11ケタに増えることになる。

京都一の繁華街、
河原町の居酒屋で、
モアイを囲む、
『工場同窓会』が、行われた。
自分は、
「お母さんは、どうなったん?」
と、モアイに尋ねた。
「悪い嘘やないやろ」
と、モアイは答えた。

モアイが言うには、
「これから事業をやろう」
と、いうことだった。
木屋町に借りれる見込みの物件を見つけた、
そこで、
タイ焼き、焼きそば、タコ焼き、
粉ものを出す店をやろう、
酒も出して、
客を呼ぼう、
店員が必要やから、
おまえらやらへんか’

…モアイは、
その口の旨さで、
工場にいた時から、
若者たちに、
「組んで仕事をしよう」
と、持ちかけていた。
将来が見えてるものなど、
誰もいなかったから、
皆が、この話に飛びついた。
ただ、自分だけが、
未だに工場に勤めていたので、
参加はせず、
数ヵ月後、
本当に開店した粉もの屋は、
仕事帰りに遊びに行く、
絶好のストレス解消の場となった。

工場→河原町→自宅
の、トライアングルが生活習慣となる。

***************************************

山一証券が廃業したのは、この頃だった。
自分は、未だに証券会社というものが、
何なのかわからない。
だが、
山一証券
と、いう
赤い看板文字は、
事業の中身がわからなくとも、
無機質なビルディングの中に、
あたり前の風景として、存在していたものであり、
それが、無くなるということで、
何となく、
今まで信じて疑わなかった、
国の経済基盤が、
普通のものではなかったのだ、
という実感が、
初めて湧いた。

今でも、語り草となっている、
当時の野澤正平社長の涙とともに、
モアイに飲み込まれていく、
自分の生活も、
ガラガラと音を立てて崩れていくのだった。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→


ド不幸自伝① ~兵器工場~

 

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昨日、100円を拾った。
金を拾ったなど、何年ぶりのことだろう。
これは、予兆だ。予兆にちがいない。
金だ。
金が、オレのもとにやってくる。

そういえば、
「不幸は、金になる」
と、
マンガ家の西原理恵子さんが言っていた。
不幸体験に対峙する、
諦めの悪さの象徴として、
ふとした時、
自分の頭の中をよぎる代表格が、
この言葉だ。

西原さんのパートナーは、
これまた有名人の、
高須クリニックの先生なのは、
周知の事実。
高須氏は、
ボクとは真逆のスタンスの、
ある種の悪名高さで、通している。
最近、自分はツイッターを再開したので
(フォローお願いします)
高須氏のを、ちょっと見て見た。
目を被いたくなるような、つぶやきの中で、


西原理恵子のファンは全て僕の大事な人です」

と、あった。
うまく言い表せないが、
結局、
こんな感じの人と自分とは、
反射神経のレベルで、似通っているような気がする。
世にも恐ろしい話である。

せっかくだから、
書いてみよう
「不幸」
なんせ、金になるらしいから。

不幸話なんていうものは、
過去のものとして、
抜け出した状態でないと、
痛々しくて、書けるものではないだろう。
自分は、
抜け出しているから、
書くのだが、
抜け出しているということは、
オチも、わかっている。
あらかじめ決まられたオチに、
向かって、
書きすすめていくんやけど、
そういうのは苦手なので、
不安だ。
明後日の方向に、行くならまだしも、
途中で飽きて終わったら、
どうしよう。
飽きんためにも、
なるべく手短に、
カンタンに書きますね。

************************************

時は、1996年。
21歳のとき。
高校を出て、
アルバイトをしながら、
京都市左京区茶山のアパートで、
1人暮らしをしていた。
正社員として働いていなかったのは、
職にあぶれた…
と、いうわけでなく、
単に、
世の中と、
うまくいっていなかっただけのコトだ。

バイト先の同僚が、

「今の日本、どこかで適当な職についたら、別に食いっぱぐれることはない」
(だから、とりあえず、アルバイト暮らしをしていても良い)

と、言っていたのを覚えている。
自分の認識も、似たようなものだった。
バブル崩壊
と、いう言葉を聞いたのは、
高校生のとき、1993年。
不景気だとは言われてはいたが、
好景気の名残もまだ、あった。
だが、とっくに日本経済は下り坂に入っていて、
雇用システムの崩壊が、スタートしていたことは事実だった。
(後に、身を持って知ることになる)
自分は、ニブすぎて、
いろんなことに、気付いていなかった。
そもそも、
学校を、ドロップアウトしていたため、
新卒の就職状況など、
全く知らなかった。

そのように、
ノン気なアルバイト暮らしをしていたのが一転、
飛び出していた伏見の実家に、戻ることになってしまった。

自分は実家を憎悪していた。
その理由の一部は、
以前のブログで少し触れたが↓

tarouhan24.hatenablog.com

元母親(この言い方が限界)による、
幼少期からの虐待であった。
それでも、戻らざるをえなくなったのは、
元母親と父親が、喫茶店経営に失敗し、
借金を抱えた上、
父が入院することになったからだった。
(すでに、手遅れであった)
加えて、
妹(これも、元)の学費が必要であった。

更新料を支払ったばかりの、
アパートを引き払い、
実家の団地へと、引っ越した。
とにかく、金が必要だ。
気持ちを、切り替えねばならない。
アルバイト雑誌を購入して、
目についた、
一番時給の良い仕事に、迷わず応募することにした。

応募先は、
京都市南部にある鉄工場だった。
募集広告には、
その工場ではなく、
北大阪にある派遣会社の社名が書かれている。
初めて知った、
派遣会社という存在だった。

疑問に思うのだが、
自分のイメージでは、
労働者派遣法を、
派手に規制緩和したのは、
小泉内閣
調べてみると、
小泉内閣の忌まわしい仕事の中で、
製造業も、規制緩和の対象に入っている。
ところが、
施行されたのは、
この時よりはるか後の、2004年。
1996年は、橋本内閣だ。
橋本内閣は、26種の業務を緩和の対象にしたらしい。
ここだろうと思い、調べたが、
26種の詳細のソースが、発見できない。
だが、
この辺りを境に、
アルバイト雑誌に派遣会社の名前が、
急に増え始めたのは、確か。
法の施行と記憶を照らし合わせても、
イマイチ、ぴたりと当てはまらない。
この時期から、
自分の人生は混乱していくので、
いろんなことがデタラメになって、
様々な記憶違いを、呼んでいるのかもしれない。
そもそも、
インターネットでの、大ざっぱな調査では、
お話にならないだけなのかも、しれない。

************************************

製造業の経験など全くないのに、
即、採用だった。
工場内を見学した時、
激しい音で回転する電ノコを、
ブ厚い鉄板に当てがい、
バチバチと火花を立てながら、踏ん張っている、
手持ち面姿の工員を見て、

(自分に、こんな仕事がやっていけるのだろうか?)

と、思った。
不安というより、
今後20年かけて、大切に使うはずだった、
人生のエネルギーを前借りし、
21歳にして、
自分が早くも枯渇してしまったかのような、
気分だった。

就労して見ると、
思っていた程の、恐ろしい仕事ではなかった。
工場では、
様々な鉄塊を、
大がかりなシステムで、
切断し加工し、形にする。
どれほど鋭利な刃物で切り裂いても、
切断面には、ギザギザや鉄屑が付着する。
これを、
工場内では、
「バリ」とか「カエリ」
とか、言う。
加工品は、精密機械の一部になるはずなので、
この「バリ」があると、
機械の動作に支障をきたす。
「バリ」を、
ヤスリ、研磨機、砥石などで削り、
油で洗浄して、
(こればかりは、手作業でないと不可能だった)
計器を使用した、簡単な検査を終えて、
段ボール箱に詰め込み、出荷するのが仕事だった。
さほどでもない、
肉体労働といったところだろうか。


大型の研磨機で、
鉄片のカドを削り取るとき、
ブワッと発生する粉が、
高性能の、防塵マスクを装着しようとも、
自分の健康を蝕み、
寿命を縮めているような、気がしたものだった。
派遣社員だからなのか、
夜勤は、免除されていたので、
夜、眠ることができたのは、
幸いであった。
だが、作業は単調で、
毎日毎日、時間が経つのがウンザリするほど、
遅かった。

とにかく、カネが必要だ。
自分は、信じられないくらい従順だった。
タオルで頭を叩かれても、
そよ風のように、感じた。

従順の成果だろうか。
ある日、

「君、良かったらココの社員にならないか?」

と、工場のセンター長に言われた。

「考えさせてください」

と、自分は答えた。
日本経済は、
ここから、さらに落ち込んでいくので、
派遣社員から、正社員に「昇格」する機会も、
どんどん減っていくことに、なる。
「考えさせてください」
と、答えたのは、
望まぬ仕事の、正社員になってしまって、
人生の牢獄から、
抜けなくなってしまう、
と、いう恐怖もあったが、
とりあえず、
派遣社員として、在籍している方が、
手取りが良い。
そのことの方が、大きかった。
時給1300円は、当時として破格だった。

大体、
社員になるも何も、
自分が、
この工場で何を作っているのかさえ、
知らなかった。
ある日、
隣で作業をしていた社員に、
加工中の鉄片を見せ、

「これはなにになるんですか?」

と、不意に尋ねた。

「それは、オマエ…ミサイルやぞ」

と、社員は答えた。
彼が、冗談を言っているのかと思い、
自分は、愛想笑いで返した。
社員が、呆れた様な無表情で、
自分の顔を見るので、
「ミサイルなんですか?」
と、思わず聞き返した。
「ミサイルや」
彼は、繰り返した。
そんなことを言われても、
実感が湧かない。
自分は、握りしめていたハンカチを、
ポトリと落としたような、気分だった。

「昔は砲弾作ってたんやぞ。こんな(丸い)砲弾。
 ところが、淀が平和の街になってから、砲弾作れんようになった。
 ほんで今は、ミサイルやねん」

自分は、彼が何を言っているのか、よくわからなかった。
少し、パニックになっていたのだろうか、

「もし、原子爆弾を作る仕事だったら、どうします?」

と、自分は言った。
何のために、
こんな、とんでもないことを、
口にしているのだろう?
と、思ったが、
口元から、だらしなく言葉が漏れた。

「そんな、人殺しの道具を作るんやったら、オレ会社辞めるわ」
と、彼は答えた。

真っ先に心配したのは、
PKOだった。
周辺事態法が成立するのはまだ先、1999年。
イラク戦争も始まってはおらず、
1992年の、宮沢内閣のときに成立した、
PKO法こそ、
自分の作る兵器が、
買い手である自衛隊によって、
現実に、海外で使用されるかもしれない、
一番の可能性のように感じた。

PKOの意味が、
「国連平和維持活動」
であることだけは、知っていた。

(平和維持活動なのだから、大丈夫だろう)

自分は、
湧き上がりかけた危惧を、
一瞬で飲み込んだ。
自分は今でも、
PKOの実態はよく知らない。
今(2017年)、
多数の安保関連法が、強行され、
防衛費は拡大し、
当時と違い、
日本が集団的自衛権を受け入れてしまった、
状態となっては、
PKOから、武器使用を連想するなど、
単なる、考えすぎか、大間違いなのかもしれない。
だが実際に、
自分が、ミサイルを製造している事実からは逃れようがない。
(何処で使用されるのだ?)
と、いう恐怖は常に存在する。

作業中、
自分の持ち場の横に座っている、
パートのおばちゃん(皆、子どもの学費稼ぎのために勤務していた)
たちが、

「昨日、訓練(自衛隊)終わったらしいで。ウチから出たやつ(ミサイル)
 大丈夫やったみたいやア。良かったな」

とか、会話しているのを耳に挟んで、
「そうや。訓練!これは訓練に使われているものなんや」
そう強く思い、自分の心を納得させた。
検査中作業中の、
ミサイルの尾に当たる部品を、
清潔な白手袋で、ぐっと握りしめた。

工場は、
大手企業「コマツ」の下請けだった。
コマツは、
テレビCMで、
メジャーリーグの、
ロサンゼルス・ドジャースで大活躍していた、
野茂英雄投手の球を受ける、
マイク・ピアッツァ捕手が、
出演するCMを、流していた。
CMは、
ピアッツァ捕手の、イメージ・ビデオの様で、
コマツが、
何をしている企業なのか、
全くわからないシロモノだったから、
放映の目的が理解できなかったが
…なるほど、イメージアップのためだったのだ。
そういえば、
三菱なんて、
思いっきり軍需産業だ。
日立が「この木なんの木」
東芝が「サザエさん
の、裏で
原子力発電所を建設していることに、
気付くのは、
まだ先のことだったが。

(なんでも良い、カネが必要なのだ)

毎日、こう思っていた。
自分は、気付かぬうちに、
軍産複合体に巻き込まれていたのだ。
工場の作業着の下、
身につけていた、
愛用のジョン・レノンTシャツが、お笑い草だった。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→  

主夫日記11月8日 ~死刑判決と、I hope peace~

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どうも、
子どもを保育園に送りだす以外、
全く家から、出ていないような気がする。

唯一の、
社会との接点は、
コンビニで購入する新聞だ。
新聞報道の正確さなど、
全く、当てにならない。
そんなモノが、
唯一、社会への窓口なのだとしたら、
自分がどんどん、
作り物の世界に生きているかのような、
ヘンな錯覚に捕らわれてしまう。

癖みたいに、
余計なことを考える。
考えては、書く。
こんなことを書くのは、
最後にしようと、
いつも思うのだが、
考えては書く、
と、いうサイクルから、
ちっとも逃れられない。
まるで、
何かに取りつかれたかのようだ。

************************************

いつも買わない、
朝日新聞を買った。
トップ記事に、
何となく、引き寄せられたのだった。
自分は、全く知らなかったのだが、
痛ましい、
連続不審死事件の、判決が出たと書いてある。

記事を読んでいるうちに、
ますます、痛ましい気持ちになった。
被告は70歳の女性で、
4人もの、
高齢男性の不審死に関わった疑いがあり、
判決は死刑だということだ。
被告と男性とは、
いずれも、
結婚、交際していたという。

弁護側は、
「犯人は被告ではない」
と、無罪を主張しているが、
被告本人が、
「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
と、新聞記者との面会で、語っているらしい。
被害にあった男性や、
遺族の方の無念のコメントを、
目にすると、
とても、悲痛という言葉では言い表せない。

************************************


たまに、
孤独について考える。
現実の自分は、
家族もあり、
「平和」な世の中で、平穏な日々を過ごしている。
だが、
ひとたび、
こうした文章の中に、自分を出すと、
客観的な作為のモノサシが、
嫌でも入ってしまうから、
出した瞬間、その自分は、
虚構のようなものだ。
虚構の自分は、
孤独に耐えることができる、
フリをしている。
(このブログの、冒頭部分がそうだ)
しかし、
耐えることができる孤独など、
本当に、存在するのだろうか?

************************************

10年ちょっと前、
車の免許を、合宿で取りに行ったとき、
教官のひとりが、
(おそらく嘱託だろう)
警察での仕事を、定年まで勤めたと、
自己紹介で語っていた。

「辛い仕事をしていました」

と、彼は言った。
聞くと、
事故を起こし、
「免許を取り上げられると、明日から家族を養うことができない」
と、彼に訴える、
運送業のドライバーに、
免許取り消しの処分を下したことも、
あったらしい。
自分は、体中の血が逆流するのを感じ、
思わず、椅子から立ちあがったが、
少しの開き直りもない、
何かを直視した彼の目と、
真一文字に結ばれた唇を見て、
やりきれない気持ちで、
ヘナヘナと、腰が砕けたのを、覚えている。

自分が、
今後、経験することがあるのか、
わからないが、
仕事を完遂するというのは、
あの教官のようなことなのだろうか?

時代は、
良い方向にも、悪い方向にも変化している。
だが、
いわゆる、
‘ひとむかし前の男性’
の、中には、
『生きる』ことよりも、
『生き残る』ことを、
重要視せざるを得ない背景が、
あったのではないだろうか?
あくまで、勝手な想像だが。

形は違えど、
『生き残る』ために『生きる』
と、いう感触は自分の中にも確かに存在する。

真の孤独とは、
生き残らざるを得ない、
やるせなさだろう。
こんな、世の中でなかったら、
誰かのために、
精一杯、優しくしたかった、
という悔いが、
不意に、
ひとりの男の中に、
現れることを想像してみる。

被告女性から、男性へのメールの中には、
「私のような愚女を選んでくれてありがとう」
と、いう文もあったらしい。
女性は、被害者のことを、
「みんな、穏やかで良い人だった」
と、振り返る。
また、最初の被害者である、
長年連れ添った男性には、
「差別を受けた」
として、彼女が明快な意図を向けていたという、
記事もある。

私くらいの人生経験では、何もわからない。

一体、
自分は、何のためにこんなことを、
書いているのだろう。
人命が失われた事件を、
ほじくり返すなど、卑しいことだ…。
新聞記者の取材は、
あくまで、取材したことが書かれているだけだし、
私は、事件を今日のこの記事で知った。
出会いがしらの、又聞きだ。
正確なことなど、わかるはずもなく、
それこそ、
単なる癖で、
余計なことを、考えているだけなのかもしれない。
又は事件を、
架空の物語のように、
勝手に解釈しているだけなのかもしれない。


動機は、金銭?
金銭目的で、
そのようなことが、できるのだろうか?
ドストエフスキー
罪と罰」での、
ラスコーリニコフの犯罪動機など、
現実に比べれば、
単細胞なものだ。


彼女から、
謝罪の言葉は、
ついに聞かれなかった、と記事にある。

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
「みんな、穏やかで良い人だった」

このような、
言葉が出てくる心があれば、
ウソの謝罪を述べることなど、
簡単だろう。
なぜ、謝罪すらしないのか。
謝罪することにより、
破壊されてしまう心の内が、
(おそらくは)
この罪びとにあるのだとしたら、
それは、一体何なのだ?
わかるはずもない、
somethingだ。
なし崩し的に、裁かれる以外に方法はないのだろう。
オレは、相変わらず、
一番イヤな役を逃れ続けている。
この記事のすぐ横では、
一命で、
何人もの人間を殺めた男が、
世界のリーダーとして、
写真に収まっている。

この世が、
雑多な人間を乗せた
箱舟だと考えると、
そこから落下するものを出すことなく、
航海を続けることが、
いかに難しいかを、たまに考えさせられる。

個人的には
できることなら、
ホッとすることなく、
責任と情熱を持ち続けて、
強く生きたいものだ。

こういうやるせない時に、
使う言葉なのかな。
自分などが使うと、
安っぽくなると思っていたから。

I hope peace

主夫日記10月25日 ~2017年衆議院選挙を振り返ってみる~

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ワタシが、選挙を振りかえったトコロで、
どうなるのか、と思うのだが、
書いてみる。

言うまでもなく、

今回の選挙は、
1から10まで、‘野党共闘’だった。
(自分の周辺では)

目指す方向が、
根本的に違うから、
別々の政党だというのに、
歩調を合わせる。
アタマから無理なことをやる、
というのが、
関わる人全てにとっての、
大前提という難儀な運動だった。

選挙期間中、
「踏み絵」という単語がブームになったが、
そもそも、無理なことをやるという時点で、
多くの人が最初から踏み絵を、踏んでいる。
(もしくは、自覚もなく踏んでいる)
ワタシなど、踏みまくった。

遠藤周作の、
「沈黙」を、
10代のときに愛読していた。
(最近、映画化されて話題になっていたな。どんなんやったんやろう?)
遠藤氏は、
現物の踏み絵に残された、
足の指のシミを見て、

「このシミを残した人物は、どんな気持ちだったのだろう」
と、いう思いから執筆したと語っていた。

なるほど、
「沈黙」を真に受けたというわけではないが、
自分は、間違いなく踏み絵を、踏むタイプの人間だろうと、
いう思いは、10代のときからずっと持ちづけている。
拷問などいざ知らず、
少しの恐怖や、痛みにも耐えられないのだ。

(だから自分は、「希望の党」に入るタイプだという比喩ではない。
ここでは、それは全く関係ない。根本的に自分は、10回生まれ変わっても、

政治家になれるような才能はないだろうから)

だから当然、

イヤなものだ…共闘なんて、
という苦い思いも、ないことはなく、
市民活動の中で、真剣である自分と、
煮え切らない自分が交差していた。
誰にも気づかれない程度の、
野党共闘の矛盾への)

ウサ晴らしを試みたときは、
まるで、隠れキリシタンのような気分だった。

 

***************************************


閻魔大王に、
「オマエの脳みその中に、ほんの1%も、

前原誠司と似たような破壊衝動は、なかったのか?」
と、問われて
「ありません」
と、返事したら、
速攻で、舌を抜かれそうな気がする。
あの「希望」「民進」合流騒ぎの日、
不安のあまり、

夜中ひとりパジャマ姿で、
近所を徘徊した。
町内を何回も周回した。
歩くところがなくなったので
児童公園に立ち寄って、
小用を済ませた。
(男性だから、できることだ)
用を済ませながら、感じていたのは罪の意識だった。
どこかこうなることを望んでいた自分が、いるような気がする。
だが、実際にコトが実現してしまったとき、
その本当の恐ろしさを実感する。
…気の小さい、犯罪者の心理だ。

その後も、
排除とか、再結集とか、
混乱が続くなかで、
ワタシは、
どんどん、他者にホンネが伝えづらくなっていった。
考えや感じ方が、一致しているであろう人の数は、
日を追うごとに減っていき、
最終的にはゼロになってしまったな、
という実感があった。
家族でさえもである。
無理はない、
人はひとりひとり、背景があるのに、
今の選挙制度に加えて混乱の中、
白か黒かどちらかを選ぶしかない状況。
孤独になるのは、当然だ。
次第にワタシは、誰にも物を言いたくなくなっていった。

 

***************************************


「やっと、投票日だ」
と、いう感じだった。

台風を見越して一日前に、期日前投票
(台風の日に投票日など、危険なことだ)
記入したペラペラの投票用紙は、
投票箱の口より少々大きく、なかなか中に入らなかった。
不器用にブラブラと指先を動かし、落とすのに懸命になっていると、
何か、人前で排泄行為をしているみたいな、

羞恥の感覚に捕らわれた。
(そんなに、変わった組み合わせを選択したわけでもないのに)
投票なんて、
こんな、公然の場で行っても良いものだろうか?
夜中、ひとり公園のトイレにでも投票したい。

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頑健な成人男性が夜中に、徘徊する。
全く、不審者のようなマネをしたものだ。
一軒一軒の家の明かりを見て、
「一体、この人たちの投票先がどこなのか?それとも棄権するのか?」
と、考えた。
どういう理由で、どこに投票するのか?
人生の反映だ。
同じ政党に投票したとしても、
理由は大きく異なる。
家族であろうと、言えない。
本心を打ち明けることができる相手など、この世に存在しない。


だが、思うのは、
案外、みんな(!)が、そのような孤独を抱えているのだろう、
ということだ。
逃れられない孤独を、皆が抱えていると思えば、
さほど、淋しいものではない。
孤独ではない、単にひとりなだけなのだ。
ひとりであるということに、
しっかりと向き合う。
ひとりの自分は、
政治に何を求めているのか?
真剣に考える。
(そして、それぞれのやり方で伝える)

政党の動向など、関係ない。

ひとりの自分に、
しっかりと、向き合うことができなければ、

家族を、友人を、仲間を、
さらには仲間でもない人間を尊重することなど、できないのだ。

*最後に、これは歴史に残る、バカバカしい発端の選挙だと、
覚書として書いておく。

主夫日記10月19日 ~安倍晋三を見てきた~

家から、

そう遠くない、

京都南部のスーパー、
平和堂城陽店に、
内閣総理大臣安倍晋三がスピーチに来るというので、行ってきた。

 

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自民党の狙いは、ただ一つ、
選挙区(京都6)の、強力な前職、‘希望の党山井和則を、
完膚無きまでに、叩きつぶすためである。

簡単に、京都に来られても困るので、
カウンターというには、

大げさだが、
ご意見というか、
マンガみたいなメッセージ・プラカードを用意して↓

 

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(厳密に言うと、このプラカードの内容も、どうかと思うが)
平和堂まで、車を走らせた。

小学生の、

子どもの帰宅時間を考えると、
行くのは、無理があるのだが、
こんなときのための、
とっておきの手を使った。
なにせ、一国の宰相が近場に来るのである。

予想以上の混雑で、
ナビの案内の、倍以上の時間をかけて、
ようやくたどり着いた。
駐車場も満車で、場内に入ったものの、
停車することすらできず、

絶望的な気分になった。
すでに、
観衆は自民党街宣車の周囲を、埋め尽くしており、
その数、ざっと1,000人。
そこいらに、日の丸が羽ばたいている。

奇跡的に、一台ぶんの空きスペースを見つけた。
大急ぎで駐車し、プラカードを鞄に入れ、

街宣車の方へと、歩く。
幸い、
安倍晋三はまだ到着しておらず、
地元京都の参議院議員西田昌司と、候補者のスピーチが、
終わったところだった。

…にしても、
これほどまでに、
日の丸を振っているギャラリーが多いとは、
驚いた。
安倍晋三のスピーチに、日の丸が舞うのは、
当然のことなのだろうが、
写真で見ていたのと、
実際、この目で見るのとでは、
大違いだ。

プラカードの集団を見つけたので、
カウンターだと思い、仲間に入ろうとしたが、
よく見れば、

「おい、TBS。選挙妨害は犯罪なんだよ!」

と、いう、
ヘイト・スピーチの画像で、よく見かけるプラカードだ。
あぶない。
プラカードを高々と掲げている、オジサンに体がぶつかり、
「ドーモ、失礼」
と、言うと、
「アッ、良いんですよ」
と、にこやかな返事が返ってくる。
どこにでもいそうな、気の良いおっちゃんだ。
周りを見渡すと、
プラカードも日の丸と同じように、
全員というわけではないが、
多くの人に、行きわたっている。

 

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「安倍首相、ガンバレ!」

と、いうプラカードもある。
すべて同じデザインの、同じもの。
自分は反射的に、
かつての民主党
愚かな、震災遺物広域処理政策の時に、
用意して配布した、

「絆」

の、プラカード狂想曲を思い出した。

どうにも混雑していたので、
街宣車の裏側から、写真でも撮ろうとして、
道路を隔てた向こう側に回ったら、
ジャンバー姿の係の人(警備員ではない)
から、
「ここでの撮影はダメなんです」と、止められる。
私は、
「本物が来るの?ウソでしょ?」
と、心にもない軽口を叩いてみる。
係の人は、忙しいときだのに、
アホなやじ馬には参った、というような、
苦笑いを見せて、
街宣車向かい側のスペースに戻るよう、
案内する。

再び、群衆の中に入って見て、
子連れママや、中高生が多いのにも、驚いた。
昼下がり、
恵まれた子育て世代なら、比較的動きやすい時間だ。
対立候補の看板は福祉。
全て、計算なのだろうか?
子どもたちに、日の丸を持たせ、
和やかに、談笑する母親たちもいる。
別に、鬼のような顔をしているわけではない。

あたりでよく見かける、優しそうなママさんだ。


(*日の丸も、プラカードも、全て事前配布によるものだと、後から聞いた。
だとすると、単なる通りすがりの人が、総理大臣が来るのだからと、
芸能人の応援グッズ的に、貰った旗を無意識で振るのも、おかしなことではない。
それの方が、より恐ろしいのかもしれないが…
でも、この時点での私は、マンマと騙されている*)

「あちら側」にも、
ママの会みたいなものは、存在する。
と、いう話も聞いたことがある。
自分は、
今の時代、多くの人が、
何となく、右傾化することで、
生きることをラクに感じているのでは?
と、思っていたが、
そうではなく、
「積極的な意識で、安倍晋三の目指すような世界に同調する人々は、
今まで、潜まざるを得なかった、それが、出てきた」
と、いうことらしい。
「対立になる、だからしんどい」と、
その言葉には、
確かに、現場的な響きがあった。

 

安倍晋三が、やってきた。

 

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1000人の同調者。
いざとなったら、
ひとりでも…と、思っていたが、
どうしても、自作のプラカードを出すことができない。
自分みたいな人間も、きっと点在しているのだろうが、
確認する術もない。
1対1000のように思える。

申し訳ないが、
内閣総理大臣が、何を話していたのか、
よく覚えていない。
レポートが目的で、行ったわけでもない上、
よく知られているように、彼は明瞭な話し方ではない。
(ここは、攻撃のしどころではない。ただの口調だ)
生理的な嫌悪感は、もちろんあるし、
漏れてくる言葉を、
耳は、本能的に避けようとする。

部分部分、聴こえてくるのは、
「若者たちが、仕事ができる社会、子育てしやすい社会、生きやすい社会」
と、いった言葉。
対立候補を意識してのことだろう。
だが、
キャッチ・フレーズを繰り返すのみで、方法の説明がない。
(本当に、総理大臣の演説なのか?こんなので良いのか?)
と、思ってしまう。
それでも、
安倍晋三が何か言うたびに、
群衆は沸き、
そのたびに、特に、最前列の数百の日の丸が、
「ワーッ!」と、バンザイのように上がる。
アベノミクスの成果を、数字を出して強調。
過疎化した農村で働く、おじいちゃんの手を握って、
必ず、日本の農業をよみがえらすと誓った!
という、
『泣き』のエピソードも取り入れる。
別に、安倍晋三に限ったことではないが、
詐欺的な手口にしか、見えない。

 

安倍晋三に限ったことというのは、次にあった。

北朝鮮の脅しに屈するわけにはいかない!!!!!」

彼は拳を振り上げ、言った。
またも大量の日の丸が、
バンザイのようにブワッ!と、はためき揺れる。
コール&レスポンス。
間違いなく、
この日一番の歓声と、盛り上がりだった。
「むしろ、北朝鮮の方から…」
北朝鮮の方から、詫びを入れてこい…)
と、いうような意味のことを言うが、
聞きとれない。
耳が、言葉を避ける。
吐き気がしてくる。

自分は、
タイム・マシンに乗ったかのようだった。
白黒写真でしか、見ていなかった、
第二次大戦中の、ヤマト民族の熱狂。
それが今、目の前に実際にある。
自分も、
そのヤマトの一部であることが、恐ろしい。

有名なユングは、
ナチスの熱狂と闘争心は、古代ゲルマンの嵐と、狂騒の神『ヴォータン』という元型の復活である」
と、何やら神秘的なこと言っていたらしいが、
自分は意味もなく、そのフレーズを思い出した。

アタマを冷やして考えれば、
これと真逆の、政党のトップが来たときの、
集会に行ったときも、
人数は似たようなものだった。
だから、
前列の数百の日の丸が、
動員であるか、そうでないのかと考えるのは、
あまり意味がないことだ、とは思った。
好きなところに、人は集まるわけだから、
動員でもあるし、また動員でもないわけだ。

正直、
心底、恐ろしかった。
自分と異なる価値観を持つ集団を、
確認したから、というわけではなく、
異なる価値観の集団が、
本当にぶつかったらどうしよう?
と、想像したからだ。
憲法を変えられるのがイヤ、というより、
いじられることそのものが、イヤだ。
そんな緊張感に、
このヤマト民族というやつは、耐えられるのだろうか?

カウンターのプラカード(一応)を、
持って行った、ということは、
自分の心にも刃があるということだ。
いざとなったら、
ストッパーをかけていた、
「アベヤメロ!」
コールにも、参加する気でいた。
その時点で、すでに何かに巻き込まれている。

戦い。

刃を(象徴的な)どうしても、
出さないといけない瞬間が、
自分にギリギリ、訪れないのは、
安全な場所を、
政治によって確保されているだけの
ことだからなのだ。

連れ合いが、
旅行に行ってからというもの、
よく、沖縄のことを考える。
(自分は、マトモに行ったことがない)
よく知りもしない、
沖縄のことを考えると、
安倍晋三と、その支持者たちを見た違和感に、
投票行動で、異をとなえることが出来るのは、
贅沢なことだと感じる。
投票行動で、完全に勝利しておきながら、
基地なんぞを、押しつけられて、

(私たち、ヤマト民族が押しつけ)
その上で、
しかも、非暴力で戦わざるを得ないなどという、
極限。

いつも、
考えることなのだが、
そもそも、
世界が、こんなバカバカしい
陣取りゲームに明け暮れているのは、
男性性の持つ、暴力性なのではないか、
と思う。
ドナルド・トランプの顔を思い出す。

ヤケクソで、
男性ひとりひとりに、
聞いてまわりたいくらいだ、


「あなたは、人を殴ったことはありますか?私は─」

何をどうして良いのか、わからない。

驚いたのは、

安倍晋三のスピーチが、終わったあとだった。
司会の府会議員が、


「今から、安倍首相と(候補者)が、ハイタッチのご挨拶に当たらせて頂いております。お撮り頂いた写真・動画は、保存盤にせず、必ず、ツイッターか、フェイスブックか、インスタグラムにアップし、ハッシュタグをつけてください!」

と、隅々まで、支持を出したことだった。
CD屋でアルバイトをしていたので、わかるのだが、
これは、レコード・メーカーの発想だ。
「ハイタッチ」は握手会の後に出回った企画で、
より効率的に有名人と観客が触れ合う方法として、開発された。
確か、
エイベックス・グループあたりが、出どころだった気がするが
…よく覚えていない。企画が始まったのは、おそらく5年くらい前。
まさか、
これが、現職の総理大臣に適用されようとは。
選挙プランナーの存在は聞いてはいたが、
これほど、露骨に芸能界と繋がっていることに、驚く。
とにかく、
スタアを作りあげるためには、

「え?そんなバカなこと!」

と、思うようなことまで、徹底してやる。
実際に、効果があるのだ。
このバカバカしさを笑う者は、
自分自身を笑っている。

時計を見ると、3時15分。
子どもがいるのだ、帰ろう。
気持ちの落とし所が、全く見つからないまま、
車のダッシュボードに、
出せなかった、プラカードを置き、
平和堂を後にする。
アナウンスが聞こえてきた。

‘どうか、若い皆さまも投票に行ってくださいネ’

優しそうな、女性の声だった。

主夫日記10月1日 ~南の島で何が起こっているか~

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秋晴れの日だった。
パートナー、
‘みるまに’の個展も、今日が最終日↓

ameblo.jp


会期中(?)のイベントも落ち着き、
最終日の展示は、
のんびりしたものになりそうということなので、
家族を、
会場のイルチエロまで車で送った後、
ひとり時間をお願いした。

***************************************


観月橋から、
京阪電車に乗り、
ひと・まち交流館京都まで向かう。
講演会、

「メディアが報道しない自衛隊の先島ー南西諸島配備の実態」

に、参加するためだ。
週一回、保育園を通じて、野菜などを共同購入している
安全農産の企画チラシの束に、この講演会の案内があった。

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チラシを見た瞬間、
「これは知っておかねばならないことだ」
と、感じた。
安全農産は、いつも興味深い企画を知らせてくれるので、
本当にありがたい。

何回行っても何故か迷う、
ひと・まち交流館。
講演開始ギリギリの、
一時半に何とか到着。
息が上がっている。

講師は、
自衛官でありながら、
隊内で反戦ビラ配りなどの活動をし、
裁判沙汰までなるが、
無罪で言論の自由を勝ち取ったという、
軍事ジャーナリストの、小西誠さん。
(その他にも、平和のためのご活動は、枚挙にいとまがない…)

講演が、始まる。
小西さんの語り口は、優しい。


‘沖縄よりも、
さらに南西、
宮古島石垣島与那国島、そして奄美大島種子島も、
美しい自然が破壊され、
武装だった島に、
どんどんミサイルやレーダーが運びこまれて行く…!’

北朝鮮の弾道ミサイルが騒がれているが、
現実、戦火が起これば、
韓国のソウルなど、
真っ先に崩壊してしまう。
だから、韓国は「戦争だ」などというバカ騒ぎではなく、
「戦争」に対して、ものすごく冷静だ。
本来、日本もそうあるはずだ…’

知らないことだらけだ。

むしろ、
南西諸島の現実から、
日本と中国の間に、
‘新冷戦’が、あると小西さんは仰る。
そして、

「明日にはじまっても、おかしくはない」と。

なるほど、
それは一面の真実だと思う。
「明日にはじまっても、おかしくはない」
これは、
戦争でも天災でも当てはまることだ。
いつ、起こってもおかしくはない。
人間が、争う動物である限り、
そのために準備は、
常になされている。
それが、‘防衛’というやつだろう。
残念だが、相手があることなのだ。
ここで、思う。
何が必要なのか?と。
それは、
「原始的な、平和を願うパワー」
まず、
車を走らすための、ガソリンが不可欠だ。
平和のイメージが、
薄くなってきていないか?
まず、ここに力を結集させるのだ。

ボク個人が考えたことは、
何かというと、
とりあえずは、
女性や子どもに心配をかけたくない。
(オッサンたちは、この声に賛同してください!)
それだけ。

あまり知られていないことを、
まず、知る!
と、いうのが、
この講演会の大きなテーマのように、
感じた。
だから、
会場の空気そのものが、
まだまだ孤独なのは、
当たり前だ。
だって、ここからなのだから。
「明日の危機」に対して、
これからやっていくというのも、
おかしな話だが。
別に矛盾ではない。
なぜなら、ボクはそうやって生きているから。

そして、
孤独な講演会の中でも、
さらにボクは孤独だった。
専門色の強い、
防衛知識の質疑応答に中々、ついていけない。
ボクはまるで、閉ざされた島だ。
それが、良いのだ。
だからこそ、
「さて、どうやって伝えよう」と思うから。
孤独に、
一時の救いはあるのかもしれない。
かまわない、
それはそれで置いておけば良い。
でも、
ボクは、
「さて、どうやって伝えよう」と思うわけだから、
孤独に色をつけねばならない。

話を、しよう。
この日、
小西さんが語られたような現実が、あるのだ。
種子島奄美大島沖縄本島宮古島石垣島与那国島
カンタンに行けないところなら、
とりあえずは、伝聞でも良い。
リレイだ。
リレイで伝えていく。
こうして、書いている。
孤独に色をつけていく。
自分しか理解できないことなど、ないはずだ。
今度話そう、隣人に。
今度話そう、政治家に。
皆が、たくさんのことを知って理解すれば、
平和への道は、必ず開ける。
それぞれの、異なる力がある。
伝えるためには、ひとりではいけない。
ボクは、ひとりでは何の繋がりを築くこともできない。
今いる仲間との繋がりを、大切にする。
政党の問題ではない。
対話のしようもない相性というのは、
その人と自分自身の中にある。
それならそれで仕方ない。

今、知っている問題は何だ?
そう、
原子力発電所
秘密保護法。
安保関連法。
米軍基地。
共謀罪
軍備拡大…。

本当の平和の話を、あなたとしたいのだ。

***************************************

書きそびれたが、
講演会の連絡事項中、
誰かがおっしゃっていたのだが、
与那国島
‘日本最西端の島’という言い方は、
あまりよろしくなく、
‘東アジアとの交流の島’
が良い、
というのが印象的だった。
歴史的に、実際そうだったらしいが、
いいじゃないか!

講演会の第二部は、
自衛隊 この国営ブラック企業ー隊内からの辞めたい死にたいという悲鳴」
と、いうテーマだが、
子守をしに、帰宅せねばならない。
夕暮れというには、
まだ早い河原町通りに出て、深呼吸。

***************************************

まるで、
自宅に帰るように
イルチエロに戻る。
イルチエロの、壁や柱やガラス窓に畳。
皆、ボクに優しい。
二階のイベントスペースへと、
階段を上がると、
みるまには、すでに作品の撤収作業に取りかかっている。
子どもたち二人が、
いつも以上の勢いで、
ボクに向かって飛びこんでくる。
懐かしい。
いつも、一緒にいると鬱陶しいだろうが、
たまに旅に出て帰ってきたら、父もイイもんやろ?

***************************************

この後、とある友人の市会議員さんの、
選挙応援にと車をまた走らせた。
まあ、すでに投票日だったが…。
不在だったが、
事務所に署名だけして帰った。
翌日は吉報が届き、良かったです。
一日は、いろんなことがある。
P・Sの連続ですね。

不倫?

「不倫」と、いう単語はどうにかならないだろうか?
「倫」を「不(打ち消す)」
文字のまま解釈すると、
人の道から、外れているということになる。
だが、この単語を使って言われる現象は、
愛の矛盾であり、不倫ではない。

「不倫は文化だ」と、言った人がいたが、
彼はおそらく「不倫」という単語の持つ、
不正確さを、
何とか是正しようとしたのではないだろうか?
自分が思うように、
「不倫」→「愛の矛盾」ならば、
それは、単に、
人ひとりひとりが抱えたドラマなので、
「文化」という言葉で是正するのも、
これまた無理があり、
彼が本来伝えたかったニュアンスから、
かけ離れてしまい、
あげくヒンシュクを買ってしまったのでは?
と想像する。

そもそも、
人ひとりひとりが抱えたドラマを、
覗き見するというのは、
ただの悪趣味だ。

国会議員が、
愛の問題を世間から盗み見されることで、
失職に繋がるという事実が、
未だに現実とは思えないのだが、
自分も、普通にネットとか見ているので、
そういう情報は入ってくる。

自分が好感を持っていない国会議員が、
「不倫」で失職すると、ざまあみろと思い、
(滅多にないことだが)
自分が好感を持っている国会議員だと、
「可哀そうだ」と、思う。
贔屓や趣味や支持政党の問題というわけではなく、
女男の問題だ。

自分は、
男性だからかもしれないが、
女性の「不倫」には、魂の救済みたいなものを感じるのだが、
男性の「不倫」には、性愛か、性欲を感じとる。
(たったの2パターンで、申し訳ない。反射的に感じるのは、というコト)
男性の場合は難しく考えず、
まんま「不倫」と、言っておけば良いのかもしれない。

いつも思うのは、
女性への、異常な風当たりだ。
一切遊ぶことなく、結婚し、
結婚したら、亭主につくし、
他の男になびくことなどあるはずもなく、
子育て、
良くとも仕事に専念する。
男性が、
元々、存在していない、
菩薩だの聖母マリアだの
ママ偶像を勝手に作りだし、
何とか、
それをキープしようとやっきになっている。
それなのに、
日常的なセクシャル・ハラスメントは、
全く裁かれない。
今回の、
国会議員への私生活の覗き見が、
男性全般の、
マザー・コンプレックス的な
不気味な監視を表しているようで、
この現象自体が、
女性の心と行動を縛りつける
暴力のような気がする。

愛の問題のそれ自体が、何が悪いのだ。

そうは言っても、
愛とは、捕えどころの無い感情で、
自分は、
女性におもむくままの心にさからわないことを、
ススめることができるほど、
人間ができてはいない。
自分は、おそらく人並み程度には、
「愛の裏切り」で傷ついた経験があり、
また同時に、
人並みか、
いや、ひょっとすると、それ以上に、
女性を傷つけ、生きてきた。
傷つけるというのは、
傷つけただけのこと。
後悔と、反省があるだけだ。
だが、
「裏切られる」というのは、
どういうことだろう?
客観的に見る術はなく、
他者と比べる術もなく、
ひょっとして、自分が
「裏切られた」と、感じていることは、
全て、一方的な思いこみなのかもしれない。
(ダメだ、うまく書けない!)

人間は、
「ヤル」こと、食べること、怠けること、
…しか考えていない、
とまで、積極的に思うことにしている。
でなければ、
他者に対する、寛容さなど持ちえないし、
自身に関しては、
内面に抱えた欲望のドロ粘土を
素手でゆっくりとかきまわし、
壺でも作って、
見つめる作業を、
通過しなければ、
「立派なこころざし」など、
持てるはずもないと思っている。

今回、
スケープ・ゴートされた国会議員に関しては、
実は、
言われているほど、
本質的な興味は持っていなかったのだが、
議員としてどうなるかとのことより、
彼女が、
大切にしていた愛の矛盾を丸ごと
奪われるのではなかろうか?
と思い、
そっちの方に心が痛む。
もし、自分が彼女に裏切られた立場の男だとしたら、
唯一、憎しみの炎を燃やす資格があるのかもしれないが。

 

(ケースバイケースだし、わかるはずもないし、考えるべきことですらない、
 ただの、アテはめた、くだらない妄想である)