たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝⑧の1〈修正版〉 ~モアイとの別れ~

f:id:tarouhan24:20180126020256j:plain


【お知らせ】
前回、自伝の⑧を書いたのですが、

読者の方から、ご指摘を頂いたことで、作品として大きな弱点があることに思い当たり、やや修正させてもらいました<(_ _)>
これを⑧〈修正版〉として、2回に分けてアップしますね。(長くなったので)
修正前のも、そのまま残しておきます。
気合いを入れ直す意味で、画像もリニューアルしました。今さら。やはり読んでもらえてナンボですね(`・ω・´)そんなわけで、是非ご覧になって見て下さい。


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻し、日常生活が困難になって行く。そんな中、モアイから家に封書がひとつ届く:

***************************************

封筒には、少しのふくらみがあり、
中に何かが入っているようだった。

考えるよりも先に、封を解いた。
中には、自分名義でモアイに預けていた、
(ものすごいことを、したものだ)
消費者金融のキャッシング・カードが5枚入っていた。
封筒を逆さにし、バラバラと5枚のカードを床に落とした。
カードはまるで、鉄の固まりのようだった。
自分は実に、ぼおっとカードを見つめていた。

(モアイはもう、あの場所にいないな)

そう思うと、少しは我に返った。
他に何か入っているものは無いかと、封筒の中を漁った。
無駄なことだとわかっていながら、
カッターナイフを持ち出し、
もう開くところが無くなるまで、封筒を切り開いた。

やはり、5枚のカードがあるだけで、
メモ書き一枚、無かった。
言うまでもないことだが、
モアイは、1円のカネも返しておらず、
返済義務の残ったカードだけを、郵送してきたというわけだ。
その時だった。
何故か不意に、
モアイが今まで何度も何度も、
在日コリアンへのヘイト・トークを、自分に繰り返してきたことを、
1から10まで順々に思い出した。

言ってはならない言葉、
書いてはならない言葉を主語にあてがい、

(あいつらに、騙された)
(一度、あいつらと商売をしてみろ)
(あいつらの性や)
(事業を邪魔された)
と、モアイはこのように言い張ってきた。

ある時は工場、ある時は粉もの屋、ある時は沖縄で…。
フラッシュ・バックだった。
自分は、その言葉を何と思って、聞いていたのだろう?
…いや、
「何と思って、聞いていたのだろう?」
ではない。
告白すると、
自分はモアイとの付き合いが長くなるにつれ、
ついには、単なる遊びの気持ちで、
彼の使用する、在日コリアンへの差別用語に同調し、
確実に他者がいる場所で、使用していた。
自分は、
ヘイト・スピーチへの参加者であり、そこからの帰還者なのだ。

〈あいつら〉

何故気づかなかったのだろう?
モアイにとってみれば〈あいつら〉には、
誰を当てはめても良かったのだ。

モアイに出会う以前、自分は考えたことがある。
人は何故、差別をするのか?
劣等感から?
自身より『下』の存在を作って、
自尊心を満たすため?
それを知った為政者が民を統治するための、汚い戦略?
それらも、あるのだろう。
だが、モアイを通じて、
自分はもっと、本質的なことに気づいた。
差別は、ある種の人間が持つ、理由なき根源悪なのだ。
知らぬ間に、巻き込まれていくものなのだ。
それは、ぬぐってもぬぐっても、
決して明るくなることはない、
ひたすらな闇。
モアイの姿、言葉はその場になくとも、
床上に転がった、
5枚の灰色のカードが、
闇の存在を雄弁に物語っている。
誰もが最初から、
そのような根源悪を持っているとは、到底思えないし、
思いたくもない。
自分が、モアイによって闇の心を少しでも、開発されたのだとしたら、
その闇から抜け出すことは、
ひとりの力では到底不可能だ。
自分は、いまだに
この闇から、
自分を抜け出させ、救ってくれる光をさがしている。
光は、ひとつでも多いほうが良い。
そんな光を、持ち合わせている人間こそが、
自分にとっての、
疑うことのない希望なのだ。
そして、光の世界に到達することが出来たとき、
モアイとは一体何だったのか?という疑問が、
初めて自分にとって、どうでも良くなるのだ。

***************************************

5枚のキャッシング・カードを握りしめた、
夢遊病者のような自分は、
かつてモアイと一緒に回った、
消費者金融の店舗を、一軒一軒再訪した。
今度は、
貸出機でなく人間相手に事情を説明する。
だが、事情とは言っても、
要はひとりの成人男性が、
自分で作ったカードで、カネを借りただけだ。
金融業側にすれば、事情そのものがない。
どこの店舗に行っても、対応者は気の毒そうな表情を見せるのだが、
結局は、
「返済していただく他はない」と言う。
当たり前のことだった。

何故か、店舗のひとつで、
数百円程度の手続き上のミスが発見された。
紺色のスーツ姿で、爽やかな匂いすら漂う、
細身の男性店員が、
「金融業として、このようなミスは有り得ない。誠に、誠に申し訳ありません」
と言いながら、深々と頭を下げ、
百万円近い借金を新たに抱えた自分に、
数百円をキャッシュ・バックするのだが、
この様は、ほとんど珍事と言え、
自分はただ唖然とした顔で、店員を見つめながら、
小銭を受け取った。

***************************************

5軒全てを回ったあと、粉もの屋を見に行った。
シャッターが下ろされ、まるで廃墟のようだった。
警察に相談することも、頭に思い浮かばなかったわけではなかったが、
網の目のような人間の群れの中から、
モアイが簡単に見つかるとは思わなかったし、
興信所のようなところに相談しようにも、
それはそれで、カネが必要になるだろう。
捕まえたところで、
やはり結局は、
自分が消費者金融から、カネを借りただけのことになる。
(モアイは、最初からそれを狙っていたのだ)
ならば、モアイを殴りでもするか?
無一文のモアイを殴って、何が出てくるのか?
監視して、働かすのか?
考えているうちに、
人生の時間をそんなことに費やすことが、
虚しく思えた。
病み、ズタズタになった自分は、
モアイから奪われたカネと心をとり返す、気力も体力もなかったのだ。

***************************************

しかし、
借金の方は、実にあっけなく解決したのだった。

親族会議にかけられた自分は、
「あいつの健康状態・精神状態はもうダメだろう」
と判断され、
比較的裕福な親類・縁者数軒から、
一括で用立てをしてもらった。
返済不要ということだった。
(おそらく、将来を考えて、自己破産を避けさせたのだろう)
だが、
この『幸運』は、
却って決定的に、自分を駄目にしてしまった。
親から引き継いだ借金を返すために、望まぬ労働に従事し、
そこから解放されかけたところで、
新たに借金を重ね、
それを、自分の責任で処理することができなかった。

『自分は、どうしようもなく愚かな人間なのだ。
この世に必要とされている人間では、ないのだ。』

引き裂かれた魂に、愚者の焼印を押されたような気がした。


ここから、
不安の症状は暴走列車のように、加速し、
いよいよ自分は、究極的に追い込まれていくことになる。


つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*




ド不幸自伝⑧ ~二つの別れ~

f:id:tarouhan24:20180122005038j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻し、日常生活が困難になって行く。そんな中、モアイから家に封書がひとつ届く:

***************************************

封筒には、少しのふくらみがあり、
中に何かが入っているようだった。

考えるよりも先に、封を解いた。
中には、自分名義でモアイに預けていた、
(ものすごいことを、したものだ)
消費者金融のキャッシング・カードが5枚入っていた。
封筒を逆さにし、バラバラと5枚のカードを床に落とした。
カードはまるで、鉄の固まりのようだった。
自分は実に、ぼおっとカードを見つめていた。

(モアイはもう、あの場所にいないな)

そう思うと、少しは我に返った。
他に何か入っているものは無いかと、封筒の中を漁った。
無駄なことだとわかっていながら、
カッターナイフを持ち出し、
もう開くところが無くなるまで、封筒を切り開いた。

やはり、5枚のカードがあるだけで、
メモ書き一枚、無かった。
言うまでもないことだが、
モアイは、1円のカネも返しておらず、
返済義務の残ったカードだけを、郵送してきたというわけだ。
その時だった。
何故か不意に、
モアイが今まで何度も何度も、
在日コリアンへのヘイト・トークを、自分に繰り返してきたことを、
1から10まで順々に思い出した。

言ってはならない言葉、
書いてはならない言葉を主語にあてがい、

(あいつらに、騙された)
(一度、あいつらと商売をしてみろ)
(あいつらの性や)
(事業を邪魔された)
と、モアイはこのように言い張ってきた。

ある時は工場、ある時は粉もの屋、ある時は沖縄で…。
フラッシュ・バックだった。
自分は、その言葉を何と思って、聞いていたのだろう?

あいつら?
モアイにとってみれば〈あいつら〉には、誰を当てはめても良いのだ。

モアイに出会う前にも、自分は考えたことがある。
人は何故、差別をするのか?
劣等感から?
自身より『下』の存在を作って、
自尊心を満たすため?
それを知った為政者が民を統治するための、汚い戦略?
それらも、あるのだろう。
だが、モアイを通じて、
自分はもっと、本質的なことに気づいた。
差別は、人間の根源悪なのだ。
そこには、理由がない。
性悪説などという、ナマ優しい概念ではない、
ぬぐってもぬぐっても、決して明るくなることはない、
ひたすらな闇。
モアイからの言葉は何ひとつなくとも、
床上に転がった、
5枚の灰色のカードが、
闇の存在を雄弁に語っていた。
誰もが、そのような闇を持っているとは、到底思えない。
自分は、モアイに闇の心を少しでも、開発されたのだろうか?
だとすれば、その闇から抜け出すことは、
ひとりの力では到底不可能だ。
自分は、いまだに
この闇から、
自分を抜け出させ、救ってくれる光をさがしている。
光は、ひとつでも多いほうが良い。
そんな光を、持ち合わせている人間こそが、
自分にとっての、
疑うことのない希望なのだ。
そして、光の世界に到達することが出来たとき、
モアイとは一体何だったのか?という疑問が、
初めて自分にとって、どうでも良くなるのだ。

***************************************

この借金が、結局どうなったのかというと、
時間をかけてのことだが、
親類、縁者に返済してもらった。
この事実は、決定的に自分を駄目にしてしまった。
親から引き継いだ借金を返すために、望まぬ労働に従事し、
そこから解放されかけたところで、
新たに借金を重ね、
それを、自分の責任で処理することができなかった。
自分は、どうしようもなく愚かな人間なのだ。
この世に必要とされている人間では、ないのだ。
引き裂かれた魂に押された、愚者の焼印。
ここから、
不安の症状は暴走列車のように、加速することになる。

***************************************

苦しい、
ただひたすら、苦しい。
それだけだった。
やはり、
薬は効いているのかどうか、よくわからない。
いや、効いているはずもない。
効いているというのなら、この苦しさにはどう説明がつくのか。
寝てる時間以外は、全て苦しかった。
(寝ることができたのは、幸いだった)
寝る前には必ず、
「何かの拍子でこの苦しさが、嘘のようにスッと消えている、
雨上がりの朝のような目覚めを、迎えていないものだろうか?」
と思うのだった。
だが、幾日経っても、
それこそ、1999年7月に来るはずだった、
〈恐怖の大魔王〉に襲われるかのごとく、
目覚めたことそのものが絶望のような、
鉛色の朝が繰り返しやってくる。

昼になると、
食べて、排泄し、動く。
そうして生きようとする。
かろうじて可能だった外出は、
近場の土手を散歩することだった。
それは、周囲の人間から見れば、
ひとりの若い男性が、
単に、歩行をしているだけに見えただろう。
もちろん、そのようなはずはなく、
自分の中では、まるで命の奪い合いのような、
無慈悲で冷酷な戦いが、繰り広げられている。
そして一方では、肉体を飛び出した、
意識だけのもうひとりの自分が、
やもりのように川べりを這いずりながら、
荒い呼吸をしている、瀕死の肉塊となった自分を、冷たく見下ろしている。

携帯電話は、必ず持ち歩いていた。
万が一、自分の意識があらぬ方向に飛んでいったときに、
連絡方法が何もないと言うのは、絶望的だったからだ。
だが、そんな状態でも、
自分はなるべく電話などに頼らないでおこう、
と思っていた。

(電話をしたところで、何になる?どう説明する?)

仕方がないという思いの方が、強かったのだ。
だから、
病院に電話をした、あの瞬間というのは、
どれほどまでの症状が、出ていたのだろう?と思う。

「どうされました?」

看護師だろうか、女性の声だった。

「精神科にかかっているものです。遠藤先生とお話できないでしょうか?」
「遠藤先生は、今診療中です」
医者に接触することができないと、
わかった瞬間、自分の中の理性の防波堤が崩れ落ちた。

「なら、もう麻薬でも何でも打ってください!苦しいんです」

まるで〈冷たい七面鳥〉だ。
「そんなもの、ありません!」
看護師らしき女性は、諭すというより、本気の怒りの声でそう答えた。

次に電話をしたのは、
あの、カウンター・レディーの彼女だ。

「何かあったら電話ちょうだい」

彼女のこの言葉を、思い出したのだった。
連絡はいつもメールで、
一度も、こちらから電話をしたことはなかった。
このような形で電話をするというのは、馬鹿馬鹿しいことだった。
どうして、もっと楽に電話をして、
「愛している」と、告げられなかったのか?

「一体、今どこで何をしてるんや!」と、彼女は言った。

「苦しい、苦しいねん」
質問には答えられず、苦痛を訴えた。
それを聞いた彼女は、理由を問うより先に、
「牛乳を飲み!牛乳。少しラクになるはずや」と言った。
「牛乳…無い、外」
「どうしたん?一体」
「○○(モアイが名乗っていた名前)にカネ貸してん…」
それを聞いた瞬間、彼女は何もかも察したように、

「何で、あんな奴に金を貸した!」と言った。

夜の街つながりで、彼女はモアイのことを知っていたし、
自分がモアイの粉もの屋に、通いつめていたことも、
もちろん知っていた。
(心配していたのかもしれないな)
と、自分は思った。
今さら、
モアイにカネを渡していたことを、
告白してしまえば、全てが終わることはわかっていた。
(もっと、早く言っておけば良かったのかも知れないな)
ほんの少し、後悔した。
「切るよ」と、彼女は言った。
「うん」自分は言った。
「もう、良いの?切るよ」
「…うん」
「…切るよ」

***************************************

(戻っておくれ)

とでも、自分は思ったのだろうか?
戻ってほしい人とは、誰?
彼女?
それとも自分自身?
戻ってきたとしても、何処に戻る?
あの夜の街の何処にも、生活なんて存在していない。
戻るような場所など、最初から無かったのだ。


*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→













 

ド不幸自伝⑦ ~精神科医~

f:id:tarouhan24:20180116005156j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、理由もなく、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻する:

***************************************

〈ある家族が、家を怪物に乗っ取られる〉

というのが、ストーリーの軸になっている、恐怖映画を見たことがある。
この映画が、何より怖いのは、恐ろしい怪物がいるなら、
そこから逃げれば良いのに、
『家』ゆえに、何故か家族は、怪物のいるところに帰ってしまう、
という点にあった。
さしずめ、自分とモアイの関係は、
この映画の家族と、怪物のようなもので、
自分は、逃げたくとも逃げられなくなっていた。
いや、むしろ自分から近づいて行くカラクリに、完全にはまっていた。

***************************************

「助けて!」

粉もの屋の入口の扉を、乱暴に開けると、
自分はモアイに、こう叫んだ。
モアイは大きく、両目を見開いた。
自分はカウンター内に乗りこみ、モアイに体を寄せ、手を強く握りしめた。
皿や調理道具が、ガラガラと大きな音を立てて、
床に落ちる音がした。
音は妙に、遠くから聞こえてくるようだった。

「手ェ握って!手が吹っ飛びそうや!」自分は言った。本当にそのように感じていたのだ。
「わかった!握っといたる!」モアイは言った。

「刃物を、全部どっかに捨てて!刃物はアカン!」自分は、こうも叫んだ。

調理場には、必ず刃物がある。
何も、狂った自分が刃物を持って、暴れそうになったという訳ではない。むしろ反対で、その時の自分は、いかなるものにも殺されるような気がしていたのだった。だからまず、刃物の薄さを本能的に恐れた。そして、四方八方から調理用の包丁が飛んでくるという、あり得ない可能性を想定した。

「わかった刃物やな!」
「頼む、カネを返してくれ!」
「わかった」
「救急車を呼んでくれ!」
やり取りが、会話と言える代物ではない。全く、その場にいた客は、自分とモアイに何を見たのだろう?

モアイは店の電話で、救急車の手配をしていたが、
中々、つかまらないようだった。

「何!今ここに、手をブルブル震えさせてるやつがおるのに、来れんのか?顔も真っ青で、今にもどうにかなりそうなんや!」
モアイは電話口で叫んでいた。


電話を切った、モアイは
「くそ、日本の医療体制どななっとるんや!」と吐き捨てた。

それでも、数十分後に救急車は到着した。
その間自分は、
右手で左手の不安を握りしめ、
右手が不安になると、左手で右手の不安を握りしめ、
それを、交互に繰り返していた。
タンカで運ばれている最中も、意識はハッキリとしていた。
横になっても、安心感は無く、
ずっと誰かに殺されるような恐怖は、相変わらず体を取り囲んでいた。

(意識あります、脈拍…荒いです、動悸は…)
救急隊員のやり取りが、別世界のもののように思えた。

ひとまず、
最寄りの大病院である、
府立医大に、自分は搬送された。
ずっと、悪夢のパイプをくぐっているような感じだった。
ふと気がつくと、椅子に座らされており、
目の前に白衣の医師がいた。
30代くらいの、若い医師だった。

「どうされました?」医師はそう尋ねた。
「手がスカスカするんです」自分は言った。
「スカスカとは何ですか?」
「スカスカするんです」
「………」

「怖いんです、泊めてください」自分は言った。

「泊めることは、できません」医師はそう答えた。
「お願いです、泊めてください。でないと何をするか、どうなってしまうのか、わからないんです」
医師は、自分の目の中を、ぐっと覗きこんだ。
彼の目つきは鋭かったが、瞳にはかすかな恐怖も入り混じっていた。

「泊めることはできません、必ずここへ戻ってくると、私に約束して帰ってください」

注射の一本でも、打ったのだろうか?
薬を、処方されたのだろうか?
とにかく自分は、府立医大から、木屋町までを歩いた。
全身が、残酷なまでに冷たかった。
…行き先は、モアイのところだった。
粉もの屋は、とっくに閉店していて、照明が落とされ中は真っ暗だった。
かまわずに、自分は扉を開けた。
モアイが中にいることは、わかっていた。
モアイには家がなく、店内の椅子を並べて、ベッドの代わりにしていた。

「大丈夫か?」モアイは言った。

「ああ」自分は答えた。
どれほど目を懲らしても、店の中は、完全な暗闇だった。
モアイは椅子に座っているようだったが、表情はおろか、姿形すら見えない。
嘔吐する音が、響いた。

「情けない」

声だけがする。
(どこに、吐いているのだろう?)自分は、思った。

「カネ?カネって何や?」モアイは闇に向かって、1人で喋っていた。

その時、店の電話のベルが大音量で鳴った。
モアイは、全く受話器を取ろうとしなかった。
ヒステリックな呼び出し音が、何回も何回も暗闇の中に鳴り響いた。
ガチャリと音がして、留守番電話に切り替わると、

「おい、そこにいるんやったら出んかい!」

と、いう聞いたことのない男の叫び声がして、
そのままカセットに録音された。
その叫び声は、
モアイの、生活と呼べないような生活の終わりを、
示しているように思えた。
全ての無駄を感じた自分は、
暗闇に背を向け、何も言わずに店を後にした。

***************************************

兎にも角にも、若い医師の、

「必ずここへ戻ってくると、私に約束して帰ってください」

と、いう一言が、
自分の命と行動を繋いだことには間違いなかった。
(約束ならば、行くべきだ)
自分は、府立医大の精神科へと向かった。
「あっけないほどに、回復している」と、自分は思っていた。
このとき、全くの平常心だった。
牛丼屋で体験した、あの恐怖は何だったのだろう?
過ぎ去った悪夢か、それとも幻覚か?

念のための来院だというのに、
精神科を受診するのは、自分にとって未知の冒険だった。
いや、そのような明るい性格のものではない。不吉な航海への出発と言ったほうが良いだろう。
受診は「まさか」であり、意外な上にも、意外だった。

診察の順番が回ってきた。
部屋のカーテンを開け、医師の顔を見てみると、
あの若い医師ではない。
30代ということはない。もう少し上の年齢だ。
40代半ばか?額はやや広い。痩せ形でメガネをかけている。
違う医師が出てくるに、決まっている。単なる当直の救急医であったのは、当然だ。
遠藤という名の、
「本物」の精神科医は、
まず、極端なまでの作り笑いを、自分に見せた。
それを見て自分は、
(ああ、『精神科医』というのは、こんな笑い方をするのか)と思った。

病気のつもりが、まったくない自分は、
「あの時は追い詰められていたが、今は全く大丈夫。こうして再び来院したのが、
恥ずかしいくらいだ…」という旨を伝えた。

すると、遠藤医師は、
勉強で正解点を出した子どもに向けるような笑顔を、
自分に見せた。
「念のために、一応薬を出しておきましょう」
と、いう診断であった。

(もう、二度とここに来ることはないだろう)
自分は、そう思って府立医大を後にした。

***************************************

急速に暗転。
ダーク・チェンジということがある。

牛丼屋で体験した、
『胸の中の黒雲が、肺を突き破る』
そして、
『つま先から、真黒い恐怖が間欠泉のように湧き上がってくる』
この二つの現象が、
何の変哲もない日常、
(コップに茶でも入れていたのか)
の何処かで、突然蘇ったのだ。

「これは、何だ!」

部屋の中で、自分は思わず叫んだ。
止まない地震のように、発作はしばらく続いた。
収まる、
そしてしばらくすると、また起こる。

(癖。『アレ』が癖になってしまったのだ)

その自覚は、絶望と言えた。
また病院に、行かねばと思ったが、
こうなってまうと、
外出することそのものが、恐ろしい。
同時に、部屋にいることも恐ろしい。
外で、数多くの人間を見ると、この世に自分がいない気がしそうだし、
内で、ひとりきりだと、この世から自分が消えゆく気がする。

***************************************

後々になって、
この時の自分が、一体どのような状態に置かれていたのか、
把握しようと、精神医療関係の本を何冊か読んだ。
(雑学程度だが)
鬱病」「不安神経症」「パニック障害」「広場恐怖」「閉所恐怖」「乗り物恐怖」
該当しそうな病名にはたくさん当たったが、
「コレだ!」と、ハッキリ言いきれるものはなかった。
精神は、当然固形物ではないから、手で触れることはできない。
形のないモノに発生した異常事態に対し、
名前をつけて分類すること自体、
そもそも無理がある。
むしろ、単純なことだ。
単に自分の精神は、
四方八方から、強烈なストレスを受け、ガタが来てしまった。
〈大ケガ〉をした。
ただ、それだけのことである。

モアイを監視する必要はあったが、ままならない。
とにかく、この苦しみをどうにかするのが先だ。
処方された、薬を飲んで見る。
体が重くなるだけのことで、
とても「効いてる」とは思えない。
次第に、発作的にやってくる苦しみと、
苦しみの到来を予期し恐怖している状態の、境界線が、
曖昧になり、苦しさがデフォルトとなっていった。

そうやって、
のたうちまわるように、数日を過ごしていると、
差出人の書いていない、薄汚れた封筒が家のポストに入っていた。
モアイからであることは、一目瞭然だった。


*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→

ド不幸自伝⑥ ~愛せたかも知れない、そして発症~

f:id:tarouhan24:20180111012807j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、無意味に頽廃的な遊戯を繰り返す。果てに、理由もなく、消費者金融でモアイのために、金を借り入れてしまうのだった:

***************************************


〈ああなったのは、いつの日のことだったのだろう?>と、今自分は思う。

1999年の終わりを、
かろうじて、まともな心で捕えていたのは、覚えている。
まともとは言っても、
生活は、普通ではない。
大みそかも、モアイの粉もの屋で酒を飲んでいた。

「ああ、いよいよ1000年代が終わるんや」

店のカウンターから、
木屋町通りの喧騒を、
静かな心で眺めていた。
そして、
(何故こんなに虚しいのだろう)
とも、思っていた。

***************************************

すでに、
工場を辞めていた。
自分は、
人生を、取り戻す必要があった。
先に書いたように、
両親の借金は相続放棄で消えていたし、
懸念だった妹の学費も、
支払える見込みが立った。
「自分は何のために生きているのか?」
を、思い出す必要があった。
すっかり深酒の習慣がついていた自分は、
粉もの屋の常連客
(自分も周囲からは常連客と思われていたが)
に、
「人間は何のために生きるんや!人間は何のために生きるんや!」
と、かなり狂った調子で、
日々、クダを巻いていた。
モアイですら、
そんな自分を見ると、
「おまえが喋ると、客が引く。黙っててくれへんか」
と、告げるほどだった。
モアイの方は、全ての若者に逃げられていた。
旧知の仲だという、何処からか連れてきた男と二人で、
カウンターに入る他は無くなっていた。

「何のために生きるのか?」

わかろうはずもない。
自分は、極めて自由な監禁状態の中にいたのだ。
この世を少しも知らぬ人間に、
生きる理由など、見えてくるはずもない。

***************************************

人生を取り戻すためだけに、
工場を辞めたわけではなかった。
居辛くなったのだ。

ある日、
全く普通に、
3年半少しも変わることがなかった、
‘バリ取り’の作業をしていると、

「〇〇さん、〇〇さん(自分の名前)、3番に電話です。事務所までお越しください」
と、社内放送が入った。
真っ先に、
周囲の‘パートのおばちゃん’たちが、
不幸を感じとり、
「すぐに行きなさい!」
と、自分を促した。
外線を取ると、金融会社からだった。
返済が滞っているという通知だった。

「もう少し、待ってください…」

絶望的な気持ちで、自分はそう言った。
工場の人間に、
どのような言い訳をしたのか覚えていない。
注がれた、数多くの怪訝な視線だけが、脳裏に焼き付いている。
仕事が終わると、
すぐに自分はモアイの粉もの屋へと向かった。

「コラ!オマエ!会社に電話が掛かって来たぞ!迷惑かけん言うたやろが!」

それは、
自分の口から出た言葉とは、思えなかった。
他の客のことなど、全く無視していた。
追い込まれた人間のみが見せる、爆発的な凶暴さ。
余りに、哀れな代物だった。
自分の体の周囲が、
真黒いオーラのようなもの、
怒りと悲しみの粘膜のようなものに、
包まれているのを、感じた。
窒息するかのような、息苦しさだった。

ほんの一瞬、モアイは怯えた表情を見せた。
すぐに、いつものように、
下顎を突き出し二ヤリと笑うと、
カウンターからゆっくりと出てきて、
狭い店の中、なるべく自分を隅の方に、隅の方にと
追いやり、顔を近づけてきて、

「あれは、オレにはもう終わった話やねん」と、自分に言った。

「はあ?」

「…でもな、そんなしょうもない電話が掛かって来たんか。
すまん、迷惑かけたな。腹立つし、速攻(カネを)入れたるわい」

「本当に頼む」と、自分は答えた。
モアイの言葉を信じる以外、どうすることも出来なかった。

その後、
何回も何回も、
金融会社から、催促の電話がかかってきた。
度に、モアイに怒りを示したが、
次第に怒りを表す方法も、わからなくなっていった。

(必要なカネは、もう貯まったのだ。
辞めても、しばらくは食べていける。
兵器を作る仕事など、
もうたくさんだ。
あとは、
モアイのカネだけが、解決すれば、
自分は、人生を取り戻すことができるのだ)

辞めてからは、
毎日、粉もの屋に通った。
毎日、モアイの姿を見なければ安心できなかった。
(監視だ)
モアイと離れているときは、
常に、
文字通り、黒雲のような不安が胸の中に存在した。
その不安は、朝起きてから、寝るまで、
止むことはなかった。
不安を紛らわすため、
(モアイのカネがきれいになりさえすれば、全てが終わるのだ)
と、何度も自分に言い聞かせた。
終わってくれないことには、次に進めなかった。
自分の力で、何をどうすることも出来ず、
じっとしていることが出来なくなり、
常に何処かをフラフラと、
さまよう生活をするようになった。
ぞれが、自分にとっての2000年代の、始まりだった。
24歳になろうとしていた。

***************************************

さすがに、
モアイとしか、
会っていないというわけではなかった。
ずっと、夜の街に生きていると、
人間関係も夜のものになってくる。
水商売の世界に生きていた、
10歳ほど年上のある女性と、頻繁に逢うようになった。
彼女は、
自身のことを「カウンター・レディー」
と説明していた。
自分には「カウンター・レディー」というのが、
何なのかわからなかったが、深く尋ねもしなかった。
笑うと彼女の目は糸のように細くなり、黒目すら見えなくなる。
表情そのまま、彼女はすごく優しかった。
何となく、
家にも転がりこみ、
(彼女にとって、それは絶対の秘密だった)
自分は、その場所に落ち着こうとしてみる。
落ち着くことができる気もしたのだが、
そこから関係が、
前進することは、なかった。
自分は、
自分の置かれた状況(カネのこと)を彼女に明かすと、
多大な迷惑がかかると、考えていたから、
肝心なところで、遠慮していた。
完全には、心を開いていなかったのだ。
彼女はよく冗談めかして、

「何かあったら電話ちょうだい」

と、言っていた。
確かに自分は、
いつ、何があってもおかしくないような雰囲気に、
満ち溢れていた。
「電話をちょうだい」には、
曖昧な返事をしたが、
最後には、
「ありがとう」と、言ってみる。
すると、彼女はまた、
瞳の見えない糸のような笑顔を、
見せるのだった。

***************************************

落ち着かない。

彼女と一緒にいて、落ち着くような気がするというのも、
無理矢理、自分に言い聞かせていただけのことだ。
結局、変わらず自分は、夜の街を彷徨い歩く。
ひとりだと、
やはりモアイのことを思い出し、
不安で仕方なくなる。
胸の黒雲が、体を突き破りそうだ。
(あのカネさえ、きれいになれば大丈夫だ)

きれいになるはずなど無いことに、気付く。
自分は、とんでもないことをしてしまったのだ。

瞬間、腹が減ったような気がした。
目の前にあった、
チェーンの牛丼店に入った。
ひどく寒い。
呼吸が異常に荒い。
スースー、ゼーゼー、という呼吸音が、
周囲の人間が振り向く程、漏れていた。
カウンターに腰かけ、店員に食券を渡して、
目の前に丼が置かれたそのとき、
水風船が弾けるように、
胸の中にあった黒雲が、
肺をつきやぶった。
同時に、
つま先辺りから、
ドス黒い音風が間欠泉のように吹き出し、
自分の肉体を突き上げた。

「おおおおおおおおおお!」

これは、心の声だ。
実際には発することすら、出来ない。
全ては、幻覚だ。
だが信じられないような、邪悪と恐怖の感触は、
まぎれもなく本物だった。
可笑しなことだが、
(自分の人生にこんなことが、起こるなんて)
と、感じている心も何処かに残されていた。

大声で、叫んでいるつもりだったが、
声が出ない。
牛丼には手をつけず、
弾丸のように、店を飛び出した。
(先払いで無ければ、無銭飲食を働いていただろう)
もちろん、周りの客の様子など覚えていない。

自分の足は、本能的にモアイの粉もの屋へと、
向かっていた。


*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→

ド不幸自伝⑤ ~私説サイコパス~

f:id:tarouhan24:20180105010600j:plain


≪前回までのあらすじ≫
:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、怪し気な賭博場への潜入や、デタラメな沖縄旅行など、頽廃的な遊戯を繰り返す:

***************************************

〈強烈な個性の、年上男性を見ると、
虫が、電気の光に、
吸い寄せられるかのごとく、
ただ、本能的にそこに向かってしまう。
数字の上では、
成人しているとはいえ、
理由のない本能を疑うほど、
自分の心を、客観的に見つめることができる、
年齢ではなかった〉

モアイとの友人関係を、
継続している理由を、
先に、こう書いた。
この説明だけで充分だろうか?
この説明が、
この後に書く、
自分の行動の理由として、通用するだろうか?
だが、これ以上の言葉が出てこない。

***************************************

1999年、
ノストラダムスの大予言を、
実際、そのときが来て、
まさか、本気で信じていたわけでもない。
でも何処か、
この悪名高い噂話の所為で、
2000年という時が来ることを、
明確にイメージすることが、
やや妨害され、
世紀末をマジメに生きる気持ちが、
不足していたようには、思える。
小渕首相は‘真空総理’などと、
悪口を言われていたが、
心が真空状態なのは、
むしろ、
自分を含めた、庶民側の方だった気がする。

自宅と、工場と、モアイの粉もの屋を、
トライアングルで駆けているだけの、
究極的に、生きる世界が狭かった自分に、
他者の心がわかろうはずもなかったのだが、
時代の印象としてあるのは、
兎にも角にも、
恐るべき無関心と無気力さ。
覚えているのは、
宇多田ヒカルの歌のメロディーだけである。

***************************************

伏線になる出来事と言えば、
モアイに馬券を買う金を、預けたことだろうか。

「オマエ、オレを信じてみいひんか」

モアイはいつもの癖で、
前に出た顎を強調するようにして、
ニタリと自分に微笑みかけた。

「決まったレースを、おれは知っている。
ちょっと信じて、いくらか貸してみろ。
悪い話やないやろ」

もうとっくに、
狂った遊戯のような関係だ。
「ほんの試しに」
数千円の金を、自分はモアイに手渡す。
時折、
元工場の若者たちも、
同じようにモアイに金を渡していた。
数日後、カネは倍の金額になって帰ってきた。

ラクリは、簡単である。
自分は、ギャンブルになど興味はなく、
賭けたことはなく、賭け方も、
競馬のルールも知らない。
元工場の若者たちも、
競馬など見るヒマもない。

モアイは、馬券を買う必要もないわけだ。
自分は「買う」と言われたら、
「買っているのだろう」
としか、考えない。
モアイのような人間は、
他人を欺く為なら、
少々自身の身体を傷つけるくらいのことはするし、
嘘がばれても、
嘘を突き通す。
気づかなかったのは、
単なる自分の経験不足である。
そして説明するまでもなく、
モアイのやっていることは、
単なる、ノミ行為である。

結局、癖のようなものだろうか?
無意識に一度したことを繰り返すことに、
疑問は湧かない。

「オマエ、オレを信じてみいひんか?」

モアイが自分に言ったのは、
やはりこのセリフだったような気も、する。
粉もの屋には、
もはや元工場の若者は、ひとりもいない。
皆、店に見切りをつけ、
それぞれの仕事を、新しく探しはじめていた。
モアイがノミ行為を行う対象も、
消えていたのである。

モアイが自分に、新たに持ちかけたのは、
馬券の購入でなく、
消費者金融での借入だった。
何という言葉で持ちかけられたのか、
どうしても思い出せない。

「オマエ、オレを信じてみいひんか?」

だった気も、するのだ。
この時点でのモアイは、
自身のことを、

〈大阪で美容室を経営していたが、他の事業も行っており、
それを、在日コリアンに邪魔され(相変わらず、言う)
離婚し、大阪にはいられなくなり、京都に身を隠している。
だから、身分を第3者に証明することが、できない立場だ>

と、自分に説明していた。

(一切の借入ができないんや、オマエが代わりに借りてくれ)
…いくらなんでも、
こんなことを言われて、
身代りに消費者金融に、飛び込んだりするだろうか?

このような持ちかけなど、
狂気を通り越して、
殺意に等しい直接行為であり、
受ける側は、自ら殺されに行くのと、
同じことだ。

近頃は、
サイコパスに関する著作もあり、
狂気的な人間に対する、
予防行為は、
情報の発展と共に、
進化している気がする。
書店に行き、
そういった本を目にするたびに、
(どうしてもっと早く、教えてくれなかったのか)
と、忌々しい気分になる。
だが、目にするのみだ。
実際にページを開いて、
読んで見ようなどとは、思わない。
目的もないのに、手段を選ばない人間の存在など、
一生をかけたところで、
自分に理解できるとは、到底思えない。
当時の自分は、
モアイの目的を、全く気にかけなかった。
人間が、人間にのめり込むことほど、
恐ろしいものはない。
繰り返して言うが、
他者の目的を気に掛けないことなどは、
自ら殺されに行くようなものだ。
知識の有無など、
関係ないのかもしれない。

自分はそれまで、
消費者金融など利用したことはなかった。
「〇〇くん」といった、
愛想の良い看板が立った店舗の自動ドアを、
付き添いのモアイと共にくぐり、
言われるがままに、
機械のボタンを押せば、
ミルクのようにカネが出てくることを、
知ったとき、
自分のやらされていることを、
初めて理解したのだ。
もちろん、機械の向こう側には人がいて、
釈然としないまま、数十万のカネを引きだそうとする自分に、
何かしら問いかけるのだが、
立派な兵器産業に携わっていた自分の身分は、
保証されており、
モアイよりも余程、
社会的強者だったわけだから、
簡単にカネを借りることが、出来てしまったのだ。

一店舗のみから、
カネを借り入れたわけではない。
記憶が正しければ、
5店舗をまわった。
一店舗の限度額が大体、20万円。
100万近くのカネが、何故モアイに必要だったのか?
単純なことだ、
モアイには、カネが無かったからだ。

「おれは、あんたにとてつもなく無防備なことしてるんや。
 絶対に裏切らんといてや」

と、自分はモアイに告げ、
「必ず」と言って、
モアイは自分に手を差し出し、
ガッチリと握手をした。
このとき感じた、恐れと恐怖こそが、
自分がようやく、
真人間であることを取り戻す、
サインだったということになる。
そして同時に、
取り返しのつかない、
不幸の門をくぐる第一歩でもあったのだ。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→

ド不幸自伝④ ~沖縄旅行の思い出~

f:id:tarouhan24:20171221235935j:plain


≪前回までのあらすじ≫
:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分は、モアイと様々な場所で遊び歩くようになる:

***************************************

借金は、
相続放棄で消え、
学費と生計のために働いていたことは、
先に書いた。
確かに、カネの使い方を、自らの匙加減で決めることが、
少しはできるようになった。

自分は、人生に楽しみを見い出すことを、
諦めたくなかったのだと、思う。
決して、
そんなに風変わりな感性を、持っていたわけでもなく、
ちょこちょこ見かける、サブ・カルチャーに、
親しみを覚えるタイプの若者だった自分は、
音楽(聴くこと)と読書で、現実逃避をしていた。

1998年と、1999年に、
フジ・ロック・フェスティバルに行っている。
当時流行していた、ビョーク、ベック、ケミカル・ブラザース、ブラー、
アタリ・ティーンエイジ・ライオット
他にも、ソニック・ユースエルヴィス・コステロブランキー・ジェット・シティ
存命中の忌野清志郎、伝説的なレイ・デイヴィスなどを、
観たのを覚えている。

だが、いくら、
新幹線とバスで地元を離れ、
大金を払い、
一日か二日、ロック・フェスティバルに参加し、
現実逃避を試みても、
日常の大部分を締める、兵器工場の仕事は、
自分を簡単に現実の重さへと、引き戻す。
仕事帰りの金曜日、
決まり事のように、
モアイのいる粉もの屋へと通い、
カウンターに腰かけ、濃い日本酒を胃に落とす。
毎日、
イヤという程、うがいをしているのだが、
それでも口内に残る砂鉄を、
酒と一緒に、飲み込んでいるような気になり、少しも気分が晴れない。
横に座るモアイが、相も変わらず
在日コリアンへの、ヘイト・トークを繰り返している。
いい加減、うんざりする。
いつの間にか、
自分は、ひどいチェーン・スモーカーになっている。
これもモアイの影響だろうか?

***************************************

事もあろうに、
モアイと二人で沖縄旅行に行った。

それが、98年のことか、99年のことか、中々思いだせなかった。
よくよく考えて、手がかりを探した。
確か、
帰りの飛行機の中、
CDウォークマンで音楽を聴いていた。
中身は、
ドイツのテクノ・ミュージシャン、
mijk van dijkの‘multi-mijk’
調べると、このCDアルバムの発売日が、
98年3月21日。
購入してから、まだ、新鮮な気持ちで聴いていたから、
自分は、99年夏、ギリギリ90年代の沖縄の土を踏んでいたわけだ。

この旅のことを、
書こうと思うのだが、
ひどいくらい、記憶にない。

旅の目的は、
兵器工場での労働のストレスを解消する、
『リゾート』だ。
小学校のとき、
「日本全体の0.6%しかない沖縄に、米軍基地の7割以上が、集中している」
と、習い
「なんて、ひどいんや」
と、自分は、確かに思っていた。

23歳の自分は、死滅していたのだ。

那覇空港に、降りた。
風と暑さが、心地良かった。
そのまま、
モアイが予約した、
かなりさびれたシティ・ホテルへと、
タクシーで向かった。
「何故、電車が無いのか?」と、思った。
土地の名前の記憶も、ない。
帰る前、酒を飲んだ場所が、那覇だということ以外、
覚えていない。

ホテルから、
バスやタクシーで、
一時間以上かかるような場所には、
行かなかったはずだから、
おそらく、南部にいたのだろう。
場当たり的に、滞在していただけだ。
何せ、まともな状態の人間では、ないのだ。
とりあえず、
海に入れる場所を、探していた。
何一つ考えず、
モアイとふたりで、
ホテル近くから出ているバスに乗りこみ、
海岸線を北上した。
バスに揺られながら、自分は目で墓を捜していたのを、覚えている。
何故だろう?
ほんのわずかでも、
沖縄戦のことが、頭によぎったのだろうか…?
視界には、
バスのスピードに流されてゆく、海岸沿いの濃い緑色。
草むらの中に、
灰色の崩れかけた石の影が、
あったように思える。
いや、
そんなところに、墓があるはずもない。
きっと、自分の妄想の記憶だろう。

2,30分程の後、
リゾート使用に箱庭化されたような、
遠浅の海水浴場を見つけ、
モアイと砂浜に降り立った。
その場で水着に着替え、
海に入り、潜ると熱帯魚と目があった。
自分は、どのようなニヤけた顔をしていたのだろう?
どのような、呆けた顔をしていたのだろう?

この旅行で、
言葉を交わした、
ウチナーンチュはひとりだけだ。
初老の男性だった。
浅黒い肌と、白髪交じりの豊かな髪の毛、
紺色のアロハシャツ、
それに、
刺すような鋭い眼つき。
沖縄全戦没者追悼式で献花した、
安倍晋三を見つめる、
あの鋭い眼差しだ。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

男性は、自分とモアイを見て、
不意に、
歩みを進め、
ゆっくりとこちらに近づき、
このように言いはなったのだった。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

「〇〇」
の、中に何が入ったのだろう?
肝心なことのはずだ。
それを忘れ、残された部分だけが、
今だに、頭の中にこびりついている。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

自分とモアイは、何をしていたのだろうか?
男性は、自分とモアイに何を見たのだろうか?
何故、このように話かけてきたのだろうか?
…覚えていない。
男性が、何かに対し、釘を刺しに来たのは明らかだ。
場所は?
海岸べりだろうか?
いや、そうではない。
もう水着は、着ていなかった。
本当に、何でもない場所だったのだろう。
道端?

しかし、自分は釘を刺された自覚など、
全くなかった。
視線は鋭くとも、男性の言葉の調子は、
大変優しかったのだ。
沖縄言葉のイントネーションの優しさを、
この時初めて、体感した。

モアイの方は、
男性の言葉に、
何の関心もない顔をしている。
モノを見るような、目だ。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!

〇〇が、
頭の中に入っていないということは、
自分も、モアイと同じように、
男性の言葉に、何の関心も持たずに、
聞き流しており、
そして、男性をモノを見るような目で、
見ていたはずだ。

一方、
モアイは、
旅行中、
何人ものウチナーンチュに、
ズケズケと話しかけていた。
工場にいた頃から、
わかっていたことだが、
モアイは、時・場所を選ばす、
無闇に人に話しかける。
やはり口は達者で、
第一印象のみだと、
ものすごく人当たりの、
良い好人物に錯覚するのだが、
よくよく、モアイの会話に聞き耳を立ててみると、
話しを押しつけるだけで、
聞くということを全くしていない。
そして、
押しつけることというのが、
例の、ヘイトなのだ。
モアイは、沖縄という場所でも同じことをするのだ。

ひととおりのヘイトを終えた後、
「あいつらの性(さが)やな!」

と、モアイは吐き捨てるように、言う。
モアイの言ってることに、同調する人間は、
旅行中でも、日常でも、見たことはない。
単純なことだ。
ヘイトなど、最悪なだけだからだ。
とりわけ、
この沖縄という地で、ヘイトに励むことは、
最悪の上に、
さらに、絶望を塗りつけることのような気がした。
何も知らない自分が、
何故、そのように感じたかというと、
これは、潮風が教えてくれたのだ。
錯覚でも、気のせいでもない。
沖縄本島の地に立っている体には、
四方から、広大で温かい海の存在を、
感じさせてくれる潮風が、吹きつける。
本能的に、自分は潮風の元を辿る。
もし、潮風が5つの大陸からやってくるものとするならば、
そこにいるであろう、
何百万、何千万、何億の人々が、

『あいつ【ら】とは、何なのだ。【性(さが)】とは、何なのだ』

と、確かに囁いてれる。
ヘイトとは、
いかに、
人工的で脆く、
絶望的に中身がなく、
間違いなく誤ったものなのか、
教えてくれる。
自分たちは、
数多く存在する人間の中の、
不安定なひとりに過ぎないのだ。

***************************************

1999年の沖縄で、
何が起こっていたのかが知りたい、
一体、自分はどんな空気の中で、
沖縄に滞在していたのか、知りたい。
インターネットで調べてみるのだが、どうしてもピンと来ない。

すると、
全く偶然、
最近古本屋でたまたま購入した、
「『安保』が人をひき殺す 日米地位協定=沖縄からの告発」
という、書籍が、
1996年の沖縄を捕えた内容だった。

f:id:tarouhan24:20171222115339j:plain


奥付を見ると、
96年、9月15日の発行だ。
奇しくも、
この自伝は、
1996年の出来事から書き始めた。
軍事工場で働きはじめた、あの年だ。
タイムスリップしてきたかのような、
この一冊を、じっと手にとってみる。
インターネットが、
余り機能していなかった時代の、
書籍には重みがある。
ページをめくり、古い紙の匂いを嗅ぐと、
過去の時に帰る。
‘本でしか伝えようがない。
だから書いた。
どうか届け。’
そんな思いが、伝わってくる。

…当時の自分には、届かなかったのだ。
今さら、恐る恐る本を開く。

当然、
この本が、
‘本土’の政治に触れていないはずはなく、
自分が先に書いた、
村山内閣時の社会党や、橋本内閣への記述もある。
安保反対の先頭に立っていた、
社会党が、
容認路線に転換し、見るかげもなくなったこと。
橋本内閣が、普天間基地の全面返還という名の、
罪深い基地ころがし(言うまでもなく、辺野古への‘新設’)
の、始まりだったこと。
社会党の崩壊はともかく、
先に自分は、橋本内閣に
『‘鈍重な安定感’を感じていた』と、書いていた。
そして、
『当時自分は借金を返すことのみを、
目標に生きていたので、
広く社会に向ける目など、持っていなかった』
とも、書いている。
この言葉が、全てを説明している。

自分とモアイの沖縄旅行は、
ここから、3年後。
物事を考えているはずがない。
今、96年発行の本を読み、
自分が二日間の旅行で吸っていた、
沖縄の空気の味が、ようやくほんの少しわかる気がする。
あの時、意識すらしなかった地名。
ドーナツ状の普天間の街。
自分は滞在中、
この足で、普天間の地を踏んだのだろうか?
基地が中央にドンとあるために、
一か所ですむ消防署が、
3か所も必要になってしまう街。
(本には、そんなことも書かれている)

96年までの、沖縄の事件・事故年表も載っている。
考えられないような、
ペースで、
米軍による車『Yナンバー』が、
幼い命、
旅行当時の自分とそう変わらぬ若い命、
経験を重ねた尊い命を、次々と残酷に奪っている。
車は、まるで砲弾だ。
自分が、
旅行中利用した、タクシーやバスは、
米軍の『Yナンバー』と、
すれ違ったのだろうか?
海岸線を北上していたとき、
事故の可能性など、
これっぽっちも考えていなかった。
地位協定という、悪魔のような法律が、
残されたものを、さらなる苦しみへと追い込むことなど、
考えもせず、知らなかった。
他にもたくさんの、本が出ているだろう。
本になっていないことが、あるだろう。
自分は一体、
どれだけのことを、知らないのだろう?

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!

「〇〇」の中に入る言葉の正解は?

***************************************

2017年も、もう終わろうとしている。

つい最近も、
米兵は、飲酒運転で男性の命を奪い、
ほんの数日前、
米軍のヘリコプターは、
普天間に近接する、
保育園に固い瓶を、
小学校に、そのヘリのブ厚い窓を、
空から落としている。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→

ド不幸自伝③ ~バカラ~

f:id:tarouhan24:20171214234457j:plain


≪前回までのあらすじ≫
:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった:

モアイは、
自分を、
今まで全く知らなかったような場所へと、
連れ出した。
例えば、
モアイは、
こんなことを言うのだ。

バカラ行こか」

自分は、
バカラ’の意味がわからない。

「まあ、ついてこいや。社会勉強や」

そう言われると、
まるで雛鳥のように、
自分はモアイの後を追ってしまう。
だからなのか、
モアイの姿形で、一番記憶しているのは、
後ろ姿だ。
背は、それほど高くない。
手足も長くなく、
いかり肩で、啖呵を切るような歩き方は、
本当に、モアイ像が歩いてるかのように見える。
かといって、堂々としているわけでもなく、
常に、何かに怯えているようだった。
いや、『ようだ』ではない。
観光客が、
携帯電話で記念撮影をしているところに、
出くわすと、
モアイは慌てて、
水たまりを避けるように、
カメラの焦点から逃げ出そうとする。

「人の映像に入りたくないねん」

と、モアイは言う。
自分はモアイは何か、
変わり種の宗教にでも入っているのか?
と、思った。
そんな怪しさも、
人物にひとつの‘魅力’があるうちは、
神秘性に変換されてしまう。
オウム真理教の信者などは、
麻原彰晃を、
ハンサム・ダンディーに感じていたというくらいだから。
そういえば、
モアイは麻原のことを、

「アイツも、力は持っとったんやで。ただ、蛇が降りていたらしいな」

と、言っていた。
90年代後半、
オウム事件の記憶は、世紀末の象徴として、
大変生々しく、
まだまだ話題に上がることが、多かった。
原発事故以前、
国の構造そのものの崩壊に、
気づいている人は少なく、
そのぶん、
個人の心は、
それこそ、
草や木のない工場地帯のように、
荒廃していた。

一方、
モアイの立ち振る舞いの方は、
神秘性からは、全くかけ離れたものだった。
チェーン・スモーカーであることは、まだ良い。
チェーン・ドランカーでもあった。
右手にいつも、
安物の缶チューハイを握りしめ、
酒臭い息を吐き、
シラフであるということがなく、
却って、
飲んでいる状態が、シラフに見えた。

服装も、思い出した。
無意味なアルファベットのロゴが刺繍された、
真黒いキャップを深く被り、
サングラス姿で、
酒に焼けた赤黒い顎が、
庇の下から付き出るように、延びている。
常に、
黒もしくはグレーの、
上下スウエットを着用しており、
まるで、自ら闇に飲みこまれようと、しているかのようだ。

モアイは、
夜の街の路地裏へと、入っていく。
自分は、その後を追う。
22歳の自分など、学生のようなものだ。
夜の街に繰り出しても、
街の表側しか知らない。
行くところと言えば、
チェーン店の、居酒屋くらいだ。
モアイは暗闇へと、
暗闇へと入って行く。
もはや闇に溶け込まれ、
終いには、見えなくなっていく。
慌てて後を追う自分も、光から遠ざかる。
かすかなネオンの光を
背中を頼りに、感じとるしかない。
いつのまにか、
地下へと降りる階段を、
一段、一段下って行く。
長い階段ではない。

奥底に、人影の気配を感じる。
近づいても、顔は全く見えず、
背格好からかろうじて、
男であることくらいしか、わからない。

「このビルに、バカラはあるか?」
モアイは、男に尋ねた。

目が慣れてくると、
ブ厚い鉄の扉が、正面にあるのが、
薄ら見えた。
顔が見えないその男は、顎でモアイを促し、
扉をぐいっと開けた。
光が射すかと思ったが、
かすかな青い光が漏れてくるだけで、
相変わらず、暗い。
男の顔が、
幾分、はっきりと判別できるようになった。
見てみると、
赤茶色に染めた髪の毛が、
唯一の特徴と言えるくらいの、
どこにでもいるような、
男だった。
ベストに蝶ネクタイ姿で、
ひどい、仏頂面をしている。

さらに目を凝らすと、
扉の向こうは、広い空間だ。
中央に、
大きなルーレット台があり、
何人かの人間が、
椅子に座って、台を囲んでいる。
モアイは、
馴れた様子で空いている座席に腰掛けた。

「オレはどうしたらええの?」
自分は、モアイに聞いた。
「そこの空いてる椅子に、座っとったらエエ」
モアイは言った。
言われた通り腰かけるとすぐ、

「そこ、座らんといいてくれ」

と、背後から野太い声がした。
振り向くと、
上下ブルーのスーツに、
これまたサングラス姿の大柄な男が、自分を見降ろしている。
仕方なく移動し、
モアイの斜め後ろの、
何もない床に、所在なく立っていることにした。
ルーレット台で、
モアイが何をしているのか、わからない。
モアイの正面に、
先程の男とはまた違う、
ベストに蝶ネクタイ姿の男性が立っている。
(ディーラーというやつだ)

早く帰りたいと、自分は思った。
これが、社会勉強なのだろうか?

「チッ!」

モアイの舌うちが暗闇に響いた。
モアイは、
スウェットのポケットに手を突っ込み、
4,5枚の一万円札を取り出すと、
無造作に、
ルーレット台の上に投げつけた。
ディーラーは、
「ありがとうございます!」
と、叫び、
暗闇の四方八方から

  「ありがとうございます!」        「ありがとうございます!」


        「ありがとうございます!」

                      「ありがとうございます!」
 「ありがとうございます!」

と、声が、聞こえてくる。
モアイが、ルーレット台に投げつけた、
一万円札は、
まるで、鼻をかんだ後の、
ティッシュのようで、
全く価値あるものに見えず、
金銭の尊厳も全く無かった。
例え、自分があの金を、
「バカなことに使うな!」
と、取り上げて、別なコトに使おうとしても、
腐り果てた金は、効力を失い、
誰からも、突き返されそうな気がする。

どれほどの時間、
この空間にいたのか、覚えていない。
どうやって、帰ったのかも覚えていない。

(モアイは一体、金をどんな風に思っているのだろう?)

そんな疑問が残ったことだけ、覚えている。

***************************************

このように、
1998年は、
モアイと二人で遊び歩いていた。
モアイの周りにいた、
元工場の若者たちは、
皆、粉もの屋の店員となっていたので、
モアイは自分を、遊び相手に選ぶしかなかったのだ。
モアイが、
粉もの屋の店頭に立ち、
働いていたのは、開店してほんの2,3日間だけだった。
自分たちだけが、働かさせられてる若者たちは、
次第に、モアイへの不信感を深めて行き、
ひとり辞め、
ふたり辞め、
やがてモアイと自分の二人だけになる。

**************************************

98年7月30日に、
橋本内閣から、小渕内閣へと変わっている。
小渕内閣の記憶は、余りない。
覚えているのは2000年4月、
在職中の小渕氏が倒れ、
急逝してしまう直前の会見映像だ。
当時の自由党との決裂について、
小渕氏が、記者からの質問に答えようとしたときの、
不自然な言葉の空白を捕えた、
あの衝撃的な映像だ。
明らかに小渕氏に、
病魔が襲いかかった瞬間だった。
この政治劇の成り行きに、
全く注目しておらず、何も知らなかった自分は、

(小渕さん、気の毒やな。小沢一郎というのは、ずいぶん冷血な人なんかいな)

と、単にテレビの印象から、そう感じていた。
90年代は、
インターネットより、
テレビや雑誌の影響の方が、まだまだ強く、
余り見る方ではなかった自分も、
時事問題の記憶は、
テレビ映像で脳内再生される。
98年8月に、
丸っこく可愛らしいデザインの、
初代i-macが発売され、
この大ヒット商品を、
さほど、間をおかず購入したはずだから、
この年が、自分のインターネット元年だ。
そうは言っても、
SNSも、アマゾンも無い時代だから、
単に、情報収集の1ツールとして使っていただけだが。

先程、個人の心の荒廃について書いたが、
真に荒廃していたのは、自分の心である。
恐ろしいもので、
荒廃は即、
極度の社会的無関心へと繋がる。
二千円札地域振興券
本当に、
くだらないことだけが、
記憶の断片に残っている。
一方で、
今に至る、
自公連立政権小渕内閣から始まっており、
後の、安保関連法のひとつになる、
周辺事態法も、
小渕内閣で、
成立されてしまっている。
悪ふざけでも何でもなく、
こんな大切なことすら、覚えていないほどの、
荒廃なのだ。
この時期、意識をまともに保っていた方に、
小渕内閣とは何だったのか、教えてほしいくらいだ。
権力者は、庶民に、モノを考えて欲しくはないだろう。
酒、ギャンブルなどに依存してくれれば、
それで万々歳だ。

この他にも、
モアイが、
自分を連れて行く場所は、
競馬場、競艇場、パチンコ屋…
そういった場所、ばかりだった。
本来、自分には全く興味のない所だった。
モアイは何故か、
パチンコ屋の社長や、
そこに出入りする、
知り合い、そのまた知り合いを
次々と紹介してくる。
皆、
モアイと同じように、
拝金的な考えと
刹那的な感性を備えていて、
漂うオーラは、似たようなものだった。

当時の自分の写真を見ると、
上下、スウェット姿で、
夜でもサングラスをしている。
知らぬ間に、
格好までモアイにそっくりに、なっていたのだ。
10数年後、
工場の派遣仲間の若者のひとりと、
街中で偶然再会したとき、

「戻ってきたんやな」

と、言われようやく
世紀末当時に、
自分がおちいっていた状態を自覚し、
背筋に寒いものが走った。

荒廃の例は枚挙にいとまがないし、
もうしつこいので、この辺でやめておくが、
次回、
モアイと沖縄に行ったエピソードだけは、
書いておこうと思う。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→