たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝⑪ ~精神病棟見学記⑴~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる:

***************************************

何故だろう?
記憶の男よりも先に、
診察の番がまわってきた。

死霊に取り憑かれたまま、
自分は、遠藤医師の前に座った。
開口一番、

「今にも自殺しそうなんです、自分が自分を殺しそうなんです」

こう言った。
心の内を、
順序立てて、説明する余裕がない。

「重傷です!」

遠藤医師は言い切った。
「入院してください。このまま行くと、精神分裂病という、もっと恐ろしい病気になります」
遠藤医師は、手に持っていたボールペンを、机に投げつけ、
(医者が患者の目の前で、そんなことをするはずがない。おそらく、記憶違いだろう)
険しい顔で、立ちあがった。

「これから、病棟を案内します」

遠藤医師の、この決断の早さは何だというのか。
自分には、彼が気が狂っているように見えた。

精神分裂病?分裂する?おれはおれだ。苦しいだけだ。精神分裂病ってなんや?)

「着いてきてください」
遠藤医師は、傍にいた看護師と共に、
彼の背中に隠れていた、隠し扉のような出口を開けると、足早に診察室を抜け出した。
自分は、着いていくしかない。

(彼は、どうなるのだ?)

医師の不在のために、放置されてしまっては、
待合室で男は、頭を引っ掻き続けることになってしまう。

遠藤医師は、無機質な速足で歩く。
自分は、ひたすら着いていく。
入院病棟への侵入が許されたのだ。
いよいよ、院の内部にまで食い込むことになる。
だが内も外も、表も裏も、
どこに行こうが、
冷たいコンクリートの壁であることには、変わりない。
視界が、灰色いっぱいに、
埋め尽くされていくような気がする。
こちらは、歩くことが辛いというのに、
遠藤医師は全く歩みの勢いを、ゆるめない。
遠藤医師は、自分の病状を、
全く理解していないのでは?と、思う。
履いていられない程に、スリッパが重い。
視界の灰色は、脂肪のようにだらしなく溶けていく。

(入ってしまえば、自分は安心できるのだろうか?)
そんな思いも、湧く。

***************************************

エレベーターに乗り、
病院の最上階へと、到着した。

(新しい住家の確認になるかもしれない)

わすかでも、心地良さや安らぎの要素を、
拾い集めようと、じっと目を凝らす。

甘かった。

そこにある景色はどう見ても、
現世の「墓場」だった。
まるで、水しずくひとつない廃校のプール。
窓から少しは、光が射しているというのに、
空間全体が暗い。
寝巻姿の何人かの老患者が、
蛾のように、身動きひとつとらず、
ぽつりぽつりと、それぞれ、わずかずつ感覚を開け、
壁にピタリと身を寄せている。
患者の数が、少ない理由がわかった。
全てここに「寄せ集められて」いたのだ。
段々と、状況が理解できてゆく。
老人たちが「停まっている」お尻の下も、
むき出しのコンクリートだというのに、敷物ひとつ敷かれていない。

記憶が確かなはずはないのだが、
そこここに、扉があった。

(固く重い扉の向こうには、何があるのだろう?自分の部屋になるのだろうか。ここに「停まる」老人たちが、友人となるのだろうか?)

「ここなら、すぐに誰かが駆け付けられます!」

遠藤医師は、
自信たっぷり、爽やかな微笑みさえ浮かべながら、
そう言った。

(どうして、この医師は、自分をこの場所に閉じ込めるようなことができるのだろう?)

遠藤医師に、怒りを感じたというわけではなかった。
そもそも、怒りを感じる気力などない。
まして、
この場所にいる、老患者たちと自分を差異化したわけでもない。
ただ単に、医師の物言いに、本能的な恐怖を感じたのだ。

この医師は、仕事に馴れすぎている。
馴れというのは、一歩間違えれば非常に恐ろしいものだ。
遠藤医師は、
この、精神病棟という場所が、
唯の場所ではないことを、感じることが出来なくなっている。
絶望的鈍感だ。
医師のヒューマニズムの心底を、限界を、
全く、思いがけない角度から通知された気がした。
冷静に考えれば、
治療というものは、担当医にもよるし、タイミング(!)にもよる。
ケースバイ・ケースだ。
だが、公共の大病院が発点となった、精神医療のルーティンワークは、
悪気があろうが無かろうが、
その存在が人を救うためよりも、整理することが目的になってしまっている。

一部の現状を、肌で感じてしまったというわけだ。

「引きました、おれは引きました」

自分は、遠藤医師にそう告げた。
「引いたんですか…」
遠藤医師は、明らかに不満気な表情を見せて、言った。
彼がそんな表情をしているのを見たのは、
診察を受けて以来、初めてのことだった。

「あっちは、どうなんです?」

自分は、
窓の外に見えている、別棟を指差した。

「あれは…デイケアですよ?」遠藤医師は言った。

「あっちの方が、まだ入れそうです」
デイケアが何なのか、わからなかったが、
自分は診察室から、この最上階に来る間、
そのデイケアの持つ雰囲気を、遠目で捕えていた。
見る限り、
病院内で唯一、清潔で明るい雰囲気だった。
とにかく、人が動いてる。
何やら、売店らしきものもある。
ソファや壁の色だろうか?黄やオレンジ系の暖色が、見える。
それだけでも、ホッとさせられる。
どのような患者が、あそこにいるのだろうか?

「あっちなら、行けるかも知れません」自分は、意志を押し通そうとした。

「そうですか?なら見学してみましょうか…?」遠藤医師は、渋々言った。

まるで、アルバイトの面接の失敗を、繰り返しているようだった。
次、雇われないと、もう生きていける場所が、ないのかもしれない。
そんな感じだ。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*



主夫日記2月22日 ~北神圭朗さんの政治塾で学ぶ~

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今日は、
ちょっとムリをして、
衆議院議員で、現在は無所属で浪人中、
あの北神圭朗さんの、政治塾で勉強してきた。

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北神さんには、
以前、日米地位協定の勉強会でお会いしたことがあり、
言うならば「アウェイ」の集まりで、
逃げも隠れもせず語り合い、
そのスケールの大きさと、穏やかなお人柄にも惹かれ、
機会があれば、
北神さんの「ホーム」で、
ゆっくりお話を聞きたいと、思っていた。
今回、
自らが講師を務められる、
政治塾が開催されると聞き、これに行かない手はない。

家事を完璧にすませ、
今日だけは特別に、パートナーに後を任せ、
自宅からは、
ちょっと距離がある右京区まで、車でひとっ走り。

何せ、北神さんの塾である。
自分のレベルを思うと、気後れもあったが、
敷居を、意図的に低くしてくれているのか、
何も政治家を目指す人間に、限定した塾ではなく、
老若男女、
誰でも参加OKと案内にあったので、
ぐずぐずしていた背中を、ポンと押された。

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確かに会場は、
老若男女、
学生さんらしき姿もチラホラとあった。
どちらかと言えば、
地元の方が多い雰囲気で、
自意識過剰なヨソモノ感を覚えて、
やや、気恥ずかしい。

事前に書いておくが、
深く広い、
北神さんの話を消化し、まとめる力量など、
私にはない。
どう書いても、自身のメガネを通した偏りは出るし、
講義内容を、正確にメモしたわけでもない。
おまけに私は、
記憶を都合良く、淘汰するクセがあるから、
北神さんがこう言った!とかではなく、
あくまで、ただの軽い感想文。
(ネタばれになってもいけないし、ごく一部を)
記録としては大間違いだろうし、
そんなことで、
ご迷惑をおかけしてもいけないので、
ぜ~んぶ私の『解釈』くらいに捕えてもらえれば、と思う。


本日のテーマは、

ズバリ『政治とはなにか』だった。

この問いに対する答えは、
ひとつでなく、
講義内容やレジメの中に、
いくつか散りばめられていた。

(別に、禅問答に興じていたわけではない。なにせ話は多岐に渡っていたし、私の理解力も追いついていない)

そのうちのひとつが、
「政治とは、利権・利害を調整すること」だった。
まるで、
ドロ沼のようなカネと人脈の中に、
蓮を一輪咲かす。
政治とは、そのような世界らしい。
実に「面白くない」定義!
ゆえに、大事なのは予算の振り分けであり、
町内会と一緒のこと。
ただ違うのは、
国という大きな単位だから、
防衛など大きな問題が入ってくる。

ドロ臭い話で、終わらない。
北神さんの話の魅力のひとつは、
実感的な世界感覚。
海外に出た経験が無く、
鎖国的な世界で生きている私には、
びっくり仰天な話ばかりだ。

例えば、
日本のヒエラルキーは、欧米に比較すると実はゆるいらしい。
フランスの官僚など、オペラや劇を書くほどの教養が必要、
知事も会社も、天下りがほとんど。
トランプ氏とて、金融関係の大学院を出ているスーパーエリート。

大国の政治の、
ウンザリするような悪しき姿の説明もあった。
デモや暴動や革命が起きるのは、
それほど圧政がスゴいから。

日本の産業技術の衰え、人口減少の危機、医療問題、
近隣諸国との関係、アメリカとの関係…話は尽きない。

質疑応答では、
自分が、
9条改憲反対の立場であることを踏まえ、
安倍首相が、
正面から改憲を訴えず、
二項維持、自衛隊明記という、
ねじれた案を出してくるから、
安全保障を現実的に考える議論にならない、
こんな状態で、国民投票に持ち込むのはおかしいのでは?

と、北神さんに尋ねたところ、

それが、安倍首相の『政治技術』らしい。
二項維持で、庶民を改憲に馴らし、
いずれの二項削除を狙うのが真意ではないかと。
何たる現実か。

今回の講義で、
最も心を揺さぶられたのは、
どういう流れで、
そんな話題になったのか、
防衛の問題。

赤提灯で、一杯引っ掛けながら、
近隣諸国に威勢の良いことを言うのは、
たやすいが、
現実に、
例えば尖閣諸島などで、
有事が起こった場合、
本当に命をかけることができるか?
北神さんは、
これはシェイクスピア的な、
人生の問題だ、と仰ってた。

このニュアンスを、
文字で伝えることは、難しい。
というより、
解釈は、ひとりひとりに委ねられるし、
もっと言うと、
ひとりの人間としての、立ち位置が試される。
私の立ち位置からの解釈は、
戦闘状態に陥るきっかけひとつ作らせない、努力を、
一庶民として続ける。
でも、
国境とは常に、
暴力のせめぎ合いであることも、
悲しい現実。
この現実から目を背けて、
いざという時の自分を、
内心で一度たりとも問わないまま、
平和運動をすることは、
自身の魂と言葉を腐らすと、
臆病の塊の私でも、思うのだ。

(『オトコ』っぽい話だと言われれば、そうだが)

正解かどうかわからないが、
北神さんのメッセージは、
そんなトコにあるのでは?
と、考えた。
(これが、まるで北神さんが好戦的であるかのように、ウワサされたりする、誤解が生じているらしい。この誤解はすごく勿体ないし、ウィキぺディアの説明なんかも、大ざっぱだと思う)

講義終了後、
北神さんの著作にサインと言葉を頂いた。
これは二度目のことで、
前回は、

『正心誠意』

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読んで字の如くだろう。

今回は、

『寛猛』

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パソコンで検索して見ると、
『寛猛相済う』とある。
孔子の春秋左氏伝からの言葉らしい。
政治は寛大と厳格をうまく調和させて行うと良い、
という意味。
なるほど、生きていく上でもそうかもしれない。
北神さんは、老師の風格だ。
講義は、
東西の古典からの引用も多く、
大河ドラマの主人公、
西郷隆盛の「南洲翁遺訓」からの引用もあった。
自分は維新とやらは信用していないし、
英雄譚にも興味がないが、
幕末の時代、
まだ若い木戸孝允が、
さほど年齢も違わない、西郷に敬意を表して、
「老西郷」
と書簡に認めたという話には、
それだけ独立して、粋なものを感じた。

『寛猛』の文字を見て、

北神さんにも、
そういった敬称が、しっくりくるのでは、
と思った。

北神塾、面白いです!


ド不幸自伝⑩ ~不幸とは何か?~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる。苦痛を抱え、精神科の待ち合い場所に腰かけていると、真横に見知らぬ男がいた:

***************************************

いくら肌寒い病院内とはいえ、
春は春だ。
なのにその男は、完全に冬服だった。
あずき色のロングコート。
自分は、コートの厚みと重みを、
すぐに捕えることができた。
なぜならそれは偶然、
自分が持っているのと、
全く同じコートだったからだ。
コートから出ている、
男の手と顔の部分は、
そこだけがまるで、
モノクロ写真のように見えた。
生命感というものが、ない。

男はいきなり、
両手で頭を抱えて、
雑に伸びた髪の毛を、
激しく爪で引っ掻きはじめた。
傍の灰皿が、
ガタガタと音を立てて、揺れた。
自分は、思わず男の動きにつられて、
自身の髪の毛を、爪で引っ掻いた。

「ウウッ、ウ~」

男は、うめき声を上げた。
自分は、男のうごめく髪の毛を見つめた。
年齢は、おそらく自分と同じくらいだろう。
人とは思えない気がした。
こういう所へ来る人間には、
何処か、似たところでもあるのだろうか?

(こいつは、苦しいのか?)自分は思った。

***************************************

苦しい苦しいと無闇やたらに書いているが、
この時期の自分の苦しさが、
どういうものだったのかを、
説明する必要があるだろう。

一言で言うならば、

「殺される」

と、いう恐怖だ。
そもそもは、
モアイに追い詰められていたとき、
街中の牛丼店で、
内面に湧きあがった大きな恐怖が、コトの始まりだった。
やがて、恐怖が時を選ばず発生しはじめ、
恐怖を感じないときが、無くなってしまった、
という所までは、説明した。
加えて、
今度はその恐怖から逃れるために、
いっそ命を絶とうとする、もうひとりの自分が、
自分の中に発生したのだった。
元々の自分は、
自殺を考えたことなど、一度もない。
むしろ生への執着が激しい方で、
常に「死にたくない」と思っている。
だから、命を絶とうとするもうひとりの自分は、
自分の内面に巣食っていながらも、
自分の全く知らない誰かのようだ。

「おれが、おれに殺される」

死にたくない。
だが追手は、
自分の胸の内にいる奴だから、逃げようがない。
24時間、殺し屋が自分に向かって、
銃口を向け、引き金に指を当てている。
隙あらば、自分の体を崖下にでも投げ飛ばし、
存在を消しにかかろうとする。
だから、
どこに留まっているのも、
どこを歩くのも、
電車に乗って移動するのも、
人混みの中にいるのも、
ひとりでいるのも、
広い場所にいるのも、
狭いところにいるのも、
怖かったし、
薬の効果が無いことを、
延々と恨み続けていた。
簡単に説明すると、そういう事である。

***************************************

(おまえも、苦しいのか?)

自分は、
髪の毛を引っ掻き続けている男に、
心で問いかける。

(おまえは、苦しいのか?殺されかけている、今のおれと、どちらが苦しいのだ?)

「ウウッ、ウ~」

男は相変わらず、うめき声を上げている。
客観的に見ると、
自分は動きひとつなく、
オレンジ色の長椅子に腰かけて、
男を見つめているだけだ。
のたうちまわっている男に比べれば、
全く苦しそうには、見えない。
上には、上がいる。
不幸の上には、
さらなる不幸が存在するのだろうか?
この後、
順番に診察室へと呼ばれ、
治療を受ける自分と男は、
挨拶も交わさず、
待合室で会ったのも、これきりだったので、
男がどのような運命を辿ったのか、
自分は知らない。
生きながらえたのか?
死んだのか?
それがわからぬのだから当時の自分と、
記憶の男を振り返って、
どちらが不幸だったのかを測ることは、できない。
だが果たして、
そのように、不幸の背くらべを試みることに、
意味があるのだろうか?
おそらく、ない。
なぜなら、
不幸はいつでも、
偶然の力で、適当にピックアップされた人間へと、
並列に割り当てられるものだから。

仮に記憶の男が、
その後死んだのだとしたら、
自分の方は、生き残ったということになる。
だから今こうして、文章が書けている。
生き残って思うのは、
人生の中で自分の心を支える底板が、
一番ブ厚かったのが、
皮肉にも、
この最も不幸だったときではないか?
ということだ。
何故かというと、
それ以上は、
堕ちようがないところにいるわけだから、
這い上がるしかない。

不思議なもので、今の自分は、
却って不幸を求めている部分がある。
決して、あの頃に戻りたいというわけではない。
苦しいのは、もうゴメンである。
だが、
不幸の最中にいて、
這い上がる以外の選択肢がなくなったときに、
人がブ厚い底板を内面に得て、
強い心を持つことができる実感は、悪夢の恩賞として、
確かにこの手の中にある。
何のために生きているのか、
わからなくなるほどの、
もろくぼんやりとした平穏に包まれるより、
襲いかかってくる苦難に、
自ら近寄って行くことで不幸を得て、
心の強さを得て、生の実感を得る。
この場合の不幸は、
まるで生きるためのジャンプ台だ。

ゆえに意外と人は、不幸を求めるのではないかと思う。

「私の方が不幸せだ」と。

かといって当時の自分が、
積極的に不幸を求めていたわけではない。
自分をここまで不幸にした、モアイとの出会いは、
それこそ単なる偶然だ。
適当にピックアップされ、
不幸を割り当てられただけだ。

重要なことは、
不幸を呼び寄せた、
モアイとのつきあいの過程で、
自分がロクなことをしていないという点だ。
その有様は、散々この「ド不幸自伝」に書いてきた。
だが、ロクなことをしていなかったのは、
実際のところ、
モアイに引っ張られていた時期だけでなく、
モアイと出会う以前もだったし、
この病が感治し、生還してからもさえ、
自分はロクなことをしていない。
自伝とは言え、
何もかも書くことはできないが、
あらゆる場所で、
自分が自分に殺される以前に、
他者を、まるで殺すほどに傷つけているのは確かだ。
自分の存在が、
バチ当たりなものであることを思えば、
人生の中で自分の心の底板を、
最もブ厚くしたとかいう、
自身の不幸など、
とるに足らない、
ゴミのようなものだということだけは、
ハッキリと記しておく。

本当に、
究極な不幸とはおそらく、
自身に訪れるものではなく、
愛する他者が、
悲しさにまみれて死ぬようなことなのだろう。
そのような不幸は、いくらでもある。
例えば爽やかな朝に、
コーヒーを飲みつつ、
新聞記事に軽く目を通すだけでも、
世界は究極の不幸に溢れかえっている。
戦争、紛争、公害、事件、事故、etc…。

今は真夜中なので、
コーヒーではなく、ホットミルクを飲みながら
こうして気楽に文章を書いている。
自分は余程、気楽で呑気な顔をしていて、
話しかけやすいからなのか、
パソコンで文字を打ち込んでいる、
合間合間に、
メールやメッセンジャーで、
人生相談を頂くことがたまにある。
様々な相談事に目を通すと、
正に人生は苦難の連続だと思う。

「いっそ、死んでしまいたい」

とまで、打ち明けられる時もある。
死んでしまいたい程の苦しみに、
自分はどう答えることもできない。
そんな時は、
とりあえず、この頃の自分を説明してみる。
死んでしまいたいと思うより先に、
自分が自分に殺されかける時だってある。
少なくとも、自身が体験した、
「自殺未遂」
とは、そういうものだった。
体を傷つけることや、
紐でくくることではない。
だから、一応言ってみる。

(生きてみないか?)と。

だが、
愛するものを悲しく失った程の、
不幸の経験を相談されたとしたら、
自分ごときの貧しい経験を差し出し、

(生きてみないか?)

と、声を架けたところで、届くはずもない。
どうすれば良いのか?
どうしようもない。
当事者と傍観者の悲しい壁が、そこにある。
届かないことを承知で、
言ってみるのだ。

(おい、生きてみないか?)と。

いや、
どうすれば良いのか、わからないからこそ、
もう一度言ってみる。
ひょっとしたら、届くかもしれない。

(おい…生きてみないか?生きてみないか…)

もう一度。
あきらめては、ならない。

(生きてみないか?)


つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*



ド不幸自伝⑨ ~春はこわい~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、日常生活が困難となり、人間関係も破綻して行く:

***************************************

ところで、
2000年4月5日から始まった、
森内閣の記憶がほぼ全く、無い。
確かに、評判の悪い内閣で、
記録的な低支持率だったことくらいは、覚えている。
印象が薄いのは、低支持率の所為ばかりでなく、
この頃の自分が、
いかに社会を見る余裕がなかったかの、現れだと思う。
政治どころか、出来事すら記憶にない。
頭は全く働いておらず、残っているのは、
感覚だけ。
ぬくいとか、
重いとか、
しんとしてるとか、
電車の音とか、
香りとか。
そう、香りの記憶は、バカに鮮明だ。
季節の香り。
春。
春だった。

***************************************

冬が終わり、春が来た。
いつまで、こんなことが続くのか?
散歩。
もはや歩くのも、辛い。
登り階段をほんの少し、早歩きしただけで
100メートルを全力疾走した後のように、
ゼエゼエハアハアと息が切れる。
(何という、体になってしまったのか)
苦しみがいつまで続くのかを、
気にするより、
二度と元の肉体に戻れないのでは、
という恐怖が自分を支配する。
人生で、最も死に近づいた、2000年春の景色。
薄暗い土色の風景の中に、新芽の鮮やかな黄緑色が、
ぽつり、ぽつり。
K医院の風景。
若々しい、新しい命が匂う立つのに対して、
錆びた重機のような胸の中。
自分の一歩は、何故こうも遅く、
目的地は何故こうも遠いのか?

***************************************

「ところで私、移動になるので、あなたも付いてきてください」

遠藤医師は、事もなげにこう言った。
「同じ医師の治療を受けた方が良いんです」
話によると、
遠藤医師は府立医大から、
市内北部のK医院へ転勤になるということだった。
東南部に住む自分にとってみれば、
地下鉄路線図の端から端までを渡り、
さらにバスを使わなければ、
辿りつけない、困難な場所である。
そもそも、府立医大に通うこと自体、
困難なのだ。
それに、当時は気づいていなかったが、
自分は遠藤医師に、
親和性を、特に感じてはいなかった。
変えた薬が効かないとなると、
どうも、
以前の薬に戻すクセが、
あることくらいしか、
治療の印象が無かった。
遠藤医師以外の精神科医が、
どういう治療をするのかは、
知りようもないことだったし、
他の選択肢があるという観念もなかった。
遠藤医師の移動に、付いて行くことによって、
良い方向に向かない予感がしたことは、
事実だが、
告げられたことに対して、
抵抗する気力はなかった。

何をするにしても、そうだったのだ。

診察が終わった、
帰りの電車の中では、いつも処方された、
薬の説明書きを見ていた。
(電車に乗ってる間も、苦しいのだ)
デパスメレリルソラナックス
記憶違いかも知れないが、
そんな名前が並んでいたような気がする。

(効いてる気がしない。だが、これを止めると、さらに恐ろしいことになるのだろうか?)

薬の存在が、いつも不思議で仕方がなかった。
だが、飲むだけで、とりあえず何かをした気にはなる。
自分は、
この世に完全に効く薬が存在しないことを、強く恨んだ。

***************************************

市北部に来ると、南部とは気温も違う。
自宅近辺はすでに、生温かったが、
この辺りはまだ、京都独特の切れ味鋭い寒さが残った、
冬混じりの春だった。
咲き始めた桜の花びらすら、
冷気に苦しんでいように見える。
K医院は歴史の古い病院で、
むき出しのコンクリートの病棟は、
苔むして、うっすら緑色に湿っている。
患者という役割で、
こんな景色の一部に溶け込むと、
病院近辺の人気の無さとも相俟って、
自分がまるで、
世界の果てに存在しているかのように、感じられる。
ある場所(何処でも良い。例えば西アジアとか)から、
想像すると、
ここは、とてつもなく遠い場所だ。
ここより、さらに北はいくらでもあろうとも、
何故か、場所が『果て』のように思えて仕方なかった。
墓場であり、
落ちた者の、馴れの果て。
どうしても、
そう感じずにはいられなかった。

人が多く、暖房が、
やや効きすぎている府立医大とは違い、
何処も寒々しく、患者の数も少ない。
精神科の待ち合いスペースは、
建物の奥に細長く続く廊下の、
先端のようなところにあった。
無造作に設置された、
オレンジ色の固い長椅子に腰かけて、
奥に続く廊下の先をじっと見ていると、
自分の存在が、何処に向かっているのか、
わからない気持ちにさせられる。
非現実的な空間だった。
だが、苦しい。
座っていても、苦しい。
いつでも、苦しいのだ。

(どうしてこうも、院内には人が少ないのだ)

沈黙の音が、聞こえてくる。
椅子の傍には、
昔のテレビドラマでよく見かけた、
銀色の円盤のような、
無神経に大きい灰皿がある。
余計な気づかいもあったもので、
水が浸され、
捨てられた吸殻にニコチンが溶け出し、
不快な匂いが鼻につく。

いや、待てよ。

院内に、
タバコの灰皿など、置いているはずがない。
記憶違い?
一体この時、自分は何を見ていたのだろうか。
果たして『本物』
を見ていたのだろうか?

気が付くと、自分のすぐ横に、
全く見知らぬ男が座っていたのだった。


つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

ド不幸自伝⑧の2〈修正版〉 ~あの子との別れ~

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【お知らせ】
前回、自伝の⑧を書いたのですが、

読者の方から、ご指摘を頂いたことで、作品として大きな弱点があることに思い当たり、やや修正させてもらいました<(_ _)>
これを⑧〈修正版〉として、2回に分けてアップしますね。(長くなったので)
修正前のも、そのまま残しておきます。
気合いを入れ直す意味で、画像もリニューアルしてます。今さら。やはり読んでもらえてナンボですね(`・ω・´)そんなわけで、是非ご覧になって見て下さい。


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、日常生活が困難になって行く:

***************************************


苦しい、
ただひたすら、苦しい。
それだけだった。
やはり、
薬は効いているのかどうか、よくわからない。
いや、効いているはずもない。
効いているというのなら、この苦しさにはどう説明がつくのか。
寝てる時間以外は、全て苦しかった。
(寝ることができたのは、幸いだった)
寝る前には必ず、
「何かの拍子でこの苦しさが、嘘のようにスッと消えている、
雨上がりの朝のような目覚めを、迎えていないものだろうか?」
と思うのだった。
だが、幾日経っても、
それこそ、1999年7月に来るはずだった、
〈恐怖の大魔王〉に襲われるかのごとく、
目覚めたことそのものが絶望のような、
鉛色の朝が繰り返しやってくる。

昼になると、
食べて、排泄し、動く。
そうして生きようとする。
かろうじて可能だった外出は、
近場の土手を散歩することだった。
それは、周囲の人間から見れば、
ひとりの若い男性が、
単に、歩行をしているだけに見えただろう。
もちろん、そのようなはずはなく、
自分の中では、まるで命の奪い合いのような、
無慈悲で冷酷な戦いが、繰り広げられている。
そして一方では、肉体を飛び出した、
意識だけのもうひとりの自分が、
やもりのように川べりを這いずりながら、
荒い呼吸をしている瀕死の肉塊となった自分を、
冷たく見下ろしている。

携帯電話は、必ず持ち歩いていた。
万が一、自分の意識があらぬ方向に飛んでいったときに、
連絡方法が何もないと言うのは、絶望的だったからだ。
だが、そんな状態でも、
自分はなるべく電話などに頼らないでおこう、
と思っていた。

(電話をしたところで、何になる?どう説明する?)

仕方がないという思いの方が、強かったのだ。
だから、
病院に電話をした、あの瞬間というのは、
どれほどまでの症状が、出ていたのだろう?と思う。

「どうされました?」

看護師だろうか、女性の声だった。

「精神科にかかっているものです。遠藤先生とお話できないでしょうか?」
「遠藤先生は、今診療中です」
医者に接触することができないと、
わかった瞬間、自分の中の理性の防波堤が崩れ落ちた。

「なら、もう麻薬でも何でも打ってください!苦しいんです」

まるで〈冷たい七面鳥〉だ。
「そんなもの、ありません!」
看護師らしき女性は、諭すというより、本気の怒りの声でそう答えた。


次に電話をしたのは、
あの、カウンター・レディーの彼女だ。

「何かあったら電話ちょうだい」

彼女のこの言葉を、思い出したのだった。
考えて見れば、
連絡はいつもメールで済ませ、
一度も、こちらから電話をしたことはなかった。
このような形で、
初めて電話をするというのは、馬鹿馬鹿しいことだった。
どうして、もっと楽な気持ちで電話をして、
「愛している」と、告げられなかったのか?

「一体、今どこで何をしてるんや!」と、彼女は言った。

「苦しい、苦しいねん」
質問には答えられず、まず先に苦痛を訴えた。
それを聞いた彼女は、理由を問うより早く、
「牛乳を飲み!牛乳。少しラクになるはずや」と言った。
「牛乳…無い、外」
「どうしたん?一体」
「○○(モアイが名乗っていた名前)にカネ貸してん…」
それを聞いた瞬間、彼女は何もかも察したように、

「何で、あんな奴に金を貸した!」と言った。

夜の街つながりで、彼女はモアイのことを知っていたし、
自分がモアイの粉もの屋に、通いつめていたことも、
もちろん知っていた。
(心配していたのかもしれないな)
と、自分は思った。
今さら、
モアイにカネを渡していたような、自分の人格を、
改まって白状してしまえば、全てが終わることはわかっていた。
(もっと、早く言っておけば良かったのかも知れないな)
ほんの少し、後悔した。

「切るよ」

と、彼女は言った。
「うん」自分は言った。
「もう、良いの?切るよ」
「…うん」
「…切るよ」

***************************************

(戻っておくれ)

とでも、自分は思ったのだろうか?
戻ってほしい人とは、誰?
彼女?
それとも自分自身?
戻ってきたとしても、何処に戻る?
あの夜の街の何処にも、生活なんて存在していない。
戻るような場所など、最初から無かったのだ。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

ド不幸自伝⑧の1〈修正版〉 ~モアイとの別れ~

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【お知らせ】
前回、自伝の⑧を書いたのですが、

読者の方から、ご指摘を頂いたことで、作品として大きな弱点があることに思い当たり、やや修正させてもらいました<(_ _)>
これを⑧〈修正版〉として、2回に分けてアップしますね。(長くなったので)
修正前のも、そのまま残しておきます。
気合いを入れ直す意味で、画像もリニューアルしました。今さら。やはり読んでもらえてナンボですね(`・ω・´)そんなわけで、是非ご覧になって見て下さい。


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻し、日常生活が困難になって行く。そんな中、モアイから家に封書がひとつ届く:

***************************************

封筒には、少しのふくらみがあり、
中に何かが入っているようだった。

考えるよりも先に、封を解いた。
中には、自分名義でモアイに預けていた、
(ものすごいことを、したものだ)
消費者金融のキャッシング・カードが5枚入っていた。
封筒を逆さにし、バラバラと5枚のカードを床に落とした。
カードはまるで、鉄の固まりのようだった。
自分は実に、ぼおっとカードを見つめていた。

(モアイはもう、あの場所にいないな)

そう思うと、少しは我に返った。
他に何か入っているものは無いかと、封筒の中を漁った。
無駄なことだとわかっていながら、
カッターナイフを持ち出し、
もう開くところが無くなるまで、封筒を切り開いた。

やはり、5枚のカードがあるだけで、
メモ書き一枚、無かった。
言うまでもないことだが、
モアイは、1円のカネも返しておらず、
返済義務の残ったカードだけを、郵送してきたというわけだ。
その時だった。
何故か不意に、
モアイが今まで何度も何度も、
在日コリアンへのヘイト・トークを、自分に繰り返してきたことを、
1から10まで順々に思い出した。

言ってはならない言葉、
書いてはならない言葉を主語にあてがい、

(あいつらに、騙された)
(一度、あいつらと商売をしてみろ)
(あいつらの性や)
(事業を邪魔された)
と、モアイはこのように言い張ってきた。

ある時は工場、ある時は粉もの屋、ある時は沖縄で…。
フラッシュ・バックだった。
自分は、その言葉を何と思って、聞いていたのだろう?
…いや、
「何と思って、聞いていたのだろう?」
ではない。
告白すると、
自分はモアイとの付き合いが長くなるにつれ、
ついには、単なる遊びの気持ちで、
彼の使用する、在日コリアンへの差別用語に同調し、
確実に他者がいる場所で、使用していた。
自分は、
ヘイト・スピーチへの参加者であり、そこからの帰還者なのだ。

〈あいつら〉

何故気づかなかったのだろう?
モアイにとってみれば〈あいつら〉には、
誰を当てはめても良かったのだ。

モアイに出会う以前、自分は考えたことがある。
人は何故、差別をするのか?
劣等感から?
自身より『下』の存在を作って、
自尊心を満たすため?
それを知った為政者が民を統治するための、汚い戦略?
それらも、あるのだろう。
だが、モアイを通じて、
自分はもっと、本質的なことに気づいた。
差別は、ある種の人間が持つ、理由なき根源悪なのだ。
知らぬ間に、巻き込まれていくものなのだ。
それは、ぬぐってもぬぐっても、
決して明るくなることはない、
ひたすらな闇。
モアイの姿、言葉はその場になくとも、
床上に転がった、
5枚の灰色のカードが、
闇の存在を雄弁に物語っている。
誰もが最初から、
そのような根源悪を持っているとは、到底思えないし、
思いたくもない。
自分が、モアイによって闇の心を少しでも、開発されたのだとしたら、
その闇から抜け出すことは、
ひとりの力では到底不可能だ。
自分は、いまだに
この闇から、
自分を抜け出させ、救ってくれる光をさがしている。
光は、ひとつでも多いほうが良い。
そんな光を、持ち合わせている人間こそが、
自分にとっての、
疑うことのない希望なのだ。
そして、光の世界に到達することが出来たとき、
モアイとは一体何だったのか?という疑問が、
初めて自分にとって、どうでも良くなるのだ。

***************************************

5枚のキャッシング・カードを握りしめた、
夢遊病者のような自分は、
かつてモアイと一緒に回った、
消費者金融の店舗を、一軒一軒再訪した。
今度は、
貸出機でなく人間相手に事情を説明する。
だが、事情とは言っても、
要はひとりの成人男性が、
自分で作ったカードで、カネを借りただけだ。
金融業側にすれば、事情そのものがない。
どこの店舗に行っても、対応者は気の毒そうな表情を見せるのだが、
結局は、
「返済していただく他はない」と言う。
当たり前のことだった。

何故か、店舗のひとつで、
数百円程度の手続き上のミスが発見された。
紺色のスーツ姿で、爽やかな匂いすら漂う、
細身の男性店員が、
「金融業として、このようなミスは有り得ない。誠に、誠に申し訳ありません」
と言いながら、深々と頭を下げ、
百万円近い借金を新たに抱えた自分に、
数百円をキャッシュ・バックするのだが、
この様は、ほとんど珍事と言え、
自分はただ唖然とした顔で、店員を見つめながら、
小銭を受け取った。

***************************************

5軒全てを回ったあと、粉もの屋を見に行った。
シャッターが下ろされ、まるで廃墟のようだった。
警察に相談することも、頭に思い浮かばなかったわけではなかったが、
網の目のような人間の群れの中から、
モアイが簡単に見つかるとは思わなかったし、
興信所のようなところに相談しようにも、
それはそれで、カネが必要になるだろう。
捕まえたところで、
やはり結局は、
自分が消費者金融から、カネを借りただけのことになる。
(モアイは、最初からそれを狙っていたのだ)
ならば、モアイを殴りでもするか?
無一文のモアイを殴って、何が出てくるのか?
監視して、働かすのか?
考えているうちに、
人生の時間をそんなことに費やすことが、
虚しく思えた。
病み、ズタズタになった自分は、
モアイから奪われたカネと心をとり返す、気力も体力もなかったのだ。

***************************************

しかし、
借金の方は、実にあっけなく解決したのだった。

親族会議にかけられた自分は、
「あいつの健康状態・精神状態はもうダメだろう」
と判断され、
比較的裕福な親類・縁者数軒から、
一括で用立てをしてもらった。
返済不要ということだった。
(おそらく、将来を考えて、自己破産を避けさせたのだろう)
だが、
この『幸運』は、
却って決定的に、自分を駄目にしてしまった。
親から引き継いだ借金を返すために、望まぬ労働に従事し、
そこから解放されかけたところで、
新たに借金を重ね、
それを、自分の責任で処理することができなかった。

『自分は、どうしようもなく愚かな人間なのだ。
この世に必要とされている人間では、ないのだ。』

引き裂かれた魂に、愚者の焼印を押されたような気がした。


ここから、
不安の症状は暴走列車のように、加速し、
いよいよ自分は、究極的に追い込まれていくことになる。


つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*




ド不幸自伝⑧ ~二つの別れ~

f:id:tarouhan24:20180122005038j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻し、日常生活が困難になって行く。そんな中、モアイから家に封書がひとつ届く:

***************************************

封筒には、少しのふくらみがあり、
中に何かが入っているようだった。

考えるよりも先に、封を解いた。
中には、自分名義でモアイに預けていた、
(ものすごいことを、したものだ)
消費者金融のキャッシング・カードが5枚入っていた。
封筒を逆さにし、バラバラと5枚のカードを床に落とした。
カードはまるで、鉄の固まりのようだった。
自分は実に、ぼおっとカードを見つめていた。

(モアイはもう、あの場所にいないな)

そう思うと、少しは我に返った。
他に何か入っているものは無いかと、封筒の中を漁った。
無駄なことだとわかっていながら、
カッターナイフを持ち出し、
もう開くところが無くなるまで、封筒を切り開いた。

やはり、5枚のカードがあるだけで、
メモ書き一枚、無かった。
言うまでもないことだが、
モアイは、1円のカネも返しておらず、
返済義務の残ったカードだけを、郵送してきたというわけだ。
その時だった。
何故か不意に、
モアイが今まで何度も何度も、
在日コリアンへのヘイト・トークを、自分に繰り返してきたことを、
1から10まで順々に思い出した。

言ってはならない言葉、
書いてはならない言葉を主語にあてがい、

(あいつらに、騙された)
(一度、あいつらと商売をしてみろ)
(あいつらの性や)
(事業を邪魔された)
と、モアイはこのように言い張ってきた。

ある時は工場、ある時は粉もの屋、ある時は沖縄で…。
フラッシュ・バックだった。
自分は、その言葉を何と思って、聞いていたのだろう?

あいつら?
モアイにとってみれば〈あいつら〉には、誰を当てはめても良いのだ。

モアイに出会う前にも、自分は考えたことがある。
人は何故、差別をするのか?
劣等感から?
自身より『下』の存在を作って、
自尊心を満たすため?
それを知った為政者が民を統治するための、汚い戦略?
それらも、あるのだろう。
だが、モアイを通じて、
自分はもっと、本質的なことに気づいた。
差別は、人間の根源悪なのだ。
そこには、理由がない。
性悪説などという、ナマ優しい概念ではない、
ぬぐってもぬぐっても、決して明るくなることはない、
ひたすらな闇。
モアイからの言葉は何ひとつなくとも、
床上に転がった、
5枚の灰色のカードが、
闇の存在を雄弁に語っていた。
誰もが、そのような闇を持っているとは、到底思えない。
自分は、モアイに闇の心を少しでも、開発されたのだろうか?
だとすれば、その闇から抜け出すことは、
ひとりの力では到底不可能だ。
自分は、いまだに
この闇から、
自分を抜け出させ、救ってくれる光をさがしている。
光は、ひとつでも多いほうが良い。
そんな光を、持ち合わせている人間こそが、
自分にとっての、
疑うことのない希望なのだ。
そして、光の世界に到達することが出来たとき、
モアイとは一体何だったのか?という疑問が、
初めて自分にとって、どうでも良くなるのだ。

***************************************

この借金が、結局どうなったのかというと、
時間をかけてのことだが、
親類、縁者に返済してもらった。
この事実は、決定的に自分を駄目にしてしまった。
親から引き継いだ借金を返すために、望まぬ労働に従事し、
そこから解放されかけたところで、
新たに借金を重ね、
それを、自分の責任で処理することができなかった。
自分は、どうしようもなく愚かな人間なのだ。
この世に必要とされている人間では、ないのだ。
引き裂かれた魂に押された、愚者の焼印。
ここから、
不安の症状は暴走列車のように、加速することになる。

***************************************

苦しい、
ただひたすら、苦しい。
それだけだった。
やはり、
薬は効いているのかどうか、よくわからない。
いや、効いているはずもない。
効いているというのなら、この苦しさにはどう説明がつくのか。
寝てる時間以外は、全て苦しかった。
(寝ることができたのは、幸いだった)
寝る前には必ず、
「何かの拍子でこの苦しさが、嘘のようにスッと消えている、
雨上がりの朝のような目覚めを、迎えていないものだろうか?」
と思うのだった。
だが、幾日経っても、
それこそ、1999年7月に来るはずだった、
〈恐怖の大魔王〉に襲われるかのごとく、
目覚めたことそのものが絶望のような、
鉛色の朝が繰り返しやってくる。

昼になると、
食べて、排泄し、動く。
そうして生きようとする。
かろうじて可能だった外出は、
近場の土手を散歩することだった。
それは、周囲の人間から見れば、
ひとりの若い男性が、
単に、歩行をしているだけに見えただろう。
もちろん、そのようなはずはなく、
自分の中では、まるで命の奪い合いのような、
無慈悲で冷酷な戦いが、繰り広げられている。
そして一方では、肉体を飛び出した、
意識だけのもうひとりの自分が、
やもりのように川べりを這いずりながら、
荒い呼吸をしている、瀕死の肉塊となった自分を、冷たく見下ろしている。

携帯電話は、必ず持ち歩いていた。
万が一、自分の意識があらぬ方向に飛んでいったときに、
連絡方法が何もないと言うのは、絶望的だったからだ。
だが、そんな状態でも、
自分はなるべく電話などに頼らないでおこう、
と思っていた。

(電話をしたところで、何になる?どう説明する?)

仕方がないという思いの方が、強かったのだ。
だから、
病院に電話をした、あの瞬間というのは、
どれほどまでの症状が、出ていたのだろう?と思う。

「どうされました?」

看護師だろうか、女性の声だった。

「精神科にかかっているものです。遠藤先生とお話できないでしょうか?」
「遠藤先生は、今診療中です」
医者に接触することができないと、
わかった瞬間、自分の中の理性の防波堤が崩れ落ちた。

「なら、もう麻薬でも何でも打ってください!苦しいんです」

まるで〈冷たい七面鳥〉だ。
「そんなもの、ありません!」
看護師らしき女性は、諭すというより、本気の怒りの声でそう答えた。

次に電話をしたのは、
あの、カウンター・レディーの彼女だ。

「何かあったら電話ちょうだい」

彼女のこの言葉を、思い出したのだった。
連絡はいつもメールで、
一度も、こちらから電話をしたことはなかった。
このような形で電話をするというのは、馬鹿馬鹿しいことだった。
どうして、もっと楽に電話をして、
「愛している」と、告げられなかったのか?

「一体、今どこで何をしてるんや!」と、彼女は言った。

「苦しい、苦しいねん」
質問には答えられず、苦痛を訴えた。
それを聞いた彼女は、理由を問うより先に、
「牛乳を飲み!牛乳。少しラクになるはずや」と言った。
「牛乳…無い、外」
「どうしたん?一体」
「○○(モアイが名乗っていた名前)にカネ貸してん…」
それを聞いた瞬間、彼女は何もかも察したように、

「何で、あんな奴に金を貸した!」と言った。

夜の街つながりで、彼女はモアイのことを知っていたし、
自分がモアイの粉もの屋に、通いつめていたことも、
もちろん知っていた。
(心配していたのかもしれないな)
と、自分は思った。
今さら、
モアイにカネを渡していたことを、
告白してしまえば、全てが終わることはわかっていた。
(もっと、早く言っておけば良かったのかも知れないな)
ほんの少し、後悔した。
「切るよ」と、彼女は言った。
「うん」自分は言った。
「もう、良いの?切るよ」
「…うん」
「…切るよ」

***************************************

(戻っておくれ)

とでも、自分は思ったのだろうか?
戻ってほしい人とは、誰?
彼女?
それとも自分自身?
戻ってきたとしても、何処に戻る?
あの夜の街の何処にも、生活なんて存在していない。
戻るような場所など、最初から無かったのだ。


*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→