太朗のSo What?

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オレは今でも病んでいる

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精神を病んでいたことがある。

具体的に言うと、精神科に通院し、投薬治療を長いこと続けていた。

病から抜けかかる頃、自己治療の一環に、

自分が病にかかった過程を文章に起こして洗い出す、という作業をしたことがある。
原稿用紙にして、300枚くらいだろうか。
買いたてのi-mac(懐かしいねえ)のキーボードを毎日毎日トントントントン
叩いてたものだ。
それを今回、無理やり1,2枚くらいにまとめてみようと思う。

精神を病んだ理由は、

金を騙し取られたショックによるものだ。
だが、今回それは無視することにする。
そんなことまで、逐一書いていたら、収集がつかない。
心の病いを語るのに、重要なのは、理由よりも原因。
理由を語ると、単なるドキュメンタリーになってしまう。
原因を語ってこそ、So Whatだ!

何故自分は病んだのか?

答えはカンタンだ。帰るところを間違えたのだ。

 

主治医の移動で、京都の府立医大から、かなり北部の病院に転院させられていた。
入院ではなく、通院なので、なおさら大変だった。
その後、病状はひどくなり、いよいよ、入院、見学というところで、
とても親切な入院患者に話しかけられたことから、
何故か、抱えていた恐怖が100倍になり、見学の最中にダッシュで院内から脱走したので、
入院することが、できなくなってしまった。

そしたら、どこに帰るのだ?
家に帰るしかない。
父は死んでいて、その妻がいるのだが、
私はいまだに、父の妻を本来の言い方で呼んでいない。
私は極端に太く、朗らかな性格なので、自分を支えるのは、自分自身で充分だった。
(経済レベルの話は、ちょっと置いておく)
ところが、父に妻がいると、私はそれに役割を見なければならない。
その人物が、自身を支える術を何も持たないとしたら…
道連れである。
それに「役割」がある限り、軟禁と言葉の暴力を私は受け続けることになる。

 

心を病む症状は、人の数だけある。
これは、今でもなのだが、閉所恐怖に近い。
飛行機はおろか、「のぞみ」でも怖い。
広島→京都の新幹線で、ちょっとおかしくなり、
ものすごい手汗をかいたのを、覚えている。

沖縄に行きたいと思ってるのだが、これがネックだ。
一番の解消法は自分で運転することだが、
ちょっと難しそうだ。

 

最後にかかった医者には、5、6年くらい通っただろうか?
そこは、精神科でなく診療所という看板だった。
自分から言い出したことだが、
投薬から抜け出す努力が必要だった。それは通院の終わりを意味する。
デパスメレリルソラナックス…薬の名前も何となく覚えている。
10年も飲み続けた薬を止めるのは、千里の道だった。
投薬の終了は、ハーブティー
心底、ホッとしたのを、覚えている。

だが、薬を止めたからと言って、終わったわけではなかった。
必要なことは、全ての決断を自分で行うことだった。
私は、私の人生で必ずやらなければならないことをした。
それは、家との絶縁だった。
絶縁の決断を精神科医に相談することは、なかった。
それは偶然の事故によるものだったが、
もし、家との関係を断ち切ることを、精神科医に相談していたら、
私は今ごろ、苦しみから逃れられなかっただろう。
世間からは、轟々たる非難を受けた。

自分以外に、自分の味方がいない状態が続いた。
しかし、孤立させられたことを、特に恨んではいない。
どうしようもなく、孤立するという状態を学んだのは、
良い教訓だったし、
だから、今日もどこかにある孤独を思えるのだ。
ホンの少しでも。
さあ、どうする?
と、自分に問いかける。