太朗の主夫日記 ~So What?~

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父が死んでから、20年近くたつ。
あれは、ダイアナが好奇心に惨殺された日だっただろうか?
少し、日がずれていたか…?
8月の終わり。
暑かった。

父はその時代の人としては、背が高く(178センチあった)
同級生の子供たちは、皆、彼を見上げ、

「おっちゃん、2メートルくらいある!」と、びっくりしていた。

数少ない、若い頃の父の写真を見ると、

自分なんか、吹いて飛んでしまいそうな、ハンサムで、
(俳優の阿部寛似の甘いマスクだった)
撮ってる人を斜めから、見ていた。
斜にかまえているという意味ではなく、
シャイだった父は、いつも、はっきりとは人と目を合わせず、
体ごと、逸らし気味に接するような感じだった。
結果的に、父には流し眼の印象がある。

 

父は、戦中の食糧難を体験していた。
青年期までは、北海道で過ごしていたらしい。
空襲などの被害は受けることは無かったようだが、
小学生くらいのとき、干しバナナを食べ、
「この世に、こんなうまいものがあるとは!と、思った」

と言っていた。


手塚治虫のマンガに、
「すきっぱらのブルース」というのがある。
創作かもしれないが、やはり戦後の食糧難の時代、若い手塚治虫が、
女の子との決定的なデートの約束よりも、
知り合いに、ご飯を奢ってもらう約束を優先してしまい、後悔するという、
内容だった。
中高生くらいだったボクが、
手塚治虫がこんなこと描いてる」
と、何の気もなしに、父に見せたら、
「わかるなあ…!」と眉間に皺を寄せてつぶやいた。
その瞬間、当たり前に存在していた父が、自分には理解しようもない、

昔の国からやってきたような気がして、遠い気持ちになったのを覚えてる。
(ボクは父が40歳くらいのときの、子供。これも当時としては、珍しい)


とはいえ父は、
日常的には、あまり悲壮感というものが存在しない人で、
万年最下位、暗黒時代の阪神タイガースを平気で応援する、
度量の広さがあった。
とは言え、タイガースが負けることは、
やはり面白くはないようで、
狭い市営団地の一室で、
妙に写りの悪いKBS京都中継の阪神戦を見ながら、
不機嫌そうに、ゴロリと横になっていたものだった。
そんな光景に嫌気がさし、読売が何なのか、
よくわかっていなかったボクが、巨人ファンになったのを見て、
「小さいときは、掛布掛布言うてたんやけどなあ…」
と、ぼやく父がいた。

 

晩年の父は、借金まみれだった。
定年後に、勢いのみで、喫茶店を開いてしまったからだった。
(自分が知りうる限り、史上最低の喫茶店である。
史上最低など、中々できることではない)

全く借金を返済しないまま、
病気で入院してしまったため、
返済の義務は実質ボクにのしかかり、
ふらふらしていた20歳ごろ、あっけなく
望まない職業に従事することになり、
このことが後に精神を病む遠因になった。
(にもかかわらず、父を恨む気持ちは、今に至るまで全くない)
しかも、借金を返済するために、借金をするという、
典型的な自転車操業をしていたことが、
入院後に発覚し、
周りの人間たちは、
「女でもいるんやないか!」と強烈な悪意をこめて、
叫んでいた。

父の妻に対して、常に焼けた鉄の塊のような復讐心を抱いていたボクは、
その汚いセリフに対して、
空を飛ぶような開放感を覚えた。
(そうやったらええのに、ホンマにそうやったらええのに)

残された、たったひとつの謎は、
父は何故、ボクをあれほど無責任なまでに信用していたのだろうか?
ということだ。
「好きなようにしたらええ」
とよく言っていたが、
ただ、アレコレ言うのがメンドくさかっただけではないのか?
それやったら、アンタにもっと好きにして欲しかったですよ。
それとも…好きにしてたん?
いや、どれほどか苦労してたのか…?
教えてくださいよ。

父が死んでから、
一枚のハガキが届いた。
北海道時代、父は教師をしていたらしく、

その生徒からの便りだった。
便りの主は、父が死んだことを知らずにいた。
ハガキには、
「14歳の子がなぜ…?先生(父のこと)が良かったのでしょうか?」
と記されていた。
神戸で起こった、理解しようのない事件は、
真実が報道されていたのどうか知らないが、
日常を優しく生きている人間には耐えがたいものだった。
父は、ある人間が抱えてしまった、どうしようもない気持ちを、
投げつけることができる人物だったのだ。

そんな父を、私はソンケーしている。