たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

とかくこの世は無責任

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♪オレは この世で一番、
無責任と言われた男

ガキの頃から 調子よく

ラクして 儲ける スタイル!

 

植木等(イメージ上での)
が好きなボクにとって、
「無責任」という言葉が、すっかり否定的な意味でしか、
使われなくなったのは、寂しい。

 

♪とかくこの世は無責任 コツコツやるやつぁ、ゴクローサン!

 

狂猫ノリはどこへ行った?

現在は、誰もが責任を取り過ぎている、責任社会だ。

ボクは無責任ですなんて公言してしまったら、誰も笑ってくれないだろう。

皆、「責任をとれ」という言葉で、お互いをがんじがらめにしている。

 

でも、経験的に、

やたらと他人に「責任をとりなさい」という人は、
マイペースで、要領が良くて、お調子モノな人が多かった。

こういう人は、

無意識に地雷をよける術を心得てるとか、
経済的に恵まれてるとか、

寂しさに不自由しないとか、

酒に強いとか、

その他イロイロ、何だかよくわからない、

ささいな、プラス要素を持っていて、
「自分はシッカリやっている」という自負が漠然とあるので、
人に圧を押し付けることに、ためらいがない。

信念さえあれば、責任をとるストレスは、さほどのものではない、

とタカをくくっている。

(比較的、男性に多かった気がする…)
そういう人も、それなりに憎めないのだが、
オレにはメーワクでしかなかった。

「責任をとりなさい」くらいなら、まだマシかもしれない。

ヘタをしたら「人には責任というものが、あります」とか、
人が責任を抱えて、この世に生まれてきたような、
言い方さえある。
んな息苦しいモン抱えて、生まれてきたのだとしたら、
オレは生まれる前の、なんかわけのわからん、混沌とした場所だかに、

帰りたい。

 

原発に関して、
「誰も責任をとらない」という言葉をよく聞くが、
多くの人間を苦しめた、

あんな恐ろしいものが、

まだこの世に存在し続けていて、何故いまだに、

動いているのかを考えてみれば、
それは責任を持って、あんなものを作ったからだ。

いくらなんでも、

「こんなもん、作ったらヤバイ!」

と、組み立ててる最中に、何人かは思っただろう。
社会の授業で原発のことを習ったとき、
小学生のオレでも、やばいと思ったくらいだ。

給料と同調圧力くらいでは、人はなかなか動けない。

皆、責任感がありすぎて、投げ出すことができず、

「やばいよ、作らんと、もうほっとこうよ」とは言えなかったのだ。

電力会社のアルバイトの上に社員がいて、その上に社長がいて、
社長は政治家とつながっていて、日本の政治家はアメリカの政治家と

つながっている。

叡智に満ちた、小学生の頭で考えれば、すぐにわかる。

人を責任の固まりみたいな人格に追い込むのは、
圧政だ。
間違った政治が必ず、存在するのは、
今さら誰の目にも明らかで、

はっきりとおかしいポイントはそこだけだ。

私たちに、責任を強要している大元は、
狂気的な、間違った政治なのだから、
そんなモンにマジメに同調して、責任感のある人間になる必要などない。
皆、小泉純一郎の「自己責任」という言葉を、
あれだけ嫌っていたではないか。

 

人に責任を問うくらいなら、
抱えている責任から、人を解放するように、
働きかけるほうが、まだ世の中をマシにしそうな気がする。
オレは決して、大臣とかに、
「責任をとって辞任せよ!」とかいう言い方はできないだろう。
「アンタ、もう辞めたらええんやで、その方がラクやで。責任とらんですむし。
したら、そんなワケわからん嘘つかんですむで」とか言ってしまいそうだ。
(これで、オレが政治家とか活動家に全く向かないことが、証明できただろう)

 

今、思い出したのだが、
ずいぶん前の話で、

フットサルの試合の約束をしていて、

対戦予定のチームが来なかったことがある。
おかしいと思って、
相手チームの広報担当に電話したら、
「ああ、ああ、ああ」という感じだった。
「この責任を誰がとってくれるんですか!」と言うと、
(この言葉も、もはや冗談だった)
何となく、電話は通じなくなってしまった。
後日、広報担当(そもそも、友達なんです)の彼に会うと、
シャツをぺロリとめくり、

背中を見せ、
「バイクでこけてん、それで行けなくなってん、ゴメンな」

と言っていた。

(キミがバイクでこけたことと、チームが来なかったことと、何の関係があるのだ。
ほんで、背中無傷やし)
突っ込みたいところは、いくらでも会ったが、もはやバカバカしくなり、
追求するのを、止めた。

平和そのものである。

(とはいえ、思い出したらハラが立ってきたが、まあ、それはそれだ)

 

それでも、誰も責任をとらなくなったから、

世の中がおかしくなった、という意見は根強いかもしれない。

そんなことは、ない。
みんな、マジメやで。
結局、誰かが責任をとっている。
一度、誰も責任をとらない世の中を、
実験してみたらどうだろう?

 

そしたら、こんな言葉が出てくるはずだ。
今の世の中に不足している言葉。

「あなたのせいじゃない」