読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

半浦太朗のSo What?

気楽に書いてますので、気楽に読んでくださいね

完成度が低い

最近、完成度が低いことが、

結構重要だったりする。

要は、カンタンな話で、
何か行動を起こすとき、
少々の不具合はあっても、
かかる手数の少なさや、
はよ仕上がる方を優先して、
とっかかりのメンドくささや、
精神的な重荷をゼロにするということだ。

 

かくいうボクも、
主夫という病か、
単に性格なのか、
ティッシュ一個、買うときでも、
一円でも安く、より良いものを効率的に買う!
と、異常なまでに完成度の高い、買い物を目指してしまうので、
プレッシャーに負けて、買い物に行かないということも、
しばしばだ。
そこへ行くと、
連れ合いなんかは、
平気で、サイズの違う子ども服を買ってきたりするし、
スゴイ。
また、その服を子どもは意外と、
モンク言わんと着たりするのだ。

ベック・ハンセンの作品でも、
90年代の名盤で、
完成度バリバリの
「オデッレイ」なんかは、
今、あんまり聴かず、
仕事の粗さ丸出しの、
弾き語り作品なんかの方が、
たまにCD棚から取り出して、
聴き返したりするしね。

人のやってることが、
あんまり完成度が高いと、
敷居が高くなり、萎縮する。
感動とひきかえに、
「よし、オイラもやってみよう!」
とは思えなくなる。
完成度が低いと、
緊張感が失われて、
伝える力が薄まるんではないか?
と、思ったりもするけど、
まあ、多分大丈夫やろう。
細かいこと言わんと、
一億総表現者社会や。

けどまあ、本人も、制御できん天才とか、
努力するんが趣味の人とかやったら、
しゃーないけど。
(例を上げると、

キングコングの、にしのさんの本とかかな?)
それはそれで、
社会に多大なる貢献をしているのだと、思う。

あ、ほんで、
それとは別に、
全くしょうもないことに、
究極の完成度を求め、
血眼になって努力してる人いうのも、
それはそれで、
魅力的やね。
何か、良い例ないかなあ?
まあいいや、考えるのがメンドくさい。


とにかく、
「完成度が低い」
という言葉は、
もっと高く評価されて欲しいネ。
ボクは、
あまり良い意味にとられてない言葉を、
好意的に考えてることが

多いので、
結果、
張り切って宣言してみたものの、
実にシマらない、
ということが、よくある。

「完成度、低っ!」
「ヒマだぞっ!」
「勤労意欲、ゼロやぞ!」
「論旨、メチャメチャやぞ!」

「めっちゃ、下手な絵できたぞ!」
とか。

 

ちなみに、
この文章も完成度が低い。
思いついたけど、
表現するのがメンドくさく、
書いてないことが、
2~3ある。
ような気がする。

 

しかし、
今の政権与党のやり口は、
完成度が高いというか、
低いというのか、
…まあ、いいや。
終わり。