太朗の主夫日記 ~So What?~

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戦争を知らない大人の私

 

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全て、はっきりしたことは、わからない。
もはや、
尋ねることができる人間も、いないからだ。

 

祖父は戦争で、殺された。
今の私と同じくらいの年齢、40歳のとき。
(おそらく、である)
そんな、年齢の人間を徴兵しなければらならない程、
戦況は泥沼化していた。
もう、とっくにやめるべきだった。
誰がどのように、何故、始めたのか?

祖父の人柄を、想像する。

聞いたエピソードは二つだけ。
神戸の営林局に勤めていたこと。
今、着る人はいないが、
冬になると、マントを着こなすなど、
お洒落なところのある、人物だったということ。
それだけで、
戦闘などに、全く向かない人物だったのでは、
と思える、何となく。

だが、同時に確信もある。
孫の、勘だ。


南方で殺されたのだろう、
ということも聞かされている。
「だろう」と、いうのはこれも、わからないからだ。
軍から、薄い麻の服を支給されたから、

おそらく南方の戦場に放り込まれた。

レイテだが、ルソンだかわからない。
当然遺骨も、ない。

水木しげるラバウル戦記」を読むと、

南方の戦場まで兵士たちを乗せた船は、

劣悪な環境で、1室を無理矢理3室に区切ったような、

船室だったらしい。


死の予感がする、閉所。


一体、祖父はどのような死を迎えたのだろうか。
大岡昇平の「野火」によると、
兵士たちの死因の多くは、餓死だったという。
彼には4人の娘がいた。
飢えて死んだのだとしたら、
どんな辛さだったのだろう?

一方、祖母たちは

8月6日、
広島の呉にいたらしい。
これも、

子どもの頃、祖母に聞いた、
曖昧な記憶だが、
8時15分、
祖母は、
「…(広島市?)の方が、光ったのを見た」だか、
「(瓦?)…が飛んできて、屋根に当たった(もしくは、瓦が剥がれた?)」

だか、言っていた気がする。
そして、
ほとんど、消え入りそうな記憶だが、
「(道端で?)うずくまってる人が…何人…いて」
という、祖母の声と、
それを聞いていた、子どもの私の脳裏に浮かんだ、
イメージを、覚えている。
(絵本『原爆の図』のような、地獄の景色を思い浮かべた)
わからない、
祖母は、全く違う日の話をしてたのかもしれない。
子どもの私は祖母に、


「戦争の話を聞かせて」


と、言ったのだ。

だが、傍にいた私を生んだ人物は祖母に、
「戦争の話などするな」

と言い、私に続きを聞かさなかった。


広島の日、
私を生んだ人物は、
1歳くらいだったらしい。
もし、祖母たちが、
たまたま市内に入っていれば、
私は、この世にいなかったかもしれない。

 

さて、以前にも書いたが↓

tarouhan24.hatenablog.com


私は、全ての血縁と絶縁している。
決定的な引き金は、
私を生んだ人物が、
親戚のひとりで、

独特のペースで発達をする子に対して、
その子の血縁を遡り、

「広島にいたからかもしれない」
ことを、ヘイトの言葉で憶測したからだった。

だが、それは単なる引き金だ。
私を生んだ人物が、
私に重ね続けた、虐待と洗脳の、
裏側に、
「家庭における父親の強制排除」

という、彼女が幼少時代から、
抱えた問題があった

と、私は思っている。

敗戦後、
祖父の娘たちが学校に行くと、
同級生の中で、
父が徴兵され、殺されたのは、
彼女たちの家のみ、だったらしい。


アホな父親が、

見下り半を突き付けられ、
家庭から追放されるというのは、
そう悪くない。
だが、国に殺され、
家庭から消滅させられるというのは、
事の大きさが違う。
私は、子どもの時から、

いつも家の中、
穴の空いたバケツで、
水を汲み続けているような、

徒労感を感じていた。

この家には、底がない。
床もなく、
落ちていけば、止まらない。
支えるものが、ない。

説得も、決定も、収束も、信念も、対策も、予防も、歯止めも、聞き耳もない。

 

「おじいちゃん、助けて」
悲壮感という程のものではないが、
私は、会ったことのない彼に、

何となく、そう話しかけていた気がする。

母親が息子を歯止めなく、

食いつくそうとし、
息子が、その一切を断つというのは、
ひとつの狂気だろう。
ならば、母は何故狂ったのか?
その原因を全て戦争と、

父の強制排除に求めるのは、
間違っていると言われたこともあるが、
私は間違っているとは、思わない。
これは、勘というより、
私が子どもの頃から、

肌で感じてきたことだ。

 

だから、私は自分があやうい父親として、

強く存在することに、拘っているし、
私の人生の大きなテーマのひとつとなっている。

 

8月6日、9日、
そして敗戦の日を迎える。
私は、結局は苦労知らずだが、

「戦争を知らない大人たち」
にとっても、

戦争は苦い記憶なのだ。