たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

不倫?

「不倫」と、いう単語はどうにかならないだろうか?
「倫」を「不(打ち消す)」
文字のまま解釈すると、
人の道から、外れているということになる。
だが、この単語を使って言われる現象は、
愛の矛盾であり、不倫ではない。

「不倫は文化だ」と、言った人がいたが、
彼はおそらく「不倫」という単語の持つ、
不正確さを、
何とか是正しようとしたのではないだろうか?
自分が思うように、
「不倫」→「愛の矛盾」ならば、
それは、単に、
人ひとりひとりが抱えたドラマなので、
「文化」という言葉で是正するのも、
これまた無理があり、
彼が本来伝えたかったニュアンスから、
かけ離れてしまい、
あげくヒンシュクを買ってしまったのでは?
と想像する。

そもそも、
人ひとりひとりが抱えたドラマを、
覗き見するというのは、
ただの悪趣味だ。

国会議員が、
愛の問題を世間から盗み見されることで、
失職に繋がるという事実が、
未だに現実とは思えないのだが、
自分も、普通にネットとか見ているので、
そういう情報は入ってくる。

自分が好感を持っていない国会議員が、
「不倫」で失職すると、ざまあみろと思い、
(滅多にないことだが)
自分が好感を持っている国会議員だと、
「可哀そうだ」と、思う。
贔屓や趣味や支持政党の問題というわけではなく、
女男の問題だ。

自分は、
男性だからかもしれないが、
女性の「不倫」には、魂の救済みたいなものを感じるのだが、
男性の「不倫」には、性愛か、性欲を感じとる。
(たったの2パターンで、申し訳ない。反射的に感じるのは、というコト)
男性の場合は難しく考えず、
まんま「不倫」と、言っておけば良いのかもしれない。

いつも思うのは、
女性への、異常な風当たりだ。
一切遊ぶことなく、結婚し、
結婚したら、亭主につくし、
他の男になびくことなどあるはずもなく、
子育て、
良くとも仕事に専念する。
男性が、
元々、存在していない、
菩薩だの聖母マリアだの
ママ偶像を勝手に作りだし、
何とか、
それをキープしようとやっきになっている。
それなのに、
日常的なセクシャル・ハラスメントは、
全く裁かれない。
今回の、
国会議員への私生活の覗き見が、
男性全般の、
マザー・コンプレックス的な
不気味な監視を表しているようで、
この現象自体が、
女性の心と行動を縛りつける
暴力のような気がする。

愛の問題のそれ自体が、何が悪いのだ。

そうは言っても、
愛とは、捕えどころの無い感情で、
自分は、
女性におもむくままの心にさからわないことを、
ススめることができるほど、
人間ができてはいない。
自分は、おそらく人並み程度には、
「愛の裏切り」で傷ついた経験があり、
また同時に、
人並みか、
いや、ひょっとすると、それ以上に、
女性を傷つけ、生きてきた。
傷つけるというのは、
傷つけただけのこと。
後悔と、反省があるだけだ。
だが、
「裏切られる」というのは、
どういうことだろう?
客観的に見る術はなく、
他者と比べる術もなく、
ひょっとして、自分が
「裏切られた」と、感じていることは、
全て、一方的な思いこみなのかもしれない。
(ダメだ、うまく書けない!)

人間は、
「ヤル」こと、食べること、怠けること、
…しか考えていない、
とまで、積極的に思うことにしている。
でなければ、
他者に対する、寛容さなど持ちえないし、
自身に関しては、
内面に抱えた欲望のドロ粘土を
素手でゆっくりとかきまわし、
壺でも作って、
見つめる作業を、
通過しなければ、
「立派なこころざし」など、
持てるはずもないと思っている。

今回、
スケープ・ゴートされた国会議員に関しては、
実は、
言われているほど、
本質的な興味は持っていなかったのだが、
議員としてどうなるかとのことより、
彼女が、
大切にしていた愛の矛盾を丸ごと
奪われるのではなかろうか?
と思い、
そっちの方に心が痛む。
もし、自分が彼女に裏切られた立場の男だとしたら、
唯一、憎しみの炎を燃やす資格があるのかもしれないが。

 

(ケースバイケースだし、わかるはずもないし、考えるべきことですらない、
 ただの、アテはめた、くだらない妄想である)