たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝④ ~沖縄旅行の思い出~

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≪前回までのあらすじ≫
:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分は、モアイと様々な場所で遊び歩くようになる:

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借金は、
相続放棄で消え、
学費と生計のために働いていたことは、
先に書いた。
確かに、カネの使い方を、自らの匙加減で決めることが、
少しはできるようになった。

自分は、人生に楽しみを見い出すことを、
諦めたくなかったのだと、思う。
決して、
そんなに風変わりな感性を、持っていたわけでもなく、
ちょこちょこ見かける、サブ・カルチャーに、
親しみを覚えるタイプの若者だった自分は、
音楽(聴くこと)と読書で、現実逃避をしていた。

1998年と、1999年に、
フジ・ロック・フェスティバルに行っている。
当時流行していた、ビョーク、ベック、ケミカル・ブラザース、ブラー、
アタリ・ティーンエイジ・ライオット
他にも、ソニック・ユースエルヴィス・コステロブランキー・ジェット・シティ
存命中の忌野清志郎、伝説的なレイ・デイヴィスなどを、
観たのを覚えている。

だが、いくら、
新幹線とバスで地元を離れ、
大金を払い、
一日か二日、ロック・フェスティバルに参加し、
現実逃避を試みても、
日常の大部分を締める、兵器工場の仕事は、
自分を簡単に現実の重さへと、引き戻す。
仕事帰りの金曜日、
決まり事のように、
モアイのいる粉もの屋へと通い、
カウンターに腰かけ、濃い日本酒を胃に落とす。
毎日、
イヤという程、うがいをしているのだが、
それでも口内に残る砂鉄を、
酒と一緒に、飲み込んでいるような気になり、少しも気分が晴れない。
横に座るモアイが、相も変わらず
在日コリアンへの、ヘイト・トークを繰り返している。
いい加減、うんざりする。
いつの間にか、
自分は、ひどいチェーン・スモーカーになっている。
これもモアイの影響だろうか?

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事もあろうに、
モアイと二人で沖縄旅行に行った。

それが、98年のことか、99年のことか、中々思いだせなかった。
よくよく考えて、手がかりを探した。
確か、
帰りの飛行機の中、
CDウォークマンで音楽を聴いていた。
中身は、
ドイツのテクノ・ミュージシャン、
mijk van dijkの‘multi-mijk’
調べると、このCDアルバムの発売日が、
98年3月21日。
購入してから、まだ、新鮮な気持ちで聴いていたから、
自分は、99年夏、ギリギリ90年代の沖縄の土を踏んでいたわけだ。

この旅のことを、
書こうと思うのだが、
ひどいくらい、記憶にない。

旅の目的は、
兵器工場での労働のストレスを解消する、
『リゾート』だ。
小学校のとき、
「日本全体の0.6%しかない沖縄に、米軍基地の7割以上が、集中している」
と、習い
「なんて、ひどいんや」
と、自分は、確かに思っていた。

23歳の自分は、死滅していたのだ。

那覇空港に、降りた。
風と暑さが、心地良かった。
そのまま、
モアイが予約した、
かなりさびれたシティ・ホテルへと、
タクシーで向かった。
「何故、電車が無いのか?」と、思った。
土地の名前の記憶も、ない。
帰る前、酒を飲んだ場所が、那覇だということ以外、
覚えていない。

ホテルから、
バスやタクシーで、
一時間以上かかるような場所には、
行かなかったはずだから、
おそらく、南部にいたのだろう。
場当たり的に、滞在していただけだ。
何せ、まともな状態の人間では、ないのだ。
とりあえず、
海に入れる場所を、探していた。
何一つ考えず、
モアイとふたりで、
ホテル近くから出ているバスに乗りこみ、
海岸線を北上した。
バスに揺られながら、自分は目で墓を捜していたのを、覚えている。
何故だろう?
ほんのわずかでも、
沖縄戦のことが、頭によぎったのだろうか…?
視界には、
バスのスピードに流されてゆく、海岸沿いの濃い緑色。
草むらの中に、
灰色の崩れかけた石の影が、
あったように思える。
いや、
そんなところに、墓があるはずもない。
きっと、自分の妄想の記憶だろう。

2,30分程の後、
リゾート使用に箱庭化されたような、
遠浅の海水浴場を見つけ、
モアイと砂浜に降り立った。
その場で水着に着替え、
海に入り、潜ると熱帯魚と目があった。
自分は、どのようなニヤけた顔をしていたのだろう?
どのような、呆けた顔をしていたのだろう?

この旅行で、
言葉を交わした、
ウチナーンチュはひとりだけだ。
初老の男性だった。
浅黒い肌と、白髪交じりの豊かな髪の毛、
紺色のアロハシャツ、
それに、
刺すような鋭い眼つき。
沖縄全戦没者追悼式で献花した、
安倍晋三を見つめる、
あの鋭い眼差しだ。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

男性は、自分とモアイを見て、
不意に、
歩みを進め、
ゆっくりとこちらに近づき、
このように言いはなったのだった。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

「〇〇」
の、中に何が入ったのだろう?
肝心なことのはずだ。
それを忘れ、残された部分だけが、
今だに、頭の中にこびりついている。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!」

自分とモアイは、何をしていたのだろうか?
男性は、自分とモアイに何を見たのだろうか?
何故、このように話かけてきたのだろうか?
…覚えていない。
男性が、何かに対し、釘を刺しに来たのは明らかだ。
場所は?
海岸べりだろうか?
いや、そうではない。
もう水着は、着ていなかった。
本当に、何でもない場所だったのだろう。
道端?

しかし、自分は釘を刺された自覚など、
全くなかった。
視線は鋭くとも、男性の言葉の調子は、
大変優しかったのだ。
沖縄言葉のイントネーションの優しさを、
この時初めて、体感した。

モアイの方は、
男性の言葉に、
何の関心もない顔をしている。
モノを見るような、目だ。

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!

〇〇が、
頭の中に入っていないということは、
自分も、モアイと同じように、
男性の言葉に、何の関心も持たずに、
聞き流しており、
そして、男性をモノを見るような目で、
見ていたはずだ。

一方、
モアイは、
旅行中、
何人ものウチナーンチュに、
ズケズケと話しかけていた。
工場にいた頃から、
わかっていたことだが、
モアイは、時・場所を選ばす、
無闇に人に話しかける。
やはり口は達者で、
第一印象のみだと、
ものすごく人当たりの、
良い好人物に錯覚するのだが、
よくよく、モアイの会話に聞き耳を立ててみると、
話しを押しつけるだけで、
聞くということを全くしていない。
そして、
押しつけることというのが、
例の、ヘイトなのだ。
モアイは、沖縄という場所でも同じことをするのだ。

ひととおりのヘイトを終えた後、
「あいつらの性(さが)やな!」

と、モアイは吐き捨てるように、言う。
モアイの言ってることに、同調する人間は、
旅行中でも、日常でも、見たことはない。
単純なことだ。
ヘイトなど、最悪なだけだからだ。
とりわけ、
この沖縄という地で、ヘイトに励むことは、
最悪の上に、
さらに、絶望を塗りつけることのような気がした。
何も知らない自分が、
何故、そのように感じたかというと、
これは、潮風が教えてくれたのだ。
錯覚でも、気のせいでもない。
沖縄本島の地に立っている体には、
四方から、広大で温かい海の存在を、
感じさせてくれる潮風が、吹きつける。
本能的に、自分は潮風の元を辿る。
もし、潮風が5つの大陸からやってくるものとするならば、
そこにいるであろう、
何百万、何千万、何億の人々が、

『あいつ【ら】とは、何なのだ。【性(さが)】とは、何なのだ』

と、確かに囁いてれる。
ヘイトとは、
いかに、
人工的で脆く、
絶望的に中身がなく、
間違いなく誤ったものなのか、
教えてくれる。
自分たちは、
数多く存在する人間の中の、
不安定なひとりに過ぎないのだ。

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1999年の沖縄で、
何が起こっていたのかが知りたい、
一体、自分はどんな空気の中で、
沖縄に滞在していたのか、知りたい。
インターネットで調べてみるのだが、どうしてもピンと来ない。

すると、
全く偶然、
最近古本屋でたまたま購入した、
「『安保』が人をひき殺す 日米地位協定=沖縄からの告発」
という、書籍が、
1996年の沖縄を捕えた内容だった。

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奥付を見ると、
96年、9月15日の発行だ。
奇しくも、
この自伝は、
1996年の出来事から書き始めた。
軍事工場で働きはじめた、あの年だ。
タイムスリップしてきたかのような、
この一冊を、じっと手にとってみる。
インターネットが、
余り機能していなかった時代の、
書籍には重みがある。
ページをめくり、古い紙の匂いを嗅ぐと、
過去の時に帰る。
‘本でしか伝えようがない。
だから書いた。
どうか届け。’
そんな思いが、伝わってくる。

…当時の自分には、届かなかったのだ。
今さら、恐る恐る本を開く。

当然、
この本が、
‘本土’の政治に触れていないはずはなく、
自分が先に書いた、
村山内閣時の社会党や、橋本内閣への記述もある。
安保反対の先頭に立っていた、
社会党が、
容認路線に転換し、見るかげもなくなったこと。
橋本内閣が、普天間基地の全面返還という名の、
罪深い基地ころがし(言うまでもなく、辺野古への‘新設’)
の、始まりだったこと。
社会党の崩壊はともかく、
先に自分は、橋本内閣に
『‘鈍重な安定感’を感じていた』と、書いていた。
そして、
『当時自分は借金を返すことのみを、
目標に生きていたので、
広く社会に向ける目など、持っていなかった』
とも、書いている。
この言葉が、全てを説明している。

自分とモアイの沖縄旅行は、
ここから、3年後。
物事を考えているはずがない。
今、96年発行の本を読み、
自分が二日間の旅行で吸っていた、
沖縄の空気の味が、ようやくほんの少しわかる気がする。
あの時、意識すらしなかった地名。
ドーナツ状の普天間の街。
自分は滞在中、
この足で、普天間の地を踏んだのだろうか?
基地が中央にドンとあるために、
一か所ですむ消防署が、
3か所も必要になってしまう街。
(本には、そんなことも書かれている)

96年までの、沖縄の事件・事故年表も載っている。
考えられないような、
ペースで、
米軍による車『Yナンバー』が、
幼い命、
旅行当時の自分とそう変わらぬ若い命、
経験を重ねた尊い命を、次々と残酷に奪っている。
車は、まるで砲弾だ。
自分が、
旅行中利用した、タクシーやバスは、
米軍の『Yナンバー』と、
すれ違ったのだろうか?
海岸線を北上していたとき、
事故の可能性など、
これっぽっちも考えていなかった。
地位協定という、悪魔のような法律が、
残されたものを、さらなる苦しみへと追い込むことなど、
考えもせず、知らなかった。
他にもたくさんの、本が出ているだろう。
本になっていないことが、あるだろう。
自分は一体、
どれだけのことを、知らないのだろう?

「〇〇するのも…本土の人たちです!〇〇するのも、本土の人たちです!

「〇〇」の中に入る言葉の正解は?

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2017年も、もう終わろうとしている。

つい最近も、
米兵は、飲酒運転で男性の命を奪い、
ほんの数日前、
米軍のヘリコプターは、
普天間に近接する、
保育園に固い瓶を、
小学校に、そのヘリのブ厚い窓を、
空から落としている。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→