太朗の主夫日記 ~So What?~

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ド不幸自伝⑦ ~精神科医~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。モアイは工場の若者を集めて、粉もの屋を開店する。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、理由もなく、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。支払いは滞り、緊張から自分は精神を破綻する:

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〈ある家族が、家を怪物に乗っ取られる〉

というのが、ストーリーの軸になっている、恐怖映画を見たことがある。
この映画が、何より怖いのは、恐ろしい怪物がいるなら、
そこから逃げれば良いのに、
『家』ゆえに、何故か家族は、怪物のいるところに帰ってしまう、
という点にあった。
さしずめ、自分とモアイの関係は、
この映画の家族と、怪物のようなもので、
自分は、逃げたくとも逃げられなくなっていた。
いや、むしろ自分から近づいて行くカラクリに、完全にはまっていた。

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「助けて!」

粉もの屋の入口の扉を、乱暴に開けると、
自分はモアイに、こう叫んだ。
モアイは大きく、両目を見開いた。
自分はカウンター内に乗りこみ、モアイに体を寄せ、手を強く握りしめた。
皿や調理道具が、ガラガラと大きな音を立てて、
床に落ちる音がした。
音は妙に、遠くから聞こえてくるようだった。

「手ェ握って!手が吹っ飛びそうや!」自分は言った。本当にそのように感じていたのだ。
「わかった!握っといたる!」モアイは言った。

「刃物を、全部どっかに捨てて!刃物はアカン!」自分は、こうも叫んだ。

調理場には、必ず刃物がある。
何も、狂った自分が刃物を持って、暴れそうになったという訳ではない。むしろ反対で、その時の自分は、いかなるものにも殺されるような気がしていたのだった。だからまず、刃物の薄さを本能的に恐れた。そして、四方八方から調理用の包丁が飛んでくるという、あり得ない可能性を想定した。

「わかった刃物やな!」
「頼む、カネを返してくれ!」
「わかった」
「救急車を呼んでくれ!」
やり取りが、会話と言える代物ではない。全く、その場にいた客は、自分とモアイに何を見たのだろう?

モアイは店の電話で、救急車の手配をしていたが、
中々、つかまらないようだった。

「何!今ここに、手をブルブル震えさせてるやつがおるのに、来れんのか?顔も真っ青で、今にもどうにかなりそうなんや!」
モアイは電話口で叫んでいた。


電話を切った、モアイは
「くそ、日本の医療体制どななっとるんや!」と吐き捨てた。

それでも、数十分後に救急車は到着した。
その間自分は、
右手で左手の不安を握りしめ、
右手が不安になると、左手で右手の不安を握りしめ、
それを、交互に繰り返していた。
タンカで運ばれている最中も、意識はハッキリとしていた。
横になっても、安心感は無く、
ずっと誰かに殺されるような恐怖は、相変わらず体を取り囲んでいた。

(意識あります、脈拍…荒いです、動悸は…)
救急隊員のやり取りが、別世界のもののように思えた。

ひとまず、
最寄りの大病院である、
府立医大に、自分は搬送された。
ずっと、悪夢のパイプをくぐっているような感じだった。
ふと気がつくと、椅子に座らされており、
目の前に白衣の医師がいた。
30代くらいの、若い医師だった。

「どうされました?」医師はそう尋ねた。
「手がスカスカするんです」自分は言った。
「スカスカとは何ですか?」
「スカスカするんです」
「………」

「怖いんです、泊めてください」自分は言った。

「泊めることは、できません」医師はそう答えた。
「お願いです、泊めてください。でないと何をするか、どうなってしまうのか、わからないんです」
医師は、自分の目の中を、ぐっと覗きこんだ。
彼の目つきは鋭かったが、瞳にはかすかな恐怖も入り混じっていた。

「泊めることはできません、必ずここへ戻ってくると、私に約束して帰ってください」

注射の一本でも、打ったのだろうか?
薬を、処方されたのだろうか?
とにかく自分は、府立医大から、木屋町までを歩いた。
全身が、残酷なまでに冷たかった。
…行き先は、モアイのところだった。
粉もの屋は、とっくに閉店していて、照明が落とされ中は真っ暗だった。
かまわずに、自分は扉を開けた。
モアイが中にいることは、わかっていた。
モアイには家がなく、店内の椅子を並べて、ベッドの代わりにしていた。

「大丈夫か?」モアイは言った。

「ああ」自分は答えた。
どれほど目を懲らしても、店の中は、完全な暗闇だった。
モアイは椅子に座っているようだったが、表情はおろか、姿形すら見えない。
嘔吐する音が、響いた。

「情けない」

声だけがする。
(どこに、吐いているのだろう?)自分は、思った。

「カネ?カネって何や?」モアイは闇に向かって、1人で喋っていた。

その時、店の電話のベルが大音量で鳴った。
モアイは、全く受話器を取ろうとしなかった。
ヒステリックな呼び出し音が、何回も何回も暗闇の中に鳴り響いた。
ガチャリと音がして、留守番電話に切り替わると、

「おい、そこにいるんやったら出んかい!」

と、いう聞いたことのない男の叫び声がして、
そのままカセットに録音された。
その叫び声は、
モアイの、生活と呼べないような生活の終わりを、
示しているように思えた。
全ての無駄を感じた自分は、
暗闇に背を向け、何も言わずに店を後にした。

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兎にも角にも、若い医師の、

「必ずここへ戻ってくると、私に約束して帰ってください」

と、いう一言が、
自分の命と行動を繋いだことには間違いなかった。
(約束ならば、行くべきだ)
自分は、府立医大の精神科へと向かった。
「あっけないほどに、回復している」と、自分は思っていた。
このとき、全くの平常心だった。
牛丼屋で体験した、あの恐怖は何だったのだろう?
過ぎ去った悪夢か、それとも幻覚か?

念のための来院だというのに、
精神科を受診するのは、自分にとって未知の冒険だった。
いや、そのような明るい性格のものではない。不吉な航海への出発と言ったほうが良いだろう。
受診は「まさか」であり、意外な上にも、意外だった。

診察の順番が回ってきた。
部屋のカーテンを開け、医師の顔を見てみると、
あの若い医師ではない。
30代ということはない。もう少し上の年齢だ。
40代半ばか?額はやや広い。痩せ形でメガネをかけている。
違う医師が出てくるに、決まっている。単なる当直の救急医であったのは、当然だ。
遠藤という名の、
「本物」の精神科医は、
まず、極端なまでの作り笑いを、自分に見せた。
それを見て自分は、
(ああ、『精神科医』というのは、こんな笑い方をするのか)と思った。

病気のつもりが、まったくない自分は、
「あの時は追い詰められていたが、今は全く大丈夫。こうして再び来院したのが、
恥ずかしいくらいだ…」という旨を伝えた。

すると、遠藤医師は、
勉強で正解点を出した子どもに向けるような笑顔を、
自分に見せた。
「念のために、一応薬を出しておきましょう」
と、いう診断であった。

(もう、二度とここに来ることはないだろう)
自分は、そう思って府立医大を後にした。

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急速に暗転。
ダーク・チェンジということがある。

牛丼屋で体験した、
『胸の中の黒雲が、肺を突き破る』
そして、
『つま先から、真黒い恐怖が間欠泉のように湧き上がってくる』
この二つの現象が、
何の変哲もない日常、
(コップに茶でも入れていたのか)
の何処かで、突然蘇ったのだ。

「これは、何だ!」

部屋の中で、自分は思わず叫んだ。
止まない地震のように、発作はしばらく続いた。
収まる、
そしてしばらくすると、また起こる。

(癖。『アレ』が癖になってしまったのだ)

その自覚は、絶望と言えた。
また病院に、行かねばと思ったが、
こうなってまうと、
外出することそのものが、恐ろしい。
同時に、部屋にいることも恐ろしい。
外で、数多くの人間を見ると、この世に自分がいない気がしそうだし、
内で、ひとりきりだと、この世から自分が消えゆく気がする。

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後々になって、
この時の自分が、一体どのような状態に置かれていたのか、
把握しようと、精神医療関係の本を何冊か読んだ。
(雑学程度だが)
鬱病」「不安神経症」「パニック障害」「広場恐怖」「閉所恐怖」「乗り物恐怖」
該当しそうな病名にはたくさん当たったが、
「コレだ!」と、ハッキリ言いきれるものはなかった。
精神は、当然固形物ではないから、手で触れることはできない。
形のないモノに発生した異常事態に対し、
名前をつけて分類すること自体、
そもそも無理がある。
むしろ、単純なことだ。
単に自分の精神は、
四方八方から、強烈なストレスを受け、ガタが来てしまった。
〈大ケガ〉をした。
ただ、それだけのことである。

モアイを監視する必要はあったが、ままならない。
とにかく、この苦しみをどうにかするのが先だ。
処方された、薬を飲んで見る。
体が重くなるだけのことで、
とても「効いてる」とは思えない。
次第に、発作的にやってくる苦しみと、
苦しみの到来を予期し恐怖している状態の、境界線が、
曖昧になり、苦しさがデフォルトとなっていった。

そうやって、
のたうちまわるように、数日を過ごしていると、
差出人の書いていない、薄汚れた封筒が家のポストに入っていた。
モアイからであることは、一目瞭然だった。


*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→