太朗の主夫日記 ~So What?~

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ド不幸自伝⑩ ~不幸とは何か?~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる。苦痛を抱え、精神科の待ち合い場所に腰かけていると、真横に見知らぬ男がいた:

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いくら肌寒い病院内とはいえ、
春は春だ。
なのにその男は、完全に冬服だった。
あずき色のロングコート。
自分は、コートの厚みと重みを、
すぐに捕えることができた。
なぜならそれは偶然、
自分が持っているのと、
全く同じコートだったからだ。
コートから出ている、
男の手と顔の部分は、
そこだけがまるで、
モノクロ写真のように見えた。
生命感というものが、ない。

男はいきなり、
両手で頭を抱えて、
雑に伸びた髪の毛を、
激しく爪で引っ掻きはじめた。
傍の灰皿が、
ガタガタと音を立てて、揺れた。
自分は、思わず男の動きにつられて、
自身の髪の毛を、爪で引っ掻いた。

「ウウッ、ウ~」

男は、うめき声を上げた。
自分は、男のうごめく髪の毛を見つめた。
年齢は、おそらく自分と同じくらいだろう。
人とは思えない気がした。
こういう所へ来る人間には、
何処か、似たところでもあるのだろうか?

(こいつは、苦しいのか?)自分は思った。

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苦しい苦しいと無闇やたらに書いているが、
この時期の自分の苦しさが、
どういうものだったのかを、
説明する必要があるだろう。

一言で言うならば、

「殺される」

と、いう恐怖だ。
そもそもは、
モアイに追い詰められていたとき、
街中の牛丼店で、
内面に湧きあがった大きな恐怖が、コトの始まりだった。
やがて、恐怖が時を選ばず発生しはじめ、
恐怖を感じないときが、無くなってしまった、
という所までは、説明した。
加えて、
今度はその恐怖から逃れるために、
いっそ命を絶とうとする、もうひとりの自分が、
自分の中に発生したのだった。
元々の自分は、
自殺を考えたことなど、一度もない。
むしろ生への執着が激しい方で、
常に「死にたくない」と思っている。
だから、命を絶とうとするもうひとりの自分は、
自分の内面に巣食っていながらも、
自分の全く知らない誰かのようだ。

「おれが、おれに殺される」

死にたくない。
だが追手は、
自分の胸の内にいる奴だから、逃げようがない。
24時間、殺し屋が自分に向かって、
銃口を向け、引き金に指を当てている。
隙あらば、自分の体を崖下にでも投げ飛ばし、
存在を消しにかかろうとする。
だから、
どこに留まっているのも、
どこを歩くのも、
電車に乗って移動するのも、
人混みの中にいるのも、
ひとりでいるのも、
広い場所にいるのも、
狭いところにいるのも、
怖かったし、
薬の効果が無いことを、
延々と恨み続けていた。
簡単に説明すると、そういう事である。

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(おまえも、苦しいのか?)

自分は、
髪の毛を引っ掻き続けている男に、
心で問いかける。

(おまえは、苦しいのか?殺されかけている、今のおれと、どちらが苦しいのだ?)

「ウウッ、ウ~」

男は相変わらず、うめき声を上げている。
客観的に見ると、
自分は動きひとつなく、
オレンジ色の長椅子に腰かけて、
男を見つめているだけだ。
のたうちまわっている男に比べれば、
全く苦しそうには、見えない。
上には、上がいる。
不幸の上には、
さらなる不幸が存在するのだろうか?
この後、
順番に診察室へと呼ばれ、
治療を受ける自分と男は、
挨拶も交わさず、
待合室で会ったのも、これきりだったので、
男がどのような運命を辿ったのか、
自分は知らない。
生きながらえたのか?
死んだのか?
それがわからぬのだから当時の自分と、
記憶の男を振り返って、
どちらが不幸だったのかを測ることは、できない。
だが果たして、
そのように、不幸の背くらべを試みることに、
意味があるのだろうか?
おそらく、ない。
なぜなら、
不幸はいつでも、
偶然の力で、適当にピックアップされた人間へと、
並列に割り当てられるものだから。

仮に記憶の男が、
その後死んだのだとしたら、
自分の方は、生き残ったということになる。
だから今こうして、文章が書けている。
生き残って思うのは、
人生の中で自分の心を支える底板が、
一番ブ厚かったのが、
皮肉にも、
この最も不幸だったときではないか?
ということだ。
何故かというと、
それ以上は、
堕ちようがないところにいるわけだから、
這い上がるしかない。

不思議なもので、今の自分は、
却って不幸を求めている部分がある。
決して、あの頃に戻りたいというわけではない。
苦しいのは、もうゴメンである。
だが、
不幸の最中にいて、
這い上がる以外の選択肢がなくなったときに、
人がブ厚い底板を内面に得て、
強い心を持つことができる実感は、悪夢の恩賞として、
確かにこの手の中にある。
何のために生きているのか、
わからなくなるほどの、
もろくぼんやりとした平穏に包まれるより、
襲いかかってくる苦難に、
自ら近寄って行くことで不幸を得て、
心の強さを得て、生の実感を得る。
この場合の不幸は、
まるで生きるためのジャンプ台だ。

ゆえに意外と人は、不幸を求めるのではないかと思う。

「私の方が不幸せだ」と。

かといって当時の自分が、
積極的に不幸を求めていたわけではない。
自分をここまで不幸にした、モアイとの出会いは、
それこそ単なる偶然だ。
適当にピックアップされ、
不幸を割り当てられただけだ。

重要なことは、
不幸を呼び寄せた、
モアイとのつきあいの過程で、
自分がロクなことをしていないという点だ。
その有様は、散々この「ド不幸自伝」に書いてきた。
だが、ロクなことをしていなかったのは、
実際のところ、
モアイに引っ張られていた時期だけでなく、
モアイと出会う以前もだったし、
この病が感治し、生還してからもさえ、
自分はロクなことをしていない。
自伝とは言え、
何もかも書くことはできないが、
あらゆる場所で、
自分が自分に殺される以前に、
他者を、まるで殺すほどに傷つけているのは確かだ。
自分の存在が、
バチ当たりなものであることを思えば、
人生の中で自分の心の底板を、
最もブ厚くしたとかいう、
自身の不幸など、
とるに足らない、
ゴミのようなものだということだけは、
ハッキリと記しておく。

本当に、
究極な不幸とはおそらく、
自身に訪れるものではなく、
愛する他者が、
悲しさにまみれて死ぬようなことなのだろう。
そのような不幸は、いくらでもある。
例えば爽やかな朝に、
コーヒーを飲みつつ、
新聞記事に軽く目を通すだけでも、
世界は究極の不幸に溢れかえっている。
戦争、紛争、公害、事件、事故、etc…。

今は真夜中なので、
コーヒーではなく、ホットミルクを飲みながら
こうして気楽に文章を書いている。
自分は余程、気楽で呑気な顔をしていて、
話しかけやすいからなのか、
パソコンで文字を打ち込んでいる、
合間合間に、
メールやメッセンジャーで、
人生相談を頂くことがたまにある。
様々な相談事に目を通すと、
正に人生は苦難の連続だと思う。

「いっそ、死んでしまいたい」

とまで、打ち明けられる時もある。
死んでしまいたい程の苦しみに、
自分はどう答えることもできない。
そんな時は、
とりあえず、この頃の自分を説明してみる。
死んでしまいたいと思うより先に、
自分が自分に殺されかける時だってある。
少なくとも、自身が体験した、
「自殺未遂」
とは、そういうものだった。
体を傷つけることや、
紐でくくることではない。
だから、一応言ってみる。

(生きてみないか?)と。

だが、
愛するものを悲しく失った程の、
不幸の経験を相談されたとしたら、
自分ごときの貧しい経験を差し出し、

(生きてみないか?)

と、声を架けたところで、届くはずもない。
どうすれば良いのか?
どうしようもない。
当事者と傍観者の悲しい壁が、そこにある。
届かないことを承知で、
言ってみるのだ。

(おい、生きてみないか?)と。

いや、
どうすれば良いのか、わからないからこそ、
もう一度言ってみる。
ひょっとしたら、届くかもしれない。

(おい…生きてみないか?生きてみないか…)

もう一度。
あきらめては、ならない。

(生きてみないか?)


つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*