太朗の主夫日記 ~So What?~

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ド不幸自伝⑭ ~コラム医師と、催眠療法~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で、治療者選択を試みる:

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しかし、
様々な精神科医をハシゴしたものだ。
遠藤医師(今、一体何処で、どのような治療をしているのだろう?)
との縁が切れた後も、
クセのある精神科医との縁は、中々切れるものではなかった。

前回も書いたことだが、
心を取り戻しているときは、

「また大きな不安がやってきたら、どうしよう?」

と、恐れている。この状態を『予期不安』という。
実際に不安が復活するのは、
閉所や、人混み、乗り物内などであることが、多かった。
一度、地下鉄東西線をわずか二駅乗っただけで、
不安症状が復活し、
誰もいない蹴上駅のホームに降りて膝をつき、
恐怖と闘っていたのを、覚えている。

こんなことを言うと、

パニック発作だったのか?」

と、問われることが多いのだが、
何故か、どの医者に当たろうとも、
病名を定義されたことは一度もなく、
自分は何の病気だったのか、
未だにわからない。

自ら命を絶つことはもうなく、
生きることは可能になった。
とは言え、
いつ何時、襲ってくるかわからない不安の所為で、
行動することができなければ、どうしようもない。

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精神科医も商売であることに、
変わりはないから、
(悪く言っているわけではない)
患者の共感や、期待を刺激する情報を流し、
客として引き寄せる努力をするのは、当然のことだ。

自分が抱えている、
閉所、人混み、乗り物等に対する予期不安の心情を、
細かい部分まで、
まるで見透かして書いたようなコラムを、
京都新聞の記事で見つけ、
即、コラムを執筆した医師が、院長を勤めている病院を調べて、
治療を受けに行ったことがある。

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今思い返しても、謎だ。

医師は、
いかにもなベテラン感が漂う、濃い白髪をした、
初老の男だった。
コラムを執筆したはずの、
(記事の最後に〇〇病院院長と、フル・ネームでハッキリ記されていた)
その医師と対面したとき、
自分は当然、理解してくれるものだと思って、
「乗り物に乗るのが怖い」ことを、医師に告げた。
すると医師からは、

「乗ってもいないのに、怖がってもしょうがない」

と、いう明快な答えが帰ってきた。
(そのあまりの明快さに、自分の頭は一瞬、真っ白になった)

「先生のコラムに書いてあったような状態なんです、自分は」

余程、コラムをアテにしていたのか、
そのように言えば、伝わると思ったのだが、
医師の方は、

「アンタの場合、行動療法しても仕方ないしな…」

と、独り言のようにつぶやき、
薄笑いをしながら、ボールペンを弄んでいる。

(行動療法とは、何なのだ?)
と、いう疑問を口にする間もなく、

「とりあえず薬変えてみよか?」

と、医師は事も無げに言った。
「大丈夫なんですか?」
と、尋ね返したら、
「それは、私がキメることやないか!」
と、医師はまたもや薄笑いの表情で、そう答える。
自分は、二の句も継げず、
医師の笑い顔を無感情に眺めた。

すると突然、

「苦しい言うてるやないか!!!」

と、いう若い女性の叫び声が、診察室内に響き渡った。
そしてすぐ、
〈ガチャン!〉と、いう破壊音がした。
医師は、
治療中(?)の自分のことなど、全く忘れたように中座して、
女性患者に近づくと、

「何が、どう苦しいんや?」

と、カケラ程の感情も込めず、このように尋ねた。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と、同じ言葉を繰り返す。
すると医師は、
「いや、だからどう苦しいんや?」と、また言う。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と言う。

自分は、
状況を理解するとか、腹が立つとかいう以前に、
なるべく早いうちに、
この場から、逃げ出す必要を直感的に感じた。

(やばい。ここは、やばい)

あのコラムは、一体何だったというのだろう?
今にして思えば、ほんの少し、
アカデミックに精神医療を勉強した人間なら、
誰にでも書ける、文章だったのかもしれない。
もしくは、
まるで別の人物が書いたのかも、しれない。
どちらにしろ、
文章というのは、
書いたその人に、実際会いでもしない限り、
余り信用するものでない、という心掛けだけが残った。

叫び声を上げていた女性が、
どのようにして治まったのか、全く覚えていない。
一応、医師は女性の近くに寄り添ってはいたが、
恐らく女性の方が、
怒りを長く、
継続させてもいられなかっただけのことだろう。
付き添いらしき母親は、
ずっと悲し気な顔をしていた。

この時、
医師によって変えさせられた、
薬の内容は、
完全に投薬治療からオサラバをする、10年後まで続いた。
10年間、
「あの医師が決めた薬で良いのか?」
という心配事を、抱え続けるハメになったわけだ。

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次は、
催眠治療を受けた。
そんなモノをアテにした理由は、
子どもっぽく単純なもので、
催眠術に、
魔法のようなイメージを持っていたからだ。
レアな治療法であり、
実践している医院は、
書籍などで調べてみたところ、関西でも数えるほどだった。
京都には一軒もなく、
大阪の医院まで、京阪電車で通わねばならなかった。
(皮肉なもので、
治療というハッキリした目的があると、
乗り物への不安感は、やや和らぐのだ)

実際受けた、
催眠療法」は、イメージとは、
かなり異なっていた。
糸に五円玉をぶらさげ、
目の前でゆらゆら揺らしはしなかった。
医師はまず、
患者(自分)を、少し角度のあるベッドに寝かし、
絶えず傍について、

「あなたの足を意識しなさい。重くなる、重くなる」
「もっと足を意識してください。毛細血管の隅々まで血液が行き届くように」
「今度は、重たかった足が、あたたかくなる、どんどんあたたかくなる」

このような言葉を、体の各部位に順番に投げかけていく。
頭から先っぽまで、すべての血のめぐりを良好にして、患者を深いリラックス状態に落とし込む。
今度はその状態で、
患者にとって、マイナスとなるイメージ
(自分なら、モアイ)
を克服し、乗り越えるかのような、
励ましのプラスワードを投げかける。
(患者の人生の困難は、事前に行われる医師とのミーティングで記録されているのだ)

例えば、
「あなたは、駅で、彼(モアイ)に偶然出会った。しかしあなたは決して、彼から目を逸らすことはなかった。すると彼は何処かに立ち去ってしまった」

と、いう風に。
催眠療法」と、いうよりは「自律訓練法」と言った方が、治療内容を正しく説明している気がする。

この医院にも、2,3か月は通ったと思う。
「結局、効いたのか?」
と、問われれば、
効いたような気もするし、さして効いていなかった気もする。
この催眠療法で、
「モアイから目をそらさない」
という、
イメージを持ったことは、悪いコトではなかった。
ひょっとしたら、その言葉の記憶は、
この「ド不幸自伝」の執筆を、
無意識レベルで勇気づけているのかも、知れない。
(ただの、後付けかもしれないが)

冷たい言い方をすれば、
結局、暗示にかけられただけ、
と捉えることもできる。
治療が進行していくと、
今度は患者同士のグループ・ワーク
(ミーティングの類)という、
新たな段階に進むよう医師から勧められた。
少しは興味もあったが、
現実社会に開かれた場所でもない院内で、
人生をひとつの新展開に持ちこむことは、
治療の着地点を、
余計、見えにくくしてしまうのではないか、
という予感がした。
結局、
何処かのタイミングで、
催眠療法そのものに、自分は冷めてしまったようだ。

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グループ・ワークを拒否し、
今日が、催眠療法の最終日だと決めた日、
京都に帰る京阪電車特急の車内で
(アルバイトでも探そうか)
と、思ったのを覚えている。
自分のいる場所は、病院の中ではない。

この日は確か、雨が降っていた。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*