たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

「死刑 天皇 人間」~①死刑~

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*あけましておめでとうございます。
今回は、2017年11月9日に書いたブログ↓

tarouhan24.hatenablog.com

を、リメイクしてみました。
大変、気に入っていた内容なのですが、
即興的に書いたので、
文章が荒く、
いつか手直しをしたいと思っていたのです。
このテーマでもって、
新年のあいさつとさせて頂きたいです。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。
↓↓↓

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2017年11月8日。

子どもを保育園へ送った帰り道、
コンビニに立ち寄り、
新聞を買い、
車の中で読んでいる。

京都、朝日、毎日、読売、産経、
見出しをチラッと見て、
その日の勘に働きかけてきた、どれか一つを、
購入している。
それが産経新聞なら、金は払いたくないのだが、
仕方がない。

新聞を読みながら、
癖みたいに、
余計なことを考える。

考えては、こうして書きとめている。

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この日は、朝日新聞を買った。
見出しは、

「死刑判決 まだ生きたい」

全く、
知らない事件だった。

痛ましい、
青酸連続不審死事件。
昨日、判決が出たと書いてある。

記事を読むと、
ますます、痛ましい気持ちになる。
被告は70歳の女性。
4
人もの、
高齢男性の不審死に関わった疑いがあり、
判決は、

「死刑」

ということだ。
被告と男性とは、
いずれも、
結婚、もしくは交際していたという。

弁護側は、
「犯人は被告ではない」
と、無罪を主張しているが、
被告本人が、
朝日新聞記者との面会で

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」

と、語っているらしい。

被害にあった男性たちの、顔写真も掲載されている。
じっと見てみる。
皆、風のようにさりげない表情している。
男性たちの遺族の、
無念のコメントを読む。
言葉から、
悲痛が滲み出ている。
こちらの胸も、かきむしられる。

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10
年ほど前のこと。

車の免許取得のため、鳥取へ合宿に行った。
何人もの教官の中に、
座学を受け持っていた、
柔和な印象の老教官がいた。
最初の講義で、
彼は、
警察での仕事を、定年まで勤めたと自己紹介した。


「辛い仕事をしていました」

と、彼は言う。
何でも、
重大な事故を起こし、

「免許を取り上げられると、明日から家族を養うことができない」

と、彼に訴える、
運送業のドライバーに、
免許取り消しの処分を下したことが、
あったらしい。
その言葉に、
自分は、体中の血が逆流するのを感じ、
思わず、椅子から立ちあがった。
だが、老教官の
わずかな開き直りもない、
何かを直視した目と、
真一文字に結ばれた唇を見て、
やりきれない気持ちになり、
ヘナヘナと腰が砕け、
そのまま着席したのを、覚えている。

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仕事を完遂するというのは、
あの老教官のようなことなのだろうか?
自分は、
今後、そういった仕事を経験することがあるのだろうか?

今の時代は、
良い方向にも、悪い方向にも向かっている。
だが、
いわゆる、
ひとむかし前の男性
の中には、
『生きる』というより、
『生き残る』ことを、
重要視せざるを得ない背景が、
今よりもっとたくさん、在ったのではないだろうか?
(あくまで勝手な想像だが)

現に、
『生き残る』ために『生きる』
と、いう感触は自分の中にも確かに存在する。

生き残らざるを得ないというのは、孤独なことだろうと思う。
真の、孤独。
とてもやりきれない。

「こんな、世の中でなかったら、誰かのために、精一杯優しくしたかった」

という悔いが、
不意に、
ひとりの年老いた男性の中に、
現れることを想像してみる。

被告女性から、男性へのメールの中には、

「私のような愚女を選んでくれてありがとう」

と、いう文もあったらしい。
そして被告女性は、被害者たちのことを、

「みんな、穏やかで良い人だった」

と、振り返る。

一方で、
第一の被害者である、
長年連れ添った男性には、
「差別を受けた」
として、彼女が明快な意図を向けていたという、
記事もある。

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人命が失われた事件を、
ほじくり返すなど、卑しいことだ。
新聞記者の取材は、
あくまで、取材したことが書かれているだけだし、
自分は、事件をこの記事で初めて知った。
出会いがしらの、又聞き。
正確なことなど、わかるはずもない。
癖で、
余計なことを、考えているだけなのかもしれない。
又は事件を、
架空の物語のように、
勝手に解釈しているだけなのかもしれない。


動機は、金銭?
金銭目的で、
そのようなことが、できるのか?
ドストエフスキー
罪と罰」での、
ラスコーリニコフの犯罪動機など、
現実に比べれば、
単細胞なものだ。


彼女から、
謝罪の言葉は、
ついに聞かれなかった、と記事にある。

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
「みんな、穏やかで良い人だった」

このような、
言葉が出てくるのならば、
ウソの謝罪を述べることなど、
簡単だろう。
ではなぜ、
ウソの謝罪すらしないのか?
たとえウソでも、
謝罪することによって、
破壊されてしまう心の内が、
この罪びとの中にあるのだとしたら、
それは、一体何だというのだろうか?
わからない。
わかるはずもない。
something
だ。

誰にもわからない心を抱えたまま、
彼女は、
日本国の法律の下で、
なし崩し的に、裁かれ殺される。
陪審員を経験したこともなく、
絞首刑のスイッチを押すこともない私は、
呑気に新聞を読みながら、
相も変わらず、
イヤな役から逃れ続けている。

この記事のすぐ横の見出しは、

「トランプ氏、軍事力誇示」

たった一命令で、
何人もの人間を殺めた男が、
世界のリーダーとして、
誇らしく写真に収まっている。

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この世が、
雑多な人間を乗せた
箱舟だと考えると、
その船から落下するものを出すことなく、
航海を続けることが、
いかに難しいかを、たまに考えさせられる。

せめて、
責任と情熱を持ち続けて、
強く生きたいのだ。
少し羽を休めたら、
また次へと一歩、足を踏み出すのだ。