たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

京都市長選2020の感想~市民の終わり~

 

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2020年の、
京都市長選挙とは、
一体何だったんだろう?
と、考える。

自分が、
あの市長選挙に、
今までに無く関心を持ったのは、
他愛もない理由で、
地元伏見区投票率が、伝統的に非常に悪く、
選挙の足を引っ張っているという、
悪評を聞いてのことだった。

たまたま、
今回の市長選挙は、
力を入れて応援できる候補者がおり、
自分は週に一度、近所の大手筋商店街に出て、
ウクレレを演奏し、
歌を歌いながら、
候補者の存在をやんわりとアピールした。
仲間に募集をかけ、
集まってもらい、
ポスターやプラカードでの政策宣伝に、
協力してもらった。

もちろん、
こんなことくらいで、
伏見区投票率が向上するわけもなく、
自分がせいぜい、小さな火花ほどの、
発火点になればと思っていた。



わかっては、いたのだが、
公示を前後に、
選挙の様相は変わってきた。

例えば、こんなことがあった。
選挙中、
自分はインターネットもよく利用しており、
面白半分で、
今回の選挙の、
政党事情のひとつを象徴するような写真を、
SNSに投稿してみた。
それは、ホントにどうでも良いような写真だった。

ところが、
投稿と同時に、
その写真が、
いわゆる拡散をされて行き、
さまざまな人たちが、
あーでもない、
こーでもない、
と好き勝手に批評を始める始末だった。

「一体どんな写真だったのか?」

と、問われても、
説明をする必要は全くないと思う。
強いて言うなら、
この広い広い京都市の、
誰も目につかないような一角を、
切り取った風景写真だ。

(なるほどコレは、ネッシーの写真みたいなものだ)

と、自分は思った。

インチキなおもちゃかも知れない、
岩の影かも知れない、
動物の尻尾かも知れない。
ひっくり返った船かも知れない、
人々は、
実際は存在していないものに、
過剰な自意識を投影し、
自らに興奮剤を注射する。

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面白半分でネットを利用した、
自分の責任なのだが、
政党事情のひとつを象徴するような写真、
というのは、
非常にタチが良くなかった。
自分がそれを、
SNSに投稿したのは、
イタズラ心がほとんどだったので、
ネット用語での「釣れた」ということになる。

後からも書くが、
これほど「市民」という単語が、
出鱈目に、
使用されまくった選挙はなかったのに、
インターネットを好む人々の間では、
政党事情が全然、
どうでも良くなっていないのだ。
原因は、
とっくに成立しなくなっている、
安倍内閣打倒のための「野党共闘」だった。
もう長い。
安保関連法の成立からずっと、
野党共闘」というワードは、
幕末の尊王攘夷並の、
強烈なイデオロギー
キャッチコピーとなり、
人々から思考を奪い去っている。
野党共闘を邪魔するものは、
切り捨て御免。
当然の如く、
野党共闘の4文字は、
一部ネットウォッチャーの、
好奇心と憎悪を、
多いに刺激することになる。
自己顕示欲と権力欲の固まりみたいな、
自称選挙評論家、
自称ジャーナリストが、
これに目をつけないはずはない。
昔の写真週刊誌と同じで、
選挙ポスターを映しただけ、
政党の有力者が映っているだけの、
どうとでも解釈できるインチキ写真に、
扇動する類のコメントや記事を加えれば、
ネットウォッチャーは、
穴の開いたチーズに食らいつく鼠の如く、
罠に向かって一直線。
仕掛ける側は、
増幅してゆく、
「いいね」や「リツイート」に、
自らが影響力のある人間だと錯覚し、
麻薬のような快感に溺れる。

ホリエモンや立花孝志といった人間は、
こういった仕組みをよく理解し、
金銭を稼いでいるのだと思う。



ここで、
今まで書いたことを、
一度全部忘れて欲しい。
(無意味なので)

話を身辺に戻すと、
兎にも角にも、
自分はこの辺りから、
選挙ムードに着いて行けなくなった。

毎回のことだし、
選挙とはそういうものなのだが、
街宣カーのアナウンスはうるさく、
街に緊張感とキナ臭い雰囲気が充満してくる。
苦手だ。
情熱と関心が薄らいで行く。

それでも、
自分が応援していた福山候補は、
傑出しており、
彼の陣営が言う「99%の市民」とか、
自分にはよく理解できない概念について、
「市民というのは彼の中で『庶民』のイメージ」と
説明した。
そういうことなら、我が意を得たりだった。
選挙期間中での変化を、
アウトプットするこの候補は、
空気に気押されていた自分を、
刺激してくれたのだ。



しかし、
決定的に最悪だったのは、
ニュースにもなった、
「独善的」「共産党の市長はNO」
等書かれた、
現職側の反共ヘイト新聞広告だった。
あれで、
現職側は、
自分たちの精神が、
汚染されたものであることを、
世間に向かって正直に告白してしまった。

こうなると、泥試合だ。

対立候補側は、
市民のための市長がYES…云々、
ほとんど虚構に近い、
アンサー広告を出した。
(せざるを得なかったのだろう)
毎日の出勤前、コンビニに立ち寄り、
パラパラと新聞をめくっている、
自分には、
どちらがどちらの陣営の広告なのか、
もはや区別がつかない。
(実際、新聞の現物も古紙回収に出してしまったから、
キャッチコピーの文面も、正確に覚えていない)
果たして、
どういう裏事情とカラクリで、
広告合戦のキャッチコピーが決定されているのか、
それはもう、
遥か雲の上の世界だった。

はっきりしたのは、
せっかく候補者自らが、
解きほぐしかけていた、
「市民」という、
得体の知れない概念が、
反共ヘイト広告によって、
高らかに復活してしまったことだ。



お気づきの方も多いと思うが、
言ってしまうと、
市民など、最初から存在しない。
特定の候補者の間近にいる人たちが市民だというなら、
自分は、絶対に市民ではない。
今回の選挙で、
「市民」というワードは、
幕末の尊王攘夷並の、
強烈なイデオロギー
キャッチコピーとなり、
人々から思考を奪い去った。
自民党員、創価学会員、その他政党、自分のような庶民は、
市民に非ず、
切り捨て御免。
切り捨て御免?
いや違う。こちらから逃げ去って行く。
ならばいっそ、
「市民党」という新しい政党を作れば、
全てすっきりするのだ。

(こうなれば「市民」とは、ネッシーみたいなものだ)

と、自分は思う。

インチキなおもちゃかも知れない、
岩の影かも知れない、
動物の尻尾かも知れない。
ひっくり返った船かも知れない、
人々は、
実際は存在していないものに、
過剰な自意識を投影し、
自らに興奮剤を注射する。

一体、私たちは何を見てるのだろう!



投票日も間近な頃、三条河原町で、
著名な山本太郎を迎えた、
大層な街宣があった。
その日は確か、
ムスメの保育園の行事に参加していた日だと、記憶する。
ネットニュースで見た三条河原町には、
京都市周辺から絞り出した、
ほんのわずかの支持者が集まっていた。
自分は、
大多数の庶民と同じく、
はや選挙のカヤの外、フツーに家で過ごしていた。
友情以内の範囲でしか、
選挙活動に参加することは、なくなっていた。



立憲民主党社民党に裏切られた!
ガッカリだ!
と、共産寄りの人間が、
原因を考えようともせず、
言いがかりに近い呪詛の念を漏らすのは、
野党共闘」「市民」以前に、
京都の選挙の名物みたいなものなので、
別にかまわない。
むしろ、
毎回繰り返されるコレが無いことには、
選挙に入ったという気がしないし、
次の市長選挙でも、
必ず起こる現象だ。
(他府県市の方にはピンと来ないかも知れないが、
京都市民主党がその本質を、隠さず示してくれる、
貴重な場所なのだ)

だが、
今後も「市民」というキャッチコピーが、
この京都で継続されていくのかと思うと、
自分は心底ウンザリする。
恐ろしい閉塞感を覚える。
この言葉を使ってはダメだから、
新しい言葉を探すという問題ではない。

こうなれば救いはもう、愛しかないように思う。
お手軽な愛ではなく、
感情や気分から来る愛ではなく、
根本思想としての愛。
胸に愛を秘めて、
エゴを削り落す作業を可能な限り継続し、
世界を見つめることが、
この困難な時代、
最も重要な行為なのだ。



選挙は、結果が出た。
大きく向上した投票率は40%、
庶民のうちの60%は、
3候補の誰が市長になっても良かったのだ。



『♪戦争と選挙はやめてくれ』作詞作曲:たろう

目を覆いたくなるデマ合戦
ネットの言葉は汚くなるし
目立ちたがり屋は出てくるわ
世の中変える主人公気取り

いつの間にやら なりたくもない
相手と同じ顔になっちゃった

戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ

だけどやるしかありません
だけどやることありません

自民党にはイヤ気がさしてるし
社会党には腹が立つ
共産党には何故か説教されて
結局はアメリカの所為なのか?

いつの間にやら なりたくもない
あんたと同じ顔になっちゃった

戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ

だけどやるっきゃありません
せめて寄付くらいしてみようか
だけどお金もありません
ララララ ラララララ…

 

京都市長選について思うこと

京都市はこれから、
市長選挙に入る。
応援する予定候補が見つかったので、
選挙運動のついでに、歌を歌っている。
(歌のついでに、選挙運動をしたくはないものだ)

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自分は選挙運動が大の苦手というか、
キライなので、
選挙期間は、
基本的に憂鬱な気持ちで過ごさなければならない。

まあ、
とりあえずそーゆー愚痴は置いておく。
せっかくだから、
今だけの話なので、
京都市長選挙について思うところを、
少し書いておく。



まず、自分は、
「青いとり保育園問題」に関心がある。

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青いとり保育園は、
京都市立病院に勤務する、
子どもを持つドクターや看護師の、
仕事、子育てを支える園で、
元々は、
市営保育所に近かったらしい。
(↑写真の本「先生、ボクたちのこと きらいになったから いなくなっちゃったの?」の内容から)
だが、
昔から今に至り、
あらゆるところで進行している、
国の、
そして京都市の、
民営化政策のあおりで、
青いとり保育園も、
突然の、
民間委託の憂き目にあってしまった。
自分は偶然、
この問題の当事者に、
関わりがあって、
民間委託の現状を聞いたことがあるのだが、
それはひどいものだった。

民間委託とは、
バクチというか、
たまたま、
マシな企業が入ればマシなのだが、
最悪な企業が入れば、
最悪にしかならない、ということだ。
保育に関することなのに、
人道的な後ろ盾が全くない状態になる。
企業にあるのは、
ソロバン勘定のみ。
ソロバン勘定自体は結構だとしても、
保育=ソロバン勘定など、
あってはならない考えだ。

結果、
アートチャイルドケア社が入りこんだ、
青いとり保育園は、
勤務していた保育士が全員解雇され、
民営化の事情など、
知るよしもない園児たちは、
ある日を境に、
低賃金で雇われた、
全く知らない保育士に囲まれることになった。
解雇された保育士と園児たちの、
お別れ会の映像を見たのだが、
涙の別れの場面は、
とても、正視に耐えるものではなかった。
暴力とさえ言える、
民営化の魔の手は、
園児たちと、
保育士を引き裂いたのだ。



門川大作現市長は、
300億円超の赤字だった市財政を黒字にした、
と言う。

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なるほど。
自分は、
市長に寄り添って、
人の心を薄めてみよう。
確かに、
300億円の赤字を黒字に転換さすのは、
大変な労苦が必要だろう。
貧弱な家計を黒字に転換さそうと、
四苦八苦している自分には、
想像もつかない世界だ。

ならば、
保育園民営化も労苦のひとつだろう。

かつての対立候補だった、
中村和雄氏が訴えた、
観光環境税を、KBS京都の討論番組で、
「観光客の方々からお金を頂くなんて…」
と批判して後に、
チャッカリ観光客から宿泊税をとったりするのも、
労苦のひとつだろう。

京都市美術館命名権を、
企業に渡し「京セラ美術館」にする過程を、
自分は学習したことがあるが、
これも財政健全化のための労苦か。

こうして、
知っていることを並べたてて見ると、
京都アニメーション襲撃事件後の、
最悪な発言が象徴する、
現市長独特の無感覚とも言えるセンスでしか、
達成できない財政健全化だったと、理解できる。

皮肉ではない、
間違いなく現市長の功績だろう。

彼のセンスと功績は、
景観政策にも、表れているように見える。
市街から余分な看板は消え、
よくわからないものは、
淘汰されていってる。
街中をぶらぶら歩くと、
「え、ここもホテルになったん?」
と、
しょっちゅうつぶやくほどに、
宿泊設備は整備され、
かつては街と地続きだった、
寺社仏閣は、
まるで、エサ箱のような扱いで、
海外から観光客をおびきよせている。
近頃の京都市はまるで、
よくできたジオラマのセットのようだ。
見ている方が、
思わず、
「よーやるわ」と言ってしまうほどの、
現市長の演出的な着物姿同様、
まるで、
張りぼてのような文化都市なのだ。

今回の市長選、
3人の予定候補のひとり、
村山祥栄氏は、
選挙対策用の著作のキャッチコピーで、
「こうすれば観光公害は防げる!」
と謳っているが、

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観光公害という言い方は、
あまりに冷たすぎるように、自分には感じる。
むしろ、
映画のセットのように仕立てた、
実際には何の深みもない京都市に、
海外から観光客をおびきよせ、
安くはつかない旅費を散財させている気がして、
旅行者に対して申し訳ないくらいだ。

観光による収益が上がっていると言っても、
現実は、
局所の観光地を場当たり的に活性化させる、
カンフル剤を、
永遠と打ち続けてるようだ。
伏見稲荷大社が、
毎日、信じられないくらい混雑しても、
伏見区在住の自分が、
金銭的にも精神的にも恩恵を受けているとは、
生活実感として、到底感じられない。
現市長の街づくりは、
京都市民の心を豊かにするものなのか?
京阪沿線を散策するたびに思う。

現市長が財政健全化を達成した、
その功績を信じるならば、
彼の役割は、もう終わったのだと思う。
ここからは、
新しい市長による市政が見たい。
前例がほとんどない4期目になど、
立候補するべきでは、
なかったのだ。
かつての蜷川虎三府知事の多選に、
ウンザリだったという昔話は、
京都に住んでいると、
イヤというほど聞かされるというのに。
ステレオタイプ化された、
京都風の皮肉ではないが、
「おくたぶれさんどした」だ。
(お疲れ様でした、の意味らしい。自分も京都弁はよく知らない)
民主党は失敗したのだ。
福山和人、村山祥栄と対峙する、
新たな候補者を擁立するべきだったのだ。
(自民党の事情はよく知らない)

自分は、
京都市は私が住んでいる市!」
という実感のもとで暮らしたい。
京都に生まれてから、一度も感じたことがないのだ。
京都市は、
新聞等で、
何やらかんやらの受賞が報道されているような、
伝統文化の世界と、
わけのわからぬ老舗ライブハウスで行われる秘め事じみた、
アンダーグラウンドな文化が、
双方とも力を持ちながらも、
乖離し平行線をたどっているように見える。
別に、それ自体が問題ではなく、
表の文化と裏の文化が、
繋がる必要もないのだろうが、
何と言うか、少なくとも、
観光の次元だけではない、
京都の奥深い文化を理解し、
それを後押しできるような、
市長の元で、一度は暮らしてみたいと思うのだ。
自分は美しい寺社仏閣も、
今は強制撤去されている、
京都大学前の、ゴチャゴチャした立て看板も大好きだ。
文化的な背景の存在は、3予定候補の誰にも感じない。
これはまあ、自分の勝手な願望だから仕方ない。
そもそも、
仕事の場所が違うのだろう。



と、まあ京都風に、
ねちっこくボヤいてしまいましたが、
こうしていろいろ考え、
自分は3人の中、
福山和人氏を、支持することにしました。
子育て世代として、
彼の訴える「すぐやるパッケージ」の中、
特に、
市独自の給付型奨学金の設立の現実化に、
大きく期待します。

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12月13日~劇団石(トル)の『キャラメル』を観に行く~

劇団石(トル)の『キャラメル』を観に行く機会は、
何回かあったはずだが、
意図的に避けていた。
というより、
決して観に行かないでおこうと、思っていた。

理由は簡単で、
劇のテーマがわかりきっていたから。
加害の感性を、色濃く持つ自分が、
わざわざ、
しんどい思いをしに行くはずがなかった。

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ところが急に、
この、
12月13日の、滋賀県栗東芸術会館での公演を、
見に行く気になった。
タイミングもあったが、
何となく、
劇に自分が呼ばれている気がした。
(理由は、後で気づくのだが)

そうは言っても、
私にとって『キャラメル』を観に行くことは、
重荷であることには間違いなかったし、
開演時間ギリギリに、
隠れるようにして、栗東駅に到着した。
会場に滑り込み、
観劇に来た実感が無いまま、
幕が開く。

劇団石(トル)の舞台を見に来たのは、
初めてではない。
だから自然と、
今まで、散々自分を笑かしてくれた、
きがんさんの躍動する空間の中で、
私は寛いでいた。
ひょっとしたら、
他人にこの劇を説明するとき、
「ああ、喜劇やで」
と説明するかも知れない、と思った。
僭越ながら、
自分の感覚に、少し似ているなと思った。

しかし、
劇がやがて過去にタイムスリップするのは、
目に見えていたので、
現実の私は全く笑ってはいない。
ハルモ二があの日に戻った時、
自分の中に様々な悪夢が蘇った。
レイテ島で死んだであろう祖父は、
慰安所に行ったのか?
テレビ画面で、
アボジ!」と叫ぶ彼女らを見て、
「(テレビを)消せ!」など罵詈雑言を浴びせた、
絶縁した実母の、強力な差別性。
その血を引く自分は、
慰安所にいたら、何をしていたか?
いや、それは誤魔化しだ。
単に、
自分の人生を思い出したら良い。
「あなたが謝る必要はない」
と、俺に言うあなたは、
一体俺の何を知っているのだ?

きがんさんは、
彼女たちの魂を、
自分の肉体に呼びよせている。
同時に、
自分自身も世界に晒している。
そう見える。
私は、
泣きも笑いもせず、
ずーっと無表情で観ていたと思う。
感情を表に出すことができない。

(私は、何ということをしてしまったのだ)
自分の人生を悔いる。



救われた気持ちになったのは、
芝居が終わった後の、
きがんさんの口上だった。
そこでしか聞けない話を、
ここに書く必要はないし、
また、話も変わっていくのだろう。
ただ、
この12月13日の口上を聞いて、
わかったのが、
私はハルモ二に会いたくて、ここに来たということだ。
それだけのことだった。
普通に考えれば、
会うことはかなわない。
どうすれば会えるのか?
きがんさんの表現を通して、
劇団石(トル)を通して、会うしかない。

そして思った通り、
私には、会わせる顔などあるはずもなく、
本能的に最後尾の席で観劇していた。
彼女らの、
パーティーを、
悪夢を、
レボリューションを、
隠れた場所から見ていた。
見ればみるほど、
いつものように、
私は自分を許せなくなる。

だから、
観客席にいた知り合い、
誰とも話す気になれず、
行きと同じように、
帰りも逃げるようにして、
足早に会場を去った。
今後も、誰とも話すことはないだろう。



特筆すること。
帰り道、
会場から、栗東駅までの遊歩道を歩いている間、
私の胸の中に、ほんのりと温かさが湧いたのだ。
突然だった。
胸の中に、
ピンク色の炎を燃やしたランタンのようなイメージが、
湧いたのだ。
それは、実にあたたかい気持ちだった。
あの場(演劇)に立ち会わなければ、
湧かない感情だったと思う。



電車に乗ってしまったら、
そんな温かい感覚は吹っ飛び、
元の、
自分が許せない、
という気持ちに戻るのだが、
あの、
ほんの数分間の温かい感覚は、
今までの人生で、一度も感じたことはなかったし、
今後生きて、生活していく中で、
あれを経験したことは、
私の歩みが、少しでも希望の方向に向かう、
標になるはずだ。

ありがとう、きがんさん。
ありがとう、劇団石(トル)



【少女】作詞作曲:たろう

私はここにいる 私はここにいる

どこにも行きません
どこにも行けません
ここから動かない
ここから動けない

いつでもこの場所に座って
あなたの心 揺らし続けてる

だからここにいて

*

私はここにいる 私はここにいる

何も気にしないで
何も気にしないで
どこにも行きません
どこにも行きません

あなたを許せる日は来ない
だから安心して苦しんで

ここにいて 安心して 苦しんで

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「死刑 天皇 人間③」~人間~

結末から書くと、
私たちニッポン人は、
下からは死刑という恐怖、
上からは天皇という神に挟まれ、
生きている。

だから、
私は死刑制度と天皇制に異常な関心がある。

このテーマのブログは、
3部作で↓
これまで、2編を書いてます↓

「死刑 天皇 人間①」~死刑~

死刑制度について↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/01/232555

「死刑 天皇 人間②」~天皇
天皇制について↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/07/000628



②は要するに、

天皇制?アホちゃうか?」
と、いう趣旨の文章を書き、
(一回で終わらすつもりが、長くなって『つづく』になってしまった。前回のブログテーマ「死刑」とも繋がってくるので、「死刑 天皇 人間」と、改題して全3回完結と行きたいです!それでは次回「人間」をお楽しみに!)
と、続編を予告しておきながら、長いこと書いていなかったです。
申し訳ない。



さて実際、
私は天皇制を一切受けつけないのだが、
天皇制を成り立ちから否定している人間程、
意外と、
天皇制にハマりやすい。



私は10代後半~20代前半のほとんどを、
ミスター・ジャイアンツ、長島茂雄のためだけに生きていた。
なぜなら、
当時、
読売巨人軍の総司令官の立場にあった、
彼を応援する他、
自分にはやることがなかったのだ。
部屋にポスターを貼り、
ビデオテープやカレンダーや写真集を買い、
書籍で研究を進め、
現役時代の記録も可能な限り暗記した。
昭和の日本男児が夢中になったものを、
なぞるように、
私は長嶋茂雄に夢中だった。

「ミスターを男にしたい」
本気でそんなことを考えていた。

読売巨人軍において、
長嶋は神聖にして侵すべからず

つまり私は、
何かすがるものが無いと生きていけない程、脆い人間なのだ。

しかし、
長嶋茂雄も永遠の命を持っているわけではないから、
そのうち、
ジャイアンツの監督を引退してしまった。

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脆く弱い私が、すがるものを無くしてしまったのだ。
長嶋茂雄引退のショックで、
私は、代わりのすがるものを探すどころか、
自身を支えることができそうな事象を、
片っぱしから、否定して行った。
私は、

人間

として生きようとしたのだ。
これは、自己存在の脆さと弱さに拍車をかけるような、
行為だ。



相変わらず、
民族差別の象徴であり、
階級社会の象徴である、
天皇制は、
ひとりの生物として憎み続けていた。
支持できる政党も見つからなかったし、
ジョン・レノンの如く、
国も宗教も無く生きようとすれば、
多くの場合、
幼稚な唯物論に頼る。
唯物論から派生する、
豆知識と屁理屈の小競り合いや、
他者攻撃による自己保身に、
疲れた人間は、
より自由な精神を求める。
地球、宇宙と意識を拡大させていく。
しかし宇宙や地球は、でかい。
人間ごときに、地球や宇宙を認識できるはずもなく、
これでは、
新興宗教に落ちいっているようなものだと、
また考えを捨てる。
今度は仕事に逃げる。
仕事は辛く、人を傷つけすぎる。
自己啓発本を読んでみる。
そんな浅知恵は長く続かないことが、すぐにわかる。
もっと自由に。何も縛られず。自由は何処に?
こうして、
究極の自由な精神にたどり着いた人間は、
驚くほど、性的な誘惑に弱い。
不安なのだ。
途端に俗物と化す。
脆い。人間は余りに脆く弱い。

宇宙の中でたったひとりしかいない孤独に耐えうる精神を持つ人間などいない。
脆い。
脆く弱い人間。
脆く弱く醜い人間。
人間に良いところなどないのだろうか?
そんなことは、ない。

私は脆く弱く醜い人間が大好きだ。
私こそが脆く弱く醜い人間だ。
だというのに、脆く弱く醜い人間を否定していどうするのだ。
これこそが、真の自他肯定だ。



さて話を今いちど、
「死刑」「天皇」に戻してみよう。

「死刑 天皇 人間①~死刑~」で触れた↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/01/232555

筧被告は二審でも死刑判決を受けた。

「死刑 天皇 人間②~天皇~」で触れた↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/07/000628

その後、元号は変更され令和元年へと変わった。

冒頭に書いた、
「私たちニッポン人は、

下からは死刑という恐怖、
上からは天皇という神に挟まれ、
生きている」
という状態は、より強化されている。



ところで今、
2019年7月は参議院選挙のまっ最中である。
政治は犠牲を強いつつ、バランスをとり、
少しずつ動いている。
令和新鮮組という名前の、
新進革新政党が出現し、
日本共産党志位和夫は、
公式の発言で天皇制を容認し、
何十年来の党の方針を根本からひっくり返した。
野党の大物たちでさえ、
天皇制に対して、
自分自身の思考で発信することが不可能なほど、
ニッポン人は、
再び強く強く天皇制を求めているのだ。

そして選挙の最中、
左翼の私は砂粒のような運動員として、
野党勢力の喧騒の何処かにいるはずだ。
選挙後の、
議席配分がどうなるのかは、誰にもわからないが、
この選挙は、
権威がくずれかけていた天皇制を、
磐石なものにすることに、
なるのだけは間違いない。
知らぬ間に、
天皇制を疑うことなど、笑いごとになるのだ。

私は私の精神をどこまで自由に解放しようとも、
どれほど自他を肯定しようとも、
死刑と天皇の狭間で生きている。

大和民族
万世一系天皇陛下万歳
天は人の下に人を作った。

4月15日~今まで生きてきた中で一番幸せです~

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こんにちは、太朗です。
はじまってます。
適応障害ツアー」(説明は、先日のブログにあります)↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/04/14/095720

私が生きてることそのものが、
適応障害ツアーなんですね。

さて、
嬉しいことがありました。

「今まで生きてきた中で一番幸せです」(岩崎恭子さん)
と、いうヤツですね。
良い言葉です。

先日、
またまた、京都拾得の
「アコーステック飛び入りライブデー」
に参加したんですが、
客席の方から、
「良かったです」と、
気持ちのこもった1000円札を頂きました。

余りの驚きに、
何て仰って頂いたのか忘れたのですが、
…確か、
「私たちも励まされた」
とか、そんな言葉を頂いたように思います。

MCで、
今の自分のヘンテコな状況をお伝えした、
というのもあるとは思うんですが、

歌って発信して、
それが人の心に響く。
これほどシンプルで、
ありがたいことはありません。

新札なんて、いらねえ。
あの1000円札は、
私にとって、家族にとって、友人にとって、
1000円以上の何倍もの価値があるものになりそうです。

一体どの曲が届いたのだろう?
この日のセットリストは、
1「資本主義」
2「絶対ここから抜けだして見せる」
3「天皇陛下はいらない」改め↓
 「ラストエンペラー

…二曲目、
やっぱり二曲目かなあ?
良かったら聴いてください。
「絶対ここから抜け出してみせる」
オレのヒップホップです。
そういえば、未発表やったな。
動画は↓
https://www.youtube.com/watch?v=yK_BiCN--3E


【♪絶対ここから抜け出してみせる】作詞作曲:太朗

Love music Love music Love music Love music…


絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
イェイ イェイ イェイ

つまらない言葉があふれている
気が滅入る言葉があふれてる
死んだ魚のような目をした 連中
同じような教育
同じような行動
同じような考え
同じような言葉
朝起きてから眠るまで
死んだ言葉があふれている
駅前のヘドロの匂い
キリキリ痛む胃袋
ズキズキ痛む頭 悲鳴を上げる心
連中は今日のオレは何かがおかしいと言うけれど
あんたはこの世の中 
本当におかしいことが一体何なのかを考えたことがあるのかい?
物を考えたことがあるのかい
不満を語ることはどうでもいい
思い出すことすらバカバカしい

なぜなら連中はどこへ行っても
存在するから
この国を根本から変えなきゃなんて
思えてしまうよ
誇大妄想 脱走 オレの想像
いちいち怒鳴り いちいち叫ぶ
まるで軍隊 人間虐待
学校にも会社にも軍隊
それこそがこの国に巣食う悪魔
世界をむしばむ悪魔

絶対ここから抜け出してみせるx4

同じような教育
同じような行動
同じような考え
同じような言葉
そうだ

思い出し怒りに興味はない
恨みごとなんでどうでもいい
オレが人生で
どれだけ苦しんだかなんてどうでもいい
普通のヒップホップがオレにはできないんだ
そんなオレこそが真のラッパー
つまらない言葉を発してどうする
オレのことはオレが一番よく知っている
あなたもそうだろう?
あなたの強さ

あなたの美しさ
あなたが一番よく知っている

どうせなら生きた言葉を紡ぎたい
朝の光のような
心が弾むような
ためらってた一歩が踏み出せるような

Love music Love music Love music

そんな言葉にメロディーを乗せて
出来あがった歌を
自分の声で歌う
できるだけ大声でそれも下手クソに
それがあなたの歌 わたしの歌
ラップでもいい
詩の朗読でもいい
街頭のスピーチでもいい
あなたにしか出せないことば
あなたのその声 その表情
それが歌
世界一の歌
世界一愛される歌
世界一愛されるあなた

絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる

オレは誰?
オレは希望
オレこそが真の希望
Love music  Love music  Love music…

絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
絶対ここから抜け出してみせる
音楽の力で抜け出してみせる

Love music Love music Love music Love music…

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皆様、どうか私の「適合障害ツアー」を見守りください。

「死刑 天皇 人間」~②天皇~

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生きてるうちに、
決して実現して欲しくないことが、二つあった。
それは、

①立〇民主党を中心とした、野党共闘が功を奏し安倍内閣崩壊、政権交代。友人たちの家で、次々と持ち寄り歓迎ホームパーティーが始まり、自分が孤立する。

②何か知らんけど、元号とやらが変わる。

①の方は実現が難しそうなので、安心していたのだが、どうも②が現実のものとなってしまうらしい。

***************************************

元号とやらが、
4月から変わる。
おかしいですね。
怪奇ですね。

目の前に茶碗があったら、
それは明らかに茶碗です。
では、
元号とは何なのでしょう?

元号とは、
どこに生えてて、
誰が採ってきて、
どういった肥料を与えたら、
変わる仕組みになっているのでしょうか?
元号なんてものは、
「在る」んでしょーか。
形のない、
時系列の数え方を、
どーして我々は信用しているのでしょーか?

もし、
今から100年後、
元号というものが、
存在しない未来があるとしたら、
私たちの今は、
そこからどう映るのでしょーか。
未来のことはわからんので、
せめて、
今を未来やと思って、
過去を思い出してみましょ。

そうだ、ど〇えもん!
タイム、マシン。
タイムマシンや!
タイムマシンがあるやないか。
ワイと一緒に、タイムマシンに乗って、
出かけましょやないか、
というわけです。

ワイのタイムマシンは、
38年前までの過去
(物心ついてからの、私の曖昧な記憶の範囲)
までしか、行けまへんが。
ま、時間旅行のデートなんて、
ロマンチックやありまへんか。
エラヤッチャエラヤッチャ、
ヨイヨイヨイヨイ。
30年程前に、
元号とやらが、変わった時がありました。
カタンなお祭りの様子を、
ちょっと見てみましょ。

***************************************

ワイ、中学一年生。
ちゅうか、
元号とやらが変わる前から、
なんやむずむず、世間はおかしかったわい。
はだしのゲン」に出てくる、
光子さんが言うところの、

「貧相なつらをしたじいさん、今上裕仁

↓この辺、詳しくは以前書いたブログをご覧ください
tarouhan24.hatenablog.comg

が、入院しはって(入院くらいするやろう)
何かいろいろ治療されて、
おならしたら、
「ガス確認」とかいう見出しが、
新聞にデカデカと出て、
なんやおならしたら、
全宇宙的に
ヨカッタネーいうたらエエんやろか、
車のCMで、
井上陽水が、
「みなさんお元気ですか~それじゃあ」
言うのが流行語なったら、
今は、
「貧相なつらをしたじいさん」
が、元気ないので、
(そらそうや入院中や)
お元気とかいうのは、
よろしくないと言って、
そのセリフの部分の音声消されたり、
アホやアホやアホや、
えらいこっちゃえらいこっちゃ、
えらいこっちゃ。
なんかおかしわ大騒ぎの予感するわ、
思ってたら、
「貧相なつらをしたじいさん」
入退院繰り返して、
気いついたら、
あっちこっちで、

崩御崩御崩御崩御崩御

なんやそれ、
13年間生きてきたけど、
そんな言葉初めて聞いたで、
学校でも習わんかったで。
テレビつけたら、
崩御だらけや、
他なんもやってへん、
どうしてくれんねん、
この時代は、
パソコンもスマホもコンビニもないんやぞ。
娯楽はテレビしかないんやぞ、
つい最近まで小学生やった、
ワイにはヒマすぎる、
過酷すぎるぞ。

団地に住んでるワイの隣の部屋から、
「昭和が、昭和が終わるんやで…」
という声が聞こえてくる。
知るか。
昭和って何やねん。
昭和とかいうやつが終わるのが、
ワイの13年間の人生に、何の関係があんねん。
そもそも、
何も終わってへんわい。
朝が来て昼が来て夜がきて、寝るだけや。
家庭環境悪すぎるわ。

ヒマや。
テレビ全部同じや。
何か画面灰色や。
24時間テレビも、狂っとったけど、
今回もっと狂っとる。
お祭りや。
ワッショイワッショイ。
謎や、集団で謎の儀式や。
13年間生きていて、
こんなこと初めてや。
何でや?
何でなんや?
わけがわからん。

***************************************

やってられるか。
今日という日は一日しかないんやぞ。
よし決めた。

ビデオ借り行こ。
ツタヤ行こ。
そうや家にはビデオがある!
テクノロジーの時代に生まれて良かった!

***************************************

何や!
ツタヤがおかしい。
混み込みや!
つくばの科学万博か?
そらそうや、
みんな、
あんなヒマなテレビ見たないんや。
どのビデオもみんな、
「レンタル中」の輪ゴムかけられとる。
大丈夫か?
ワイは小遣いはたいて、
猿の惑星」のビデオ全巻借りたいんや。
こないだ金曜ロードショーでやってて、
感動したんや。
でもちょっと怖い映画やったんや。
でもかまへんのや。
ワイは、
今の状況の方がよっぽど怖いんや。
幸い、
猿の惑星は5巻ともあったんや。
5本レンタル!
13年間の人生で一番幸せや。
めちゃめちゃ並んでやっと借りれたんや。

ん?
袋がいつものツタヤの青い袋ちゃうぞ。
茶色い紙袋や。
そうか人いっぱい来すぎて、
袋無くなってもうたんや。
店員さん、
大丈夫か?
明らかに疲れとるぞ。
エラヤッチャ。
エラヤッチャ。

***************************************

ワイは家に帰って、
猿の惑星を見たんや。
同居人に、
少しは、報道も見ろと言われたけど、
一切見んかったんや。
家庭環境悪すぎるわ。
一切の情報を閉ざして、
ワイはテレビ画面に集中したんや。
けど、
情報閉ざしているんは、
報道見てる連中の方かも知れん。

テレビの中には、
進化した猿がおったんや。
集団の猿が、
二足歩行で歩いている。
猿がどんどん賢くなって、
強くなって、
今まで、
猿を虐待し殺し、
奴隷扱いしてきた、
人類に復讐している。
やがては、
猿が人類を征服してしまう。
パニック!
医者や火事や警察や!
おかしい。
何てストレンジな映画なんや。
でも、
今、ワイが情報シャットアウトしている、
外の世界は一体何なんや。
みんなが、
「貧相なつらをしたじいさん」
の、奇妙奇天烈な大葬儀に夢中になるか、
退屈してビデオ見たりするかして、
街はシンとしている。
どっちがストレンジで、
どっちの方が現実や?
ホンマ、
今生きてる、ワイがいる世界の方が、
余程猿の惑星や。

猿の惑星」はまだまだ終わらない。
なんせ、全五巻や。

猿のリーダー、
シーザー(帝王)が、
次々と人間を捕え暴行を加えている。
その行為に対して、
唯一、
進化した猿への理解者である人間、
黒人男性のマクドナルドが、
「シーザーこれで良いのか?おまえは、おまえが憎んでいた人間と同じことをしているんだぞ」
と忠告する。
う~ん、
何となく公民権運動っポイなあ
と、中一男子はアホなりに考える。

忠告で、
暴行をやめた、
猿のリーダー、シーザーは、
猿の惑星の誕生だ!」
と、高らかに宣言する。

***************************************

ああ、面白こわかった!
と、ワイはビデオを取り出す。
すると、
画面が、
またも大葬儀に変わってしまった。
相変わらず画面が灰色だ。
いつまで、
こんなコトが続くんやろか。
いつまで、
こんなバカ騒ぎが続くやろうか?
みんな、
集団催眠にかかったんか?
SNSも無いこの時代、
他の誰かが、何を考えているのか、
知るすべもない。

たったひとり、
テレビをも見るしかない、
13歳の少年はこう言うしかなかったのである。

天皇の惑星の誕生や!」

アラエッサッサー。

*つづく
(一回で終わらすつもりが、長くなって『つづく』になってしまった。
前回のブログテーマ「死刑」とも繋がってくるので、
「死刑 天皇 人間」と、改題して全3回完結と行きたいです!
それでは次回「人間」をお楽しみに!)

「死刑 天皇 人間」~①死刑~

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*あけましておめでとうございます。
今回は、2017年11月9日に書いたブログ↓

tarouhan24.hatenablog.com

を、リメイクしてみました。
大変、気に入っていた内容なのですが、
即興的に書いたので、
文章が荒く、
いつか手直しをしたいと思っていたのです。
このテーマでもって、
新年のあいさつとさせて頂きたいです。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。
↓↓↓

***************************************

2017年11月8日。

子どもを保育園へ送った帰り道、
コンビニに立ち寄り、
新聞を買い、
車の中で読んでいる。

京都、朝日、毎日、読売、産経、
見出しをチラッと見て、
その日の勘に働きかけてきた、どれか一つを、
購入している。
それが産経新聞なら、金は払いたくないのだが、
仕方がない。

新聞を読みながら、
癖みたいに、
余計なことを考える。

考えては、こうして書きとめている。

************************************

この日は、朝日新聞を買った。
見出しは、

「死刑判決 まだ生きたい」

全く、
知らない事件だった。

痛ましい、
青酸連続不審死事件。
昨日、判決が出たと書いてある。

記事を読むと、
ますます、痛ましい気持ちになる。
被告は70歳の女性。
4
人もの、
高齢男性の不審死に関わった疑いがあり、
判決は、

「死刑」

ということだ。
被告と男性とは、
いずれも、
結婚、もしくは交際していたという。

弁護側は、
「犯人は被告ではない」
と、無罪を主張しているが、
被告本人が、
朝日新聞記者との面会で

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」

と、語っているらしい。

被害にあった男性たちの、顔写真も掲載されている。
じっと見てみる。
皆、風のようにさりげない表情している。
男性たちの遺族の、
無念のコメントを読む。
言葉から、
悲痛が滲み出ている。
こちらの胸も、かきむしられる。

***************************************

10
年ほど前のこと。

車の免許取得のため、鳥取へ合宿に行った。
何人もの教官の中に、
座学を受け持っていた、
柔和な印象の老教官がいた。
最初の講義で、
彼は、
警察での仕事を、定年まで勤めたと自己紹介した。


「辛い仕事をしていました」

と、彼は言う。
何でも、
重大な事故を起こし、

「免許を取り上げられると、明日から家族を養うことができない」

と、彼に訴える、
運送業のドライバーに、
免許取り消しの処分を下したことが、
あったらしい。
その言葉に、
自分は、体中の血が逆流するのを感じ、
思わず、椅子から立ちあがった。
だが、老教官の
わずかな開き直りもない、
何かを直視した目と、
真一文字に結ばれた唇を見て、
やりきれない気持ちになり、
ヘナヘナと腰が砕け、
そのまま着席したのを、覚えている。

***************************************

仕事を完遂するというのは、
あの老教官のようなことなのだろうか?
自分は、
今後、そういった仕事を経験することがあるのだろうか?

今の時代は、
良い方向にも、悪い方向にも向かっている。
だが、
いわゆる、
ひとむかし前の男性
の中には、
『生きる』というより、
『生き残る』ことを、
重要視せざるを得ない背景が、
今よりもっとたくさん、在ったのではないだろうか?
(あくまで勝手な想像だが)

現に、
『生き残る』ために『生きる』
と、いう感触は自分の中にも確かに存在する。

生き残らざるを得ないというのは、孤独なことだろうと思う。
真の、孤独。
とてもやりきれない。

「こんな、世の中でなかったら、誰かのために、精一杯優しくしたかった」

という悔いが、
不意に、
ひとりの年老いた男性の中に、
現れることを想像してみる。

被告女性から、男性へのメールの中には、

「私のような愚女を選んでくれてありがとう」

と、いう文もあったらしい。
そして被告女性は、被害者たちのことを、

「みんな、穏やかで良い人だった」

と、振り返る。

一方で、
第一の被害者である、
長年連れ添った男性には、
「差別を受けた」
として、彼女が明快な意図を向けていたという、
記事もある。

***************************************

人命が失われた事件を、
ほじくり返すなど、卑しいことだ。
新聞記者の取材は、
あくまで、取材したことが書かれているだけだし、
自分は、事件をこの記事で初めて知った。
出会いがしらの、又聞き。
正確なことなど、わかるはずもない。
癖で、
余計なことを、考えているだけなのかもしれない。
又は事件を、
架空の物語のように、
勝手に解釈しているだけなのかもしれない。


動機は、金銭?
金銭目的で、
そのようなことが、できるのか?
ドストエフスキー
罪と罰」での、
ラスコーリニコフの犯罪動機など、
現実に比べれば、
単細胞なものだ。


彼女から、
謝罪の言葉は、
ついに聞かれなかった、と記事にある。

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
「みんな、穏やかで良い人だった」

このような、
言葉が出てくるのならば、
ウソの謝罪を述べることなど、
簡単だろう。
ではなぜ、
ウソの謝罪すらしないのか?
たとえウソでも、
謝罪することによって、
破壊されてしまう心の内が、
この罪びとの中にあるのだとしたら、
それは、一体何だというのだろうか?
わからない。
わかるはずもない。
something
だ。

誰にもわからない心を抱えたまま、
彼女は、
日本国の法律の下で、
なし崩し的に、裁かれ殺される。
陪審員を経験したこともなく、
絞首刑のスイッチを押すこともない私は、
呑気に新聞を読みながら、
相も変わらず、
イヤな役から逃れ続けている。

この記事のすぐ横の見出しは、

「トランプ氏、軍事力誇示」

たった一命令で、
何人もの人間を殺めた男が、
世界のリーダーとして、
誇らしく写真に収まっている。

***********************************

この世が、
雑多な人間を乗せた
箱舟だと考えると、
その船から落下するものを出すことなく、
航海を続けることが、
いかに難しいかを、たまに考えさせられる。

せめて、
責任と情熱を持ち続けて、
強く生きたいのだ。
少し羽を休めたら、
また次へと一歩、足を踏み出すのだ。