たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

失恋のしようがない

 

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手品師が、いきなりタネ明かしの話から、始める気分です。


以前、友人何人かに、
「自分はいつも失恋状態だ」と話したことがある。
それは単に、その時、自分の周りに渦まいていた感覚を、
正直に表現しただけのことだったのだが、
具体的に「失恋状態」って何なんだ?
と問われると、自分でもはっきり説明がつかなかったので、
様々な考察を呼び込むことになってしまった。

友人に会うたびに、
「今でも、失恋状態なの?」と聞かれる。
聞く立場に回ると、確かに、その言葉は謎めいている。

でも、タネ明かしをしてしまうと、簡単なことなのだ。
人は誰でも、失恋をするし、
『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』
シンプルな話だ。

 

「失恋状態」という言葉を振りかざしてしまったからには、
責任をとって、
失恋に関する問いに、何でも答えてやろう、
という気になった。
出来ないことではない。

 

『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』


元々からして、シンプルな話なのだから、答えられるはずだ。
それに、自信を持って言えるのだが、

何せ、自分は星の数ほどの失恋をしてきたのだ。

でも、待てよ、と思う。
失恋が、自分が考えるほど、シンプルな話だとしたら、
自分が経験する失恋など、
ひとつにくくって、まとめて終わってしまうのではないだろうか?
一抹の不安にも、かられる。

ローリング・ストーンズに、
「ルビー・チューズデイ」という歌がある。
これは、キース・リチャーズの失恋を歌ったものだ。

♪さよなら ルビー・チューズデイ
君の名前を呼ぶことが出来ない
君は日が経つにつれ変わる
それでも僕は君がいないと淋しい

何てもったいない!
とボクは思う。
「ルビー・チューズデイ」はストーンズの名曲だけど、
最上級の曲ではない。
人生の一大事を、たった一曲の、いい加減なバラードに
託して、投げ出してしまう。
自分の失恋がひとくくりにされて終わってしまうという、
ボクのみみっちい、恐怖に比べて、何て潔いことか。
もし、自分に音楽が作れたら、
ひとつの失恋を、無くなりかけの絵の具のように、
薄めに薄めて、引き延ばしに引き延ばして、
大事に、セコく、使いまわすだろう。

しかし…そもそもボクは、
本当に星の数ほどの失恋をしているのだろうか?
映画と、ごっちゃになっているのかもしれない。
好きな映画のほとんどは、失恋映画だ。

 

①言わずと知れた、

ハンフリー・ボガードの「カサブランカ
世界一、格好よく失恋しようとする男の物語。
どうかあれを、男の自意識過剰と言わないでおくれ。
そんなことを言われたら、救いようがない。
トレンチ・コートでも着るしかない。

ウディ・アレンの「アニー・ホール
失恋を確かめるには、人生は余りにも、短い。

渥美清の「男はつらいよ
全盛期は、年二回、盆と正月に彼は失恋していた。
それを確認して、観客は、すっきりとした気分で映画館を出る。
まるで、孤独な生贄だ。

イラン映画の「オリーブの林を抜けて」
女は、男の元をなぜ去るのか、全く説明をしない。
「何故なんだ」と男は問う。

二人は歩く。

オリーブの林を。
二人の距離は、いつまでも縮まらないまま、映画は終わる。

⑤シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ファイナル
ロッキーは、エイドリアンとの死別という、
最大の絶望と遭遇する。
ロッキーは、ロッキーらしく、
マッチョな力で、絶望を乗り越えて行く。
年老いた彼が、次の女性に期待して!

 

果たして、ボクの体に染みついた失恋感覚は、
映画の影響か、現実のものか?
検証するほどに、わからなくなる。

ただ、ボクの失恋の記憶は、
現在のものではない(はずだ)

時間が経過する限り、誰の人生にも失恋は存在する。
たとえ、本人が自覚していなくとも、
心の小さな叫びに、耳を傾けてみれば、
確実に「起こっていること」だというのが、わかるはずだ。

失恋という音のない爆発を繰り返して、人は生きている。
決して届かない、異性、同性。
社会的な圧力や矛盾のために、

大切なものが、奪われる気持ち(それは、失恋の比ではないか)
でも、失恋のせいで、死も同然の気持ちになることだってある。
インターネットなど無かった、
10代の頃の失恋と別離は、
相手が死ぬのと同じことだった。

何が言いたかったのだろう?
そうだ、
『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』

このシンプルな話だ。

だが物事は、額面通りシンプルには行かないものだ。
歌、映画、現実、記憶、
どれを振り返っても、
何回くりかえしても、
失恋をうまく乗り越えられない。
失恋がうまく乗り越えられない限り、
自分は、愛の置きどころをずっと探し続けている気がする。
愛は決して、ひとりで成り立つものではない。
必ず、対象は必要だ。
たとえ失恋によって、対象が変わっても。
(実際は、変わってほしくないと、強く願う)
いよいよ、究極的に追い詰められてしまったら、
それこそ「カサブランカ」のように、
強がって見せるかもしれない。

あなたが、希望を持って生きてゆけますように!
あなたが、希望を持って生きていますように!
こんな風に言える失恋なら、むしろしてみたいものだ。
人を愛おしく思う気持ちが、継続的に存在するというのなら、
もはや、失恋のしようなど、ないのかもしれない。

 

本当のことを言いたくなる人は、

限られている。
すべてを打ち明けたくなる人。
それは、もう逃れられない恋愛感情だ。
それなのに、
「あなたの全てを、知りたいっていうわけじゃない」
と、言われたことがある。
今にして思えば、その瞬間から、失恋は始まっていたのだ。