月イチスケッチの日
今日は、
友人で画家の、
あさちゃんが呼びかけの、
「月イチスケッチの日」に参加。
草津は志那町の琵琶湖沿いのキャンプ場へ、車を走らす。
車に乗る限り、滋賀でも少しは、アピールしたことになるか↓
到着後、
友人たちへの挨拶も、そこそこに、
早速、スケッチにとりかかる。
今日の琵琶湖は、ひどく調子が良い。
波の形を捕えようすると、
自然と、波の表情が理解できる。
今日は、子どものように笑っている。
思わず、
「おお!」と声が出るほどだ↓
杭の並びも、美しい。
杭から、描いてみる。
色もつけてみる。
あっ、白い絵の具を切らしていた。
苦しまぎれに、青と緑のみで仕上げる。
自分は、色をつけることが、得意でない。
なぜだろう?
と、思う。
人から離れて、湖岸べりを散歩しながら、
はじめて、絵の教育を受けた、
美高時代から描いた、
自分の絵を、
一枚一枚思い出して、考える。
長年、引っかかっていたことだ。
なぜ、自分は絵が描けなくなってしまったのか?
デッサンが好きだった。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。
自分が、高校生のとき専攻していたのは、
日本画だ。
日本画の下書きである、
「骨書き」の状態が、割と好きだった。
筆で描かれた、輪郭線のみの絵。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。
「骨書き」に、薄墨を加える。
この状態も悪くない。
でも、それだけでは、完成ではない。
石の絵を描いたことが、あった。
夢中になって、模様を描いたのを、覚えている。
担当の先生から、
絵具を薄く塗って模様を潰し、量感を出すように、
指示されたが、断った。
自分にとっては、量感より、ディテールの方が、
はるかに、重要だった。
色など、ついでに塗ってるだけだった。
高校二年になって、
課題の絵のサイズが、急に大きくなった。
普通に、展覧会とかで見かけるような、
日本画のサイズだ。
ここで、まったく手に負えなくなった。
デカすぎて、描ききれなくなった。
最後に、一生懸命に描いたのは、
椿の絵だった。
形をとる楽しさは残ったものの、
色を、つけるという作業は、
完全に、わからなくなった。
なので、
ムスメ(3歳)の描いている絵を見て、驚いた↓
素晴らしい、色彩があった。
父が何十年も、越せない壁の向こう側に、
最初から、いる。
父は、意地のように形にこだわってみる↓
クロッキーの訓練を、
もう少し、
積んでおけば良かった。
もう一度、琵琶湖に挑んで見る。
まるで、勝負事だ。
そのたびに、負けて帰ってくる。
自分のような、描き方をしていると、
不満がつのるばかりだ。
描く前は、いつも思う。
絵の神様、どうか、ボクのこの、
ちっぽけな寂しさを、
描くことによって、埋めてください。
もっと、うまくなりたい。
波は、激しくなっている。
スケッチは、楽しい。
楽しくて仕方がない。
絵を描くというのは、
こんなにも、楽しかったのか。
何もかも、許される時間だと思える。
自分の視覚に収まる範囲で、描くのが、
すごくやりやすい。
デカイ絵は、もうたくさんだ。
自分は、小さく描くタイプの絵描きだったのだ。
↑火をおこす、あきさんと子どもたち。
たくさんの先生に、絵を教わったが、
さほど、仲良くもない先生が、
「自然を描いていて、それが壊されるのを見ると、心が痛む」
と、言っていた。
当時は、何とも思っていなかったが、
もし、この表情豊かな、琵琶湖が、
放射能で汚染されたらと思うと、
心が痛むどころでは、すまされない。
人間にとって、
本当に必要なことが何かを実感したければ、
軽く、スケッチをすればよいのだ。
「お父さんは、いつものことを、描けばいいねん」
これは、ムスコの言葉だ。
そのムスコは、
とにかく、お姉さんと遊ぶのが、
楽しかったようです…
帰宅して、
今日描いた絵を整理してたら、
過去に描いたのが、
出てきた↓
そのまま、描いたのだ。
これ以降、
さらなる悲劇が、どれくらいあったのだろう?
今も、あるのだろう?
沖縄の海、福井の海、京丹後の海、
描きたいです。
いつか、スケッチ旅行に行きたいです。