たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

こんな文章にタイトルはいらない

 

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タイトルを見て、
面白そうだと思って、
読んで見ようという気になった方、
すみません。
面白くない文章です。
(よくある話です)
完全に、自分のための覚書です。
タイトル
TATTOO」でも、良いですね。
THE WHOの曲で。

前職の、

CD屋の店員をクビになって、
丸3年、経っていた。
一体、

3年間も、

何をやっていたのだろう、と思う。
現時点で、自分は何ひとつ成し遂げていない。
理屈抜きで、手応えとして、そうなのだ。

つい先程、
超個人的に、
「何でこんな、体たらくに…!情けない…!」
と、思える出来事があった。
別に、人間関係とかではない。
ほんの、小さな事かもしれない。
全ては、自分自身の不甲斐なさ。

「定職」から逃れ「自由」になった日から、
3年。
今の自分の立場を、
人は「主夫」という。
でも、そんなものでは、全然足りないのだ。
自身に成長がなければ、
世の中に変化など、起こるはずもない。

振り返ってみる。
20代から、
30代にかけて、
芸大の環境に、

納得がいかなくなった自分は、
少々、こぼれ落ちる存在になるのは覚悟して
(些細なことだった)
アルバイトをしながらで良いから、
細々と、
自分が表現できることを、
探して行こうと、決意した。
アルバイトを転々としながらでも、
世の中の事を学ぼうという、
強い意欲があった。
どれほど、困難な環境でも、
表現しようとする意欲は、

死ななかった。

納得したら、
就職しようと、思っていた。
惜しむらくは、

「意欲そのもの」しかなかった。
表現したい中身が、特になかった。

3.11以前の、
自分にとって、
現実的な社会問題は、
正直、
「若者の貧困」くらいのモノだった。
それくらい、ノン気でどうしようもなかった。


それでも、
絞り出すように、
20代の表現を生きた後、
何もかもに懲りてしまい、
CD屋のアルバイトとして、
30代いっぱいを、ほぼ過ごした。
一切の表現から、
手を切ったにも関わらず、
かなり出来の悪い店員だった。

40過ぎて、
もう一度、
表現しようと、やり続けている。
方法など、わからない。
こんな駄文を描き続けている。
自分の中の、
死に切れない何かが、
「書け」「書け」と言い続けている。
とにかく、
自分には、無駄にできる時間などないはずなのだ。
風邪をひくと、
悔しくて仕方がない。
責任を取れていないこと、
思いやりにかけていること、
だらしない肉体をしていることが、
悔しくて仕方ない。


ノン気を気どることなど、限界があるはずなのだ。
一分でも惜しいのだ。
その癖、貴重な時間をうっかり、
ドブに捨てては後悔を繰り返し、
友達とは、
考えられる限り、

ダラダラと過ごすのが大好きという、
矛盾に満ちた人間だ。

それでも、
今、生きているこの一日から、
無駄という無駄を、
絞って行こうと思う。
もっと、集中して行こうと思う。
何せ、誰も見ていないだから。
誰も見ていない時間の中に、
自分の最大の弱点があるのだ。