たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

平和とは何か?④~平和とは何か?~

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今です。

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調べてないから、わからないが、

安倍政権になってから、
5年ほど経つのだろうか?

長い。
おそらく、
自分が生まれてから一番の長期政権だろう。

同じ人間が、
同じことをやり続けると、
ロクなことがない。
これは、総理大臣だろうが委員長だろうが、
町内会長だろうが同じことだ。

安倍政権になって、
自分が一番イヤなのは、
世の中にヘイト行動が増えたことだ。

一度だけ、
安倍首相のスピーチを見たことがある。
その時、
おそらく自民党員なのか、
取り巻きの支持者が、

「おい、TBS。選挙妨害は犯罪なんだよ!」

と、
一目瞭然、
抗議や声明でなく、ヘイトであるプラカードを、
聴衆に配布していた。

このように、
安倍首相は、
ヘイトを嫌がっていない。
むしろ好んでいる。
タテマエ上、
あまりにもクッキリと、
ヘイトを後押しするわけにはいかないから、
ヘイトを止めないことで、
ヘイトを世に広めている。

これで、
差別による結束を好む傾向に生まれた人間たちは、
政権与党という、
余りにも大きな、
バックアップを得てしまった。



目には目を、
歯には歯を。

ヘイトを好む政権は、
ヘイトの対象にされる。
当初は、
全うに支持され、全うに非難されていたはずの政権が、
段々と、
単に熱狂か嫌悪だけの対象になる。

【嫌悪。ヤツでなければ、誰でも良い】

こういう精神状態に陥ったとき、
人の心には大きなスキができる。
何でも受け入れてしまう。
中身も調べず、
値段も見ずに、モノを買ってしまう。
純粋な若者、平和好きなママ、疑うことを知らないお年寄りを、
騙くらかす、
インチキくさい枝野幸男の仕事が増える。

【ヤツでなければ、誰でも良い】

心のスキは、幻想を生む。
立憲野党と市民が手をとりあって、
政権交代して、
素晴らしい平和な世の中を作り上げる。
あり得ない。
そんなことが実現すれば、
どれほどの人間が泣くだろう。
今の自分たちのように。
いや、悲しむ必要などない。
そもそも、
市民など存在しない。
「市民と野党の共闘」など、
気軽に入党する人間がいなくなってしまった共産党の、
単なる党員減対策だ。



はっきりしてるのは、
安倍政権のせいで、
人間が、すっかり単細胞になってしまったことだ。
というより、
この長期政権が、
人間の中に埋もれていた、
白か黒かを好むだけの、単純性という狂気を、
呼び起こさせてしまったというか。

アベ政治を許さない」

などという、単細胞な単語の継続的な流行は、
この先に控えている、
ハンサム・ボーイの小泉進次郎ブームの到来を、
鮮明に想像させるパワーがある。
ならば、
オレが死ぬまで、
自民党政権は続くのだろう。
さらなる絶望の日々を送る未来が、続くのだろう。
思えば、小泉進次郎の父親が、
息の詰まるような格差社会を生みだしたが、
安倍首相は、
右と左が単細胞に対立するだけの、
平行線社会を生みだしてしまった。
これは、
格差社会以上に、
未来を生きる人間にとっての、
手痛い古傷となるだろう。



自分は、
考えてみる。
平和とは何かを。
安倍政権の下、
人は何故、平和を好むのだろう?
多くの人がイメージしている平和とは何だろう?

今ほど、
「平和」という単語が、
それだけで独立して語られる世はないと感じる。
(それが「9条」でも構わないが)
思えば、
レフ・トルストイが人生を賭けた作品は、
戦争と平和」だった。
数々の不毛な国家間の争いの中で、
多くの名もなき庶民が、
惨たらしく死に、
主人公のひとりである、
アンドレイ・ボルゴンスキイすら、
長い話の最中の、ほとんど気づかないところで、
死亡し、
良い感じの太った中年女性となった、
物語のヒロイン、
ナターシャが、
生存したところで、
物語が完結したような記憶が、うっすらとある。

かつて、
平和の裏には戦争があった。
心の底から平和を望むためには、
戦争をよく見つめる必要があった。
なぜここまで、
平和は単細胞になってしまったのだろう?
安倍政権によって、
日本は戦争に近づいていると言われる。
安倍首相のパーソナリティーと、
成立した安保関連法を読んで、
それは事実なのだと思うけど、
(彼の政権、単独の力で戦争が可能になるような歴史を、
この国は持っていないような気もするが)
安倍首相の抱える戦争のイメージにより、
これもまた人々の、
単細胞な平和思考が育ってしまったのだろうか。

平和を考えるには、
争う可能性がある立場の人間のことを、
よく見なければならないはずだ。
相手あってのことなのだ。
具体的な暴力というものが、
確実に存在することより、
目を逸らしてはならないのだ。

思い出す。

自分は10代の頃、
ゲームセンターでアルバイトをしていた。
明け方の飲み屋街、
朝番は自分と先輩ひとりだけという時に、
上半身裸、
背中一面に鯉の刺青を彫った、
真っ黒く日焼けしたチンピラ集団がやってきた。
連中は、
「タダでゲームをやらせろ」と言ってきた。
色白のヒョロ長い少年だった自分は、
かなうはずもなく、
言われるままにタダでゲームをさせた。

極度に臆病な自分は、
「何かの拍子に殺されるかもしれない」
と考え、
その場にあったモップを右手で握りしめていた。
身を守るため、
つまり相手を殺すためだ。
結局、それ以上のことは何もなく、
チンピラたちが帰ったあと、
自分はヘナヘナと床に座りこんだ。
モップを握りしめた手は中々開かず、
強引に開けると、汗びっしょりだった。



優しい人間が多く存在したとしても、
好戦的な人間が滅びることはない。
優しい人間は、
付き合ってみると、往々にして自分勝手だ。
好戦的で自分勝手な人間が、
国家というものを支配することは、
多いのだろう。
花の絵を書いても、平和は来ない。



自分はただ単に、
暴力の恐怖から、逃れたい。
怖い。
だから、平和が良い。
誰も怖い思いはさせたくない。
だから、平和が良い。
自分の祖父は、戦場で死んだ。
死に方すら、誰にも伝えられず死んだ。
彼を恐怖から救ってあげることが、できなかった。
戦争はイヤだ、だから平和が良い。

平和とは何か?
結局答えはない。