たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

「死刑 天皇 人間③」~人間~

結末から書くと、
私たちニッポン人は、
下からは死刑という恐怖、
上からは天皇という神に挟まれ、
生きている。

だから、
私は死刑制度と天皇制に異常な関心がある。

このテーマのブログは、
3部作で↓
これまで、2編を書いてます↓

「死刑 天皇 人間①」~死刑~

死刑制度について↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/01/232555

「死刑 天皇 人間②」~天皇
天皇制について↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/07/000628



②は要するに、

天皇制?アホちゃうか?」
と、いう趣旨の文章を書き、
(一回で終わらすつもりが、長くなって『つづく』になってしまった。前回のブログテーマ「死刑」とも繋がってくるので、「死刑 天皇 人間」と、改題して全3回完結と行きたいです!それでは次回「人間」をお楽しみに!)
と、続編を予告しておきながら、長いこと書いていなかったです。
申し訳ない。



さて実際、
私は天皇制を一切受けつけないのだが、
天皇制を成り立ちから否定している人間程、
意外と、
天皇制にハマりやすい。



私は10代後半~20代前半のほとんどを、
ミスター・ジャイアンツ、長島茂雄のためだけに生きていた。
なぜなら、
当時、
読売巨人軍の総司令官の立場にあった、
彼を応援する他、
自分にはやることがなかったのだ。
部屋にポスターを貼り、
ビデオテープやカレンダーや写真集を買い、
書籍で研究を進め、
現役時代の記録も可能な限り暗記した。
昭和の日本男児が夢中になったものを、
なぞるように、
私は長嶋茂雄に夢中だった。

「ミスターを男にしたい」
本気でそんなことを考えていた。

読売巨人軍において、
長嶋は神聖にして侵すべからず

つまり私は、
何かすがるものが無いと生きていけない程、脆い人間なのだ。

しかし、
長嶋茂雄も永遠の命を持っているわけではないから、
そのうち、
ジャイアンツの監督を引退してしまった。

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脆く弱い私が、すがるものを無くしてしまったのだ。
長嶋茂雄引退のショックで、
私は、代わりのすがるものを探すどころか、
自身を支えることができそうな事象を、
片っぱしから、否定して行った。
私は、

人間

として生きようとしたのだ。
これは、自己存在の脆さと弱さに拍車をかけるような、
行為だ。



相変わらず、
民族差別の象徴であり、
階級社会の象徴である、
天皇制は、
ひとりの生物として憎み続けていた。
支持できる政党も見つからなかったし、
ジョン・レノンの如く、
国も宗教も無く生きようとすれば、
多くの場合、
幼稚な唯物論に頼る。
唯物論から派生する、
豆知識と屁理屈の小競り合いや、
他者攻撃による自己保身に、
疲れた人間は、
より自由な精神を求める。
地球、宇宙と意識を拡大させていく。
しかし宇宙や地球は、でかい。
人間ごときに、地球や宇宙を認識できるはずもなく、
これでは、
新興宗教に落ちいっているようなものだと、
また考えを捨てる。
今度は仕事に逃げる。
仕事は辛く、人を傷つけすぎる。
自己啓発本を読んでみる。
そんな浅知恵は長く続かないことが、すぐにわかる。
もっと自由に。何も縛られず。自由は何処に?
こうして、
究極の自由な精神にたどり着いた人間は、
驚くほど、性的な誘惑に弱い。
不安なのだ。
途端に俗物と化す。
脆い。人間は余りに脆く弱い。

宇宙の中でたったひとりしかいない孤独に耐えうる精神を持つ人間などいない。
脆い。
脆く弱い人間。
脆く弱く醜い人間。
人間に良いところなどないのだろうか?
そんなことは、ない。

私は脆く弱く醜い人間が大好きだ。
私こそが脆く弱く醜い人間だ。
だというのに、脆く弱く醜い人間を否定していどうするのだ。
これこそが、真の自他肯定だ。



さて話を今いちど、
「死刑」「天皇」に戻してみよう。

「死刑 天皇 人間①~死刑~」で触れた↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/01/232555

筧被告は二審でも死刑判決を受けた。

「死刑 天皇 人間②~天皇~」で触れた↓
http://tarouhan24.hatenablog.com/entry/2019/01/07/000628

その後、元号は変更され令和元年へと変わった。

冒頭に書いた、
「私たちニッポン人は、

下からは死刑という恐怖、
上からは天皇という神に挟まれ、
生きている」
という状態は、より強化されている。



ところで今、
2019年7月は参議院選挙のまっ最中である。
政治は犠牲を強いつつ、バランスをとり、
少しずつ動いている。
令和新鮮組という名前の、
新進革新政党が出現し、
日本共産党志位和夫は、
公式の発言で天皇制を容認し、
何十年来の党の方針を根本からひっくり返した。
野党の大物たちでさえ、
天皇制に対して、
自分自身の思考で発信することが不可能なほど、
ニッポン人は、
再び強く強く天皇制を求めているのだ。

そして選挙の最中、
左翼の私は砂粒のような運動員として、
野党勢力の喧騒の何処かにいるはずだ。
選挙後の、
議席配分がどうなるのかは、誰にもわからないが、
この選挙は、
権威がくずれかけていた天皇制を、
磐石なものにすることに、
なるのだけは間違いない。
知らぬ間に、
天皇制を疑うことなど、笑いごとになるのだ。

私は私の精神をどこまで自由に解放しようとも、
どれほど自他を肯定しようとも、
死刑と天皇の狭間で生きている。

大和民族
万世一系天皇陛下万歳
天は人の下に人を作った。