たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

フェミニズムとダンディズム

フェミニズム」とか
ジェンダー」とかいう単語を目にするだけで、
私は尻ごみしてしまう。

冗談抜きで、
フェミニズムについては、
一生語らずに死んでいこうと、
算段していたのだが、
どうも、
そーゆー風には、いかない感じになってきた。
何故、いかない感じになってきたのか?
と問われても、
特に理由は無い。
強いて挙げれば、
人生も後半戦に入ってしまったから、
といったトコだろうか?(マジで)

まず、
断っておかねばならないのは、
私は、
異性愛者の男性ということだ。
この狭い視野でしか、
物事を考えることができない。
大きな弱点だが、
弱点を逆手に取って考えてみたいと思う。

異性愛者の男性としての私。
そいつが、
フェミニズムに尻込みする最初の理由は、
ありとあらゆるものに、
正直に向かいあわなければならない、
義務感にかられるからだろう。
感覚としては、
ヌードになることに近い。

そういえば、
ある女性のフェミニストが、
ヌードになっていて、
ずいぶん勇気があるな、
私には到底無理だな、と思っていた。

フェミニストとしてのヌードは、
男性の欲望のために存在しない。
単純な話で、
ヌードになりたいから、
ヌードになり、肉体を社会に示す。
曖昧な記憶だが、
マドンナのヌード写真のキャッチ・コピーが、
「完全なる拒絶」
だかなんかで、
ここでも、私はずいぶん尻込みしたものだ。

ヌードについて書くと、
このままどんどん話がそれて行き、
別テーマの文章が、
出来上がってしまうので、
ここで止めておく。
私が言いたいのは、
フェミニストはおそらく、
自分の肉体を、
自分でコントロールする術に長けている、ということだ。
決定権が、完全に自身にあるのが常なのだ。
表現の方法は、
ファッションとか、写真とか、スポーツとか、
それぞれだろうが、
いずれにしろ、私には縁が無い。

だが、あやかることならできる。
フェミニズムについて考えることが、
私にとっては、
ヌードになるほどの勇気が必要ならば、
当事者であるフェミニストが、
自己決定でヌードになるように、
私も自分が好む形で、
私の精神を解き放てば良い。

せいぜい、言い訳に使わせてもらうのだ。



話を本題に戻す。
今まで私は、
性的加害者の立場からの語りに、
力を注いできた。
これは、体力を消耗する。
京都のフラワーデモに参加して、
何回か語りの作業をしたが、
ほんの数回で根を上げてしまった。
体力の問題だけではない。
確かに自分は性的加害者だったが、
加害者の性を持つことを、
語るだけでは、
そもそも何かが欠けている。
欠けたまま、
説明責任を果たさないことで、
私は、自分がフェミニズムに触れることを、
防いできたとも言える。
逃げずに、恐れを紐解いていかねばならない。

フェミニズムに触れるためには、
私が加害者であるばかりでなく、
私が人生で、
女性とどのように関わってきたか?
を本質に置かなければ、先に進めない。

それは加害者としての、
告白以上に勇気が必要だ。
女性との関わりを考えるならば、
自身の恋愛観を、
避けて通るわけにはいかず、
人生から恋愛を、
抽出してスケッチするには、
自分の性的な悪質さに、
一端、目をつぶらなければならない。
これはキツイことだ。
隠しごとをしながら、
日常生活を営むよりも、
いっそ、犯罪を自白した方が楽という心理がある。
(吉本興業のお笑い芸人によく見られるように)
私は、まるで指名手配犯のようだ。
冗談ごとではない。
フェミニズムに触れた瞬間、
私は指名手配犯として、
逃亡生活を送らなければならないのだ。
もっと言うと、
男性が恋愛観を持つこと自体、
女性性が想像するより、難しい。
これは、
精神的未成熟さという意味で、
大変情けない話である。
今、苦笑いをした己の顔を鏡で見よ。
フェミニズムが私たち男性に、
浸透しないわけだ。



さて、
私は貧しい恋愛体験を思い起こして、
フェミニズムに触れることが、できるだろうか?
(このような試みも、人生後半戦に入って、
恋愛からはるかに遠ざかった、現在だから出来ることだ)

まず私は、
自分から働きかけて女性を〈得た〉ことはない。
もちろん、
試みたことはあった。
一瞬、〈得た〉ような気になり、
私は「やった!」と思うのだが、
その状態が継続した試しはない、
押さえつければ、
押さえつける程、
彼女たちは、
掌から水がこぼれ落ちるように、
何処かへ逃げて行く。
(逃げていくのを、
押さえ続けることが、
正に旧体制でありハラスメントだ)

私は、恋の対象の女性を選ぶことができないし、
できなかった。
私の恋愛は女性に、
「許される」か「許されないか」だけ。
自分自身で、
女性を選んだつもりであっても、
それは思い込みであり、
私はずっと選択されていただけなのだ。
果たして、選択されるだけというのは、
幸せなのだろうか?
わからない。
確実に言えるのは、
得ようとする努力を捨てて、
選択されている限り、
私には女性が何を考えているのか、
永遠にわからないということだけだ。

反対に、
誰にも選択されず、
深い孤独におちいっている、
異性愛者の男性の気持ちは、痛い程よくわかる。
過去に実際、
アパートの部屋でひとりだった頃、
無気力を極めつくした自分がいた。
長く深い孤独は、とことんまで人を無気力にさせる。
終わらない排泄みたいな欲望と、
マザーコンプレックスじみた、
愛への枯渇が複雑に混ざり合い、
肉体と精神、その区別がつかない。

(ああオレは、何も残さず死んでいく)

生物として、
地の底に追いやられて行く、
絶望的な感覚だ。

そして現在の私は、
常軌を逸している程に、保守的な結婚生活に拘っている。
毎日を工作員の如く、
家庭構築のミッションに費やしている。
台所の流しを清潔にし、
洗濯物を干し、
ガステーブルの不具合を修繕し、
仕事をし、
調理をし、
パートナーと会話をし、
子どもの歯磨きを仕上げ、
洗濯物をたたむ。
パートナーである女性が、
私を愛し続ける保証は何処にもない。
私は、自分の家庭生活が、
首の皮一枚の所で存在していることを、
理解し恐怖している。
努力の果て、
ここに晴れて、
平凡な中年男性として、
平凡な日常を過ごしている。

それでも時折、ふと思うのだ。
このような人畜無害な私は、
女性から見て、
模範解答の人生を歩んでいるのだろうか?と。
女性からどのように見られているか?
を、相も変わらず気にかける私は、
アパートの孤独な糞餓鬼だったころから、
いささかも成長していない。
「女性が何を考えているのかわからない」
と言った上のことだから、
推測でしかないのだが、
人畜無害の男性性が、
女性から見た、
模範解答とは限らないと思う。
何故なら人畜無害な私など、
自らを去勢した存在で、魅力にとぼしく、
もはや、
誰からも選ばれないだろう、という自覚がある。
救いようのない孤独と、紙一重なのだ。

どれほどマジメにやったところで、
女性を〈得る〉ことはできない。
彼女たちは、
いつでも掌からこぼれ落ち、
知らない何処かに、駆けて行く。
知らない何処かとは、
魅力的な男性や女性かも知れないし、
やりがいのある仕事かも知れないし、
穏やかで安らげる家族のような、
芸術の世界かも知れないし、
政治や思想の闘争現場であるかも知れない。

一体女性は何を考えているのか?
わからない。
どれほど頑張っても、
女性を得ることはできない。
こんなに一生懸命、
人畜無害、
マジメに生きているのに。
裏切られた。
約束がちがう。
あんたは、
オレのことなど、
気にもかけていない。
マザーコンプレックスじみた、
愛への枯渇、
排泄みたいな欲望。
ここにいるのは、
無駄な精子のように、
結局は選ばれず、取りこぼされた男だ。
このミジメさを我慢しろというのか?
この上、フェミニズムなど許せない。



私は貧しい恋愛経験から、
フェミニストを攻撃する、
男性心理の一面を、
このように想像することができる。
すると私は、
聞きわけの良い、
改心した性的加害者だけでなく、
フェミニストを攻撃する、
哀れで卑小な男性心理をも、
持ち合わせていることになる。



ならば、
何故、自分が全く得をしないであろう、
フェミニズムに触れようとし、
あげくの果てに肩入れまでするのか?

理由は極めて単純、男らしい義侠心だ。

単に、過去の性的加害者としての贖罪だけではない。
男性ならば本来、
自分よりも腕力の劣る生命体を、
危険な目に合わせたくはないはすだ。
私は、用法を誤っている、
ジェンダー平等」や、
フェミニズムによって男性側もラクになる」
という理屈が理解できない。
ラクになれなくとも良いし、
ラクになる必要もない。
ラクどころか、
フェミニズムには、
やせ我慢なくらいの、男のダンディズムが必要なのだ。
私は、そう思う。



ここから先は、女人禁制。
男から男へのメッセージだ。
(別に読んでもらうぶんには、構わないが)

いつから男は、
顔に少しでも傷がつくと、
シクシク涙目になる、
少女マンガの乙女のように繊細になってしまったのか?

いつから男は、
ペラペラ多弁で理屈っぽくなったのか?
かつては、寡黙が美学であったはずなのに。

いつから男は、
どんと構えた包容力を失い、
自分を脅かす存在に恐怖し、
議論で勝利することに腐心する、
自己主張だけの存在になったのか。

いつから男は、
任侠を忘れ、
幼稚で刹那的な拝金主義に憧れるようになったのか。

いつから男は、
安い知識で身を固め、人生に身を投じようとしなくなったのか?

古き良き男は何処に行った?
傷は男の勲章ではなかったか?
精神レベルで、
ちょっぴり流れ弾を、もらいにいっただけで、
卑下だのマゾだの言われてたら、世話がない。
実際に肉体が痛いわけでもないだろう?
ちっぽけなプライドを守って何になる?
何が「男はいつまでたっても子どものまま」だ、
何だその恥ずかしい開き直りは。
男性だって差別されている?
よくもまあ、
そんな恥ずかしいことが言えたものだ。
酒に酔って女性に絡むくらいなら、
マスターベーションにでも励めば良いのだ。

オレたちが憧れた少年マンガのヒーローは、
そんなケチくさいものでは、なかったはずだ。

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〈おまけ〉
これは、
音楽日記なので、
自分なりに作った、
ダンディズムの歌を紹介して終わることにする。
重要なのは、
この歌の主人公は、
自分が恋の対象にしようとした相手に、
知られてすらない、という設定です。

『君が好きだけど さよならしたい』作詞作曲:たろう

眠りたくない やることがたくさんあるから
さよならしたい 余計な考えばかり

答えはない 人生の全てのように
安心するつもりはない 一度は死んでみたい
君がすべて そんなわけはない 

わけはない わけはない わけはない

君が好きなのは 決して嘘じゃない 
でもさよならしたい ここはゴールじゃない



眠りたくない やることがたくさんあるから
さよならしたい 無駄な時間ばかり

数珠つなぎみたいな 愛の押しつけ合い
ビリヤードは終わる どこにもつながない
誰も通させはしないから ここがドラマの最終回
最終回 最終回 最初(もと)に戻れ

考えても仕方ない だからここはゴールじゃない
さよならを済ませて 行くべき場所(とこ)がある

君が好きだ 嘘じゃない 君が好きだ 嘘じゃない 今度は 嘘じゃない…↓

https://www.youtube.com/watch?v=rE49c2LFruY