たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

コロナウイルスとロックンロール

不思議な気持ちで生きている。

コロナウイルスが、
世界を覆いつくしている、
この現在、
信じられないことばかり、起こっている。

新聞をパラパラと開くと、
やれ、
中国とアメリカが協力体制に入っただの、
やれ、
ロシアがアメリカにマスクを贈っただの、
やれ、
中国の誰かが、
日本の保育園にマスクを贈呈し、
お礼をしたいが、
連絡先がわからないだの、
慈愛に満ちた言葉が、
溢れている。

一体、どうしたことなのか?
あれほど遠かった、
世界平和が、
これほど簡単な姿で現れるとは。



私は京都に住んでおり、
二人の子どもがいるのだが、
騒動の最中、
臨時休校に続いての春休みが、
明けた後、
この子らを学校に行かせるのかどうか、
親として判断する必要があった。

家庭内にある様々な理由を検証し、
私はおそらく、
この子らに、
考えられる限りの対策を与えて、
学校に行かすのではないか?
と思った。

だからと言って私は、
ほとんど悩んでいなかった。
どこか、
休校が延長になるような気がしており、
実際、その通りになった。

なぜ、
休校が延長になる気がしたかというと、
ごくごく当たり前の話で、
皆がそのように考えてるだろう、
と思ったからだ。
何しろ、
ウイルスは無差別に人間を襲ってくるから、
皆が同じ不安の中にいる。
千年、万年、
人間は多くの戦争の中で、
優が劣を殺害してこそ平和、
生き残った者が勝者、
という幻想を、
どれほど多くの残酷を経験してすら、
克服できなかった。
彼らウイルスは、
そんな幻想を、
いとも簡単に乗り越えてやってくる。



内閣総理大臣を、
安倍晋三が務めているのは、
単なる偶然だろうが、
たまには彼の顔を見て、
ぶかぶかのマスク姿に、
豊かで脂ぎった髪の毛が、
やつれたように、
数本だらりと、
垂れ下がっているのを見たりすると、
哀れな気持ちにならずにいられない。
長年慣れ親しんだ、
総理大臣の顔が、
このような表情になるのは、
初めてのことだ。

この右翼のプリンスは、
こんな形で緊急事態宣言など、
出したくはなかっただろう、と思う。
体制のため、
国防のため、
美しい国のため、
先祖代々の理想のため、
華々しく成立させたく、
喉から手にいれる程、
欲しかった緊急事態条項が、
敵対していたはずの野党からすら、
突き上げられ、
これほど簡単に成立し、
まさか、
ホンモノの自然災害のために、
使用する破目になるとは。

総理大臣から、
一般庶民まで、
あらゆる立場の人間の価値観が、
崩されて行ってる。
もはや、
考えても仕方ないのだ。
ウイルスの前に我々は平等だ。
菌から見た我々は、等しく手軽で愚かな存在だ。
争うヒマもなく、
社会の動きはストップしてしまった。
人類は、
否応なしに、
長い長い、強制休息期間に入ってしまったのだ。

おかげで私は、
一切の頑張りから解放され、
一日ひとつは、
手応えのある何かを得なければ、
達成感が無ければ、
終わることができないという、
強迫観念からも解放され、
争いごとの大元であった、
野心や上昇志向からもすっかり解放され、
心穏やかな日々を送っている。
自分が今まで作ってきた音楽すら、
すべて捨ててしまっても、
全くかまわない。
(ロックンロール!)
それほどに、世界は変わってしまったのだ。



しかし、
残念ながら、
疫病というものは、
いつかは終わってしまう。
私はコロナ騒動が終わってしまうのが、怖い。
もしも、
数か月で疫病が終わってしまえば、
喉元過ぎれば熱さ忘れて、
人類は何事もなかったように、
あの頃に戻り、
再び無益な争いを繰り返すだろう。
せめて、
一年くらいは、
この状態が続いてくれないだろうか?と思う。
一年も続けば、
ウイルスの流行が去ったとしても、
ある程度の緊張感は、
続いてくれると信じている。
マスク姿も勇ましい、
風の谷のナウシカ
の世界が本当にやってくるのだ。
私たち愚かな人類には、
少々の緊張感が継続されている方が、
余程平和なのだ。