たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

大阪維新について

松井一郎や、
吉村洋文の発信を見るたびに、
ポピュリズムの精神構造というのは、
弾を込めたらすぐ作動する、
速射砲みたいなもので、
熟考は邪魔になるのだなと思う。

自分には、
大阪維新(どこまでも『大阪維新』なのだ!)
の、冷血性に対しては、
軽口を叩けない、という思いがある。

なぜなら、
自分が住んでいる京都が、
宿痾みたいに抱えてる、
共産対反共の理由でさえ、
何十年も、
此処で生活して、
全く表沙汰にならない、
地べたの台詞のやり取りを、
アチコチで耳にして、
「ああ、そういうことなのかも」と、
時間をかけて、
少しずつ霧が晴れ、
理解して行く位だ。

その地でしか、わからないことがある。

大阪維新が、
支配する前の大阪を、
実感として知らない自分が、
テレビで、吉村洋文の血走った目を見ても、
その裏に積み重なった歴史などわからない。



今日偶然、
淀に行く用事があり、
自分は20代前半の3年間、
この街で仕事をしてたのを思い出した。
以前、
このブログの自伝に、
詳しく書いたので繰り返さないが↓

tarouhan24.hatenablog.com

自分は、
淀の仕事場で、
ポピュリズム風な喋り方をする、大阪からやってきた悪魔のような男」
に洗脳され、
騙され、
金を持ち逃げされ、
借金を抱え、
死の寸前に至るまで、
精神を破壊されたことがある。
自分は、その時はじめて、
目的のためには、
手段を選ばない人間というものが、
存在することを知った。

そして男は、
当時まだ、結党されてなかった、
後の‘大阪維新の顔
となる人物との繋がりの一端に、
自身がいることを、
さかんに吹聴し、
おそらくそれは事実だった。

何年も経ってから、
ある国政選挙で、大阪維新の候補が、
自分の住む京都3区に候補を立て、
本気で、当選を狙ってきたことがあった。
だから、
その時自分は、全く思い入れのない、
当時の民進党の候補者を盾にしてまで、
選挙運動に参加した。
これは当然、
イデオロギーでも何でもなく、
自分の青春のトラウマが原因の反射行動だ。
結局、
大阪維新の候補者は落選するのだが、
あの選挙で、
候補者カーの上から、
自分の住む団地に語りかけていた、
松井一郎の応援演説は、
奇妙に見える程、場違いだった。
あのような現大阪市長の姿など、
中々テレビで観れるものではないだろう。



今でも、
自分には、京阪電車の窓から
人には見えない、
大阪と京都の軍事境界線が見える。
淀に来て、大阪の方向を見るたびに、
気持ちがぞわぞわするのだ。