太朗の主夫日記 ~So What?~

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旅に出なかった

 

 

 

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旅をしたことがない。
にもかかわらず、

「旅をしてそう」とか「旅が似合う」とかよく言われる。

実際、旅を試みたことは、よくある。

18歳くらいのとき、山形に住んでいた。
(これは旅ではなく、単なる移住)
田舎を求めて、山形に移住したにも関わらず、
都会に飢え、バスで一時間程かけて、よく仙台に行っていた。
多分夏だろう、仙台駅前では寝袋で寝ている旅人をよく見かけた。
そのとき電撃的に「自分は絶対これをするべきだ」と確証が心に走った。

帰京したとき、死んだオヤジに
「お父さん、オレ寝袋買うかもしれんわ」と言った。
オヤジは満面の笑みだった。

「息子が、ここまで来た」という気持ちが、表情に表れていた。
「寝袋は、必要になるかもしれんな!」とオヤジは言った。
だが、自分は寝袋を買わなかった。

何となく。
何故、買わなかったのだろう?と、今でも思う。
言い訳のようだが、
おそらく、単に買う機会がなく、そもそも、
どこに売っているのか、わからなかったのだろう。
そして、事あるごとに何回も、
「寝袋買っておけば良かったなあ」

と言っていたのを覚えている。
結局、旅に出なかった。
今は、滋賀と京都を往復していれば、それで満足するし、
行かなければならないとこは、沖縄だけだ。

 

「バンドとかやってはるんですか?ギター弾けそう」
と言われて、
「いえ、できません」と、この人生で何回答えただろう。
おそらく、自分は楽器が似合うのだろう。
シタールとか持ったら、かなりしっくりくると思う。
そもそも、音楽はかなり好きで、
いろんなジャンルの音楽を聴き、
よく人とも音楽の話はするし、
長いこと、CDショップでアルバイトまでしていた。
「バンドやってるんですか?楽器できはるんですか?」
と、人に言わしているようなものだ。
だが、弾けない。
もちろん、バンドを組んだことなどない。
でも、やろうとしたことが無いわけではない。
むしろ、結構努力した方ではないかと思う。
だいぶ前、何故か、ブルースキーボードをマスターしようとして、
(動機は忘れた)
CD付き入門書みたいなのを買い、
結構、マジメでストイックな性格なので、
半年くらい、
一日、30分~1時間とか自分にプログラムを課して、
集中して練習を続けていたことがある。
結果は、

ちょっと弾けるようになっていたかもしれないような、記憶はある。

ただし、今は絶対弾けない。
証拠にこないだ、「こういうものは、頭は忘れていても、体は覚えている」説に従い、
ピアノの前に座ってみたところ、指は一ミリたりとも動かなかった。
それはそうだ。

根本的に何をどうすれば良いのか、わからなかったからだ。
「そう、オレは楽器が弾けない、弾けない、弾けない」
と思ってみる。
すると、
「楽器が弾けない」自分がやけに、しっくりときてしまう、

そんな瞬間が、皆様にもないだろうか?

唇の片方をやや吊りあげ、歯を見せず、
そのまま笑顔を固めてしまうような、一瞬。

 

似合う服装というのも、またタチが悪い。

自分は、やたらと、タートルネックのセーターが似合う時期があった。

というより、似合うと言われたから着ていたので、
おそらく似合うようになっていったのだろう。
40年生きてるが、タートルネックのセーターが流行したことは、
特に無い気がする。
そもそも、自分自身、タートルネックのセーターなど、
さほど好きではない。
にもかかわらす、似合うせいで、
タートルネックのセーターは、どんどん増えて行った。


季節の変わり目、
衣替えをしていると、
衣装ケースの中から、
タートルネックのセーターが、
1ま~い、2ま~い…5枚も出てきた。
5枚のタートルネック
ひとりの人間が持つ数としては、異常だ。
さすがに恐ろしくなり、簡単にモノを捨てるなんて、
バチ当たりなことは、普通しないのだが、
そのタートルネックはほぼ一気に処分したのではないか、

と、記憶する。

 

似合うことほど、やりにくいことはないのではないか?

向いてることほど、向いてないことはないのではないか?


自分にとって、恋愛も、旅と楽器とタートルネックのセーターに似たようなもので、

似合いすぎて、悲惨にも思える。
恋愛対象が必ず、不幸になったこと。

これを、証拠にあげないわけにはいかない。
似合いのカップルというのは、
うまくいかないのものだろうか?

アニタ・パレンバーグとブライアン・ジョーンズみたいに。
それは言い過ぎか。
単なる思い込みかもしれない。
比べると、結婚は、まだ成功の可能性はあるかもしれない。

 

ここまで書いて、

似合いすぎることは、決してするなという、
教訓も出てこないことはない。

でも、わからない。
こないだまた、自分はギターを弾こうと試みてしまった。

やはり、おそらく似合っているのだろう。

ギターも結構練習したことがあるのだ。
でも、何回やっても、
コードチェンジをするとき、
バレーコードだったら、
頭の中で、「えいやっ!」と指の形をイメージしても、
薬指と小指が死んだようにブランとして、力が入らず、
弦を押さえることができない。
決して、決して、練習をサボったわけではない。
ここまでくると、病かもしれない。
誰か、専門知識のある人に治して欲しいと思うくらいだ。
こうして文章を書いていても、

自分の右手真横に
不気味にギターは沈黙している。
「このヘタクソ」
とでも言いたいのだろうか。

 

「似合いすぎることは、決してするな」
もう一度、思ってみる。
それでも、自分にはとにかく試みようとし続ける意志がある。
こうしてみると、文章で人間の一瞬を捕えることは不可能だ。
数秒後にはもう変化している。
誰でもそうなのだろう。
自分は、そういう人間の前向きさが大好きなのだと思う。