たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

天安門事件

一年前の今日、SNSに投稿した文章です。
今でも基本的な考えは変化していないので、
ブログに転載します↓




天安門事件は、76年生まれの私にも心的外傷です。

中学生のとき、
久米宏が出演しているテレビのニュース映像で、
学生たちが制作したであろう、
洗練されてるとは言えない造形の
‘民主の女神像’
が、破壊されたときには、悲劇性を感じたものです。

長らくそこに飾られるものと、思っていましたから。

民主の女神像の下で、
鄧小平と人民解放軍はどのようにして、
一般庶民を殺したのか、テレビのニュースが全てだったその時代にはわかりませんでしたし、今でもわかりません。

成人してから、
三条河原町にあったメディアショップという、レンタルビデオ店の中古販売コーナーで、
二巻組の映画「天安門」のテープを購入しましたが、
それを見ても天安門事件が一体何なのかは、よくわかりませんでした。

段々と理解していったのは、
国家の指導者の冷静な頭脳は、放っておくと何をしでかすかわからないということ。

(シリアへの空中からの虐殺作戦を、自国の軍隊に指示しながら、日本の通り魔殺人事件に哀悼の意を表明する、ドナルドのように)

そして、
たまたまそこにいた美しい若者を、危険を伴う反体制のアイコンに仕立て上げておき、
影で、それをずるく自分勝手に応援したり、熱狂したりする人間が存在すること。

インターネットのいい加減な情報で、 柴玲や王丹の人生が、その後どうなったのか知ろうとは思いません。

ですが、天安門事件以来、政治運動の中で胸を打つ英雄が出てくるたびに、「よしなさいよ」としか言えない、臆病な人間に私はなったのです。

曲リストを

今日は…
持ち歌が60曲になったので、
何となく、
曲リストの公表です。
こういうもんに興味を持つ、
奇特で有難い方も、
いらっしゃるかも知れないので。

カバー2曲、
共作7曲、
完全自作が51曲ですか。
曲作りを始めたのは、2017年12月くらいから。
順番も大体…合ってますかね。

「オレが真のロックン・ローラー」「オレが真のブルース・シンガー」「オレが真のフォーク・シンガー」「オレが真のラッパー」「オレが真のレゲエ・シンガー」「オレが真の演歌歌手」「オレが真のテクノ・ミュージシャン」「オレこそが真のパンクス」「オレがファンキーやなかったら、一体誰がファンキーやねん」

様々な詐称を働いた結果ですね。
1曲書くと、
もう一生、似たような曲しか、
書けないんじゃないだろうか?
と不安になります。
今後とも、よろしくお願い致します。

1 くらいつく(作曲:あゆるん)
2 オレにはそれで充分だ(作曲:あゆるん)
3 ふたりのシェルター
4 みちのみち
5 資本主義
6 自衛隊のおっちゃん
7 友達
8 この世は女性のためにある
9 バイバイ
10 花はいらない

11 太朗のラップ
12 戦争と選挙はやめてくれ
13 無題のブルース
14 アポロの歌
15 鳩のヘブン
16 天皇陛下はいらない
17 芙蓉の花(作曲:あゆるん)
18 種
19 人間の悲しさを忘れない
20 絶対ここから抜け出して見せる

21 ハロー、ハローハロー、ハローハロー沖縄
22 大きくなると(作詞:DAICHI)
23 雨が上がった
24 雨の音(作詞:DAICHI)
25 他人の幸せ許せない
26 生活のうた
27 ニノヨイサッサイ宮古島(作詞:KAORI,MASA 作曲:MASA)
28 ロスト・ジェネレーションのうた
29 あなたがわからない
30 少女

31 おはよう
32 孤独の誕生日
33 花の応援団
34 夫をあの世に送りたい
35 表現の自由
36 先生は指名手配
37 今日の空は青かった(作詞:コスモス)
38 ジャンプの打ち切りマンガとカネやんの400勝
39 そよ風(作詞:DAICHI)
40 Glory to the 香港(香港民主化運動のテーマソング)

41 戦争と平和と芸術家(War, Peace, Artists)
42 宇治へ嫁ぐ
43 伏見の景色
44 クリスマスの道(作詞:コスモス)
45 英雄
46 12年前
47 桜を見る
48 無気力ベイビー
49 利息型奨学金ブルース
50 人類滅亡

51 君が好きだけど さよならしたい
52 AI
53 ロックン・ロール
54 マリワナ・ハイ
55 母親をkoroshitai
56 カンタンな唄
57 穏やかな風
58 9条信者
59 PTA
60 ウイルスは教えてくれる

コロナウイルスとロックンロール

不思議な気持ちで生きている。

コロナウイルスが、
世界を覆いつくしている、
この現在、
信じられないことばかり、起こっている。

新聞をパラパラと開くと、
やれ、
中国とアメリカが協力体制に入っただの、
やれ、
ロシアがアメリカにマスクを贈っただの、
やれ、
中国の誰かが、
日本の保育園にマスクを贈呈し、
お礼をしたいが、
連絡先がわからないだの、
慈愛に満ちた言葉が、
溢れている。

一体、どうしたことなのか?
あれほど遠かった、
世界平和が、
これほど簡単な姿で現れるとは。



私は京都に住んでおり、
二人の子どもがいるのだが、
騒動の最中、
臨時休校に続いての春休みが、
明けた後、
この子らを学校に行かせるのかどうか、
親として判断する必要があった。

家庭内にある様々な理由を検証し、
私はおそらく、
この子らに、
考えられる限りの対策を与えて、
学校に行かすのではないか?
と思った。

だからと言って私は、
ほとんど悩んでいなかった。
どこか、
休校が延長になるような気がしており、
実際、その通りになった。

なぜ、
休校が延長になる気がしたかというと、
ごくごく当たり前の話で、
皆がそのように考えてるだろう、
と思ったからだ。
何しろ、
ウイルスは無差別に人間を襲ってくるから、
皆が同じ不安の中にいる。
千年、万年、
人間は多くの戦争の中で、
優が劣を殺害してこそ平和、
生き残った者が勝者、
という幻想を、
どれほど多くの残酷を経験してすら、
克服できなかった。
彼らウイルスは、
そんな幻想を、
いとも簡単に乗り越えてやってくる。



内閣総理大臣を、
安倍晋三が務めているのは、
単なる偶然だろうが、
たまには彼の顔を見て、
ぶかぶかのマスク姿に、
豊かで脂ぎった髪の毛が、
やつれたように、
数本だらりと、
垂れ下がっているのを見たりすると、
哀れな気持ちにならずにいられない。
長年慣れ親しんだ、
総理大臣の顔が、
このような表情になるのは、
初めてのことだ。

この右翼のプリンスは、
こんな形で緊急事態宣言など、
出したくはなかっただろう、と思う。
体制のため、
国防のため、
美しい国のため、
先祖代々の理想のため、
華々しく成立させたく、
喉から手にいれる程、
欲しかった緊急事態条項が、
敵対していたはずの野党からすら、
突き上げられ、
これほど簡単に成立し、
まさか、
ホンモノの自然災害のために、
使用する破目になるとは。

総理大臣から、
一般庶民まで、
あらゆる立場の人間の価値観が、
崩されて行ってる。
もはや、
考えても仕方ないのだ。
ウイルスの前に我々は平等だ。
菌から見た我々は、等しく手軽で愚かな存在だ。
争うヒマもなく、
社会の動きはストップしてしまった。
人類は、
否応なしに、
長い長い、強制休息期間に入ってしまったのだ。

おかげで私は、
一切の頑張りから解放され、
一日ひとつは、
手応えのある何かを得なければ、
達成感が無ければ、
終わることができないという、
強迫観念からも解放され、
争いごとの大元であった、
野心や上昇志向からもすっかり解放され、
心穏やかな日々を送っている。
自分が今まで作ってきた音楽すら、
すべて捨ててしまっても、
全くかまわない。
(ロックンロール!)
それほどに、世界は変わってしまったのだ。



しかし、
残念ながら、
疫病というものは、
いつかは終わってしまう。
私はコロナ騒動が終わってしまうのが、怖い。
もしも、
数か月で疫病が終わってしまえば、
喉元過ぎれば熱さ忘れて、
人類は何事もなかったように、
あの頃に戻り、
再び無益な争いを繰り返すだろう。
せめて、
一年くらいは、
この状態が続いてくれないだろうか?と思う。
一年も続けば、
ウイルスの流行が去ったとしても、
ある程度の緊張感は、
続いてくれると信じている。
マスク姿も勇ましい、
風の谷のナウシカ
の世界が本当にやってくるのだ。
私たち愚かな人類には、
少々の緊張感が継続されている方が、
余程平和なのだ。

 




曲を作る、そしてフォークシンガー

土曜日の夜に、
路上ライブに出かけようとしたが、
雨のため、断念する。
代わりに、曲作りを試みる。
軽い気持ちだったが、
3曲スルスルと出来た。

創作のモチベーションとか、
インスピレーションというものは、
何処からやってくるのだろう?
と、思う。

出来たのが、
『ロックン・ロール』→https://www.youtube.com/watch?v=Pk4PY7b9tRE
『マリワナ・ハイ』→https://www.youtube.com/watch?v=DNBTQ0a-feM
『母親を殺したい』
の、3曲。
どれも、
何かしら、
家の用事をしているスキ間に、作った。
最後のは、まだyoutubeに上げていない。
ずいぶん物騒な曲名だ。
路上ライブで演ることを、
自分に許可しないだろう。
今後、説明が必要になってくるかも知れない。



さて、今日は日曜日、
雨が降る様子はない。
晩ごはんの支度をしてから、
いつもの大手筋に出る。
晩ごはんの支度をしたからと言って、
大手を振って、
家庭での任務から、
解放されたわけではない。
晩ごはんを作った、というだけのことだ。

今日の大手筋は寒かった。
到着が六時半だったため、
すでに人通りもまばらだ。
辛抱して演奏する。
『資本主義』
『桜を見ても』
『君が好きだけど さよならしたい』
自作曲を歌って行く。

友人のmさんが通りかかる。
自分の曲を知ってくれていて、
リクエストを頂戴する。
『生活のうた』
という歌をうたう。

余り、
歌うつもりが無かった曲なので、
方向性が変わる。
ロックン・ローラーというよりは、
フォーク・シンガーみたいな感じになって行く。
予測しない方向に行くから、
他者の存在はありがたい。
楽しくなってくる。
『AI』
『12年前』
新しく作った曲も交えて歌う。
mさんは去って、また一人に。
『少女』
『芙蓉の花』(作曲:あゆるん)
『香港に栄光あれ』(カバー)
やはり、フォークだ。

目の前には大学生らしき、
待ち合わせの4、5人。
振り向かせたい、ロックしたくなる。
『無気力ベイビー』
『人類滅亡』
誰も、こちらを気にする様子はない。
どうもロックにならない。
だが、かまわない。
執着しているわけでもない。
それでも新曲の、
『ロックン・ロール』を試してみる。
良い感じだ。
家では余りうまくいかなかったのに、
路上だとうまく行く。
自由な気持ちが、そうさせるのだろうか?

寒さは限界近くになる。
『クリスマスの道』(作詞:コスモス)
そして再び、
『君が好きだけど さよならしたい』
を歌い帰宅する。
歌える、
ということが良かった。
休日に、
歌うことができる仕事に就いていることが、
本当にありがたい。
歌うことで、
自分が自分であることを、確認できるのだ。

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ロックンロール

ムシャクシャする。
右を向いても左を向いても、
クールを気取った癒し系ばかり。
オレのことを純粋だとか言うけど、
単にアンタらに度胸が無いから、
腹を割った話ができないだけだ。
満足な挨拶もなく、
無心で会話すらできないなら、
コロナウイルスを怖がることもないだろう?
元々自粛してるんだから。
探り合いをしながら、
雰囲気を壊さないように、
薄氷の上を歩くみたいに過ごして、
何が楽しい?



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40過ぎてこんなことを言ってるオレは、
まるで湘爆のシゲさんだ!

ヘイ!
メッセージが伝わらない、
こんなブログを書いても仕方ない。
歌う場所がない!
心を開いて話ができる友人など、
ひとりもいない!
表現者としての自分は、
自殺衝動にかられている!
どうする?
歌いに行け、
今すぐ歌いに行け!
大手筋に行け、
負けるな、たろう!
負けるな、たろう!



京阪伏見桃山駅東大手筋。
17時30分。
まず、
『芙蓉の花』だ。
殺す側も、裁く側も、
あまりにも命を軽んじているこの時代、
これが必要だ。
作詞はオレ、たろう。
作曲、あゆるん、の作品。
ただの反戦歌じゃない。
人間の深い尊厳を歌った歌だ。
murakamisan!

オリジナル曲を歌い続ける。
『桜を見ても』で、1000円のチップ。
声が出てる!

『種』
『おはよう』
『君が好きだけど さよならしたい』
『12年前』
『英雄』

『香港に栄光あれ』(これはカバー)
戦争と平和と芸術家』
『そよ風』

酔っぱらいのおっちゃんが、
「古い歌やったら知ってるで~」
と絡んでくる。
最高。
オリジナル曲のコード譜しかないので、
自衛隊のおっちゃん』歌ったら、
ノリだけで、
おっちゃん大喜び。
一円もチップくれんと、
天に向かって、
拳つきあげて、
万歳して去っていった。
長生きしてや!
そんな歌だ!

最後のつもりで、
もっぺん、
『芙蓉の花』全力で歌ってたら、
ミセスな老婦人が傍に。

ヘンな歌、
うたったらアカンので、
癒しムードの、
『伏見の景色』を歌う。
するとミセス、

「まったりしすぎ、優しすぎ」

ならばと、
3コードの
『種』を歌う。

ミセス「まだまだなよっとしている」

ならば、
ロックンロールの
『利息型奨学金ブルース』を歌う。

ミセス「それ、それアンタのことや、アンタの歌や」
そう、
オレはロックンローラーだ。
楽器がウクレレであろうと関係ない。
エレキギターと高級アンプを持った、
腰抜けだって腐るほどいる。

オレは歌う、踊る。
リズムを刻む。
『無気力ベイビー』

『12年前』

老婦人「どうやろ?それはアンタのことなんか?」
鋭い、
それはオレじゃないレディのことを歌ったんだ。

なら『ロスト・ジェネレーションの歌』だ!
オレの歌だ。

老婦人「まあエエわ(悪くない)」
と、チップを落として返って行く。

何てことだ!
と思う。
自粛していたのは、
世間の連中じゃなくて、オレ自身だった!
オレは日和っていた!
脳味噌空っぽの癖に、
探り合いをして、
雰囲気を壊さないようにして、
薄氷の上を歩くみたいに過ごしてたのは、
オレだった!
バカ野郎!
おまえは歌いたいのだろう!
歌えばいいじゃないか!
勿体つけて…
周りに気を使って…
政治系の歌を避け…
テクニックもない癖に、
大道芸人気取って!
おまえみたな不器用野郎は、
表現するしかないだろう、
ロックンロール以外、
何ができる!
『資本主義』
『友達』
『アポロの歌』
天皇陛下はいらない』
『戦争と選挙はやめてくれ』
『君が好きだけど さよならしたい』
昔(と言っても二年前だ)に、
作った歌も歌う。
歌いたかったんだ。
オレは、
オレの歌が大好きだ。

モヤモヤして、
自殺しそうになったら、
すぐ歌う、
歌で返し、歌で生きる。
それがオレのロックンロールだ。

京阪伏見桃山駅東大手筋。
19時30分


フェミニズムとダンディズム

フェミニズム」とか
ジェンダー」とかいう単語を目にするだけで、
私は尻ごみしてしまう。

冗談抜きで、
フェミニズムについては、
一生語らずに死んでいこうと、
算段していたのだが、
どうも、
そーゆー風には、いかない感じになってきた。
何故、いかない感じになってきたのか?
と問われても、
特に理由は無い。
強いて挙げれば、
人生も後半戦に入ってしまったから、
といったトコだろうか?(マジで)

まず、
断っておかねばならないのは、
私は、
異性愛者の男性ということだ。
この狭い視野でしか、
物事を考えることができない。
大きな弱点だが、
弱点を逆手に取って考えてみたいと思う。

異性愛者の男性としての私。
そいつが、
フェミニズムに尻込みする最初の理由は、
ありとあらゆるものに、
正直に向かいあわなければならない、
義務感にかられるからだろう。
感覚としては、
ヌードになることに近い。

そういえば、
ある女性のフェミニストが、
ヌードになっていて、
ずいぶん勇気があるな、
私には到底無理だな、と思っていた。

フェミニストとしてのヌードは、
男性の欲望のために存在しない。
単純な話で、
ヌードになりたいから、
ヌードになり、肉体を社会に示す。
曖昧な記憶だが、
マドンナのヌード写真のキャッチ・コピーが、
「完全なる拒絶」
だかなんかで、
ここでも、私はずいぶん尻込みしたものだ。

ヌードについて書くと、
このままどんどん話がそれて行き、
別テーマの文章が、
出来上がってしまうので、
ここで止めておく。
私が言いたいのは、
フェミニストはおそらく、
自分の肉体を、
自分でコントロールする術に長けている、ということだ。
決定権が、完全に自身にあるのが常なのだ。
表現の方法は、
ファッションとか、写真とか、スポーツとか、
それぞれだろうが、
いずれにしろ、私には縁が無い。

だが、あやかることならできる。
フェミニズムについて考えることが、
私にとっては、
ヌードになるほどの勇気が必要ならば、
当事者であるフェミニストが、
自己決定でヌードになるように、
私も自分が好む形で、
私の精神を解き放てば良い。

せいぜい、言い訳に使わせてもらうのだ。



話を本題に戻す。
今まで私は、
性的加害者の立場からの語りに、
力を注いできた。
これは、体力を消耗する。
京都のフラワーデモに参加して、
何回か語りの作業をしたが、
ほんの数回で根を上げてしまった。
体力の問題だけではない。
確かに自分は性的加害者だったが、
加害者の性を持つことを、
語るだけでは、
そもそも何かが欠けている。
欠けたまま、
説明責任を果たさないことで、
私は、自分がフェミニズムに触れることを、
防いできたとも言える。
逃げずに、恐れを紐解いていかねばならない。

フェミニズムに触れるためには、
私が加害者であるばかりでなく、
私が人生で、
女性とどのように関わってきたか?
を本質に置かなければ、先に進めない。

それは加害者としての、
告白以上に勇気が必要だ。
女性との関わりを考えるならば、
自身の恋愛観を、
避けて通るわけにはいかず、
人生から恋愛を、
抽出してスケッチするには、
自分の性的な悪質さに、
一端、目をつぶらなければならない。
これはキツイことだ。
隠しごとをしながら、
日常生活を営むよりも、
いっそ、犯罪を自白した方が楽という心理がある。
(吉本興業のお笑い芸人によく見られるように)
私は、まるで指名手配犯のようだ。
冗談ごとではない。
フェミニズムに触れた瞬間、
私は指名手配犯として、
逃亡生活を送らなければならないのだ。
もっと言うと、
男性が恋愛観を持つこと自体、
女性性が想像するより、難しい。
これは、
精神的未成熟さという意味で、
大変情けない話である。
今、苦笑いをした己の顔を鏡で見よ。
フェミニズムが私たち男性に、
浸透しないわけだ。



さて、
私は貧しい恋愛体験を思い起こして、
フェミニズムに触れることが、できるだろうか?
(このような試みも、人生後半戦に入って、
恋愛からはるかに遠ざかった、現在だから出来ることだ)

まず私は、
自分から働きかけて女性を〈得た〉ことはない。
もちろん、
試みたことはあった。
一瞬、〈得た〉ような気になり、
私は「やった!」と思うのだが、
その状態が継続した試しはない、
押さえつければ、
押さえつける程、
彼女たちは、
掌から水がこぼれ落ちるように、
何処かへ逃げて行く。
(逃げていくのを、
押さえ続けることが、
正に旧体制でありハラスメントだ)

私は、恋の対象の女性を選ぶことができないし、
できなかった。
私の恋愛は女性に、
「許される」か「許されないか」だけ。
自分自身で、
女性を選んだつもりであっても、
それは思い込みであり、
私はずっと選択されていただけなのだ。
果たして、選択されるだけというのは、
幸せなのだろうか?
わからない。
確実に言えるのは、
得ようとする努力を捨てて、
選択されている限り、
私には女性が何を考えているのか、
永遠にわからないということだけだ。

反対に、
誰にも選択されず、
深い孤独におちいっている、
異性愛者の男性の気持ちは、痛い程よくわかる。
過去に実際、
アパートの部屋でひとりだった頃、
無気力を極めつくした自分がいた。
長く深い孤独は、とことんまで人を無気力にさせる。
終わらない排泄みたいな欲望と、
マザーコンプレックスじみた、
愛への枯渇が複雑に混ざり合い、
肉体と精神、その区別がつかない。

(ああオレは、何も残さず死んでいく)

生物として、
地の底に追いやられて行く、
絶望的な感覚だ。

そして現在の私は、
常軌を逸している程に、保守的な結婚生活に拘っている。
毎日を工作員の如く、
家庭構築のミッションに費やしている。
台所の流しを清潔にし、
洗濯物を干し、
ガステーブルの不具合を修繕し、
仕事をし、
調理をし、
パートナーと会話をし、
子どもの歯磨きを仕上げ、
洗濯物をたたむ。
パートナーである女性が、
私を愛し続ける保証は何処にもない。
私は、自分の家庭生活が、
首の皮一枚の所で存在していることを、
理解し恐怖している。
努力の果て、
ここに晴れて、
平凡な中年男性として、
平凡な日常を過ごしている。

それでも時折、ふと思うのだ。
このような人畜無害な私は、
女性から見て、
模範解答の人生を歩んでいるのだろうか?と。
女性からどのように見られているか?
を、相も変わらず気にかける私は、
アパートの孤独な糞餓鬼だったころから、
いささかも成長していない。
「女性が何を考えているのかわからない」
と言った上のことだから、
推測でしかないのだが、
人畜無害の男性性が、
女性から見た、
模範解答とは限らないと思う。
何故なら人畜無害な私など、
自らを去勢した存在で、魅力にとぼしく、
もはや、
誰からも選ばれないだろう、という自覚がある。
救いようのない孤独と、紙一重なのだ。

どれほどマジメにやったところで、
女性を〈得る〉ことはできない。
彼女たちは、
いつでも掌からこぼれ落ち、
知らない何処かに、駆けて行く。
知らない何処かとは、
魅力的な男性や女性かも知れないし、
やりがいのある仕事かも知れないし、
穏やかで安らげる家族のような、
芸術の世界かも知れないし、
政治や思想の闘争現場であるかも知れない。

一体女性は何を考えているのか?
わからない。
どれほど頑張っても、
女性を得ることはできない。
こんなに一生懸命、
人畜無害、
マジメに生きているのに。
裏切られた。
約束がちがう。
あんたは、
オレのことなど、
気にもかけていない。
マザーコンプレックスじみた、
愛への枯渇、
排泄みたいな欲望。
ここにいるのは、
無駄な精子のように、
結局は選ばれず、取りこぼされた男だ。
このミジメさを我慢しろというのか?
この上、フェミニズムなど許せない。



私は貧しい恋愛経験から、
フェミニストを攻撃する、
男性心理の一面を、
このように想像することができる。
すると私は、
聞きわけの良い、
改心した性的加害者だけでなく、
フェミニストを攻撃する、
哀れで卑小な男性心理をも、
持ち合わせていることになる。



ならば、
何故、自分が全く得をしないであろう、
フェミニズムに触れようとし、
あげくの果てに肩入れまでするのか?

理由は極めて単純、男らしい義侠心だ。

単に、過去の性的加害者としての贖罪だけではない。
男性ならば本来、
自分よりも腕力の劣る生命体を、
危険な目に合わせたくはないはすだ。
私は、用法を誤っている、
ジェンダー平等」や、
フェミニズムによって男性側もラクになる」
という理屈が理解できない。
ラクになれなくとも良いし、
ラクになる必要もない。
ラクどころか、
フェミニズムには、
やせ我慢なくらいの、男のダンディズムが必要なのだ。
私は、そう思う。



ここから先は、女人禁制。
男から男へのメッセージだ。
(別に読んでもらうぶんには、構わないが)

いつから男は、
顔に少しでも傷がつくと、
シクシク涙目になる、
少女マンガの乙女のように繊細になってしまったのか?

いつから男は、
ペラペラ多弁で理屈っぽくなったのか?
かつては、寡黙が美学であったはずなのに。

いつから男は、
どんと構えた包容力を失い、
自分を脅かす存在に恐怖し、
議論で勝利することに腐心する、
自己主張だけの存在になったのか。

いつから男は、
任侠を忘れ、
幼稚で刹那的な拝金主義に憧れるようになったのか。

いつから男は、
安い知識で身を固め、人生に身を投じようとしなくなったのか?

古き良き男は何処に行った?
傷は男の勲章ではなかったか?
精神レベルで、
ちょっぴり流れ弾を、もらいにいっただけで、
卑下だのマゾだの言われてたら、世話がない。
実際に肉体が痛いわけでもないだろう?
ちっぽけなプライドを守って何になる?
何が「男はいつまでたっても子どものまま」だ、
何だその恥ずかしい開き直りは。
男性だって差別されている?
よくもまあ、
そんな恥ずかしいことが言えたものだ。
酒に酔って女性に絡むくらいなら、
マスターベーションにでも励めば良いのだ。

オレたちが憧れた少年マンガのヒーローは、
そんなケチくさいものでは、なかったはずだ。

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〈おまけ〉
これは、
音楽日記なので、
自分なりに作った、
ダンディズムの歌を紹介して終わることにする。
重要なのは、
この歌の主人公は、
自分が恋の対象にしようとした相手に、
知られてすらない、という設定です。

『君が好きだけど さよならしたい』作詞作曲:たろう

眠りたくない やることがたくさんあるから
さよならしたい 余計な考えばかり

答えはない 人生の全てのように
安心するつもりはない 一度は死んでみたい
君がすべて そんなわけはない 

わけはない わけはない わけはない

君が好きなのは 決して嘘じゃない 
でもさよならしたい ここはゴールじゃない



眠りたくない やることがたくさんあるから
さよならしたい 無駄な時間ばかり

数珠つなぎみたいな 愛の押しつけ合い
ビリヤードは終わる どこにもつながない
誰も通させはしないから ここがドラマの最終回
最終回 最終回 最初(もと)に戻れ

考えても仕方ない だからここはゴールじゃない
さよならを済ませて 行くべき場所(とこ)がある

君が好きだ 嘘じゃない 君が好きだ 嘘じゃない 今度は 嘘じゃない…↓

https://www.youtube.com/watch?v=rE49c2LFruY






孤独の誕生日ライブ

誕生日なので、ストリートライブをしてきた。
場所は、
自分のストリートライブの故郷と言える、
京阪伏見桃山駅前は、大手筋商店街だ。

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一応は、
SNSなどで告知はしたが、
私にとっても、周囲にとっても、
SNSのサービスは、
考え方を伝えるという点で、
ほとんど無意味になっている。
本当は、こういうブログも紙にしたり、
YouTubeに上げている曲も、
CDにしなければ、ならないのだ。
やらない理由は、
金と時間がないのと、
何より、手間を恐れているからだ。




やはり、
友人、知り合いは誰も来なかった。
誰もいない、孤独の誕生日。
これほど幸福なことが、あるだろうか。
皆、空気を読んでくれたのだ。

道行く人々は、全て観客。
私のことは何ひとつ知らない、
これが、ストリートライブの醍醐味だ。

でも、私は少しも堂々としていない。
ストリートライブを始める前は、
いつも気遅れする。
果たして、
路上で歌をうたうことが、
全く平気だという人間がいるのだろうか?
恥ずかしいし、遠慮する。
当たり前の感覚だ。
悪ふざけをする度胸はなく、
コミック・ソングをうたうことが出来なくなる。



何を歌っただろう?
まず、
『戦争と選挙はやめてくれ』
選挙(京都市長選挙)は終わった!
という喜びを、歌いたかった。
最も、好きな歌かもしれない。

『利息型奨学金ブルース』
『生活のうた』
『伏見の景色』
『おはよう』
『Glory to Hong Kong』

『Glory to Hong Kong』以外は自作曲だ。
そこに拘る。

『桜を見ても』
という曲を歌っている時に、
衝撃的なことが起こる。
車椅子の女性が、
踏切内で転倒した。
自分の仕事は、介護者だ。
ウクレレを捨て救助に当たる。
先に駆け寄った4人くらいの人が、
彼女を救い出す。
私は非常ボタンを探すが、
見つからない。

幸い彼女に怪我はないようで、
大丈夫ですと言い、
何処かに去っていった。
電車は騒動が終わってから、駅に到着した。

踏切は、
車椅子利用者にとって、
恐ろしく危険な場所だ。
また別に、
警報が鳴っているにも関わらず、
遮断機を強引に括り抜ける人も、後を絶たない。
これも、恐ろしい。
定点観測のように、
踏切の前で歌っていると、
そういうことが、わかる。



当たり前だが、
歌う気勢がそがれた。
だが、しばらくしてまた歌ってみる。
『英雄』という歌をうたう。

『12年前』という歌をうたっている時に、
金曜の夜の、
良い顔色をした中年男性が、
逆さにして地べたに置いといた、
私の麦わら帽子に、
チップを投げ入れてくれた。
音のしないものも、混じっている。
彼は、
「確かに伝わったぞ!」
と、いう目をしていた。
『12年前』
これは、希望に満ちた思いを、
2つのコードで歌った歌だ。
希望のために歌う。
社会問題に立ち向かうために、歌う。
何かが伝わったのだろうか?
「ありがとう!」
と、私は彼に叫ぶ。
生きる喜びだ。

生き返った私は、なおも歌う。
もう一度、
『桜を見ても』
表現の自由
戦争と平和と芸術家(War,Peace,Artist)』
『無気力ベイビー』

もう、気遅れなどない。
思い切り歌う。
全てお気に入り、
知られざる自作曲たちだ。
自分は50曲程歌を持っている。
ストリートライブをすると、
それが恐ろしく少なく、感じる。
体感的には、
10曲程しかないように思う。
苦し紛れに、
ずいぶん前に作った
『資本主義』
という歌をうたう。
これも好きな歌だ。
好きな歌ばかりなのだ。



わずか、一時間半ばかりだろうか。
潮時を感じた私は、
深々と大手筋に一礼して、その場を去った。
たったひとりの誕生日ライブだ。
マイクもない、
アンプもない、
身軽さと頼りなさが心地よい。
いつでも、何処でも歌える。
今、余り人混みに出かける、
情勢ではないが、
もっと、ストリートライブに出たいと思った。
その確信があった。

何故だか、
今日は、
初めてのストリートライブのような気がした。
今までも演ってきたにも関わらず、
これが、第一回。
やっと44歳、これからなのだ。
手始めに、
100曲作ろう、
100回ストリートで歌おう。
それでどうなるのか、
自分にもわからない。
どうにかする気だが、
どうにもならないのかも知れない。
かまわない、歌うのだ。

【12年前】作詞作曲:たろう

あの頃の 若い私に
今の私を 教えてあげたい
自分が何に なるのかも
わからずに もがいた日々

生き方をみつけた  生き方をみつけた  生き方をみつけた
メロディが出てくる
言葉が湧きでる
生まれたのは誰?
私から生まれた

全ての 悲しみの出来ごとが
全て喜びに 変わって行く
権力に 屈しない心
愛すべき 人がここにいる
 
何かがみつかる  何かがつかめる  何かがそこにある
振り向くことはない
やるべきことがある
悪夢を見ていた
12年前 12年前 12年前…
https://www.youtube.com/watch?v=WO27EHisG4w