たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

京都市長選について思うこと

京都市はこれから、
市長選挙に入る。
応援する予定候補が見つかったので、
選挙運動のついでに、歌を歌っている。
(歌のついでに、選挙運動をしたくはないものだ)

f:id:tarouhan24:20191230142715j:plain


自分は選挙運動が大の苦手というか、
キライなので、
選挙期間は、
基本的に憂鬱な気持ちで過ごさなければならない。

まあ、
とりあえずそーゆー愚痴は置いておく。
せっかくだから、
今だけの話なので、
京都市長選挙について思うところを、
少し書いておく。



まず、自分は、
「青いとり保育園問題」に関心がある。

f:id:tarouhan24:20191229120015j:plain


青いとり保育園は、
京都市立病院に勤務する、
子どもを持つドクターや看護師の、
仕事、子育てを支える園で、
元々は、
市営保育所に近かったらしい。
(↑写真の本「先生、ボクたちのこと きらいになったから いなくなっちゃったの?」の内容から)
だが、
昔から今に至り、
あらゆるところで進行している、
国の、
そして京都市の、
民営化政策のあおりで、
青いとり保育園も、
突然の、
民間委託の憂き目にあってしまった。
自分は偶然、
この問題の当事者に、
関わりがあって、
民間委託の現状を聞いたことがあるのだが、
それはひどいものだった。

民間委託とは、
バクチというか、
たまたま、
マシな企業が入ればマシなのだが、
最悪な企業が入れば、
最悪にしかならない、ということだ。
保育に関することなのに、
人道的な後ろ盾が全くない状態になる。
企業にあるのは、
ソロバン勘定のみ。
ソロバン勘定自体は結構だとしても、
保育=ソロバン勘定など、
あってはならない考えだ。

結果、
アートチャイルドケア社が入りこんだ、
青いとり保育園は、
勤務していた保育士が全員解雇され、
民営化の事情など、
知るよしもない園児たちは、
ある日を境に、
低賃金で雇われた、
全く知らない保育士に囲まれることになった。
解雇された保育士と園児たちの、
お別れ会の映像を見たのだが、
涙の別れの場面は、
とても、正視に耐えるものではなかった。
暴力とさえ言える、
民営化の魔の手は、
園児たちと、
保育士を引き裂いたのだ。



門川大作現市長は、
300億円超の赤字だった市財政を黒字にした、
と言う。

f:id:tarouhan24:20191229120046j:plain

なるほど。
自分は、
市長に寄り添って、
人の心を薄めてみよう。
確かに、
300億円の赤字を黒字に転換さすのは、
大変な労苦が必要だろう。
貧弱な家計を黒字に転換さそうと、
四苦八苦している自分には、
想像もつかない世界だ。

ならば、
保育園民営化も労苦のひとつだろう。

かつての対立候補だった、
中村和雄氏が訴えた、
観光環境税を、KBS京都の討論番組で、
「観光客の方々からお金を頂くなんて…」
と批判して後に、
チャッカリ観光客から宿泊税をとったりするのも、
労苦のひとつだろう。

京都市美術館命名権を、
企業に渡し「京セラ美術館」にする過程を、
自分は学習したことがあるが、
これも財政健全化のための労苦か。

こうして、
知っていることを並べたてて見ると、
京都アニメーション襲撃事件後の、
最悪な発言が象徴する、
現市長独特の無感覚とも言えるセンスでしか、
達成できない財政健全化だったと、理解できる。

皮肉ではない、
間違いなく現市長の功績だろう。

彼のセンスと功績は、
景観政策にも、表れているように見える。
市街から余分な看板は消え、
よくわからないものは、
淘汰されていってる。
街中をぶらぶら歩くと、
「え、ここもホテルになったん?」
と、
しょっちゅうつぶやくほどに、
宿泊設備は整備され、
かつては街と地続きだった、
寺社仏閣は、
まるで、エサ箱のような扱いで、
海外から観光客をおびきよせている。
近頃の京都市はまるで、
よくできたジオラマのセットのようだ。
見ている方が、
思わず、
「よーやるわ」と言ってしまうほどの、
現市長の演出的な着物姿同様、
まるで、
張りぼてのような文化都市なのだ。

今回の市長選、
3人の予定候補のひとり、
村山祥栄氏は、
選挙対策用の著作のキャッチコピーで、
「こうすれば観光公害は防げる!」
と謳っているが、

f:id:tarouhan24:20191229120122j:plain

観光公害という言い方は、
あまりに冷たすぎるように、自分には感じる。
むしろ、
映画のセットのように仕立てた、
実際には何の深みもない京都市に、
海外から観光客をおびきよせ、
安くはつかない旅費を散財させている気がして、
旅行者に対して申し訳ないくらいだ。

観光による収益が上がっていると言っても、
現実は、
局所の観光地を場当たり的に活性化させる、
カンフル剤を、
永遠と打ち続けてるようだ。
伏見稲荷大社が、
毎日、信じられないくらい混雑しても、
伏見区在住の自分が、
金銭的にも精神的にも恩恵を受けているとは、
生活実感として、到底感じられない。
現市長の街づくりは、
京都市民の心を豊かにするものなのか?
京阪沿線を散策するたびに思う。

現市長が財政健全化を達成した、
その功績を信じるならば、
彼の役割は、もう終わったのだと思う。
ここからは、
新しい市長による市政が見たい。
前例がほとんどない4期目になど、
立候補するべきでは、
なかったのだ。
かつての蜷川虎三府知事の多選に、
ウンザリだったという昔話は、
京都に住んでいると、
イヤというほど聞かされるというのに。
ステレオタイプ化された、
京都風の皮肉ではないが、
「おくたぶれさんどした」だ。
(お疲れ様でした、の意味らしい。自分も京都弁はよく知らない)
民主党は失敗したのだ。
福山和人、村山祥栄と対峙する、
新たな候補者を擁立するべきだったのだ。
(自民党の事情はよく知らない)

自分は、
京都市は私が住んでいる市!」
という実感のもとで暮らしたい。
京都に生まれてから、一度も感じたことがないのだ。
京都市は、
新聞等で、
何やらかんやらの受賞が報道されているような、
伝統文化の世界と、
わけのわからぬ老舗ライブハウスで行われる秘め事じみた、
アンダーグラウンドな文化が、
双方とも力を持ちながらも、
乖離し平行線をたどっているように見える。
別に、それ自体が問題ではなく、
表の文化と裏の文化が、
繋がる必要もないのだろうが、
何と言うか、少なくとも、
観光の次元だけではない、
京都の奥深い文化を理解し、
それを後押しできるような、
市長の元で、一度は暮らしてみたいと思うのだ。
自分は美しい寺社仏閣も、
今は強制撤去されている、
京都大学前の、ゴチャゴチャした立て看板も大好きだ。
文化的な背景の存在は、3予定候補の誰にも感じない。
これはまあ、自分の勝手な願望だから仕方ない。
そもそも、
仕事の場所が違うのだろう。



と、まあ京都風に、
ねちっこくボヤいてしまいましたが、
こうしていろいろ考え、
自分は3人の中、
福山和人氏を、支持することにしました。
子育て世代として、
彼の訴える「すぐやるパッケージ」の中、
特に、
市独自の給付型奨学金の設立の現実化に、
大きく期待します。

f:id:tarouhan24:20191229120302j:plain

f:id:tarouhan24:20191229120323j:plain