たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

主夫日記10月25日 ~2017年衆議院選挙を振り返ってみる~

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ワタシが、選挙を振りかえったトコロで、
どうなるのか、と思うのだが、
書いてみる。

言うまでもなく、

今回の選挙は、
1から10まで、‘野党共闘’だった。
(自分の周辺では)

目指す方向が、
根本的に違うから、
別々の政党だというのに、
歩調を合わせる。
アタマから無理なことをやる、
というのが、
関わる人全てにとっての、
大前提という難儀な運動だった。

選挙期間中、
「踏み絵」という単語がブームになったが、
そもそも、無理なことをやるという時点で、
多くの人が最初から踏み絵を、踏んでいる。
(もしくは、自覚もなく踏んでいる)
ワタシなど、踏みまくった。

遠藤周作の、
「沈黙」を、
10代のときに愛読していた。
(最近、映画化されて話題になっていたな。どんなんやったんやろう?)
遠藤氏は、
現物の踏み絵に残された、
足の指のシミを見て、

「このシミを残した人物は、どんな気持ちだったのだろう」
と、いう思いから執筆したと語っていた。

なるほど、
「沈黙」を真に受けたというわけではないが、
自分は、間違いなく踏み絵を、踏むタイプの人間だろうと、
いう思いは、10代のときからずっと持ちづけている。
拷問などいざ知らず、
少しの恐怖や、痛みにも耐えられないのだ。

(だから自分は、「希望の党」に入るタイプだという比喩ではない。
ここでは、それは全く関係ない。根本的に自分は、10回生まれ変わっても、

政治家になれるような才能はないだろうから)

だから当然、

イヤなものだ…共闘なんて、
という苦い思いも、ないことはなく、
市民活動の中で、真剣である自分と、
煮え切らない自分が交差していた。
誰にも気づかれない程度の、
野党共闘の矛盾への)

ウサ晴らしを試みたときは、
まるで、隠れキリシタンのような気分だった。

 

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閻魔大王に、
「オマエの脳みその中に、ほんの1%も、

前原誠司と似たような破壊衝動は、なかったのか?」
と、問われて
「ありません」
と、返事したら、
速攻で、舌を抜かれそうな気がする。
あの「希望」「民進」合流騒ぎの日、
不安のあまり、

夜中ひとりパジャマ姿で、
近所を徘徊した。
町内を何回も周回した。
歩くところがなくなったので
児童公園に立ち寄って、
小用を済ませた。
(男性だから、できることだ)
用を済ませながら、感じていたのは罪の意識だった。
どこかこうなることを望んでいた自分が、いるような気がする。
だが、実際にコトが実現してしまったとき、
その本当の恐ろしさを実感する。
…気の小さい、犯罪者の心理だ。

その後も、
排除とか、再結集とか、
混乱が続くなかで、
ワタシは、
どんどん、他者にホンネが伝えづらくなっていった。
考えや感じ方が、一致しているであろう人の数は、
日を追うごとに減っていき、
最終的にはゼロになってしまったな、
という実感があった。
家族でさえもである。
無理はない、
人はひとりひとり、背景があるのに、
今の選挙制度に加えて混乱の中、
白か黒かどちらかを選ぶしかない状況。
孤独になるのは、当然だ。
次第にワタシは、誰にも物を言いたくなくなっていった。

 

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「やっと、投票日だ」
と、いう感じだった。

台風を見越して一日前に、期日前投票
(台風の日に投票日など、危険なことだ)
記入したペラペラの投票用紙は、
投票箱の口より少々大きく、なかなか中に入らなかった。
不器用にブラブラと指先を動かし、落とすのに懸命になっていると、
何か、人前で排泄行為をしているみたいな、

羞恥の感覚に捕らわれた。
(そんなに、変わった組み合わせを選択したわけでもないのに)
投票なんて、
こんな、公然の場で行っても良いものだろうか?
夜中、ひとり公園のトイレにでも投票したい。

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頑健な成人男性が夜中に、徘徊する。
全く、不審者のようなマネをしたものだ。
一軒一軒の家の明かりを見て、
「一体、この人たちの投票先がどこなのか?それとも棄権するのか?」
と、考えた。
どういう理由で、どこに投票するのか?
人生の反映だ。
同じ政党に投票したとしても、
理由は大きく異なる。
家族であろうと、言えない。
本心を打ち明けることができる相手など、この世に存在しない。


だが、思うのは、
案外、みんな(!)が、そのような孤独を抱えているのだろう、
ということだ。
逃れられない孤独を、皆が抱えていると思えば、
さほど、淋しいものではない。
孤独ではない、単にひとりなだけなのだ。
ひとりであるということに、
しっかりと向き合う。
ひとりの自分は、
政治に何を求めているのか?
真剣に考える。
(そして、それぞれのやり方で伝える)

政党の動向など、関係ない。

ひとりの自分に、
しっかりと、向き合うことができなければ、

家族を、友人を、仲間を、
さらには仲間でもない人間を尊重することなど、できないのだ。

*最後に、これは歴史に残る、バカバカしい発端の選挙だと、
覚書として書いておく。