太朗のSo What?

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主夫日記1月14日 ~ガマンしない方法~

 

昼間は、予報ほどの大雪でもなかったので、

子供二人を連れて、藤森のツタヤまで、DVDを返却しに行った。

車中、ムスコが私に「のどが乾いた」というので、
「すぐ帰る思て、持ってきてないわ。ガマンして帰ってから飲も」

と言った。

「わかった、ガマンする」とムスコは言った。
その一言が妙に気になり、
「ガマン、嫌か?」と尋ねてみた。
「ウン、ガマンいや。だいちゃんガマンばっかりしてる!」とムスコが言った。

 

最近、気にしていたことだった。ここのところ、私は妙に自分の思うままに動きたい衝動にかられていて、ムスコがそれに呼応するように、聞き分けが良かった。

 

「ガマンばかりしている!」

というムスコの嘆きは重く、罪の意識にかられた私は、ツタヤの駐車場に到着してから、
「そしたら、喫茶うずらに行って、ジュースでも飲もか?たまにはフンパツするから」と、ムスコに言った。
「…だいちゃんはDVD借りて、ジュース、コンビニで買って、帰りたいんやけどな」

と、ムスコは不満気に言った。
その一言に、私は急にカチンと来た。

ムスコに気を使って、腹をくくってフンパツしようとしたのに…。
気まずい空気が流れて、しばらく沈黙した。
「わかった、そしたらうずら行かんとこ、そやけど、そしたら今日はツタヤで何も借りんとこ!」と私は、軽くブチ切れて言い捨てた。

「何で~」とムスコは言う。
それはそうだ、毎週土曜にツタヤに来て、DVDを借りて帰って見るのは日課になっている。何故、それを急に止めるのか?ムスコが思うのは当然だ。私自身、何故自分がそんなことを言い放ったのかわからない。
ちょっと冷静になろうとした。
「う~ん、何やろ?お父さんは、うずら行きたかったけど、だいちは行きたくないんやろ?それがお父さんイヤやねんな。ツタヤに来たから、そんな思いするわけやん?何でツタヤに来たか言うたら、借りるからやん、だから借りんとこ」

と、よくわからないことを言った。
「うん、だいちゃんもう眠いわ」と、ガマンというよりかは、眠気に耐えられなくなったムスコはそう言った。
帰りの車中、二人ともが寝てしまい、自分のとってる行動は、一体何なのか考えながら、無意味に車を走らせ、途中、コンビニでコーヒーを飲み、頭を冷やして考えた。
(何のことはない、喫茶うずらに行きたかったのは、自分だ。子供たちのことなど、考えていないではないか、何故自分は最近こうマイペースなんだろう?)


近頃の、ムスコとの遊びのほとんどが、DVDに出てくるヒーローをマネた、対決ごっこである。子供がウルトラマンや戦隊ものに興味を持った当初は、対決ごっこも新鮮で面白かったが、いい加減飽き、毎週ツタヤに行くのもイヤになっていた。
何もかもが、イヤになっていた。

 

帰宅後、起きてきたムスコに私は言った。
「だいち、お父さんも、だいちも面白いこと探さへんか?」
これはもうムスコへの『相談』だった「お父さん、だいちと対決ごっこしてて、楽しいときもあるけど、正直、楽しくないこともあるねん。お父さん、古いウルトラマンはわかるけど、新しいウルトラマンはわからん。お父さんはお父さんの好きな世界があるし、だいちはだいちの好きな世界がある。そやし、なるべく、二人ともが楽しくできる遊びを探さへんか?」
するとムスコ、
「ン~しょうがないなア、冒険ごっこしよう!」と言い、階段を昇って行った「お父さん!上がってこんといてや~」と二階から叫ぶ。
OKが出たので二階に行くと、
「お父さん、二階からは海やで、泳がなアカンねんで」と彼の考えた世界に変化してることを説明する。何やらいろんな仕掛けを作っている。紙切れで作られた、岩石をめくると、刀がかくされていて、それを握ると怪獣に変身できると言う。
結局、対決ごっこに戻ってしまったのだが、いつもより、面白く感じた。

(ムスコに、もう少し心を開いて向きあおう)そう、思った。
どうやら、子どもの意図をしっかりと聞く父親から、面白くないことを正直に告げて、協力して、面白いことを探す父親に変化してきているようだ。

微細なことだろうが、多くの時間を子供と過ごしているから、気付かせてもらえることなんだろうな、とも思う。こうして、毎日毎日向きあえるのは、あとどれくらいかな。もっともっと、子供と向き合いたい…

 

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作詞

 

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何の脈絡も無いが、
二つ、作詞して見た。

詩など人生で二回しか書いたことがないのだが、
(ん?詞と詩って何が違うの?)
何かできた気がする。

①「くらいつく」

ムッシュかまやつのソロ作品にありがちな、
わびし~い、リリシズムを意識してみました。
タイトルはとむやんの「よりそうる」

みたいな、平仮名5文字って何かええなあ、という思いです。

平仮名5文字も、人生でやったことなかったな。

…アッ、あったわ。

「たこぼうず」とか書いたやないか。

しっかりやっとるやないか。

 内容は、愛の詩です。
人は何か、社会的な大きな圧力に対峙するときも、
案外、一人の愛する人を守りたいという思いが、
(二人か三人かもしれんが…)
根底にあるのかもしれないと、たまに思えます。
男性特有のもんかな。

 

②「オレにはそれで充分だ」

世界的に有名なロック・ソングのパロディーです。

 

 

【くらいつく】

 

あなたが消える前に

僕はくらいつく

 

息をすることも、ままならないまま

強がることにすがっている

話すことができるのは、一度切り

後は、何を言っても届かない

 

あなたが消える前に

僕はくらいつく

 

この恋を失ったらどうしよう

結ばれてしまったらどうしよう

ひとりで食べるチョコレート

無意味に時が過ぎていく

 

あなたが消える前に
僕はくらいつく

 

どれだけ言葉を発しても、

あなたがいないと意味がない

異なる世界に身を置いて

生き生きしているふりをする

 

あなたが消えるまえに

僕はくらいつく

 

 

 【オレにはそれで充分だ】

 

家に帰れば音楽が溢れてる

良くない曲はひとつもない

 

オレにはそれで充分だ

オレにはそれで充分だ

 

面白いテレビは見つくした

二度と見ることもないだろう

 

オレにはそれで充分だ

オレにはそれで充分だ

 

キスがしたいとあなたは言う

オレはあなたの手をにぎりたい

 

一緒に暮らしたいとあなたは言う

オレはあなたを思って起きている

 

オレにはそれで充分だ

オレにはそれで充分だ

 

 

…で、作ってから思うのですが、
そういえば、オレは作曲など全くできなかった!
楽器も全くできなかった!

と毎度の壁にぶちあたるのです。
(壁なんか?)
今はやりたいこといっぱいあるんで、
10年後くらいに、歌えたらええなあ。

 

存在意義

 

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書こうとしていたことが、
手法的にメンドくさくなり、
一端中断して、別のことを書くことにする。
軽く。
そもそも、so what?(だから何?)
みたいなことを書いているのに、
手法に凝って、行き詰る意味がわからない。
昔、友達が軽い気持ちで家でラーメンを作りはじめたら、
勢い余って、プロ並みのラーメンを作るほどの
求道者に変貌してしまい、
「おまえは何てヒマなんや!」と嘆いたものだが、
自分もそう変わらない。


(軽く…)
ところで昨日、

自分には、
一切の苦もなく行っている行動というものが、
存在するのだろうか?と、ふと考えた。
検討すると、

ない。
イヤイヤやっていることしかない。
毎日の日課を振り返って、イヤなものをひとつひとつ炙りだして行こう。


子育て、家事、料理、バイト、創作活動、政治を考える、友達づきあい、恋愛

 

さて…本当に、イヤがっているのだろうか?
オレのことだ、ウソをついている可能性もある。
ひとつひとつ検証してみよう。


子育て=最もイヤだ。
家事=決して好きではない。
料理=メンドくさい
バイト=絶対しない
創作活動=可能な限り、最小限にとどめたい。
政治を考える=才能がないことに手を出すのは苦痛だ。
友達づきあい=ひとりにさせてくれ…

心配いらない、ほとんどホントのことのようだ。
しかし、ちょっと待て、これでは問題だ。
やる気と意欲がまるでない、生命力が薄いヤツみたいではないか。
そんなオレでも、ひとつだけ、夢中になり、
全く苦痛を感じず、延々とやっていられるものがある。
オレの人生を変えた、ソレ。
ネットサーフィン。
ネットサーフィン!

と大文字で書きたいくらいだが、
恥をかくのでやめる。
…ネットサーフィン、これほど、人にいい加減な情報と認識を与えるものがあるだろうか!

 

参考に、
誰も興味がないと思うが、
オレの平均的な一日の過ごし方を書いてみる。

 

朝、子供よりも遅く起きる。
最小限の世話をして、
保育園に放置。
帰り、ローソンによって
ホットコーヒーと粗悪なチョコをお供に、
新聞を読む。
家に帰って、休憩、ダラダラ掃除、洗濯。
ダラダラしすぎて、昼近くになる。
昼食後、ネットサーフィン、寝る。
不覚をとって、半年に一度くらいバイトをしてしまう時がある。
休憩。
休憩。
後悔。
お米を洗ってから、
保育園にお迎え。
出る前に休憩して、コーヒーを飲んでしまうため、
大抵遅れる。
帰宅後、子供たちの「遊んで」を断り続ける。
手抜きを極めつくした夕食。
子どもたちにYouTubeを見させて、
自分はダラダラする。
風呂、寝さす。
洗濯物をダラダラたたむ。
明日の保育園の用意。
「食洗機が欲しい」と文句を言いながら皿洗い。
深夜までネットサーフィン。
朝寝坊なので、支障がない。

いくらなんでも、ちょっと偽悪的に書きすぎた。
名誉のために言うと、
実際はもう少し頑張っている。
だが、あながちウソとも言えない。
こうすると、一体オレは、何のために生きているのだろう?
オレの存在価値というのは、一体何なのだろう?

苦労しらずで、ここまで来たのだろうか?
と過去を考える。
死んだ父親が残した借金を返済するため、
矛盾だらけの人間関係に巻き込まれ、
精神を病み、
投薬と自殺願望に苦しみ、
入院直前まで、行ったことがある。
そんなことも忘れ、
ホッコリ生きている…というわけではなく、
苦労が身につかないというか、
ヒサンな出来事に対して、
苦難に対して、いまいちピンと来てない自分がいる。
どこかで、ちゃんと向きあおう。

ラクだ、
結局ラクなのだ。
より、ラクを目指している。
待機児童問題のことを考えたりすると、
本当に申し訳なくなる。
もっと大きな世の中の悲劇を思うと、
悲しくなる。
そんなとき、
世のため人のため
夢中になって、
真剣に努力して取り組んで行こうと、誓うのだ。

今年も、
このブログよろしくお願い致します。
頑張ります。

とむやんの「Slow Walker」という歌

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滋賀が好きで、よく行くのだが、

楽しみのひとつに、とむやんの歌が聴けるかも?
というのがある。
とむやんは滋賀に住んでる、吟遊詩人で…
イヤ、吟遊詩人だけでは表せないか。
風来坊で…イヤ、今オレが風来坊という言葉を使いたかっただけだ。
とにかく、魅惑的な言葉が当てはまる男なのだが、今は見つからないので、

ここでは、あきらめる。
とむやんの歌のひとつに「Slow Walker」がある。

 

「Slow Walker」の話の前に、少し脱線しよう。

ザ・タイガースの「花の首飾り」が大好きで、よく聴くのだが、
そのタイガースのドラマー、瞳みのるさんの著作、
「花の首飾り物語」の中で、瞳さんが、この曲でリード・ヴォーカルを担当している加橋かつみさんに「この曲が、あなたの人生にどんな意味を持ったのか?」とインタビューする箇所がある。

加橋さんは、「曲というものは聴く人のもの。レコーディングしたり、歌ったりしてしまったら、僕の手から離れてしまっているわけだから、それを聴いたひとのものになっている」

という理解しにくい返事をして、瞳さんを少しイライラさせていた。

だが、それもそうだ。

歌というのは常に、聴く側のものと言えんことはない。
だから、「Slow Walker」を聴いて何を感じるのか?

「花の首飾り」や「tomorrow never knowns」を聴いて何を感じるのか?

というのは全く同じであり…今だったらRADWIMPSの歌とかになるのか?わからんけど。

 

 さて、滋賀のとある教会でのライブに

とむやんが出てたときの話なのだが…

 

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「Slow Walker」は、ウクレレの伴奏の、心地よいメロディーの歌だ。

 

♪ぼくは のんびりと行くよ
だから お先にどうぞ

そんな がんばらなくていい 

ぼくは自由気ままな
スロウウォーカー♪

 

とむやんの声が聴こえてくる。

だが、オレは全く心地よくならない。

むしろ、聴いてるとそわそわして、その場を逃げ出したくなる。
なぜなら自分は、スロウウォーカーとは程遠い、せっかちな人間だからだ。

そして、何故そうなってしまったのかを、反射的に思い出すから、

なおさら逃げだしたくなる。


10代のときは、自分はのんびりした性格で、
特急電車が肌に合わず、
必ず、各駅停車に乗車していたくらいだった。
ところが、ある女の子に

「各駅停車が好きやし、各駅停車に乗っている」と説明したところ、

「何で?アタシは早くパーッと行けるし、特急の方が好きやけどな」と言われた。
自分は、その子の言うことは絶対に聞こうと、心に決めていたので、

翌日から、特急電車に乗るハメになってしまった。
以来、自分ののんびりした性格は死にたえ、身の丈に合わないせっかちさに、

手こずらされ続けている。

これでは、スローウォーカーのメロデイーをいくら体に浴びても、張子の虎だ。

 

一方、とむやん。

歌うにつれて、スローになって行くようだ。

「スローどころか、止まってしまって…」と彼は言う、

「高江もね、もう止まっちゃえば良いのにね」

この時、物音でもしたのだろうか?うちの子供がコケたのだろうか?とむやんの話が止まった。
「話、もっと聞きたいわあ」と客席のオレは言った。
「話にできないから、歌うんだけどネ…ゴニョゴニョ」また違う歌となる。
そうなのだ、くぐもったスキ間に出てくる言葉。いつ、どこで出てくるか、わからない。次の瞬間にはもう存在しない。そういうのが真実で大切な言葉なのだ。

だから、なるべく多く書き留めておきたいと、いつも思う。自分は写真は撮れないが、写真を撮る人の気持ちとは、こういうもんだろうか。

ここで、とむやんの「Slow Walker」の話は終わり、
歌は完全に聴く側のものとなる。
自分を特急電車に乗せた女の子が、
遠くに引っ越してしまったので、追いかけて行った。
あらゆる話の中でも、一番良い話は、失恋大成功の話だ。

(それは、誰も傷つけないので)

女の子を追いかけるのに、特に理由はなく、当時、自分は蠅みたいな感じだったので、止まる場所を探してただけのようなもんだ。とはいえ、止まる場所を探すのも、中々困難で、
やることと言えば、美術館に行くとか、東京タワーの蝋人形博物館に行くとかくらい。アイリッシュパブみたいな所にも行ったのだが、
普通に喋っていたのが、急に20分くらい、沈黙した。
「今まで、喋ってたのに、これだけ沈黙して座っていられるということは、相手もそれでかまわないのかもしれない」と感じていたのを覚えてる。

 

特に何もなく、握手を交わし、駅でお別れすることになった。

京都までは遠い。迷わず、特急に乗った。当たり前だが、特急は早い。自分はあせった。
「予想以上の早さだ」と。そして、ここで終わりということに気づいた。

特急は早い、早いわ早いわ。
(これは、ドラマとかに出てくる典型的なアレやな。そして朝が来た、鳥が鳴いている。もしくは、駅のホームにてお別れする)

特急電車は、なおもスピードを上げる。自分がこの場所を後にするということが、信じられない。
ここで、「Slow Walker」を歌えれば救いだったのだが、歌はまだ生まれていない。出会うのは20年後なのだ。

 

歌は世につれ、世は歌につれ。
全く、意味はない。

 

主夫からみた女性差別④

 

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政治の世界も、主夫にぎこちないんです。

ある国会議員が「子育てママたちと語り合う」というような座談会の企画を立てたので、主夫であることに自負もでてきたボクは参加を試みました。
ところが、現場の写真撮影時に、男性が写りこんでしまっては、見栄えが悪いという理由で参加を断られ、隅の方で見学、最後の方なら発言しても良いという扱いになり、隅っこのパイプ椅子に座らされることになりました。
座談会は、大きな社会問題になっている、待機児童を語ることから始まりました。当然、待機児童問題をいかに解決するのか?という話になるだろうと思って、ボクは見ていたのですが、あるママさんが、待機児童対策を立てることそのものに異を唱えはじめました。
「『三つ子の魂百までも』って言うように、せめて3歳までは、子供は他所に預けずに、母親がぎゅっと抱きしめ育てなあかん」と、高らかに語りました。すると、他のややベテランに見えるママさんも呼応し、
「今は、0歳児保育とか、働くママとか言うて、子供がかわいそうや…。この方おっしゃるように、せめて三歳くらいまではお母さんがずっとそばにいてやらんとね」と悲しそうな顔をして言う。
「今のお母さんは、仕事することかばかり考えて」
「戦争で死んだ兵隊たちは、最期、『天皇陛下万歳』とは言わずに『お母さん』と言って死んでいった。それだけ母と子供の結びつきは深いんや」
話が、ボクが予想もしなかった方向で盛り上がって行く。

場の中には、0歳児保育、集団保育、待機児童問題の解決というテーマで話をしたがってたママさんも何人かいるはずでしたが、旗色が悪くなり、口を開くことができなくなってるようでした。しかし、勢いよく話しているママたちとて、抱えている不満のエネルギーは相当なもののようで、座談会はどんどんギスギスした空気になっていきました。
どのみち、男性の子育ては問題にもされてない。ボクは仕方なく、意味もなく口をパクパク動かしていました。
「『イクメン』なんていうても、ちょっとオムツ変えるくらいのもんやもん。役に立たへん。ウンチのついたオムツはお母さんにしか変えられへんもんね。男の人はたしかに外でお金を稼いでるけど、私たちはお金には変えられへん、価値があることをやっている!」最初に発言したママさんは、またも高らかに語りました。

座談会のテーマはもはや見えなくなっていたのですが、ようやく、男の子育てが話題になりました。しかし、これでは「エライ言われよう」なわけなんですが、ボクは実際のウンチのついたオムツを毎日変えている…。
「私たちはお金には変えられへん、大きな価値があることをやっている!」
このママさんの言葉、ボクは嬉しく思いました。「こんな風に言い切ること、素晴らしいやん」と。家事育児の大変さ、尊さをボクはよく知っている。

果たしてこの頃、ボクは金を稼ぐ労働ではなく、家事育児を担当していることを、コンプレックスに感じていたか?感じていたのだとすると
「お金には変えられへん、大きな価値がある」という言葉は、すごくボクを救ってくれます。でも、この場にいて、喋っているママさんたちの頭の中には、男が家事育児をしているという絵は一切ないんです。ボクは救いと、悲しみを同時に覚えました。このミョーな感情をどう説明すれば良いのだろう、説明させてもらえるのだろう?そんな感じでした。すると、
「お父さん、子育てには役に立たないなんて言われてるけど、どうです?」
ホスト役を担当していた、ボクよりだいぶ年上の国会議員が、こちらに話を振ってきました。自分に求められている役割は、察することはできました。照れたような笑顔で頭をかきながら「男が育てても、お母さん方にはやっぱりかないません」とでも言えば、場はヘンな空気にならずにきれいに収まる。それでも良かったんですが、

「信念で子育てされている、お母さん尊敬します」とボクは反射的に言いました。「そして仕事をされるお母さんも尊敬します、ただ、価値観の違いで、お母さん同士が対立してほしくないだけなんです」と、付け加えました。
すると皆、唖然とした顔をされるんですね。
ホント、ママさんたちにケンカされるのが、イヤだったんです。ずっと一生懸命、専業主婦をしてきたお母さんがその仕事を過小評価されて、イライラすることもイヤだったし、同じように、働きたい女性が母親になった瞬間、仕事をする権利をすべて奪われることもイヤだったんです。
座談会は何となく、着地点がないまま終了してしまいましたが、実際にケンカにならなくて良かったです。でも、ママさんたちのあらゆる不満を辿っていくと、彼女たちがどんなスタンスであれ、結局は長い歴史をかけて女性が生き方を限定されて、差別されてきたゆえの不満だと思うんですね。

この時、ボクは初めて、自分が主夫であることは、ママさんたちが、差別や役割の押しつけから解放され自由に生きることに、ほんの少しでも、一役買えるかもしれないと思いました。このときから、好きで主夫をやるようになったんだと思います。主夫がもっともっと当たり前のように、全体の50%くらいいれば、女性がメインで徹底的に子供を育てるというのは、単に選択肢のひとつになる。

社会の状況がもっともっと良くなって、ボクらが子供を見ている間、女性に多様な働き方をして欲しい。もちろん、主婦のことだって尊敬してるし、主婦と主夫で子育ての苦労を語り合うのも悪くない。
そんな風になれば、もっと自由で優しい世の中になるんじゃないかと、妄想しています。
ちなみに、ボクに主夫友はあまり、いません。他の主夫は何を感じてるのか知りたいし、お話したいですね。
ボクは楽しくやっています。

これが、一主夫から見た景色です。

 

おわり

 

主夫からみた女性差別③

 

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主夫としてまずやらなければいけない仕事は保育園の送り迎えでした。

それまでは、手伝い程度だった送り迎えを毎日やるようになると、こんな現代でも主夫をやるということは、前衛的な部類なんだ、ということに気づかされました。

まず、毎日送り迎えをしている男性が、ほぼいない。
女性しかいないことには、特に抵抗はなかったんですが、周りがボクに対してぎこちないことがありました。
ある日、ムスメを保育園の部屋まで送ったときのことです。
「ムスメはまだ2歳やいうのに、自分で服を選ぼうとして、タンスの中をぐちゃぐちゃにしてホンマ困る、毎日振り回されてる」という話を、誰にということもなく、周辺にいたママたちに何となくぼやくと、園のスタッフのひとりが、
「女の子やね~男と書いて女々しいと読む、女の方が男らしいわ」と言ったんです。それを聞いて「自分が言われてるのか?」と思いましたね。でも、そもそも意味がよくわからない。
どうも良い気はせず、いい加減に相槌を打って、その場を離れました。
なぜ、良い気がしなかったのか?考えました。それは、自分は「男」ということで特別視されたからでした。

保育園の中で、男が強いと困る、男性の園の送り向かえは、たまに顔を出すくらいが、しっくりくる。
「あら、今日はお父さんが来てくれたのね」という風に。
これが毎日だと、本来お母さんがやるべきことを、お父さんがやっている違和感が生じてくる。育児という女性にとっての聖域を男性がやるからには、女性の上を行かれては困る。お父さんは育児にアタフタしてないといけない。不器用に、ドジで必死な感じがにじみ出てなければ、サマにならない…。
2010年代の現代でも、保育の現場ですら、「男性は女性より、子育てに向いていない」という無意識の思い込みと因襲が根強くあるということに、ボクはびっくりしました。

「ええ、残念やけど、男は女々しいもんです」とでも調子を合わせて答えればどうだろうか?でも、それは、セクハラ発言に真剣に抵抗すれば、空気を悪くするので、笑顔と冗談でかわす女性の悲しさと同じではないだろうか?
ああ、これが「女性の苦労か!」ボクは思いました。
ならばボクは今まで女性に対して、同じようなことをしてなかったか?いろんなことに気づかされていく!

 

つづく