太朗のSo What?

世界最強の、主夫ブログを目指します!

完成度が低い

最近、完成度が低いことが、

結構重要だったりする。

要は、カンタンな話で、
何か行動を起こすとき、
少々の不具合はあっても、
かかる手数の少なさや、
はよ仕上がる方を優先して、
とっかかりのメンドくささや、
精神的な重荷をゼロにするということだ。

 

かくいうボクも、
主夫という病か、
単に性格なのか、
ティッシュ一個、買うときでも、
一円でも安く、より良いものを効率的に買う!
と、異常なまでに完成度の高い、買い物を目指してしまうので、
プレッシャーに負けて、買い物に行かないということも、
しばしばだ。
そこへ行くと、
連れ合いなんかは、
平気で、サイズの違う子ども服を買ってきたりするし、
スゴイ。
また、その服を子どもは意外と、
モンク言わんと着たりするのだ。

ベック・ハンセンの作品でも、
90年代の名盤で、
完成度バリバリの
「オデッレイ」なんかは、
今、あんまり聴かず、
仕事の粗さ丸出しの、
弾き語り作品なんかの方が、
たまにCD棚から取り出して、
聴き返したりするしね。

人のやってることが、
あんまり完成度が高いと、
敷居が高くなり、萎縮する。
感動とひきかえに、
「よし、オイラもやってみよう!」
とは思えなくなる。
完成度が低いと、
緊張感が失われて、
伝える力が薄まるんではないか?
と、思ったりもするけど、
まあ、多分大丈夫やろう。
細かいこと言わんと、
一億総表現者社会や。

けどまあ、本人も、制御できん天才とか、
努力するんが趣味の人とかやったら、
しゃーないけど。
(例を上げると、

キングコングの、にしのさんの本とかかな?)
それはそれで、
社会に多大なる貢献をしているのだと、思う。

あ、ほんで、
それとは別に、
全くしょうもないことに、
究極の完成度を求め、
血眼になって努力してる人いうのも、
それはそれで、
魅力的やね。
何か、良い例ないかなあ?
まあいいや、考えるのがメンドくさい。


とにかく、
「完成度が低い」
という言葉は、
もっと高く評価されて欲しいネ。
ボクは、
あまり良い意味にとられてない言葉を、
好意的に考えてることが

多いので、
結果、
張り切って宣言してみたものの、
実にシマらない、
ということが、よくある。

「完成度、低っ!」
「ヒマだぞっ!」
「勤労意欲、ゼロやぞ!」
「論旨、メチャメチャやぞ!」

「めっちゃ、下手な絵できたぞ!」
とか。

 

ちなみに、
この文章も完成度が低い。
思いついたけど、
表現するのがメンドくさく、
書いてないことが、
2~3ある。
ような気がする。

 

しかし、
今の政権与党のやり口は、
完成度が高いというか、
低いというのか、
…まあ、いいや。
終わり。

主夫日記4月16日 ~びわ湖音楽祭で踊りそこねる~

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滋賀が好きだ。
びわ湖を見てると、
「あなたの全てを愛してます!」と叫びそうになる。
それくらい、好きだ。
3周連続、週末は滋賀で過ごす予定だ。
でも、京都も好きだ。
とんだ二股野郎だ。

16日の日曜、
びわ湖音楽祭に行ってきました。
ボクは、
滋賀のビックイベントである、
このフェスの内容を良くわかっておらず、
まあ、ロックフェスみたいなもんだろうと思い、
カート・コバーンみたいな、格好をして行ったら、
何となしに、横ノリな雰囲気。
出だしからして、カン違いである。
まあ、いいや。
どうせ自分は、「偽」の上に「丘」
な、ロックンローラーである。
ホントはテクノやトランスの方が、
好きだ。おそらく。


20代の頃は、ちょこちょこ、クラブに通っていた。
ただし、友達がいないので、ひとりで。
大阪の方に、ハードフロアとか、石野卓球とかが、
来たら行くのである。(ブームでもあったので)
まさか、クラブに踊りに行き、
終電で帰るわけにもいかないので、
朝まで、ひとりで踊り、始発で帰る。
(現場でも友達ができない。強いて言えば、電子音が友達さ)
なぜ、あんなことをしていたのだろう?
孤独すぎる。

さて、びわ湖音楽祭。

出演者への予備知識が、一切ないので、
状況が全くわからない。
着いて早々に、子どもたちが、
メシを食わせろと、やかましい。
こっちだって、ハラは減っているのだ。
びわ湖音楽祭は、満月マルシェも兼ねている。
なので、おいしそうな店が立ち並ぶ。
子どもらには、タコ焼きや、パンを食べさす。
ハラが満たされると、連中は、
興奮して浜辺まで駆け出す。
オイ、オレのメシがまだだ。
オレもハラは減っているのだ。

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浜辺の、
松の木に結んであった、ハンモックに、
子どもたちが、勝手に潜りこんで遊ぶ。

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どうかと思ったが、

何となく、公共のものだろうと、決めつけてみる。
すると背後から、
「ハンモック気持ちええやろ~」と
気の良さそうな、レゲエスタイルのお兄さんが話しかけてきた。
ボクもニッコリ、

「ええ、コイツラ(うちの子)すっかり楽しんでますわ」と答える。
………しばらくしてから、お兄さんは、ハンモックの持ち主だと気づき、
慌てて、
「スンマセン、スンマセン!」
と言って、その場を立ち去る。
「それ、うちのなんです」

とか何とか言ってくれないか。心広すぎや。

遠くから、
ダブ風の、心地よいベース音が聞こえてくる。
ステージの近くで踊りたい。
だが、メシを食いそこねているので、
まずは、ハラを満たしたい。
踊りたいのに、ハラが減っていて、仕方ない。
欲望が左右に分断され、くだけて割れそうで、
ムチャクチャ落ち着かない気分だ。
やむをえず、グリーンカレーを食いながら、
道端を中途半端に踊り歩く。
そんな状態で、本日、生誕50周年の友人とすれ違った。
(マジで「生誕50周年」というタスキをかけている)
だが、食欲とダンス欲で分断されている脳みそでは、
挙動不審にしかならない。

 

そして、思いがけず、京都の仲間にも会った。

なぜか成り行きで、
「京都のサヨクです」と、お互いに改めて、
自己紹介する、謎の展開に。
サヨクなのか?オレは)
思わず、共謀罪のことが、頭をよぎる。

ハラも満たされたので、
ムスコとムスメを、
「お父さんと、踊りに行かへんか?(怪しい)」
と誘うが、
「うるさいからイヤや」と断られる。
音楽祭で、それを言っては、オシマイである。
仕方なくステージすぐ裏の公園という、
中途半端な場所で中途半端に遊ぶ。

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しばらくしてから、
アフリカン・ビートの太鼓集団が現れ、
その大音量に、普段なら熱狂するのだが、
今日は何故か、機械的な音を体感したいようで、
イマイチ気分が、ノッていかない。
うーむ。

そんなこんなで、
出店していた、とむやんのトコへ行き、
(とむやんに関しては、これを参照↓)

tarouhan24.hatenablog.com


全く踊っていないが、
コーヒーブレイク。
今しがた、踊りそこねたことや、
人間の孤独についてのハナシをする。
(音楽祭のサナカとは思えん話題だ)

まあ、子連れなので、
トリの切腹ピストルズはあきらめ、
早めに会場を後にする。
さあ、車に乗ろう…としたところで、
あの、大阪での20代の頃を思い出すような、
モロ・テクノ・トランスな電子音が!
「外から見るだけ、見ていい?」と連れ合いに告げ、
ダッシュで来た道を戻り、
外巻きに人が踊っているとこを見る。
(ダンス・ミュージュクだ。楽しそうだ)
だが、もう帰るのだから、どうしようもない。
またも、踊りそこねる。

なるほど、
子連れの音楽祭とはこんなもんだ。
ボクも人並みに親をやっているので、
いくら自由であろうとしても、
所詮は子ども優先だ。
フェスで満足な行動など、とれるはずもない。
これでいいのだ。
アンチ・リメンバー!
あんな、殺伐とした孤独な20代の自由など、いらない。

日のあるうちに、消化不良で帰るぜ、
ベイベー。

 

蟻を見つめる

 

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たまに、近所の公園にひとり座りこんで、

蟻を見つめ続けることがある。

5分、10分、15分。
ひたすら、蟻の動きを見つめ続ける。
働いているのもいれば、

ボクみたいに怠けているやつも、いる。

ムスコの図鑑を、見てみる。
「アリはハチのなかまで、

ミツバチなどと同じように、
女王アリを中心に、たくさんの働きアリ(メス)、
オスアリで集団生活を送っています。
日本では北海道から南西諸島まで、280種ほどが、
すんでいます」

 ハチの仲間だったのか…。

 

たまに、考える必要もないことを、考える。
そんなとき、蟻を見続けたくなる。
この間、蟻を見ていたのは、
図書館裏の公園だった。


図書館で、読まなくて良い本を、読んだ。

本のテーマは、
「男は、なぜ女の涙に弱いか?」

だった。
タイトルを見た瞬間、イヤな予感がした。
絶対に読まない方が良いと、思ったのだが、
読んでしまった。
男はなぜ、女の涙に弱いか?
女性が「理不尽な形」で、涙を見せたとしたら、
男性に潜む騎士(ナイト)願望が、
少々の優越感を伴わせ、
「女性の涙を許してやろう」という気にさせるらしい。
大ざっぱに言うと。

この説が合っているかどうかというのは、
問題ではなく、
背筋が寒くなったのは、
ボクには確かに、
騎士(ナイト)願望というものがあるということ。
それは、自分の思考の切り札のようなものだから、
存在を、他人に打ち明けることも、なかった。

ナイト願望が存在する…
ということを、
こうして書くこと自体が、
狂気的な恥でもあるのに、
(白い馬に跨っているようなものだ)
さらに輪をかけて、
自分の中にある、
ナイト願望自体、腐りきったものだと仮定したら、
ボクはもはや、行動の動機すら失ってしまうことになる。
骨が存在しない男の、誕生だ。
誰とも会う必要が、ない。

太陽の光を浴びたくなった。
図書館を飛び出し、

公園に行き、
でも眩しく、
地面にうずくまり、目を伏せた。
そこに、蟻がいた。
蟻を見る。
じっと見る。
見続ける。
気持ちが、落ち着いてくる。
心配することは、何もない。
ナイト願望の正体が、下世話なもので、
たとえ、自分の根性が生ゴミよりも腐っていたとしても、
そもそも、ボクは特に誰も助けてはいない。
単に、蟻を見ているだけだ。
蟻を見ている肉体が存在している、
それだけの話なのだ。

遡ること、数年前も、
考える必要がないことを、考えていた。
自分の性的欲望について、だ。
滋賀のとある、素敵なおうちで、
「愛と性のお話し会」という企画があり、参加した。
車座で、何組かのカップルやシングルと

「愛と性」を語りあった。
自分は、性的欲望に関しては、
思春期であるかどうかは関係なく、
いつもお腹がすいていて、
食べることができるようなものだと、感じていたから、
不安をそのまま、口にした。

この場でしか、できないことだった。

「ボクは生物学的に、オスやから、一皮むいたら、
種付けの本能で、常にまきちらしたいと願ってる。
所詮それが、本性なんやないかと、頭を抱えている…」


ボクはここで、我に返る。
「でも、現実的にそんなことができるかって、
言われたらムリですからね」
…という発言をすると皆、笑ってくれ、
命拾いする。

蟻を見ているような男が、
何を「まきちらす」というのだ。
元々、能力的に不可能なことなど、
考える必要が、ないのだ。

蟻を見る。
蟻を見つめ続け、
我に返る。
蟻を見ている、肉体の存在。

人は、様々な圧力を他者から受け、
絶望の淵まで、追い詰められかけたら、
反射的に上を向く。
見えない空を、探す。
上へ、上へ。

 

逆に、
自分の中から沸き起こってくる

災いや腐敗を恐れるときは、
うずくまり、下を見る。
腹の底へ、腹の底へ。

 

ボクは大抵、下を見る。
するとそこに蟻がいる。
蟻を見る。
見続ける。

有り余るヒマとタイクツを利用して。

 

蟻を見る。
孤独。
それは、孤独な時間。
たくさんの人と、
いろんなことを、わかちあい、

愛し合いたい。

そのために、死ぬほどの孤独を
自分に用意する。

 

主夫日記4月13日 ~頑張らない父親 ニート主夫~

 

~前回の続き

小学校に入学したばかりのムスコが、

友達のR君に会いたいがため、
学童に遊びに行くと言ってきかない。

とにかく、ひとまず、行ってみることにした。
…実は、学童に来るのは、初めてではない。
R君一家と共に、
説明会に来ていたのだ。
(現地集合で。そんなに仲良くない)


入所できなかったのは、
ボクがニートで、家にいるからである。
しかし、それもまあ、大義名分といえば大義名分で。
ひょっとしたら、
何とかして、入れたのかもしれないとも思う。
正直、学童に行かないことを選択したのは、
ボクの裁量。
要するに、
入所の際の事務作業(膨大な書類を書く等の)が、

メンドくさかったからなのだ。
そんなのが理由だなんて、誰にも言えん。
ただし、説明会のときに、
職員さんから、
「遊びに来てくれるぶんには、かまわない」と聞いていて、
「公園に遊びに行くみたいな感じで来たら、いいんスかね」と尋ねたら
「ええ、いいですよ!」という返事だったので、
それだけを、アテにしていたのだ。

R君の通う学童は、

通学している学校近くではなく、
隣の学区なので(事情は知らない)
車で5分ほどかけて、行くことになる。

改めて、来てみると、
まあ、山の麓にあるいい感じのトコではないか…多分。

 

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インターホンを押し、
「子どもを遊ばせに来ました」と言うと、
「ハイハイハイハイ」と、何やら歓迎ムードだ。
これは、悪い気がしない。
中に入ると、
「R君!(ムスコが)来はったよ!」と、
職員さんが、待ってましたとばかりに言う。
一体、どういうことなのだろう?
何もかも筒抜けで、
ボクひとりが、何も知らないのだろうか?
「ボクは、ここにいた方が良いんでしょうか?」と尋ねたら、
「迎えに来てもらっても、良いですよ。一年生からは、
親御さんはいらないんです。大体のお迎えの時間だけ、
言っといてくださったら」とのこと。
そんな、うまい話があって良いのだろうか?
学童とは、そういうものなのか?
ボクが、本当に何も知らないだけなのだろうか?
しかも、タダだ。
なぜ、皆、遊ばせに来るだけにしないのだ?
そうは行っても、正式(?)に入所してる子とは違い、
ちょっと早めに4時くらいに迎えに来るのが、妥当なトコらしい。

職員さんが、何となしに、匂わせていた。
(ボクは、規則には異常に鈍いが、感情のヴァイブには極端に敏感だ)
その辺は、遊びに来てるだけの子は、終わりの会に参加できないとか、
イロイロ面白くない、オトナの事情があるらしい。
さて、当然のごとく、建物の中に吸い寄せられるように、
姿を消すムスコ。
説明会の時、ロクに内容を聞いてなかったので、
学童内で行われていることは、
全くのブラックボックスだ。
こんなことで良いのだろうか!
と、書いている今も、悩む。
ボクの中に、根本的に足りない何かがあったり、
気づかなければならないことに、気づいてなかったりしたら、
誰か指摘してくれんモンだろうか?

それにしても、
ムスコを学童にあずけた後の、
解放感はスゴかった。
吸い寄せられるように、
一切迷わずコンビニに行った。
雑誌を立ち読みすると、いい感じの
マンガと文章を二つも発見して、学んだ気分。
そして、思う。
タイクツだ…。



ボクは、ヒマなんです。

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主夫日記4月12日 ~新一年生だ 頑張るムスコ~

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入学式の日の丸・君が代で倒れそうになった、
父を尻目に、マイペースに、新一年生生活を送ってるムスコ、
…と思いきや、中々、葛藤してはりました。

給食が、まだ始まっていないので、
12時前くらいに、集団下校で帰ってくるのだが、
下のムスメの保育園のお迎えの時間までは、
何となく、ボクと二人で過ごしていた。
二人でゴジラのDVDを見たり…
こんなものが良いわけはないのだが、
どう過ごすかの、青写真がまだない。

すると、ムスコは
近所に住む、R君と

「五時半に公園で待ち合わせの約束を
している!」

と、唐突に言った。
R君は、新一年生で唯一、
ムスコと同じ保育園に、通っていた子だ。

(越境通園だったので)
しかし、よくある話で、唯一の顔見知りであるR君と、ムスコは、
学年2クラスしかないというのに、別々に配属されてしまった。
しかも、R君は学童通いなので、中々会えないのである。
(クラスの半分以上が、学童通いだった)

「五時半は、晩ごはん前やし、ムズカシイで。それに、
子ども同士で約束しても、おうちのご用事が、
あるかもしれん」

と、ムスコに伝えても、
「R君と約束したんやもん!」と自信たっぷりに答える。

五時半になり、意気揚々と公園に行くムスコ。
そこに、丁度、R君一家の車が通りかかり、
「お兄ちゃんを病院に連れていくから、遊べない、ゴメンネ」との知らせ…。
当然、ムスコは、
「R君と約束してたのに~」と大泣き。
「明日また、学校で会えるやん」と、ボクが慰めても、
「R君とは、別のクラスやから会えへん~一緒のクラスやったら、
良かったのに~」と言って、泣きやまない。
(マイペースそうに見えてたけど、気にしてたんや)
思わず、ボクが涙ぐみそうになった。


「お父さんが遊ぶやん」ボク。
「いやや~お父さんよりR君がいい~!」

 

そりゃそうや。嬉しいこと言うてくれるやないか!
ゴロ寝ばかりしてる、オヤジと遊んで、何が楽しい。
成長してるよ。


「わかった、そしたら、明日学童行ってみよう!
お父さん学童がどういうもんか、ようわからんけど、
とにかく行ってみよう。とりあえずR君は、いるやろう」


すると、ムスコさんケロリと泣きやみ、


「明日行く、明日絶対学童行く!」
と張り切る。

…眠くなってきたので、この続きはまた明日。


主夫日記4月11日 ~暗黒入学式~

朝から、何かイヤな予感がすると思ったら、
今日はムスコの小学校の入学式だった。

オレは式典が苦手だ…
思えば、大学の入学式。

黒いタートルネックに、スラックスみたいなズボンという、
スティーヴ・ジョブ○みたいな、
方向性のわからん服装で、
参加しよーとしたら…、
到着すると、
式はとっくに始まっていて、
おまけに皆、入学でありながら就活みたいな、
リクルートな服装だったので、
就職の恐怖におびえた自分は、
そのまま大学を中退してしまった。
バブル崩壊直後の、のどかな時代の話である)

マトモに式典に参加するのは、
あれ以来だ…
ウディ・アレン野村克也も真っ青なくらい、
ブツブツ、文句ばかり言っている。

校門でこんなのを頂いた↓

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渡してくれた女性が
「おい、41歳、おまえの身に何か災いが起こったら、
この札を使うのじゃ」

と言ったような気がした。

 


ほんで、君が代なんですけど、
きつい…予想以上にきつい…。
マジで息が詰まりそうになる。
案外、しれっとしている自分を想像してたが、
まさか、ここまでアカンとは思わんかった。
起立して、反射的に後ろを向いたのだが。
最後列に座ったため、
誰もオレが、ソッポを向いてることに気付いていない。
音楽が始まったと同時に、
体育館後方の壁面(オレから見て正面)に貼られている、
「体育用具置き場」の札を、
目が充血するくらい、一心不乱に見つめる。
これはもはや、思想的なレベルでなく、
生理的にアカンようだ。
集団が、確証もないのに一心不乱に、
同じ形式の行動をすることが、
耐えられないようだ。

高地みたいなところから、語りかける校長。
話の内容が、全く頭に入ってこない。
「いっしょうけんめい、元気に、仲良く…」
微動だにしない、客席のママパパたち。
ものすごくシュールな光景に見える。
式中、無意味に三回もトイレに行ってしまった。

校長は、何かにつけ、
日の丸にお辞儀をする。

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自分には愛国心がないというより、
愛旗心がないというか。
布に頭を下げるのが妙に見えるのだ。
旗を愛するのは、暴走族だけだと思っていた。
シュールだ。

ムスコに
「あの歌はなんなのか」と聞かれたときに、

自分が何と答えるのかと、妄想する。
「…あの歌は、国を大事にしようと思う人が、好きな歌やねん。国っていうのは、地図で見た線で囲んであるとこのことかな。こっからここまで言うのは、んな大したことはないねん(そうか?)。お父さんは人自体を大事にしたら、ええって思ってるから、歌わへんねん。歌わんでもええねん。けどまあ、歌ってもええねん、好きやったら」
わけがわからない。
もういいや。
あ、ほんで‘君’=‘天皇’を説明しなアカンか。
自分が、天皇制廃止を望んでいることを、
一体、どっから説明したら良いというのだ?
頭がゴチャゴチャしてきたので、
思考を丸めて捨てる。
大体、ムスコは何も聞いてこない。
ずっとニコニコして、何か楽しそうだ。
もう一度、お札を見る。

「あんまり、

物事をマジメに考えすぎると、
体にドクやぞ」

と言われてる気がする…

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とにかく、
疲れた、
疲れた…。
もうこんくらいでカンベンしてください。

筒井康隆の死

 4月8日の朝日新聞で、

作家の筒井康隆が、
慰安婦像に性的侮辱表現をして、
問題になっているという、記事があった。

どのような、ひどい表現をしているのかは、
確認する必要がないな、と思った。


何せ、この作家はただ単に、もう古いのだ。
20年くらい前までは、この作家の信奉者は、
まだ、ちらほらいた。
作家は、朝日新聞の取材に対し、
「あんなものは、昔から書いてます。
ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう」
と発言していたが、そうではない。
読んでいない連中が、存在するのではなく、
もはや、彼の作品に興味を持つ人間が、

これからの時代、存在しなくなるのだ。

 

全盛期の彼は、
パロディーとか下品な表現とかで、

タブーに触れ、
人の神経を逆なでする面白さを、

信奉者と共有し、
「良識」がある人間を、
頭が固く、ようふざけへんバカ、

というポジションに
無理やり追い込み、
精神的優位に立ち、
快感を見出すというのが、お家芸だった。
(一言で言うと、悪童)
彼と、彼の信奉者の間では、
事の本質や人権感覚を「あえて無視」して、
面白さを最上のものとすることが、

粋であり、知性的であるという、
暗黙のルールがあった。(かつては)


彼の全盛期からは、
とうに時は流れ、
世界は、
様々な問題を、
現実的に解決の方向に向かわせなければならない、
時代にシフトチェンジした。
単純なことだ。
ちょっと思い出しただけでも、
阪神大震災オウム事件、9.11、原発事故。
たくさんの悲劇があったからだ。

今や、彼が人生をかけて、
苦労して作った‘超’虚構世界や笑いなど、
全くの、無用の長物になった。
彼が頑張って論陣を張っていた、
言葉狩り’の問題など、
政府が本気で共謀罪などを
成立させようとする時代には、
あまりにも、のどかなもので、

そもそも、誰も覚えていない。

脱走と追跡のサンバ」「虚構船団」
文学部唯野教授」「残像に口紅を
「パプリカ」
を、それぞれ2ページずつ読んだ、
ボクは、立派な筒井ファンだろう。
念のため、
どんな発言をしたのか見てみた。

なるほど、
事の本質や人権感覚を「あえて無視」して、
面白さを最上のものとする、
お家芸
1兆歩ゆずって、
面白さを見出してみようとも、
思ったのだが。
もはや、面白さすら、ない…。

作家は、
すべてを見透かしてるかのごとく、
「炎上狙いというところもあった」
とも、言っている。
この開き直って、自分のやってることに対して、
傍観者になるという芸風も古い…。
虚しい…。

何故、地位も名誉も確立したであろう、
老作家が、
今さら現役では通用しない、
ボールを投げにマウンドに向かったのだろう?
それは、死の恐怖。
自らが消えゆく恐怖ではないだろうか。
「良識」的な生き方をしてきた人間ならば、
その志は、必ず誰かが引き継ぎ、
死など、存在しない。
だが、面白さを生業にしてきた、
年老いた作家の生き様など、
誰も、引き継がない。
作品と共に消えゆく自己存在。
イタチの最後っ屁として、
この騒動につながる、くだらない発言をしたことで、
彼は、彼の人生と作品が、なにひとつ意味がなかったことを、
自ら証明してしまったのだ。

彼の作品は、韓国で発売中止になったそうだが、
そんなことをするまでもなく、
あと10年もすれば、
彼の作品は完全消滅するだろう。
本当に、只の消耗品だったのだ。
もはや、彼より若く、
どれだけ才能のない人間が、
軽く作文を書いただけだとしても、
この巨大な才能を持つ天才の作品より、優れてしまう。
それは、仕方がないのだ。
残酷な時代の流れなのだ。

「SFとか、虚構なんて、なんの意味もなかったんだよ、
普通で良かったんだよ」
いくらなんでも、
人生の最後にかけられる言葉が、これでは、
あんまりだろう。
気の毒すぎる。