たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝⑪ ~精神病棟見学記⑴~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる:

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何故だろう?
記憶の男よりも先に、
診察の番がまわってきた。

死霊に取り憑かれたまま、
自分は、遠藤医師の前に座った。
開口一番、

「今にも自殺しそうなんです、自分が自分を殺しそうなんです」

こう言った。
心の内を、
順序立てて、説明する余裕がない。

「重傷です!」

遠藤医師は言い切った。
「入院してください。このまま行くと、精神分裂病という、もっと恐ろしい病気になります」
遠藤医師は、手に持っていたボールペンを、机に投げつけ、
(医者が患者の目の前で、そんなことをするはずがない。おそらく、記憶違いだろう)
険しい顔で、立ちあがった。

「これから、病棟を案内します」

遠藤医師の、この決断の早さは何だというのか。
自分には、彼が気が狂っているように見えた。

精神分裂病?分裂する?おれはおれだ。苦しいだけだ。精神分裂病ってなんや?)

「着いてきてください」
遠藤医師は、傍にいた看護師と共に、
彼の背中に隠れていた、隠し扉のような出口を開けると、足早に診察室を抜け出した。
自分は、着いていくしかない。

(彼は、どうなるのだ?)

医師の不在のために、放置されてしまっては、
待合室で男は、頭を引っ掻き続けることになってしまう。

遠藤医師は、無機質な速足で歩く。
自分は、ひたすら着いていく。
入院病棟への侵入が許されたのだ。
いよいよ、院の内部にまで食い込むことになる。
だが内も外も、表も裏も、
どこに行こうが、
冷たいコンクリートの壁であることには、変わりない。
視界が、灰色いっぱいに、
埋め尽くされていくような気がする。
こちらは、歩くことが辛いというのに、
遠藤医師は全く歩みの勢いを、ゆるめない。
遠藤医師は、自分の病状を、
全く理解していないのでは?と、思う。
履いていられない程に、スリッパが重い。
視界の灰色は、脂肪のようにだらしなく溶けていく。

(入ってしまえば、自分は安心できるのだろうか?)
そんな思いも、湧く。

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エレベーターに乗り、
病院の最上階へと、到着した。

(新しい住家の確認になるかもしれない)

わすかでも、心地良さや安らぎの要素を、
拾い集めようと、じっと目を凝らす。

甘かった。

そこにある景色はどう見ても、
現世の「墓場」だった。
まるで、水しずくひとつない廃校のプール。
窓から少しは、光が射しているというのに、
空間全体が暗い。
寝巻姿の何人かの老患者が、
蛾のように、身動きひとつとらず、
ぽつりぽつりと、それぞれ、わずかずつ感覚を開け、
壁にピタリと身を寄せている。
患者の数が、少ない理由がわかった。
全てここに「寄せ集められて」いたのだ。
段々と、状況が理解できてゆく。
老人たちが「停まっている」お尻の下も、
むき出しのコンクリートだというのに、敷物ひとつ敷かれていない。

記憶が確かなはずはないのだが、
そこここに、扉があった。

(固く重い扉の向こうには、何があるのだろう?自分の部屋になるのだろうか。ここに「停まる」老人たちが、友人となるのだろうか?)

「ここなら、すぐに誰かが駆け付けられます!」

遠藤医師は、
自信たっぷり、爽やかな微笑みさえ浮かべながら、
そう言った。

(どうして、この医師は、自分をこの場所に閉じ込めるようなことができるのだろう?)

遠藤医師に、怒りを感じたというわけではなかった。
そもそも、怒りを感じる気力などない。
まして、
この場所にいる、老患者たちと自分を差異化したわけでもない。
ただ単に、医師の物言いに、本能的な恐怖を感じたのだ。

この医師は、仕事に馴れすぎている。
馴れというのは、一歩間違えれば非常に恐ろしいものだ。
遠藤医師は、
この、精神病棟という場所が、
唯の場所ではないことを、感じることが出来なくなっている。
絶望的鈍感だ。
医師のヒューマニズムの心底を、限界を、
全く、思いがけない角度から通知された気がした。
冷静に考えれば、
治療というものは、担当医にもよるし、タイミング(!)にもよる。
ケースバイ・ケースだ。
だが、公共の大病院が発点となった、精神医療のルーティンワークは、
悪気があろうが無かろうが、
その存在が人を救うためよりも、整理することが目的になってしまっている。

一部の現状を、肌で感じてしまったというわけだ。

「引きました、おれは引きました」

自分は、遠藤医師にそう告げた。
「引いたんですか…」
遠藤医師は、明らかに不満気な表情を見せて、言った。
彼がそんな表情をしているのを見たのは、
診察を受けて以来、初めてのことだった。

「あっちは、どうなんです?」

自分は、
窓の外に見えている、別棟を指差した。

「あれは…デイケアですよ?」遠藤医師は言った。

「あっちの方が、まだ入れそうです」
デイケアが何なのか、わからなかったが、
自分は診察室から、この最上階に来る間、
そのデイケアの持つ雰囲気を、遠目で捕えていた。
見る限り、
病院内で唯一、清潔で明るい雰囲気だった。
とにかく、人が動いてる。
何やら、売店らしきものもある。
ソファや壁の色だろうか?黄やオレンジ系の暖色が、見える。
それだけでも、ホッとさせられる。
どのような患者が、あそこにいるのだろうか?

「あっちなら、行けるかも知れません」自分は、意志を押し通そうとした。

「そうですか?なら見学してみましょうか…?」遠藤医師は、渋々言った。

まるで、アルバイトの面接の失敗を、繰り返しているようだった。
次、雇われないと、もう生きていける場所が、ないのかもしれない。
そんな感じだ。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*