たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

主夫日記10月25日 ~2017年衆議院選挙を振り返ってみる~

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ワタシが、選挙を振りかえったトコロで、
どうなるのか、と思うのだが、
書いてみる。

言うまでもなく、

今回の選挙は、
1から10まで、‘野党共闘’だった。
(自分の周辺では)

目指す方向が、
根本的に違うから、
別々の政党だというのに、
歩調を合わせる。
アタマから無理なことをやる、
というのが、
関わる人全てにとっての、
大前提という難儀な運動だった。

選挙期間中、
「踏み絵」という単語がブームになったが、
そもそも、無理なことをやるという時点で、
多くの人が最初から踏み絵を、踏んでいる。
(もしくは、自覚もなく踏んでいる)
ワタシなど、踏みまくった。

遠藤周作の、
「沈黙」を、
10代のときに愛読していた。
(最近、映画化されて話題になっていたな。どんなんやったんやろう?)
遠藤氏は、
現物の踏み絵に残された、
足の指のシミを見て、

「このシミを残した人物は、どんな気持ちだったのだろう」
と、いう思いから執筆したと語っていた。

なるほど、
「沈黙」を真に受けたというわけではないが、
自分は、間違いなく踏み絵を、踏むタイプの人間だろうと、
いう思いは、10代のときからずっと持ちづけている。
拷問などいざ知らず、
少しの恐怖や、痛みにも耐えられないのだ。

(だから自分は、「希望の党」に入るタイプだという比喩ではない。
ここでは、それは全く関係ない。根本的に自分は、10回生まれ変わっても、

政治家になれるような才能はないだろうから)

だから当然、

イヤなものだ…共闘なんて、
という苦い思いも、ないことはなく、
市民活動の中で、真剣である自分と、
煮え切らない自分が交差していた。
誰にも気づかれない程度の、
野党共闘の矛盾への)

ウサ晴らしを試みたときは、
まるで、隠れキリシタンのような気分だった。

 

***************************************


閻魔大王に、
「オマエの脳みその中に、ほんの1%も、

前原誠司と似たような破壊衝動は、なかったのか?」
と、問われて
「ありません」
と、返事したら、
速攻で、舌を抜かれそうな気がする。
あの「希望」「民進」合流騒ぎの日、
不安のあまり、

夜中ひとりパジャマ姿で、
近所を徘徊した。
町内を何回も周回した。
歩くところがなくなったので
児童公園に立ち寄って、
小用を済ませた。
(男性だから、できることだ)
用を済ませながら、感じていたのは罪の意識だった。
どこかこうなることを望んでいた自分が、いるような気がする。
だが、実際にコトが実現してしまったとき、
その本当の恐ろしさを実感する。
…気の小さい、犯罪者の心理だ。

その後も、
排除とか、再結集とか、
混乱が続くなかで、
ワタシは、
どんどん、他者にホンネが伝えづらくなっていった。
考えや感じ方が、一致しているであろう人の数は、
日を追うごとに減っていき、
最終的にはゼロになってしまったな、
という実感があった。
家族でさえもである。
無理はない、
人はひとりひとり、背景があるのに、
今の選挙制度に加えて混乱の中、
白か黒かどちらかを選ぶしかない状況。
孤独になるのは、当然だ。
次第にワタシは、誰にも物を言いたくなくなっていった。

 

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「やっと、投票日だ」
と、いう感じだった。

台風を見越して一日前に、期日前投票
(台風の日に投票日など、危険なことだ)
記入したペラペラの投票用紙は、
投票箱の口より少々大きく、なかなか中に入らなかった。
不器用にブラブラと指先を動かし、落とすのに懸命になっていると、
何か、人前で排泄行為をしているみたいな、

羞恥の感覚に捕らわれた。
(そんなに、変わった組み合わせを選択したわけでもないのに)
投票なんて、
こんな、公然の場で行っても良いものだろうか?
夜中、ひとり公園のトイレにでも投票したい。

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頑健な成人男性が夜中に、徘徊する。
全く、不審者のようなマネをしたものだ。
一軒一軒の家の明かりを見て、
「一体、この人たちの投票先がどこなのか?それとも棄権するのか?」
と、考えた。
どういう理由で、どこに投票するのか?
人生の反映だ。
同じ政党に投票したとしても、
理由は大きく異なる。
家族であろうと、言えない。
本心を打ち明けることができる相手など、この世に存在しない。


だが、思うのは、
案外、みんな(!)が、そのような孤独を抱えているのだろう、
ということだ。
逃れられない孤独を、皆が抱えていると思えば、
さほど、淋しいものではない。
孤独ではない、単にひとりなだけなのだ。
ひとりであるということに、
しっかりと向き合う。
ひとりの自分は、
政治に何を求めているのか?
真剣に考える。
(そして、それぞれのやり方で伝える)

政党の動向など、関係ない。

ひとりの自分に、
しっかりと、向き合うことができなければ、

家族を、友人を、仲間を、
さらには仲間でもない人間を尊重することなど、できないのだ。

*最後に、これは歴史に残る、バカバカしい発端の選挙だと、
覚書として書いておく。

主夫日記10月19日 ~安倍晋三を見てきた~

家から、

そう遠くない、

京都南部のスーパー、
平和堂城陽店に、
内閣総理大臣安倍晋三がスピーチに来るというので、行ってきた。

 

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自民党の狙いは、ただ一つ、
選挙区(京都6)の、強力な前職、‘希望の党山井和則を、
完膚無きまでに、叩きつぶすためである。

簡単に、京都に来られても困るので、
カウンターというには、

大げさだが、
ご意見というか、
マンガみたいなメッセージ・プラカードを用意して↓

 

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(厳密に言うと、このプラカードの内容も、どうかと思うが)
平和堂まで、車を走らせた。

小学生の、

子どもの帰宅時間を考えると、
行くのは、無理があるのだが、
こんなときのための、
とっておきの手を使った。
なにせ、一国の宰相が近場に来るのである。

予想以上の混雑で、
ナビの案内の、倍以上の時間をかけて、
ようやくたどり着いた。
駐車場も満車で、場内に入ったものの、
停車することすらできず、

絶望的な気分になった。
すでに、
観衆は自民党街宣車の周囲を、埋め尽くしており、
その数、ざっと1,000人。
そこいらに、日の丸が羽ばたいている。

奇跡的に、一台ぶんの空きスペースを見つけた。
大急ぎで駐車し、プラカードを鞄に入れ、

街宣車の方へと、歩く。
幸い、
安倍晋三はまだ到着しておらず、
地元京都の参議院議員西田昌司と、候補者のスピーチが、
終わったところだった。

…にしても、
これほどまでに、
日の丸を振っているギャラリーが多いとは、
驚いた。
安倍晋三のスピーチに、日の丸が舞うのは、
当然のことなのだろうが、
写真で見ていたのと、
実際、この目で見るのとでは、
大違いだ。

プラカードの集団を見つけたので、
カウンターだと思い、仲間に入ろうとしたが、
よく見れば、

「おい、TBS。選挙妨害は犯罪なんだよ!」

と、いう、
ヘイト・スピーチの画像で、よく見かけるプラカードだ。
あぶない。
プラカードを高々と掲げている、オジサンに体がぶつかり、
「ドーモ、失礼」
と、言うと、
「アッ、良いんですよ」
と、にこやかな返事が返ってくる。
どこにでもいそうな、気の良いおっちゃんだ。
周りを見渡すと、
プラカードも日の丸と同じように、
全員というわけではないが、
多くの人に、行きわたっている。

 

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「安倍首相、ガンバレ!」

と、いうプラカードもある。
すべて同じデザインの、同じもの。
自分は反射的に、
かつての民主党
愚かな、震災遺物広域処理政策の時に、
用意して配布した、

「絆」

の、プラカード狂想曲を思い出した。

どうにも混雑していたので、
街宣車の裏側から、写真でも撮ろうとして、
道路を隔てた向こう側に回ったら、
ジャンバー姿の係の人(警備員ではない)
から、
「ここでの撮影はダメなんです」と、止められる。
私は、
「本物が来るの?ウソでしょ?」
と、心にもない軽口を叩いてみる。
係の人は、忙しいときだのに、
アホなやじ馬には参った、というような、
苦笑いを見せて、
街宣車向かい側のスペースに戻るよう、
案内する。

再び、群衆の中に入って見て、
子連れママや、中高生が多いのにも、驚いた。
昼下がり、
恵まれた子育て世代なら、比較的動きやすい時間だ。
対立候補の看板は福祉。
全て、計算なのだろうか?
子どもたちに、日の丸を持たせ、
和やかに、談笑する母親たちもいる。
別に、鬼のような顔をしているわけではない。

あたりでよく見かける、優しそうなママさんだ。


(*日の丸も、プラカードも、全て事前配布によるものだと、後から聞いた。
だとすると、単なる通りすがりの人が、総理大臣が来るのだからと、
芸能人の応援グッズ的に、貰った旗を無意識で振るのも、おかしなことではない。
それの方が、より恐ろしいのかもしれないが…
でも、この時点での私は、マンマと騙されている*)

「あちら側」にも、
ママの会みたいなものは、存在する。
と、いう話も聞いたことがある。
自分は、
今の時代、多くの人が、
何となく、右傾化することで、
生きることをラクに感じているのでは?
と、思っていたが、
そうではなく、
「積極的な意識で、安倍晋三の目指すような世界に同調する人々は、
今まで、潜まざるを得なかった、それが、出てきた」
と、いうことらしい。
「対立になる、だからしんどい」と、
その言葉には、
確かに、現場的な響きがあった。

 

安倍晋三が、やってきた。

 

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1000人の同調者。
いざとなったら、
ひとりでも…と、思っていたが、
どうしても、自作のプラカードを出すことができない。
自分みたいな人間も、きっと点在しているのだろうが、
確認する術もない。
1対1000のように思える。

申し訳ないが、
内閣総理大臣が、何を話していたのか、
よく覚えていない。
レポートが目的で、行ったわけでもない上、
よく知られているように、彼は明瞭な話し方ではない。
(ここは、攻撃のしどころではない。ただの口調だ)
生理的な嫌悪感は、もちろんあるし、
漏れてくる言葉を、
耳は、本能的に避けようとする。

部分部分、聴こえてくるのは、
「若者たちが、仕事ができる社会、子育てしやすい社会、生きやすい社会」
と、いった言葉。
対立候補を意識してのことだろう。
だが、
キャッチ・フレーズを繰り返すのみで、方法の説明がない。
(本当に、総理大臣の演説なのか?こんなので良いのか?)
と、思ってしまう。
それでも、
安倍晋三が何か言うたびに、
群衆は沸き、
そのたびに、特に、最前列の数百の日の丸が、
「ワーッ!」と、バンザイのように上がる。
アベノミクスの成果を、数字を出して強調。
過疎化した農村で働く、おじいちゃんの手を握って、
必ず、日本の農業をよみがえらすと誓った!
という、
『泣き』のエピソードも取り入れる。
別に、安倍晋三に限ったことではないが、
詐欺的な手口にしか、見えない。

 

安倍晋三に限ったことというのは、次にあった。

北朝鮮の脅しに屈するわけにはいかない!!!!!」

彼は拳を振り上げ、言った。
またも大量の日の丸が、
バンザイのようにブワッ!と、はためき揺れる。
コール&レスポンス。
間違いなく、
この日一番の歓声と、盛り上がりだった。
「むしろ、北朝鮮の方から…」
北朝鮮の方から、詫びを入れてこい…)
と、いうような意味のことを言うが、
聞きとれない。
耳が、言葉を避ける。
吐き気がしてくる。

自分は、
タイム・マシンに乗ったかのようだった。
白黒写真でしか、見ていなかった、
第二次大戦中の、ヤマト民族の熱狂。
それが今、目の前に実際にある。
自分も、
そのヤマトの一部であることが、恐ろしい。

有名なユングは、
ナチスの熱狂と闘争心は、古代ゲルマンの嵐と、狂騒の神『ヴォータン』という元型の復活である」
と、何やら神秘的なこと言っていたらしいが、
自分は意味もなく、そのフレーズを思い出した。

アタマを冷やして考えれば、
これと真逆の、政党のトップが来たときの、
集会に行ったときも、
人数は似たようなものだった。
だから、
前列の数百の日の丸が、
動員であるか、そうでないのかと考えるのは、
あまり意味がないことだ、とは思った。
好きなところに、人は集まるわけだから、
動員でもあるし、また動員でもないわけだ。

正直、
心底、恐ろしかった。
自分と異なる価値観を持つ集団を、
確認したから、というわけではなく、
異なる価値観の集団が、
本当にぶつかったらどうしよう?
と、想像したからだ。
憲法を変えられるのがイヤ、というより、
いじられることそのものが、イヤだ。
そんな緊張感に、
このヤマト民族というやつは、耐えられるのだろうか?

カウンターのプラカード(一応)を、
持って行った、ということは、
自分の心にも刃があるということだ。
いざとなったら、
ストッパーをかけていた、
「アベヤメロ!」
コールにも、参加する気でいた。
その時点で、すでに何かに巻き込まれている。

戦い。

刃を(象徴的な)どうしても、
出さないといけない瞬間が、
自分にギリギリ、訪れないのは、
安全な場所を、
政治によって確保されているだけの
ことだからなのだ。

連れ合いが、
旅行に行ってからというもの、
よく、沖縄のことを考える。
(自分は、マトモに行ったことがない)
よく知りもしない、
沖縄のことを考えると、
安倍晋三と、その支持者たちを見た違和感に、
投票行動で、異をとなえることが出来るのは、
贅沢なことだと感じる。
投票行動で、完全に勝利しておきながら、
基地なんぞを、押しつけられて、

(私たち、ヤマト民族が押しつけ)
その上で、
しかも、非暴力で戦わざるを得ないなどという、
極限。

いつも、
考えることなのだが、
そもそも、
世界が、こんなバカバカしい
陣取りゲームに明け暮れているのは、
男性性の持つ、暴力性なのではないか、
と思う。
ドナルド・トランプの顔を思い出す。

ヤケクソで、
男性ひとりひとりに、
聞いてまわりたいくらいだ、


「あなたは、人を殴ったことはありますか?私は─」

何をどうして良いのか、わからない。

驚いたのは、

安倍晋三のスピーチが、終わったあとだった。
司会の府会議員が、


「今から、安倍首相と(候補者)が、ハイタッチのご挨拶に当たらせて頂いております。お撮り頂いた写真・動画は、保存盤にせず、必ず、ツイッターか、フェイスブックか、インスタグラムにアップし、ハッシュタグをつけてください!」

と、隅々まで、支持を出したことだった。
CD屋でアルバイトをしていたので、わかるのだが、
これは、レコード・メーカーの発想だ。
「ハイタッチ」は握手会の後に出回った企画で、
より効率的に有名人と観客が触れ合う方法として、開発された。
確か、
エイベックス・グループあたりが、出どころだった気がするが
…よく覚えていない。企画が始まったのは、おそらく5年くらい前。
まさか、
これが、現職の総理大臣に適用されようとは。
選挙プランナーの存在は聞いてはいたが、
これほど、露骨に芸能界と繋がっていることに、驚く。
とにかく、
スタアを作りあげるためには、

「え?そんなバカなこと!」

と、思うようなことまで、徹底してやる。
実際に、効果があるのだ。
このバカバカしさを笑う者は、
自分自身を笑っている。

時計を見ると、3時15分。
子どもがいるのだ、帰ろう。
気持ちの落とし所が、全く見つからないまま、
車のダッシュボードに、
出せなかった、プラカードを置き、
平和堂を後にする。
アナウンスが聞こえてきた。

‘どうか、若い皆さまも投票に行ってくださいネ’

優しそうな、女性の声だった。

主夫日記10月1日 ~南の島で何が起こっているか~

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秋晴れの日だった。
パートナー、
‘みるまに’の個展も、今日が最終日↓

ameblo.jp


会期中(?)のイベントも落ち着き、
最終日の展示は、
のんびりしたものになりそうということなので、
家族を、
会場のイルチエロまで車で送った後、
ひとり時間をお願いした。

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観月橋から、
京阪電車に乗り、
ひと・まち交流館京都まで向かう。
講演会、

「メディアが報道しない自衛隊の先島ー南西諸島配備の実態」

に、参加するためだ。
週一回、保育園を通じて、野菜などを共同購入している
安全農産の企画チラシの束に、この講演会の案内があった。

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チラシを見た瞬間、
「これは知っておかねばならないことだ」
と、感じた。
安全農産は、いつも興味深い企画を知らせてくれるので、
本当にありがたい。

何回行っても何故か迷う、
ひと・まち交流館。
講演開始ギリギリの、
一時半に何とか到着。
息が上がっている。

講師は、
自衛官でありながら、
隊内で反戦ビラ配りなどの活動をし、
裁判沙汰までなるが、
無罪で言論の自由を勝ち取ったという、
軍事ジャーナリストの、小西誠さん。
(その他にも、平和のためのご活動は、枚挙にいとまがない…)

講演が、始まる。
小西さんの語り口は、優しい。


‘沖縄よりも、
さらに南西、
宮古島石垣島与那国島、そして奄美大島種子島も、
美しい自然が破壊され、
武装だった島に、
どんどんミサイルやレーダーが運びこまれて行く…!’

北朝鮮の弾道ミサイルが騒がれているが、
現実、戦火が起これば、
韓国のソウルなど、
真っ先に崩壊してしまう。
だから、韓国は「戦争だ」などというバカ騒ぎではなく、
「戦争」に対して、ものすごく冷静だ。
本来、日本もそうあるはずだ…’

知らないことだらけだ。

むしろ、
南西諸島の現実から、
日本と中国の間に、
‘新冷戦’が、あると小西さんは仰る。
そして、

「明日にはじまっても、おかしくはない」と。

なるほど、
それは一面の真実だと思う。
「明日にはじまっても、おかしくはない」
これは、
戦争でも天災でも当てはまることだ。
いつ、起こってもおかしくはない。
人間が、争う動物である限り、
そのために準備は、
常になされている。
それが、‘防衛’というやつだろう。
残念だが、相手があることなのだ。
ここで、思う。
何が必要なのか?と。
それは、
「原始的な、平和を願うパワー」
まず、
車を走らすための、ガソリンが不可欠だ。
平和のイメージが、
薄くなってきていないか?
まず、ここに力を結集させるのだ。

ボク個人が考えたことは、
何かというと、
とりあえずは、
女性や子どもに心配をかけたくない。
(オッサンたちは、この声に賛同してください!)
それだけ。

あまり知られていないことを、
まず、知る!
と、いうのが、
この講演会の大きなテーマのように、
感じた。
だから、
会場の空気そのものが、
まだまだ孤独なのは、
当たり前だ。
だって、ここからなのだから。
「明日の危機」に対して、
これからやっていくというのも、
おかしな話だが。
別に矛盾ではない。
なぜなら、ボクはそうやって生きているから。

そして、
孤独な講演会の中でも、
さらにボクは孤独だった。
専門色の強い、
防衛知識の質疑応答に中々、ついていけない。
ボクはまるで、閉ざされた島だ。
それが、良いのだ。
だからこそ、
「さて、どうやって伝えよう」と思うから。
孤独に、
一時の救いはあるのかもしれない。
かまわない、
それはそれで置いておけば良い。
でも、
ボクは、
「さて、どうやって伝えよう」と思うわけだから、
孤独に色をつけねばならない。

話を、しよう。
この日、
小西さんが語られたような現実が、あるのだ。
種子島奄美大島沖縄本島宮古島石垣島与那国島
カンタンに行けないところなら、
とりあえずは、伝聞でも良い。
リレイだ。
リレイで伝えていく。
こうして、書いている。
孤独に色をつけていく。
自分しか理解できないことなど、ないはずだ。
今度話そう、隣人に。
今度話そう、政治家に。
皆が、たくさんのことを知って理解すれば、
平和への道は、必ず開ける。
それぞれの、異なる力がある。
伝えるためには、ひとりではいけない。
ボクは、ひとりでは何の繋がりを築くこともできない。
今いる仲間との繋がりを、大切にする。
政党の問題ではない。
対話のしようもない相性というのは、
その人と自分自身の中にある。
それならそれで仕方ない。

今、知っている問題は何だ?
そう、
原子力発電所
秘密保護法。
安保関連法。
米軍基地。
共謀罪
軍備拡大…。

本当の平和の話を、あなたとしたいのだ。

***************************************

書きそびれたが、
講演会の連絡事項中、
誰かがおっしゃっていたのだが、
与那国島
‘日本最西端の島’という言い方は、
あまりよろしくなく、
‘東アジアとの交流の島’
が良い、
というのが印象的だった。
歴史的に、実際そうだったらしいが、
いいじゃないか!

講演会の第二部は、
自衛隊 この国営ブラック企業ー隊内からの辞めたい死にたいという悲鳴」
と、いうテーマだが、
子守をしに、帰宅せねばならない。
夕暮れというには、
まだ早い河原町通りに出て、深呼吸。

***************************************

まるで、
自宅に帰るように
イルチエロに戻る。
イルチエロの、壁や柱やガラス窓に畳。
皆、ボクに優しい。
二階のイベントスペースへと、
階段を上がると、
みるまには、すでに作品の撤収作業に取りかかっている。
子どもたち二人が、
いつも以上の勢いで、
ボクに向かって飛びこんでくる。
懐かしい。
いつも、一緒にいると鬱陶しいだろうが、
たまに旅に出て帰ってきたら、父もイイもんやろ?

***************************************

この後、とある友人の市会議員さんの、
選挙応援にと車をまた走らせた。
まあ、すでに投票日だったが…。
不在だったが、
事務所に署名だけして帰った。
翌日は吉報が届き、良かったです。
一日は、いろんなことがある。
P・Sの連続ですね。

不倫?

「不倫」と、いう単語はどうにかならないだろうか?
「倫」を「不(打ち消す)」
文字のまま解釈すると、
人の道から、外れているということになる。
だが、この単語を使って言われる現象は、
愛の矛盾であり、不倫ではない。

「不倫は文化だ」と、言った人がいたが、
彼はおそらく「不倫」という単語の持つ、
不正確さを、
何とか是正しようとしたのではないだろうか?
自分が思うように、
「不倫」→「愛の矛盾」ならば、
それは、単に、
人ひとりひとりが抱えたドラマなので、
「文化」という言葉で是正するのも、
これまた無理があり、
彼が本来伝えたかったニュアンスから、
かけ離れてしまい、
あげくヒンシュクを買ってしまったのでは?
と想像する。

そもそも、
人ひとりひとりが抱えたドラマを、
覗き見するというのは、
ただの悪趣味だ。

国会議員が、
愛の問題を世間から盗み見されることで、
失職に繋がるという事実が、
未だに現実とは思えないのだが、
自分も、普通にネットとか見ているので、
そういう情報は入ってくる。

自分が好感を持っていない国会議員が、
「不倫」で失職すると、ざまあみろと思い、
(滅多にないことだが)
自分が好感を持っている国会議員だと、
「可哀そうだ」と、思う。
贔屓や趣味や支持政党の問題というわけではなく、
女男の問題だ。

自分は、
男性だからかもしれないが、
女性の「不倫」には、魂の救済みたいなものを感じるのだが、
男性の「不倫」には、性愛か、性欲を感じとる。
(たったの2パターンで、申し訳ない。反射的に感じるのは、というコト)
男性の場合は難しく考えず、
まんま「不倫」と、言っておけば良いのかもしれない。

いつも思うのは、
女性への、異常な風当たりだ。
一切遊ぶことなく、結婚し、
結婚したら、亭主につくし、
他の男になびくことなどあるはずもなく、
子育て、
良くとも仕事に専念する。
男性が、
元々、存在していない、
菩薩だの聖母マリアだの
ママ偶像を勝手に作りだし、
何とか、
それをキープしようとやっきになっている。
それなのに、
日常的なセクシャル・ハラスメントは、
全く裁かれない。
今回の、
国会議員への私生活の覗き見が、
男性全般の、
マザー・コンプレックス的な
不気味な監視を表しているようで、
この現象自体が、
女性の心と行動を縛りつける
暴力のような気がする。

愛の問題のそれ自体が、何が悪いのだ。

そうは言っても、
愛とは、捕えどころの無い感情で、
自分は、
女性におもむくままの心にさからわないことを、
ススめることができるほど、
人間ができてはいない。
自分は、おそらく人並み程度には、
「愛の裏切り」で傷ついた経験があり、
また同時に、
人並みか、
いや、ひょっとすると、それ以上に、
女性を傷つけ、生きてきた。
傷つけるというのは、
傷つけただけのこと。
後悔と、反省があるだけだ。
だが、
「裏切られる」というのは、
どういうことだろう?
客観的に見る術はなく、
他者と比べる術もなく、
ひょっとして、自分が
「裏切られた」と、感じていることは、
全て、一方的な思いこみなのかもしれない。
(ダメだ、うまく書けない!)

人間は、
「ヤル」こと、食べること、怠けること、
…しか考えていない、
とまで、積極的に思うことにしている。
でなければ、
他者に対する、寛容さなど持ちえないし、
自身に関しては、
内面に抱えた欲望のドロ粘土を
素手でゆっくりとかきまわし、
壺でも作って、
見つめる作業を、
通過しなければ、
「立派なこころざし」など、
持てるはずもないと思っている。

今回、
スケープ・ゴートされた国会議員に関しては、
実は、
言われているほど、
本質的な興味は持っていなかったのだが、
議員としてどうなるかとのことより、
彼女が、
大切にしていた愛の矛盾を丸ごと
奪われるのではなかろうか?
と思い、
そっちの方に心が痛む。
もし、自分が彼女に裏切られた立場の男だとしたら、
唯一、憎しみの炎を燃やす資格があるのかもしれないが。

 

(ケースバイケースだし、わかるはずもないし、考えるべきことですらない、
 ただの、アテはめた、くだらない妄想である)

 

 

主夫日記8月13日 ~村上さんのお話を聞く~

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お会いする機会が少なくないにも関わらず、

これまで、村上さんの経験を腰を据えて聞こうとしたことが、なかった。
言い表せない程、お辛い経験だから、

聞くのを避けていた、というわけではない。
何となく、自分が、

この話を消化して人に伝える資格がないように感じていた。
しかし、勇気づけてくれたのは、村上さんの方だった。

なぜなら、現に村上さんはさまざまな場所で、多くの人に語られている。

機会を作るべく、懸命に働きかけられてる多くの方々がいる。
自分に資格があるなしの問題ではなく、

誰しもが聞き、伝えていかねばならないことなのだ。

少しの決意と共に、13日に、京都の「ひと・まち交流館」で行われた講演に顔を出した。

www.buzzfeed.com
↑ヤフーニュースでも、記事として取り上げられていたので、
未読の方がおられたら、読んでいただきたい。

 

今回の講演で、
興味深かったのは、
村上さんご自身が、文献や資料を駆使して、
満州での体験に、当時の政治背景を照らし合わせていたことだった。
それによって、国の非人道的なやり口が、
直接的に、村上さん一家を含めた、
さまざまな個人を悲惨な運命に導いたことが、
実に、はっきりと映し出されていた。

 

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歴史認識」と、いうものに悩むことがある。


本を読んでも、中々解答が出るものではない。
「歴史」というのは、誰が決めるのか?
他に適当な例が、
思い浮かばないので、
例えば、現職の総理大臣を考えてみる。
(他に、適当な例がない意外の他意はない)
彼などを見ていると、
自身のルーツやアイデンティティへの忠誠心ゆえに、
自らの視野にフィットした、
「歴史」を噂話や文献から掬い上げている。
そんな「歴史認識」が政治的立場に反映される。
(いわゆる「右」だろうが「左」だろうが)

歴史認識や、政治的立場は、
任意の人が、

自身を立脚さすために、
都合良く探す道具なのかと思うと、
自分は、人そのものにうんざりする。

考えれば、考えるほど、わけがわからなくなっていく。
歴史をどう解釈するかと、問われれば、
答えられるところは、
なるべく、ハッキリと答えようと心掛けているが、
私の歴史認識など、
現代の現状がこうだから、こうあるべきだという、

ただの仮の宿だ。いつでも。

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村上さんの、お話から、
71年前を、

満州の広大な土地と空気、
満天の星空を想像してみる。


終戦の混乱が近づく折、
11歳の少年だった村上さんは、
命じられて、飛行機の監視の任務に当たっていた。
夜空の星はあまりに綺麗で、
星なのか、飛行機なのかわからなくなっていったという。


「夜空を見上げているうちに、星なのか飛行機なのか、わからなくなっていく」

これは、まぎれもなく一人の少年の純粋な感覚だ。
決して、特別なものではない。
私たちが、この少年の、この時の、
心と視線に寄り添って、
自らを重ねあわすことは、容易だ。

そんな少年に、
肉親を喪失さすことを、
強制する背景とは、
一体何だというのだ。

村上さんは、仰る。
ヒューマニズムについて、もっと語られないと」
人間の在り方を、考えていくこと。
丁寧な言葉と、じっくりかける時間が必要だ。
ヒューマニズムを深めていくことは、
決して、面白いことではないと、思う。
まずは、他者でなく、
自分自身と静かに向き合う必要があるからだ。
聖も俗もある、人間としての自身に。
現に、
村上さんが、こうしてされているように。
『平和のために、敵と戦う』以前に必要な作業だ。
その上で、
「細い糸でも対話が必要」と、仰っていた。
国と国が対立しても、人と人なら。
あきらめては、ならないのだ。

図書館の責任者としての、
長年のご経験からのお話は、
情報戦争を勝ち抜くための読書ではなく、
古典文学など、良質の書に多く触れ、
人間の幅を広げることの、大切さをと。
どれもこれも、
平和のための建設的なメッセージだ。

今回のお話で、
衝撃だったのは、
お母様と妹の事の後、
村上さんご兄弟は、
11歳、8歳、4歳の3人で、
困難な帰路についていたことを、

今までになく鮮明に話されたことだった。
(周囲の助けは、あっただろうとはいえ)
考えれば、それ以外の状況が存在するはずもないが、
想像を絶する孤独と苦難を思い、
心の支え棒を失った気持ちにすら、なった。

しかし、心を壊すつもりで、お話を聞くのは、
この日が、最初で最後だ。
この日だけは、全て感情で聞こうと思っていた。
(ゆえに、細かい箇所の失念はあるはず。資料を読み返している)

 

「夜空を見上げているうちに、星なのか飛行機なのか、わからなくなっていく」
この感性を持つ少年に起こった、
物語、悲劇には、
まぎれもなく本物の「歴史」があるはずだし、
そこから出来上がって来る、
政治的立場や、平和のための活動は、
決して偽物にはならないはずだ。
私たちは、
村上さんのお話を、
100年、200年、1000年と伝えていかねばならない。
まだまだ、知らなければならないことは、山ほどあるのだ。


 

戦争を知らない大人の私

 

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全て、はっきりしたことは、わからない。
もはや、
尋ねることができる人間も、いないからだ。

 

祖父は戦争で、殺された。
今の私と同じくらいの年齢、40歳のとき。
(おそらく、である)
そんな、年齢の人間を徴兵しなければらならない程、
戦況は泥沼化していた。
もう、とっくにやめるべきだった。
誰がどのように、何故、始めたのか?

祖父の人柄を、想像する。

聞いたエピソードは二つだけ。
神戸の営林局に勤めていたこと。
今、着る人はいないが、
冬になると、マントを着こなすなど、
お洒落なところのある、人物だったということ。
それだけで、
戦闘などに、全く向かない人物だったのでは、
と思える、何となく。

だが、同時に確信もある。
孫の、勘だ。


南方で殺されたのだろう、
ということも聞かされている。
「だろう」と、いうのはこれも、わからないからだ。
軍から、薄い麻の服を支給されたから、

おそらく南方の戦場に放り込まれた。

レイテだが、ルソンだかわからない。
当然遺骨も、ない。

水木しげるラバウル戦記」を読むと、

南方の戦場まで兵士たちを乗せた船は、

劣悪な環境で、1室を無理矢理3室に区切ったような、

船室だったらしい。


死の予感がする、閉所。


一体、祖父はどのような死を迎えたのだろうか。
大岡昇平の「野火」によると、
兵士たちの死因の多くは、餓死だったという。
彼には4人の娘がいた。
飢えて死んだのだとしたら、
どんな辛さだったのだろう?

一方、祖母たちは

8月6日、
広島の呉にいたらしい。
これも、

子どもの頃、祖母に聞いた、
曖昧な記憶だが、
8時15分、
祖母は、
「…(広島市?)の方が、光ったのを見た」だか、
「(瓦?)…が飛んできて、屋根に当たった(もしくは、瓦が剥がれた?)」

だか、言っていた気がする。
そして、
ほとんど、消え入りそうな記憶だが、
「(道端で?)うずくまってる人が…何人…いて」
という、祖母の声と、
それを聞いていた、子どもの私の脳裏に浮かんだ、
イメージを、覚えている。
(絵本『原爆の図』のような、地獄の景色を思い浮かべた)
わからない、
祖母は、全く違う日の話をしてたのかもしれない。
子どもの私は祖母に、


「戦争の話を聞かせて」


と、言ったのだ。

だが、傍にいた私を生んだ人物は祖母に、
「戦争の話などするな」

と言い、私に続きを聞かさなかった。


広島の日、
私を生んだ人物は、
1歳くらいだったらしい。
もし、祖母たちが、
たまたま市内に入っていれば、
私は、この世にいなかったかもしれない。

 

さて、以前にも書いたが↓

tarouhan24.hatenablog.com


私は、全ての血縁と絶縁している。
決定的な引き金は、
私を生んだ人物が、
親戚のひとりで、

独特のペースで発達をする子に対して、
その子の血縁を遡り、

「広島にいたからかもしれない」
ことを、ヘイトの言葉で憶測したからだった。

だが、それは単なる引き金だ。
私を生んだ人物が、
私に重ね続けた、虐待と洗脳の、
裏側に、
「家庭における父親の強制排除」

という、彼女が幼少時代から、
抱えた問題があった

と、私は思っている。

敗戦後、
祖父の娘たちが学校に行くと、
同級生の中で、
父が徴兵され、殺されたのは、
彼女たちの家のみ、だったらしい。


アホな父親が、

見下り半を突き付けられ、
家庭から追放されるというのは、
そう悪くない。
だが、国に殺され、
家庭から消滅させられるというのは、
事の大きさが違う。
私は、子どもの時から、

いつも家の中、
穴の空いたバケツで、
水を汲み続けているような、

徒労感を感じていた。

この家には、底がない。
床もなく、
落ちていけば、止まらない。
支えるものが、ない。

説得も、決定も、収束も、信念も、対策も、予防も、歯止めも、聞き耳もない。

 

「おじいちゃん、助けて」
悲壮感という程のものではないが、
私は、会ったことのない彼に、

何となく、そう話しかけていた気がする。

母親が息子を歯止めなく、

食いつくそうとし、
息子が、その一切を断つというのは、
ひとつの狂気だろう。
ならば、母は何故狂ったのか?
その原因を全て戦争と、

父の強制排除に求めるのは、
間違っていると言われたこともあるが、
私は間違っているとは、思わない。
これは、勘というより、
私が子どもの頃から、

肌で感じてきたことだ。

 

だから、私は自分があやうい父親として、

強く存在することに、拘っているし、
私の人生の大きなテーマのひとつとなっている。

 

8月6日、9日、
そして敗戦の日を迎える。
私は、結局は苦労知らずだが、

「戦争を知らない大人たち」
にとっても、

戦争は苦い記憶なのだ。

 

 

愛というのは複雑な感情

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愛というのは複雑な感情で、
愛する人に、
どうしても相容れない部分を、
発見したとき、

私は、大きな喜びと危機を感じる。
しかも、信念として、
それは許せない、というレベルの相容れなさでないと、
喜びは見いだせない。

別に、
難しい話ではなく、
相手の行動に、

ちょっとした違和感を感じたとき
を、思い出せば良い。
誰にでも、思い当たる話だ。

愛する人のたまらない、イヤさ。
それを、
放置すると、

世界に害悪を与えるのではないか?

と、すら思うレベル。
(これも、大変よくある話だ)
面倒なら、

そのまま、関係を断てば良いだけの話なのだが、
この状況は、
実に運命の分かれ道だと、仮定しよう。

「あなたは、私にとっていい加減なヤツじゃあない」

腹をくくるのだ。


違和感を、違和感のまま、
苦しむことなく、飲みこめるか。
無理を強いるわけでは、ない。
苦い薬を、
包むオブラートは、
愛する人の、存在そのものを、
わけもなく肯定している、
文字通り、純粋な愛の感情。

人間は、社会的な動物。
目を遠くにやると、

気持ちよく付き合える友人が、何人かいる。
意外に、少なくない。
でも、すぐそばにいるのは、愛する人だ。
愛する人の、相容れなさという、

何のロマンチックさもない、
単なる、イヤな現実を乗り越えるための、
アイテムが、
純粋な愛の感情だとしたら、
フツーに素敵ではないか。