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半浦太朗のSo What?

気楽に書いてますので、気楽に読んでくださいね

主夫日記 4月21日、23日 ~親子遠足と町内会~

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本当、トランプ大統領が就任してから、
世の中、以前にも増して、キナ臭くなり、
理不尽なニュースが多いですね。
あまりにも腹が立つので、
頭が、働かない。
今日は軽く書きます。

こないだ、
ありがたいことに、
「ブログを読んでいる」と声をかけてもらい、
特に、PTAや町内会のことが、
共感できるという感想をいただいて、

嬉しく思いました。
皆、イロイロと思うところが、あるのだなあ。

 

 4月21日 親子遠足

親子遠足に参加するのは、初めて。
卒園したムスコは、お母さんと一緒に行くと言って
聞かず、連れ合いは有給をとって参加していた。
ところが、下のムスメは、絶対に、

お父さんと一緒が良いと言う。
それは嬉しいのだが、遠足に参加するのは、憂鬱だ。
自分は保護者の癖に、保護者の集団というやつが、苦手なのである。
幸い、バスの隣の席が、
友人のケーキ屋さんの、
アンダーツリーだったので、退屈はしなかった。
この保育園では、
遠足のバスの中で、
保護者会のクラス委員や役員を、話し合いで決めている。
ボクは、ほとんど、保護者会を永久追放されている身なので、
(理由については、またあらためて書きます)
誰も話しかけも、推薦もせず、
先生などは、ボクから目をそらすほどだ。

目的地の太陽が丘に到着。
気持ちの良い、
芝生と遊具の広場である。
親子遠足に関しては、
パパが、参加してるトコもある。
とはいえ、30人くらいの子どもの数に対して、
ボクを入れてパパは4人。
まだまだ少ない。

 

ムスメは腹を減らし、
到着早々、お弁当。
すると、すぐ横にも、
数少ないパパさんが、ムスメさんと一緒にお弁当を、
広げている。
知らない顔でもないので、
「何か…孤独ですね」と声をかけてみた。

(モ少し、明るい声のかけ方もあるだろうに)
このパパさんの、お連れ合いから、
彼が「主夫」というものに、興味を持っていると聞いていたので、
「○○さん、主夫やりましょうよ~」と、リクルートしてみる。
「ヒマになったり、しないんですか?」と、言うので、
「イヤ、何かと忙しいですよ」と答えてしまったのだが、
イカン、
リクルートの基本は、楽しくラクだということを強調することだと
思い直し、
「いやいやいや、本当のところはラクなんですよ。ボクなんて毎日、
ブラブラしてるだけですから、ラク!ラクですよ~主夫良いですよ~」
と、無理やり軌道修正。
しかし、言ってることは、
あながちウソでもない。
このパパさんは、自衛官をやってはるというから、
そこから主夫に転向した日には、
なおのこと、バンザイだ。
(勝手にこんなことを書いて良いのだろうか?)
まあ、まだおっぱいを飲んでいる、
赤ちゃんがいるというので、
すぐには、ムリということだが。
ボクも、さすがに、
子どもがおっぱいを飲んでる頃は、
主夫ではなかったなあ。
連れ合いが、
母乳を冷凍してたのを思い出す。
あんなん、タイヘンやったやろうなあ~
と、今思う。

4月23日 町内会の臨時総会

朝の10時。
議題(この言い方自体が、何かイヤだ)
防犯カメラの取り付けについて。
市から、補助金を出してもらうか、
業者に直接頼むか、
窓口は誰が担当するか、
云々。
取り付けそのものに反対していた↓

tarouhan24.hatenablog.com


ボクは、最初から、カヤの外だ。
挙手で議題はひとつひとつ決定されるが、
ボクは一度も手を挙げなかった。
特に、何とも言われない。
村八分になったというわけでもなく、
「防犯カメラなんて、ずっと見られてるみたいで、
イヤやね」と、そっとボクに耳打ちする人もいる。
多数決の力には、かなわない。
ひとりでも、共感してくれれば、
そこから何かが、変わるかもしれない。
まるで、国会における野党か。
意見を通すには、数の力しかないということになる。
味方の数が欲しくなる。
これは、選挙にかける気持ちみたいなもんかな。
すると、数を取ることに執着しなくなったら、
政治意識いうもんも、終わりなんやろな、
と、思う。

 

防犯カメラ。
どうも、皆、騙されやすすぎるように、
思えて仕方がない。
村社会の改革者にでもなるか?
これからの重要な課題なのか?
でもそんなことをしてたら、
気力が、もたない。

地上の村は、あまりにぬかるんでいて、
遥か遠くのトランプに、声は届かない。
自分にできることを見定める。
その日一日をかけて、

少しだけ、掴む。

そして、また明日がやってくる。
それしかない。

 

茶色い小さな、紙袋

 

バイト先の先輩が、

ボクに言った。
可愛らしい女の子が店に来て、
「あなたにこれを」

と言って、去っていったよと。


茶色い小さな、紙袋。

袋の中には、
YMOのCDと道路標識のレプリカが入っていた。
CDは、ボクが彼女の家に置いてきたものだった。
道路標識に驚くよりも、
彼女が今頃、
ボクを尋ねてきたということに、
驚いた。
顔を合わせていたら、
どうなっていたのだろう?
紙袋は、

最初から、ボクに手渡すのではなく、
人づてに、渡すために、
用意されていたように見えた。
彼女は、
尋ねて来ても、ボクはそこにいないことを、
わかっていたに違いない。
なにせ、ボクは彼女を何十年も、
探し続けて、
一度も会えなかったのだ。
彼女から、ボクの動きは筒抜けだったが、
ボクは、一度も彼女の姿を捕えることはできなかった。


不思議なことは、
彼女と暮らしたことがある、
と、いうことだった。
彼女はある日は、
ボクを殺したいくらい、憎いと言い、
ある日は、
太陽が落ちてくるほど、ボクを愛していると言った。
ボクは、ずっと彼女に罪の意識を感じていた。


やはり、一緒に暮らすべきではなかったのだ。
彼女との思い出は、
まるで、甘ったるい悪夢のように、
ボクを支配し、
そこから逃れるためには、
ボクは、死ぬしかない。


なぜ、彼女は、バイト先にまで、

ボクを尋ねてきたのだろう?
ボクはあの頃、いつでも、ふたりの問題の解決を求め、
地獄から最速で逃れる方法を、毎日のように、

彼女に提案しつづけていた。
地道で、実直で、建設的な努力だった。
それが、致命的な間違いであることに、
気づいたのが、今日だった。
少しは、恋愛マンガでも読んでおけばよかった。
こんなに、よく聞くような話に、良い歳になるまで、
気づかないなんて!


彼女は、ボクに何も求めていなかった。
何となく、時は過ぎていくだけだったのだ。
救いは、全く見当違いの方向からやってきて、
ボクはそこには、存在しないのだ。

彼女が、解決を求める日というのは、
ボクにとっても、彼女自身にとっても、
わけのわからない日にやってくる。
おそらく。
ボクには、ただの、気まぐれに見える。


ある日彼女は、解決を求め、
ボクがいないことを見計らって、
ボクが辛い労働をしている、
アルバイト先にやってきた。
茶色い小さな、紙袋ひとつ抱えて。

 

ボクには、解決できる物事などなかったのだ。
ボクには、愛する人を救うことができないのだ。
誰かにとっての救いは、いつもその人の死角に存在する人。

こんなに、良く聞くような話がわかるまでに、
どれほどの時間がかかったのだろう?
わかっていると思いこんでいたことが、
何もわかっていなかったのだ。

どうやって生きていけば、良い?

 

彼女から受けた、

無数の恩恵のひとつ。

甘ったるい悪夢から生まれた
副産物。
唯一の救い。

何十年もたって、
彼女をほんの少しだけ、理解したことが、
今のボクの苦痛を、ほんの少し和らげてくれること。

ありがとう、本当にごめんなさい。
いまだに意味が、わかりません。

主夫日記4月20日 ~参観日とPTAと町内会~

 

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今日は、ムスコの学校の参観日。

昨夜、夜中の3時まで、天皇制について、
思いを巡らすという、
かなり、精神衛生に悪いことをしてしまったので、
心も体も重い。
家を出る直前に、胃まで痛くなり

(ちょっとだけですが)
濃いめのインスタントーコーヒーを、

極小カップに入れ、
牛乳で割り、一気飲みして、無理やり気持ちをアゲる。
体に悪そうだ。
どういう服装で行けば良いのか、
よくわからず、
ネパールかインドだかの民族服と、

パートナーが補修してくれた、
刺繍だらけの、作業用ジーンズという格好で学校に。
ゴアトランス(古い…)のレイヴにいそうな人だ。
上野のアメ横で買った、
どこぞの民族服を着て、高校に通っていたのを、思い出す。

 

教室に入ると、
全員ママだった。
もはや、慣れっこな状況だが、
いつまで、こんな感じの景色が続くんかなあ、と思う。

授業は国語。
担任の若い男性のM先生が、
「あ」から始まる言葉は何があるか、
子どもたちに尋ねていく。

自分は、麻生太郎しか思い浮かばない。
イマイマしい気持ちになる。
ムスコは、
「あじ」と言っていた。魚の。
固有名詞ではなく、種類を上げてたのは、
彼だけだった。微妙な答えだが、
そこがまた良い。
自分は、
相変わらず、麻生太郎しか思い浮かばない。
どんどんどんどん、イヤ~な気分になっていく。

M先生は、字をわざとヘタクソに書いたりして、
子どもたちの笑いを誘っている。
大勢のママと、ひとりのパパに囲まれ、
これだけのエネルギーを持つ、
子どもたちに、モノを教えるのだから、
教師というのは、タイヘンな仕事だ。

 

その後は、懇談会。
M先生が、
「ひとりの行動で、みんなに迷惑がかかるときは、センセ怒るよ!
と子どもたちに伝えてます」

と言ったのが、気になる。

それはそうなんだろうが、全体主義教育が現場に降りてきてるのでは?
と、どうも心配になる。考えすぎか。
一方で教室の壁には、
「自分で判断ができる子どもに」とも、書いてある。
集団か、個かというのは、永遠のせめぎあいか。
せめぎあってくれてるうちは、良いのだが。

懇談会が終わると、
PTAの学級委員を決める選挙である。

投票と言っても、
知り合いがひとりもいないので、
誰に入れれば良いのかわからない。
友人の、ケーキ屋さんの、アンダーツリー

に相談したら、
わからないという旨を担任に伝えて、

無記名で通したというので、
それは筋が通っていると思い、マネをして、
M先生に無記名投票にしたいと言うと、
「それは、ボク管轄外になっちゃうんですよ!」
と笑顔でスルー。
黙って、無記名とそうする旨を書いて投票すると、
特に何も言われず、通った。
…しかし、
知り合いがひとりもいないはずの、
ボクに4票も入っていた意味がわからなかった。
補欠の二番目という、ほぼ使われないトコに収まったのだが、
たまたま横にいたママに、
なんで知り合いもいないのに、票が入るのだろう?
と聞いてみたら。
皆、テキトーに投票しているらしい。
ええんか?そーゆーもんなのか?
開票中、ママたちからは、絶えず、
「こわーい!」「ドキドキする!」
とかいう声が上がる。
うーむ…。
学級委員には、
体育委員と文化委員があるらしいが、
文化委員はPTAコーラスを担当するらしい。
もし、ボクが文化委員に当選(?)していたら、
一体、どういう立場になっていたのだろうか?
歌えるのか?

夜は、町内会の防犯委員の寄り合いで、

昼と同じ、民族服のまま、また学校に。
警察の人も、何人か来ていて、
緊張する。
警察側が妙に、防犯カメラの設置をすすめてくる。
防犯カメラの設置は、
何年か前から、急に推進されはじめている。
ボクは、設置推進の動機が、

共謀罪と、結びつくとまでは、思っていないけど、
(どうなんかな?)
防犯よりは、監視の匂いをどうも感じる。
少なくとも、ムシの良い公共事情に、
疑いもせんと、乗っかってる気はするし、
検挙の役に立つかもしれんが、防犯にどこまで効果があるのか、
疑問だったので、
総会のときに反対したのだが、反対はボクしかいなかった。
しかし、防犯カメラを設置してから、
明らかにイタズラなどの軽犯罪は減った!
と言いきっている町内(ヤ~な響きだ…)
もあったので、どう考えたら良いものか。
あ、なんか、こんな書き方だと、
ボクがまともな行動を
とってる風だが、
1コ1コの対応は、
エキセントリックな代物で、
不安のカタマリのまま、
笛を吹きながら、散歩している気分です。

同調圧力や村社会はゴメンやけど、
子どもは守りたいもんね。
でも、防犯カメラの設置に立ち会うのはイヤなものだ。
ボクが小学校の頃、
日の丸に大反対していた先生が、
よりによって、たまたま担当だったのだろう、
日の丸を設置する係で、
ず~っと苦虫を噛み潰したような顔をしながら、
式の準備をしていたのを、覚えてる。
そんな気持ちも、今ならわかる気がするね。

そして夜中、さきほどまで、
下の子の遠足の
弁当のおかずを下ごしらえ。
頑張ってる、アピール?
いやいや、こんなモンを書いてるんやから、
ボクは相変わらず、ヒマですよ~





 

もしボクが昭和天皇なら

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10代の頃、
公園で好きな女の子と二人、
ブランコに揺られながら、会話していた。
女の子が、
「なんで、天皇っているの?」

と、ボクに尋ねてきたので、
ボクは、精一杯のムズカシイ言葉を選び、
「せいぶつがく(生物学)的におかしいね」
と答えた。
二人、ブランコに揺られ、日も暮れてきて、
ロマンチックな雰囲気にもなっただろうに、
何故、天皇の話題になったのか、
全く、覚えていない。
でも、ボクの天皇への感じ方は、
このときのままだ。

 

子どもの頃見た、景色。

天皇制廃止!」という、
垂れ幕がどこかのビルの屋上から、
下げられていた。
(そりゃそうや。そういうもんやろう)
と、思ったのを覚えてる。

でも、後年、
天皇には戦争責任がある」
と発言した市長が(発言の前後は知らないが)

銃撃された、というニュースを見て、
(そんなにタイヘンなことやったのか?)

と、驚愕すると同時に、
言葉が、暴力の力で封殺される恐怖と理不尽を、

初めて知った。

本当に、昭和天皇に、
戦争責任はあるのだろうか?
よく言われてるように、
利用されていただけなのでは?
と考えて、
大日本帝国憲法を見てみた。
…何ということだ。
条文を見た瞬間、明らかに責任があることが、
子どもの頭でもわかった。


天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』


こんな言い方は絶対にしたくないが、
……よく、処刑されなかったものだ。
あえて、天皇制を残しておく。

計算されつくされた、アメリカの、

えげつないやり方というヤツか?

象徴として、彼は残った。
象徴なんてものになる程、
面白くないことは、ないだろう。
どんな小さな集団だろうが、
「うまく納める」ためには、
必ずイコンは必要だ。
誰もが、やりたくない役割だろう。
自分の日常の範囲では、
PTA会長とか、町内会長くらいしか、思い浮かばないが、
そんな小さなイコンですら、
それなりに、統治のシンボルとして扱われる。
息苦しさは、容易に想像できる。
まして、地域社会どころか島国ひとつの、
イコンだ。
生命維持装置を装着され続け、
政治に声を上げることひとつできない、生活。
自分なら、気が狂う。


「生きながらえた」
イコンの彼に対して、
君が代」のリリックで送りだされ、
殺された、ボクの祖父がいる。
殺された、多くの命。
あの戦争で。
昭和天皇の名のもとに。

決してラクに殺されたわけではない。
地獄のような苦しみ。
子どももいた。
女性もいた。
思い出す。
怒り。

怒り。

…。

はだしのゲン」の最終章に登場する、
光子さんという、ゲンの恋人が、
昭和天皇の名のもとに殺された家族を想い、
怒りをぶちまけ、
「貧相なつらをしたじいさん、今上裕仁
と、言い放ったのを覚えている。
ボクはこのとき、
昭和天皇は、

名字が「今上」で
名前が「裕仁」なのかと思い、驚いた。
昭和天皇は、昭和天皇だと、思っていた。
(良かったな、名前があって。裕仁…良い名前だ)
光子さんには、とても言えないが、

 

「貧相なつらをしたじいさん、今上裕仁

温かい言葉に感じた。
彼女は、昭和天皇をイコンという牢獄から、
解放した。
素敵な女性だ。
もしボクが昭和天皇なら、
じいさん、とか、おっさんなどと呼ばれたら、
喜ぶだろう。
(彼女は、後、原爆症で殺されてしまう)

 

「貧相なつらをしたじいさん、今上裕仁

 

ボクは、人生の中で、この言葉を何回も思い出し、
散歩の途中で、ひとりつぶやいたりする。

対して、全然違う天皇観を教えられたこともある。
20代後半の頃、
バイト先で唯一仲良くしていた、年下の友人に、
小室直樹
「痛快!憲法学」という本を借りて読んだ。
小室直樹という人は、愛国意識のスゴイ強い人ですから、
半浦さんはきっと違和感を感じはると、思いますよ」と言った。
多分、その頃から、この島国は右傾化しはじめたのだろう。
本には、明治政府が、
ホコリをかぶって煤けていたような、天皇制を、
王政復古だのと言って、「今さら」全面に押し出した
理由が書かれていた。
当時の明治政府は、
西欧の植民地政策に対抗するため、
富国強兵のために、資本主義を押しすすめんといけなかった。
西欧の資本主義には、

キリスト教の「神」という精神基盤が不可欠。
当時の日本には、「神」なんていう宗教的基盤などないから。
キリスト教の「神」の代わりに、
天皇という「神」を

設定した。

ということらしい。
それで皆「天皇陛下バンザイ!」でバカみたいに、勤勉になり、
富国強兵し、

そして…。

この本に書いてあることが、正しいのなら、
内戦を残虐な方法で勝ち抜いた、
明治政府の権力者たちは、
別に天皇のことを好きでも何でもなく、
統治の必要上、天皇
設定した
だけだ。
驚いた。
為政者は別に、天皇を敬っていたわけではない。

「統治のために設定し管理する」という意識以上に、
冷たいものはない。
そのような立場にたった権力者は、

良心というものを、完全に失っている。
ひたすら冷たく、腐りゆく。

管理のために天皇制を設定した人物の前で、
純粋右翼も、純粋左翼も、
熱い心を持つ限り、全くの無力だ。
ボクは、ここに耐えられない。

管理する側の人間は、
決して、昭和天皇

 

「貧相なつらをしたじいさん、今上裕仁

 

などとは呼ばないだろう。
彼らなら冷たい眼差しで、
最大限の尊敬語を使うだろう。

「陛下」

と。

 

完成度が低い

最近、完成度が低いことが、

結構重要だったりする。

要は、カンタンな話で、
何か行動を起こすとき、
少々の不具合はあっても、
かかる手数の少なさや、
はよ仕上がる方を優先して、
とっかかりのメンドくささや、
精神的な重荷をゼロにするということだ。

 

かくいうボクも、
主夫という病か、
単に性格なのか、
ティッシュ一個、買うときでも、
一円でも安く、より良いものを効率的に買う!
と、異常なまでに完成度の高い、買い物を目指してしまうので、
プレッシャーに負けて、買い物に行かないということも、
しばしばだ。
そこへ行くと、
連れ合いなんかは、
平気で、サイズの違う子ども服を買ってきたりするし、
スゴイ。
また、その服を子どもは意外と、
モンク言わんと着たりするのだ。

ベック・ハンセンの作品でも、
90年代の名盤で、
完成度バリバリの
「オデッレイ」なんかは、
今、あんまり聴かず、
仕事の粗さ丸出しの、
弾き語り作品なんかの方が、
たまにCD棚から取り出して、
聴き返したりするしね。

人のやってることが、
あんまり完成度が高いと、
敷居が高くなり、萎縮する。
感動とひきかえに、
「よし、オイラもやってみよう!」
とは思えなくなる。
完成度が低いと、
緊張感が失われて、
伝える力が薄まるんではないか?
と、思ったりもするけど、
まあ、多分大丈夫やろう。
細かいこと言わんと、
一億総表現者社会や。

けどまあ、本人も、制御できん天才とか、
努力するんが趣味の人とかやったら、
しゃーないけど。
(例を上げると、

キングコングの、にしのさんの本とかかな?)
それはそれで、
社会に多大なる貢献をしているのだと、思う。

あ、ほんで、
それとは別に、
全くしょうもないことに、
究極の完成度を求め、
血眼になって努力してる人いうのも、
それはそれで、
魅力的やね。
何か、良い例ないかなあ?
まあいいや、考えるのがメンドくさい。


とにかく、
「完成度が低い」
という言葉は、
もっと高く評価されて欲しいネ。
ボクは、
あまり良い意味にとられてない言葉を、
好意的に考えてることが

多いので、
結果、
張り切って宣言してみたものの、
実にシマらない、
ということが、よくある。

「完成度、低っ!」
「ヒマだぞっ!」
「勤労意欲、ゼロやぞ!」
「論旨、メチャメチャやぞ!」

「めっちゃ、下手な絵できたぞ!」
とか。

 

ちなみに、
この文章も完成度が低い。
思いついたけど、
表現するのがメンドくさく、
書いてないことが、
2~3ある。
ような気がする。

 

しかし、
今の政権与党のやり口は、
完成度が高いというか、
低いというのか、
…まあ、いいや。
終わり。

4月16日の日記 ~びわ湖音楽祭で踊りそこねる~

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滋賀が好きだ。
びわ湖を見てると、
「あなたの全てを愛してます!」と叫びそうになる。
それくらい、好きだ。
3周連続、週末は滋賀で過ごす予定だ。
でも、京都も好きだ。
とんだ二股野郎だ。

16日の日曜、
びわ湖音楽祭に行ってきました。
ボクは、
滋賀のビックイベントである、
このフェスの内容を良くわかっておらず、
まあ、ロックフェスみたいなもんだろうと思い、
カート・コバーンみたいな、格好をして行ったら、
何となしに、横ノリな雰囲気。
出だしからして、カン違いである。
まあ、いいや。
どうせ自分は、「偽」の上に「丘」
な、ロックンローラーである。
ホントはテクノやトランスの方が、
好きだ。おそらく。


20代の頃は、ちょこちょこ、クラブに通っていた。
ただし、友達がいないので、ひとりで。
大阪の方に、ハードフロアとか、石野卓球とかが、
来たら行くのである。(ブームでもあったので)
まさか、クラブに踊りに行き、
終電で帰るわけにもいかないので、
朝まで、ひとりで踊り、始発で帰る。
(現場でも友達ができない。強いて言えば、電子音が友達さ)
なぜ、あんなことをしていたのだろう?
孤独すぎる。

さて、びわ湖音楽祭。

出演者への予備知識が、一切ないので、
状況が全くわからない。
着いて早々に、子どもたちが、
メシを食わせろと、やかましい。
こっちだって、ハラは減っているのだ。
びわ湖音楽祭は、満月マルシェも兼ねている。
なので、おいしそうな店が立ち並ぶ。
子どもらには、タコ焼きや、パンを食べさす。
ハラが満たされると、連中は、
興奮して浜辺まで駆け出す。
オイ、オレのメシがまだだ。
オレもハラは減っているのだ。

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浜辺の、
松の木に結んであった、ハンモックに、
子どもたちが、勝手に潜りこんで遊ぶ。

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どうかと思ったが、

何となく、公共のものだろうと、決めつけてみる。
すると背後から、
「ハンモック気持ちええやろ~」と
気の良さそうな、レゲエスタイルのお兄さんが話しかけてきた。
ボクもニッコリ、

「ええ、コイツラ(うちの子)すっかり楽しんでますわ」と答える。
………しばらくしてから、お兄さんは、ハンモックの持ち主だと気づき、
慌てて、
「スンマセン、スンマセン!」
と言って、その場を立ち去る。
「それ、うちのなんです」

とか何とか言ってくれないか。心広すぎや。

遠くから、
ダブ風の、心地よいベース音が聞こえてくる。
ステージの近くで踊りたい。
だが、メシを食いそこねているので、
まずは、ハラを満たしたい。
踊りたいのに、ハラが減っていて、仕方ない。
欲望が左右に分断され、くだけて割れそうで、
ムチャクチャ落ち着かない気分だ。
やむをえず、グリーンカレーを食いながら、
道端を中途半端に踊り歩く。
そんな状態で、本日、生誕50周年の友人とすれ違った。
(マジで「生誕50周年」というタスキをかけている)
だが、食欲とダンス欲で分断されている脳みそでは、
挙動不審にしかならない。

 

そして、思いがけず、京都の仲間にも会った。

なぜか成り行きで、
「京都のサヨクです」と、お互いに改めて、
自己紹介する、謎の展開に。
サヨクなのか?オレは)
思わず、共謀罪のことが、頭をよぎる。

ハラも満たされたので、
ムスコとムスメを、
「お父さんと、踊りに行かへんか?(怪しい)」
と誘うが、
「うるさいからイヤや」と断られる。
音楽祭で、それを言っては、オシマイである。
仕方なくステージすぐ裏の公園という、
中途半端な場所で中途半端に遊ぶ。

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しばらくしてから、
アフリカン・ビートの太鼓集団が現れ、
その大音量に、普段なら熱狂するのだが、
今日は何故か、機械的な音を体感したいようで、
イマイチ気分が、ノッていかない。
うーむ。

そんなこんなで、
出店していた、とむやんのトコへ行き、
(とむやんに関しては、これを参照↓)

tarouhan24.hatenablog.com


全く踊っていないが、
コーヒーブレイク。
今しがた、踊りそこねたことや、
人間の孤独についてのハナシをする。
(音楽祭のサナカとは思えん話題だ)

まあ、子連れなので、
トリの切腹ピストルズはあきらめ、
早めに会場を後にする。
さあ、車に乗ろう…としたところで、
あの、大阪での20代の頃を思い出すような、
モロ・テクノ・トランスな電子音が!
「外から見るだけ、見ていい?」と連れ合いに告げ、
ダッシュで来た道を戻り、
外巻きに人が踊っているとこを見る。
(ダンス・ミュージュクだ。楽しそうだ)
だが、もう帰るのだから、どうしようもない。
またも、踊りそこねる。

なるほど、
子連れの音楽祭とはこんなもんだ。
ボクも人並みに親をやっているので、
いくら自由であろうとしても、
所詮は子ども優先だ。
フェスで満足な行動など、とれるはずもない。
これでいいのだ。
アンチ・リメンバー!
あんな、殺伐とした孤独な20代の自由など、いらない。

日のあるうちに、消化不良で帰るぜ、
ベイベー。

 

蟻を見つめる

 

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たまに、近所の公園にひとり座りこんで、

蟻を見つめ続けることがある。

5分、10分、15分。
ひたすら、蟻の動きを見つめ続ける。
働いているのもいれば、

ボクみたいに怠けているやつも、いる。

ムスコの図鑑を、見てみる。
「アリはハチのなかまで、

ミツバチなどと同じように、
女王アリを中心に、たくさんの働きアリ(メス)、
オスアリで集団生活を送っています。
日本では北海道から南西諸島まで、280種ほどが、
すんでいます」

 ハチの仲間だったのか…。

 

たまに、考える必要もないことを、考える。
そんなとき、蟻を見続けたくなる。
この間、蟻を見ていたのは、
図書館裏の公園だった。


図書館で、読まなくて良い本を、読んだ。

本のテーマは、
「男は、なぜ女の涙に弱いか?」

だった。
タイトルを見た瞬間、イヤな予感がした。
絶対に読まない方が良いと、思ったのだが、
読んでしまった。
男はなぜ、女の涙に弱いか?
女性が「理不尽な形」で、涙を見せたとしたら、
男性に潜む騎士(ナイト)願望が、
少々の優越感を伴わせ、
「女性の涙を許してやろう」という気にさせるらしい。
大ざっぱに言うと。

この説が合っているかどうかというのは、
問題ではなく、
背筋が寒くなったのは、
ボクには確かに、
騎士(ナイト)願望というものがあるということ。
それは、自分の思考の切り札のようなものだから、
存在を、他人に打ち明けることも、なかった。

ナイト願望が存在する…
ということを、
こうして書くこと自体が、
狂気的な恥でもあるのに、
(白い馬に跨っているようなものだ)
さらに輪をかけて、
自分の中にある、
ナイト願望自体、腐りきったものだと仮定したら、
ボクはもはや、行動の動機すら失ってしまうことになる。
骨が存在しない男の、誕生だ。
誰とも会う必要が、ない。

太陽の光を浴びたくなった。
図書館を飛び出し、

公園に行き、
でも眩しく、
地面にうずくまり、目を伏せた。
そこに、蟻がいた。
蟻を見る。
じっと見る。
見続ける。
気持ちが、落ち着いてくる。
心配することは、何もない。
ナイト願望の正体が、下世話なもので、
たとえ、自分の根性が生ゴミよりも腐っていたとしても、
そもそも、ボクは特に誰も助けてはいない。
単に、蟻を見ているだけだ。
蟻を見ている肉体が存在している、
それだけの話なのだ。

遡ること、数年前も、
考える必要がないことを、考えていた。
自分の性的欲望について、だ。
滋賀のとある、素敵なおうちで、
「愛と性のお話し会」という企画があり、参加した。
車座で、何組かのカップルやシングルと

「愛と性」を語りあった。
自分は、性的欲望に関しては、
思春期であるかどうかは関係なく、
いつもお腹がすいていて、
食べることができるようなものだと、感じていたから、
不安をそのまま、口にした。

この場でしか、できないことだった。

「ボクは生物学的に、オスやから、一皮むいたら、
種付けの本能で、常にまきちらしたいと願ってる。
所詮それが、本性なんやないかと、頭を抱えている…」


ボクはここで、我に返る。
「でも、現実的にそんなことができるかって、
言われたらムリですからね」
…という発言をすると皆、笑ってくれ、
命拾いする。

蟻を見ているような男が、
何を「まきちらす」というのだ。
元々、能力的に不可能なことなど、
考える必要が、ないのだ。

蟻を見る。
蟻を見つめ続け、
我に返る。
蟻を見ている、肉体の存在。

人は、様々な圧力を他者から受け、
絶望の淵まで、追い詰められかけたら、
反射的に上を向く。
見えない空を、探す。
上へ、上へ。

 

逆に、
自分の中から沸き起こってくる

災いや腐敗を恐れるときは、
うずくまり、下を見る。
腹の底へ、腹の底へ。

 

ボクは大抵、下を見る。
するとそこに蟻がいる。
蟻を見る。
見続ける。

有り余るヒマとタイクツを利用して。

 

蟻を見る。
孤独。
それは、孤独な時間。
たくさんの人と、
いろんなことを、わかちあい、

愛し合いたい。

そのために、死ぬほどの孤独を
自分に用意する。