太朗の主夫日記 ~So What?~

世界最強の、主夫ブログを目指します!

ブログ引っ越し

こんにちは、太朗です。
ブログを引っ越しております。

深い意味はなく、
ただの気分転換です。
ダラダラと続いていた、
『ド不幸自伝』も終わり、
それに、今は主夫でもないので。

新しいブログはNOTEです↓

この主夫日記を、
一体どういった方が、読んでくださっていたのか、
想像もつきませんが、
よろしければ、新しい方も是非よろしくお願い致します。

まあ、
はてなブログの方も大好きだし、
読みたいブログもあるし、
『ド不幸自伝』も推敲したいし、
テーマ如何によっては、
こっちにもまた書くかもだし、
全然終わってはいないです。

今後とも、よろしくお願い致します。


ド不幸自伝 最終回~エピローグ、家族のこと~

f:id:tarouhan24:20180506000500j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で治療者を選択し、新しくアルバイトを始めるに至る:

*************************************

回復は劇的なものでは、なかった。
ゆるやかな上昇カーブの中にいた。
だが、ゆるやかとは言え、
どこかのある日で、無事な自分に気づいているはずなのだ。
それらしき瞬間は、何度かあった気がするし、
できるだけ思い出して、
書き記そうとした。
だが、それを正確に思い出そうとしても、無駄なことなのだ。
眠りに落ちた瞬間がわからないのと、同じように、
人は生きることにも、死ぬことにも気づかない。
「めでたしめでたし」の瞬間を、
自覚することができないのだとしたら、
人は与えられた生を、
ただ懸命に生きる以外に、方法は無いような気がする。

***************************************

この自伝で、
どうしても書くことが、できなかったことが、
ひとつだけある。
それは、
当時の自分の家族についてだ。
「おかしい」と思っていた、
読者の方は、おられると思う。
何故、家族の描写がこんなにも少ないのか?

そもそも自分が、
モアイと出会うことになった、
兵器工場に勤めたのは、
喫茶店経営に失敗した、両親の借金が原因だと、
第一話に、ほんの少し書いた、
何故、子がこれから20代に突入しようと言う時に、
両親は勝つ見込みのない、喫茶店経営などに、
乗り出したのだろうか?
その理由は、実は今でも知らない。
他者の心理など、
例え肉親であっても、わからない。
いや、
肉親だからこそ、余計にわからないのかも知れない。
その理由は、
(当たり前のことだが)子は親の人生を、決して知ることはできないからだ。
親が生きていた時代を、社会を、
実感する術はない。
だから、想像を膨らますより他はない。

***************************************

両親は、どちらとも幼少期に戦争を体験している。
1975年生まれの自分には、戦争の記憶はなく、繁栄の記憶しかない。
写真でしか見たことが無い、
あの残虐な白黒の焼け野原の景色が、
東京タワーやビルディングに象徴される、
「戦後繁栄ニッポン」の景色に、
ギア・チェンジしたことが、未だに信じられない。

両親が見た戦争の景色とは、一体どのようなものだろう?
父、母それぞれから、
わずかに聞いた言葉の断片を拾い、想像を膨らませてみる。
戦争末期に、
少年だった父が、飢えと貧困を経験したのは聞いたことがある。
そして、
貧しさのために、
大学進学という夢を、捨てなければならなかったことも聞いた。
父は自らの思いや、
やりたいことを燃焼さすことができなかったのだろうか?
それが、子の成長を見守り支えることよりも、
一見ほとんど無意味に思える、
喫茶店経営などに、身を走らせたのだろうか?

母の方は戦争で、
その父(自分の祖父)を海軍で殺されていた。
自ら選んだわけでもない、
父親不在の家庭環境は、
母の人格形成に歪みを生じたさせたことは、
見ていて明らかだった。

***************************************

借金だらけの、
喫茶店経営がどうにも立ち行かなくなったとき、
母は父を、
「肩書きを欲しがった、愚かな人間」「借金を作った最低の人間」と、
罵り続け、
借金の原因はすべて父にあるとしていた。
果たして、
一応は、家族経営と言える状況から生まれる借金を、
父ひとりの所為にすることは、正しいのだろうか?
たが、自分は当時、
母のその言葉を信じ切って、
母に同調して、父を罵った。
そんな自分に父は、

「こんな病気になると、思っていなかった。お父さんも、まだ若いんやし頑張るよ」

と、言った。
これが、自分が聞いた、
父の最後の言葉だった。

父が死んだ後も、
母は父の存在を、
そのものから罵り続けていた。
毎日、兵器工場から帰宅しても、
父を愚かな人間と定義することが土台にある、
畳の上での暮らしに、
自分の心は落ち着くことがなかった。

ウサ晴らしが必要だった。
モアイへの関わりが深くなった原因は、
父の死だけではなく、母によるところが大きい。
家に母が存在する限り、
自分は母の手の平にいた。
精神病を発症し、
府立医大へと搬送され、
そのまま帰宅した日にも、
当たり前だが、母はそこにいた。

モアイが完全逃亡した後、
消費者金融を一軒一軒回ったときも、
母は自分に付いていた。
そして母は父を罵った時と、
全く同じ調子で、
「オマエはこんなことをして、何とも思わなかったのか?」
と、自分に言い続けていた。
だが、そんな言葉を何度聞かされても、
自分の感情は麻痺していた。
なぜなら、
元々、幼少期から母による言葉の虐待を、
受け続けていたのだ。
生まれつきの性格だけで、
母親が、実の子を罵ることは難しい気がする。
戦争によって父を殺され、
父との思い出の記憶ひとつない、
ひとりの女性の心は、
荒野であり、冷たい風が吹き、
底の見えない穴が開いていた。
子への虐待の原因を、その母の所為だけにするのは、
果たして正しいのだろうか?

モアイなど、問題ではないのだ。
自分の「ド不幸」の真犯人は、母だと言える。
戦争は、父と母を狂わせ、
母は、自分を狂わせた。
最後の主治医となった精神科医は、
母の存在は、自分にとって深刻で重要なこと、
それに、父のことを知らなさすぎることを、
カウンセリングの中で指摘した。
だが、精神科への通院すら、
描写こそしていなかったが、母は影のように付いて来ていた。
この母の呪縛から逃れるには、
新しい家族との出会いが、必要であった。
そこに至るには、
さらに10年の歳月を要する。

現在、自分は全ての親族と一切縁を切り、
血のつながった人間との、繋がりはない。
天涯孤独だ。
だが今、自分には、
妻も子もいる。
おそらく、幸せなのだろう。
少なくとも、
「ド不幸」からは逃れることが、できたのだろう。

ならば、
ド不幸から逃れた10年の過程も、
続編として、
書くべきなのかもしれない。
どうだろう?
書いても書かなくても良い気もする。
わからない。
きっと、
そんなに大仰に、かまえることでもないのだろう。
何故なら、
このエピローグを書くため、
最初から話を読み返して見たのだが、
これはやはり、
責任として続編を欲求される、
「小説」とかいう大げさなものではない。
何てことはない、
ただのド不幸な自伝なのだ。



ご愛読ありがとうございました。
*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*




ド不幸自伝⑮ ~小泉純一郎~

f:id:tarouhan24:20180423001555j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で、治療者選択と社会復帰を試みる:

*************************************

この『ド不幸自伝』の、
第一話を読み返してみると↓

tarouhan24.hatenablog.com


自分は、
青春時代に必ず通過せねばならない、
〈人生とは何か?〉を、考える作業を、
断ち切られたまま、ミサイル工場での仕事を始めている。
そしてモアイと出会い、二度目の借金を抱え、
精神を患った。
そんな過程を経て、
アルバイト探しに帰結した自分に、
やりたい仕事などあるはずがない。
単に生活していくことのみが、目的だ。

2001年に入ろうとしていたが、
インターネットの発展はまだまだで、
求人雑誌と張り紙をアテに、
アルバイトを捜していた。
登録型の日雇い派遣から、
マンション建設現場に出たり、
森永の工場で、
チョコレート菓子を一ヶ月間、夜勤で作り続けたり、
観光客向けの舞妓コスプレ専門の写真スタジオを、
操作ミスで解雇されたり、
アルバイトは、
どれも長続きしなかった。
だが、アルバイトを探して、
働いていることそのものが、
自分でも信じられなかったくらいなので、
続かないことは、全く問題ではなかった。
そして、どの職場にいても、
変わらないのは、
休憩時間にプラスチック弾のような向精神薬を、
人の目を避け、
何かの言い訳のように飲みほすことだった。

***************************************

闇に深く潜っていた間、
一体どれほど、世間を見る余裕がなかったのだろう?
自分は知らぬ間に25歳で、
気がつけば、小泉内閣が登場していた。
(2001年4月26日)

第9話~春はこわい~
に書いたが、
症状の悪化のピーク(2000年度ほぼマル一年)
と重なった、
森内閣の記憶はほとんどない。
森内閣の退陣も、
その後に小泉内閣が登場する経緯も、
やはり、
アルバイトを探しながらの、病みあがり状態であったからか、
ほとんど覚えていない。

小泉純一郎が、
たまの自民党総裁選で、
わずかばかりの票を取る人物だという程度の認識は、
テレビのワイド・ショー知識で持っていた。
だが、この冷酷な目をした人間が、
総理大臣の座へと上り詰めた過程を、
全く覚えていない自分は、
彼が自民党アウトローだった、という実感がイマイチ湧かず、
だから、
キャッチ・フレーズとしていた、
自民党をぶっこわす」
の意味も、全くわからなかった。

だが、
自民党をぶっこわす」
の意味がわからなかったのは、
小泉内閣の成立過程を、
知らなかった所為だけではない気がする。
そもそも自分は、
小泉純一郎が「ぶっこわそう」としたほどの、
強固な自民党の存在を感じとっていない。
散々書いてきたように、
橋本~小渕~森の3内閣の元で、
悪夢のような20代前半を、自分は過ごした。
自分の目には、
上記の3内閣は、
もうとっくに「ぶっこわれ」
かかっている自民党を、
ムリヤリ自民党たらんとさせ、
冷や汗混じりの演技をしながら、
坂道をゆるやかに、
転がっているように見えていた。

では、
こわれていない自民党とは、何なのだろう?
イメージするには、成人する前の記憶に、
遡らないといけない。

こわれていない自民党とは、
イコール=自民党が(正確には55年体制が?)
作った、戦後繁栄ニッポンそのもの。
憲法9条を看板に、
経済大国で、
円が世界を席巻し、
海外の古い油絵一枚を、何十億という値段で購入し、
経済力で勝負ができるからして、
間接的にも、
戦争に決して参加することなく、
平和の代償である、
沖縄の米軍基地や、原子力発電所の存在に、
ほとんどの人間が気づかない。

こんなものが、成り立っていたのは、
自分の幼少期の、せいぜい中曽根内閣辺りまでではないかと、
思っている。

小泉純一郎が、
チョーシ良く「自民党をぶっこわす」
などとわざわざ言う必要もなく、
自民党は、ほとんど壊れていたのだ。

郵政民営化に、
全く実感が湧かなかったのも、
皆が、小泉純一郎の手による
「もう壊れている自民党をぶっこわす」
というインチキに、
まんまと付き合わされていたからだし、
(要するに、小泉劇場
小泉純一郎は、自らの嘘をよく自覚していて、
単に郵政民営化という名の、
彼の作ったゲームを楽しんでいたのではないか?
と、想像する。
だから今になって、
郵政民営化とは何だったのか?
と問われても、
「ようわからん」のが、
当時を生きていた人間のホンネな気がする。

おそらく、
小泉純一郎の満足は、
ほとんど壊れかけていた自民党を、
指で‘チョン’と押して、
完全に崩壊さすことにあったのではないか?
と、思う。
彼の動機は何につけても真空であり、
政治意欲には意味がない。
その象徴が、
本当の意味で、
自民党をぶっこわした」
イラク戦争への自衛隊派遣だ。
これこそが、
小泉内閣以前の自民党では、考えられなかった悪夢だろう。
郵政民営化に比べて、
どれほどまでに、はっきりとした、
また、致命的な破壊行為だろうか。
庶民は、
「ぶっこわす」快感と高揚の引き換えに、
何という大きな代償を払ったのだろうか。
丁度今(2018年4月)
当時の、
陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が公表され、
現地での戦闘状態が明らかにされてきている。

小泉純一郎が作った毒入りアルコールを
庶民皆が、匂いも嗅がずに飲み干した。
自分は、人生の中で数多くの失敗をし、
また、数多く騙された。
だからこそ、
同じ失敗は二度と繰り返してはならないと思う。
彼の言う脱原発など、自分は全く信用していない。
また、純一郎のやり方を、
色濃く引き継いでいる、
小泉進次郎を、さらに深く信用していない。

***************************************

向精神薬を、
何処で処方されていたかと言うと、
近所の人の紹介で知った、
山科にあるメンタル・クリニックだった。
看板には、精神科という名称を掲げておらず、
教育相談なども受けている、
開けたムードのクリニックだった。
(実際は、医師も数人おり、薬も出るわけだから、純然たる精神科なのだが)
初診の日に、自分にとって、
4人目の精神科医である、
そのクリニックのドクターに、
今までの過程や、催眠療法を受けたこと、
よくわからない医師に薬を変えられたことなどを、
簡単に説明すると、

「ほう…催眠言うても、あなたは眠くなる~みたいなんやないんやね」

と、言いながら、糸に吊られた五円玉を揺らす動作をし、柔和で茶目っ気の混じった笑顔を見せた。
思わず自分も、笑い返すと、

「…まあ、ベテランの先生いうのは、時に面白い薬の処方をするから、このまま様子を見ましょうか」

と、今度はマジメな言葉が帰ってきた。
4人の精神科医の顔は、今でも明快に覚えているが、
(そう言えば、全員男性だ)
この太い眉毛を持つドクターは、
初めて人間らしさを感じさせてくれた、精神科医だった。

「とりあえず、ここで良いかな」と、自分は思った。

仮の宿の主人が、
雨と風に打たれた自分を、微笑みで迎えてくれ、
差しだされた温かいスープを、
ゆっくりと飲みほしたような、感覚。
真っ白で冷たかった指先に、体温が戻ったような気がした。

つづく→☆次回最終回

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*








ド不幸自伝⑭ ~コラム医師と、催眠療法~

f:id:tarouhan24:20180415002305j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で、治療者選択を試みる:

***************************************

しかし、
様々な精神科医をハシゴしたものだ。
遠藤医師(今、一体何処で、どのような治療をしているのだろう?)
との縁が切れた後も、
クセのある精神科医との縁は、中々切れるものではなかった。

前回も書いたことだが、
心を取り戻しているときは、

「また大きな不安がやってきたら、どうしよう?」

と、恐れている。この状態を『予期不安』という。
実際に不安が復活するのは、
閉所や、人混み、乗り物内などであることが、多かった。
一度、地下鉄東西線をわずか二駅乗っただけで、
不安症状が復活し、
誰もいない蹴上駅のホームに降りて膝をつき、
恐怖と闘っていたのを、覚えている。

こんなことを言うと、

パニック発作だったのか?」

と、問われることが多いのだが、
何故か、どの医者に当たろうとも、
病名を定義されたことは一度もなく、
自分は何の病気だったのか、
未だにわからない。

自ら命を絶つことはもうなく、
生きることは可能になった。
とは言え、
いつ何時、襲ってくるかわからない不安の所為で、
行動することができなければ、どうしようもない。

***************************************

精神科医も商売であることに、
変わりはないから、
(悪く言っているわけではない)
患者の共感や、期待を刺激する情報を流し、
客として引き寄せる努力をするのは、当然のことだ。

自分が抱えている、
閉所、人混み、乗り物等に対する予期不安の心情を、
細かい部分まで、
まるで見透かして書いたようなコラムを、
京都新聞の記事で見つけ、
即、コラムを執筆した医師が、院長を勤めている病院を調べて、
治療を受けに行ったことがある。

***************************************

今思い返しても、謎だ。

医師は、
いかにもなベテラン感が漂う、濃い白髪をした、
初老の男だった。
コラムを執筆したはずの、
(記事の最後に〇〇病院院長と、フル・ネームでハッキリ記されていた)
その医師と対面したとき、
自分は当然、理解してくれるものだと思って、
「乗り物に乗るのが怖い」ことを、医師に告げた。
すると医師からは、

「乗ってもいないのに、怖がってもしょうがない」

と、いう明快な答えが帰ってきた。
(そのあまりの明快さに、自分の頭は一瞬、真っ白になった)

「先生のコラムに書いてあったような状態なんです、自分は」

余程、コラムをアテにしていたのか、
そのように言えば、伝わると思ったのだが、
医師の方は、

「アンタの場合、行動療法しても仕方ないしな…」

と、独り言のようにつぶやき、
薄笑いをしながら、ボールペンを弄んでいる。

(行動療法とは、何なのだ?)
と、いう疑問を口にする間もなく、

「とりあえず薬変えてみよか?」

と、医師は事も無げに言った。
「大丈夫なんですか?」
と、尋ね返したら、
「それは、私がキメることやないか!」
と、医師はまたもや薄笑いの表情で、そう答える。
自分は、二の句も継げず、
医師の笑い顔を無感情に眺めた。

すると突然、

「苦しい言うてるやないか!!!」

と、いう若い女性の叫び声が、診察室内に響き渡った。
そしてすぐ、
〈ガチャン!〉と、いう破壊音がした。
医師は、
治療中(?)の自分のことなど、全く忘れたように中座して、
女性患者に近づくと、

「何が、どう苦しいんや?」

と、カケラ程の感情も込めず、このように尋ねた。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と、同じ言葉を繰り返す。
すると医師は、
「いや、だからどう苦しいんや?」と、また言う。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と言う。

自分は、
状況を理解するとか、腹が立つとかいう以前に、
なるべく早いうちに、
この場から、逃げ出す必要を直感的に感じた。

(やばい。ここは、やばい)

あのコラムは、一体何だったというのだろう?
今にして思えば、ほんの少し、
アカデミックに精神医療を勉強した人間なら、
誰にでも書ける、文章だったのかもしれない。
もしくは、
まるで別の人物が書いたのかも、しれない。
どちらにしろ、
文章というのは、
書いたその人に、実際会いでもしない限り、
余り信用するものでない、という心掛けだけが残った。

叫び声を上げていた女性が、
どのようにして治まったのか、全く覚えていない。
一応、医師は女性の近くに寄り添ってはいたが、
恐らく女性の方が、
怒りを長く、
継続させてもいられなかっただけのことだろう。
付き添いらしき母親は、
ずっと悲し気な顔をしていた。

この時、
医師によって変えさせられた、
薬の内容は、
完全に投薬治療からオサラバをする、10年後まで続いた。
10年間、
「あの医師が決めた薬で良いのか?」
という心配事を、抱え続けるハメになったわけだ。

***************************************

次は、
催眠治療を受けた。
そんなモノをアテにした理由は、
子どもっぽく単純なもので、
催眠術に、
魔法のようなイメージを持っていたからだ。
レアな治療法であり、
実践している医院は、
書籍などで調べてみたところ、関西でも数えるほどだった。
京都には一軒もなく、
大阪の医院まで、京阪電車で通わねばならなかった。
(皮肉なもので、
治療というハッキリした目的があると、
乗り物への不安感は、やや和らぐのだ)

実際受けた、
催眠療法」は、イメージとは、
かなり異なっていた。
糸に五円玉をぶらさげ、
目の前でゆらゆら揺らしはしなかった。
医師はまず、
患者(自分)を、少し角度のあるベッドに寝かし、
絶えず傍について、

「あなたの足を意識しなさい。重くなる、重くなる」
「もっと足を意識してください。毛細血管の隅々まで血液が行き届くように」
「今度は、重たかった足が、あたたかくなる、どんどんあたたかくなる」

このような言葉を、体の各部位に順番に投げかけていく。
頭から先っぽまで、すべての血のめぐりを良好にして、患者を深いリラックス状態に落とし込む。
今度はその状態で、
患者にとって、マイナスとなるイメージ
(自分なら、モアイ)
を克服し、乗り越えるかのような、
励ましのプラスワードを投げかける。
(患者の人生の困難は、事前に行われる医師とのミーティングで記録されているのだ)

例えば、
「あなたは、駅で、彼(モアイ)に偶然出会った。しかしあなたは決して、彼から目を逸らすことはなかった。すると彼は何処かに立ち去ってしまった」

と、いう風に。
催眠療法」と、いうよりは「自律訓練法」と言った方が、治療内容を正しく説明している気がする。

この医院にも、2,3か月は通ったと思う。
「結局、効いたのか?」
と、問われれば、
効いたような気もするし、さして効いていなかった気もする。
この催眠療法で、
「モアイから目をそらさない」
という、
イメージを持ったことは、悪いコトではなかった。
ひょっとしたら、その言葉の記憶は、
この「ド不幸自伝」の執筆を、
無意識レベルで勇気づけているのかも、知れない。
(ただの、後付けかもしれないが)

冷たい言い方をすれば、
結局、暗示にかけられただけ、
と捉えることもできる。
治療が進行していくと、
今度は患者同士のグループ・ワーク
(ミーティングの類)という、
新たな段階に進むよう医師から勧められた。
少しは興味もあったが、
現実社会に開かれた場所でもない院内で、
人生をひとつの新展開に持ちこむことは、
治療の着地点を、
余計、見えにくくしてしまうのではないか、
という予感がした。
結局、
何処かのタイミングで、
催眠療法そのものに、自分は冷めてしまったようだ。

***************************************

グループ・ワークを拒否し、
今日が、催眠療法の最終日だと決めた日、
京都に帰る京阪電車特急の車内で
(アルバイトでも探そうか)
と、思ったのを覚えている。
自分のいる場所は、病院の中ではない。

この日は確か、雨が降っていた。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

主夫日記3月28,29日 ~沖縄家族旅行の思い出②~

f:id:tarouhan24:20180404214807j:plain


出立前に大きな問題が、
まだ残されている。

私は、飛行機がこわい。
めちゃめちゃ、こわい。

これから行くという時に、
何を今さら、と言われるかもしれないが、
こわいものは、こわいのだ。
私は20代前半の頃、
精神疾患的なものを患ったことがあり、
(詳しくはブログ内の『ド不幸自伝』に記しています)↓

tarouhan24.hatenablog.com

その後遺症で、
ちょっとした、乗り物恐怖症になってしまった。
(今は、『パニック障害』という言い方のほうが、良いのかな?)
ビョーキの全盛期は、地下鉄を数駅を乗っただけで、
パニック状態に陥り、駅で倒れていたものである。

それもあって、旅行嫌いの出無精になった、
いうトコもある。
近所の薬局で鎮静剤を購入し、
古いi-podにビートルズの音源を入れる。
ビートルズが好きというよりも、
抑揚の効いたメロディーの音楽を聴いて、自意識を消すためだ。

f:id:tarouhan24:20180404215142j:plain


まあ、あの頃から大分経っているので、
おそらくは大丈夫だろうと、
ある程度はタカをくくっているのだが…。

***************************************

あっという間に、
伊丹に到着し狭い機内に入る。

生きた心地がしない。

パートナーと、子ども二人は、
キャッキャッと、はしゃいでいる。
この人たちの神経が、人間とは思えない。
パートナーみるまには、
通常、人が感じ取れないことまで、
第7感で感じとる、
鋭敏な感性を、普段は備えているというのに、
こーゆー飛行機とかは、全く平気らしい。
どないなっとんねん。

にしても、
飛行機の何がイヤかというと、
離陸までゆ~っくり、時間をかけるトコロだ。
じわじわ、
キョーフを味あわせるような、この悪趣味。
まるで、大相撲の
「時間いっぱい」だ。
何故、サクッと飛ばない。

文句ばかり言ってるようだが、
あの離陸の瞬間の異常な振動は、
どうにかならんのだろうか?
沖縄どころか、宇宙に行ってしまう気がする。
ムスコはワクワクの余り、
歯をくいしばりながら笑っている。
ポール・マッカートニーが、私の耳元で絶叫している。
ジョン・レノンかもしれんが)
おかしい。
マジでおかしい。
何故、気球のように、
ふんわりと、飛び立ってくれんのだ。
おびただしい量の手汗。
もうダメだ。

***************************************

気が付くと、
安定飛行に入っていた。
先程までの恐怖は何だったんだろう。
ああ、何かオレすごい克服したなあ。
これなら、
単なる飛行機ギライだ。
20年余りの懸念を乗り越えたのだ。
横を見るとムスコが、
退屈だと怒っている。
確かにこの状態では電車と変わらん。
中央の座席やし。
したらずっと、
あのナナメに上昇してゆく状態が良かったんかい。

ああ、今から沖縄に行くんやなあ…と、ふと思う。
まだまだ、大げさに考えている。

つづく☆


主夫日記3月28,29日 ~沖縄家族旅行の思い出①~

f:id:tarouhan24:20180403003412j:plain


家族で沖縄旅行に、行くことになってしまった。

主たる目的は、会社員を辞め、
独立開業するパートナー(女性)が、
本島中部の西原で行われる、勉強会に参加するためである。

パートナーの生業は作家。
「みるまに」という名で、
数秘術と刺繍を組み合わせた、独特の表現活動を行っている。
彼女が参加する勉強会の中身とは、数秘術の講座。
数秘術とは、生まれた月日と名前から、人の在り方や指針を見出す、
統計学らしい。
(私にはよくわからない)
数秘に関しては、
ほぼマスターの彼女だが、さらに磨きをかけるべく、勉強。
また、沖縄で受講することにも、大きな意味があるということだ。
大したものである。

それもあって、
旅行のコーディネートは、
すべて、パートナーみるまにがやってくれた。
私の能力は、ほぼ子ども同然。
ネットを駆使して、
飛行機やレンタカーや宿の手配をしている、
みるまにが、魔法使いのように見えて仕方ない。

10代後半から、20代に入った頃、
まだ「交通公社」の雰囲気も残る,
JTBの窓口に行き、
現金とビジネスホテルガイドを片手に、
都会をひとり旅していた頃は、
自力で旅をしている実感は、あった。

(私は、自然環境が圧倒的に苦手なため、都会にしか行けない)

まさか、
ネットなどというモノが、
発明されるとは、思っていなかったし、
スマホなどという不安なものが、
各種手続きの媒体になるとは、
これまた、夢にも思っていなかった。
時代の流れに着いて行けない。

この先、ひとりで生きていけるのか、不安だ。

***************************************

出立の前、
NHKの番組
あさイチ」が、
『沖縄 母親たちが見た基地』
という特集を放送していた。
イムリーなので、
小学校2年生になる、ムスコと一緒に見る。
普天間基地間近の、
保育園や小学校に、
米軍機から空き瓶や、窓枠が落とされ、

f:id:tarouhan24:20180403003244j:plain


しかも落とされた保育園に、
「自作自演だろう」という、
非人道的な嫌がらせの声が届く。

この現実を見たムスコは、

「(この番組)見るんじゃなかった…」
と、悲しそうな顔を見せた。

そこで、

「これは、ホンマにあったことやけど、そんなんに負けんように頑張って、
平和を作ろうとしてる大人を、キミもたくさん知ってるやろ。
ほんで、お父さんも、お母さんもそのひとりや」

と、このように、私はムスコに告げた。
そして、迫りくるものを押し返すように、
両手で、
「バン!」
と、はじき返す動作を見せた。
すると、ムスコの表情が一瞬でサッと晴れ、
「自分も一緒に押し返す!」
と、いうではないか。

まずは、心を作ることが大事だ。
お父さんは、ウレシイ。

ちなみに、
番組は、イノッチと有働アナ最後の日だったらしい。
イノッチおない年。スキや。

***************************************

f:id:tarouhan24:20180403003623j:plain

f:id:tarouhan24:20180403003657j:plain

つづく☆

 

ド不幸自伝⑬ ~不幸の終わり~

f:id:tarouhan24:20180328101850j:plain


≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通い、医師の手によって、強制入院させられるところを逃走する:

***************************************

自伝を書くというのは、つまらないものだ。
ただ、起こったことを、順繰りに書くだけだから、
意外性の入りこむ余地がない。
主人公である自分が、
精神疾患を患ったところで、
それが単なる現実であるからには
次から次へと、
ランダムな人物と関わり、
さして意味のない会話を交わし、
大したファンファーレもなく、
時間は過ぎ、
やがて終わる。
とはいえ、
自伝が意外性と無縁であっても、
この陰々滅滅たる活字の連続が、
何となく、小説風になってきたことは、
副産物というか、
書いている自分にとっても、本当に意外だった。

これは、果たして自伝なのか、小説なのか?
書き終わってみれば、わかるのだろうか?

***************************************

前回、
病院を脱走したときに、
自分の病気は治りはじめていた、
と書いた。
だが、当時の自覚としては、
病院を全力で脱走したとはいえ、
苦しみは続いている。
だから変わらず、途方に暮れていた。
内なる自分の力には、気づいていない。
新芽のような、力の発動に気づくには、
もう一刺激が必要であった。

***************************************

それは、少しだけ妙な出来事である。

自分は、
付き合いを良くしようと、心していた。
何でも良い、
人に会う機会があるというのなら、
なるべく、話に乗る。
どれほど不安だろうが、
何とか押しきって、他者に触れる。
それが大事だと感じていた。
家と散歩だけでは、腐り行く。
(このように意欲がある時点で、好転しているのだが)

ある日、
中学の同窓会が行われるという、知らせを聞いた。
当時だから、
おそらく携帯電話のメールでの、知らせだろう。
24歳など、子ども同然の年齢で、
10代とそう変わりない。
学校に行ってた時分など、身近なものだ。
同窓会の類も、
割と頻繁に開かれていたような気がする。

「行こう」自分はすぐそう決めた。

船だ、自分は船に乗っている。
生きているからには、死なない。
死なないのだ。
「人」は怖いかもしれない、
海だ。人は海だ。
自分は船に乗っている。
大きな船に。沈むことのない船に。

そのように、言い聞かせた。

***************************************

治療目的で、
参加している自分に、
宴会を楽しむ気持ちの余裕などない。
同級生と再会したところで、
何の感動もなく、ただ座っている。
不安の液体が、
縁いっぱいに注がれたカップを、
頭の上に乗せているようなものだ。
必死で、平衡感覚を保っている。
アルコール類には、一切手をつけなかった。
周りからは、単なる無愛想に見えたことだろう。

店の場所は忘れてしまったが、
おそらく河原町の何処か。
狭い京都の繁華街、
モアイの粉物屋の跡地からも、近かったかもしれない。
悪夢の舞台となった場所に、
あっさり舞い戻り、
同窓会という一日を、過ごしている自分がいることが、
今では、妙に不思議に思える。

***************************************

あれは、二軒目の店だったと思う。
20人弱の同窓会メンバーは、
河原町の居酒屋から、出町柳駅近くにあった、
今でいうカフェのような場所へと、流れていた。
自分も含めた、
そのうちの10人くらいが、
広い丸テーブルの席を取り囲む。
顔を上げると
視界いっぱい、ぐるりと人間の顔があった。
今まで、書いていなかったことなのだが、
当時の自分は、タバコを吸っていた。
スマートフォンも無い時代なので、
誰とも離したくない間を、
嫌味なく誤魔化すのは、
宙を見てタバコを吸うのが一番だった。
喫煙が、
今ほど問題視されておらず、
タバコの価格も安かった。
一言言えば、
さほど遠慮せずに、喫煙することが可能で、
煙に苦痛を感じている人間に、
気づくことが難しかった。
自分以外にも、タバコを吸ってる人間は多く、
丸テーブルは、もうもうと煙に包まれていた。

煙の中に、〇山がいた。

「イヤやな」

と、自分は思った。
〇山のことは、
このように、
名前を書く気にもなれない程、嫌っていた。
(この自伝も終わりに差し掛かっているので、ニック・ネームを考える気にもなれない)
〇山は、かなりの色男だったが、
話の内容が無神経で、
「何人」の女性をモノにしたとか、
そういうことを、
まるで成果のように、吹聴するような人間だった。

席を立ちたかったが、
自分に機敏な動きをする元気はない。
〇山は、何故か場の中心になって喋ろうとしていた。
妙に、懸命である。

「オレは、出家した」

〇山はいきなり、そんなことを言う。

「仏の道に仕える身になった。修行の成果で、オレは昔と変わった。めちゃくちゃ社交的になって、人と話す性格になった」

「髪の毛、あるやん」周りにいた誰かがそう言う。

「いや、今の時代、髪の毛とか関係ないない。アレはイメージやねん」

おそらく〇山は、身に起こった出来事を話しているのだろう。
だが自分には、まともな話に感じられなかった。
常人ならば、
一端、立ち止まって考えるべき過程が、
丸ごと抜け落ちたまま進行している。
違和感に、不快感。
いやそもそも、本当の話なのかどうかもわからない。
サイコパス気質…。
まるで、モアイだ。
道徳がない。
心に痛覚がない。
〇山はまくし立てるように、喋る。
聞きたくない。
すると〇山は、
全く予期しないことに、
自分にとって、耳に刺さらずにはいられない、ある単語を使い始めた。

「今度、師匠が精神病院に入ることになった。一度入ったらもう出てこれへん。そしたら、オレがもう一歩上の立場に行ける」

精神病院?
何故、精神病院という単語が出てくるのだ。
それも、〇山の口から。
精神病院とは、
これほど耳にするくらい、身近な存在だったのか?
〇山は、
己の職場の不幸だの、精神病院だのを語るのが、
何故あんなに楽しそうなのだ。

「うわああああ!」

気がつくと自分は、叫び声をあげていた。
つい最近、その精神病院とやらに、
閉じ込められそうになったばかり。
「一度入ったら出てこれない」
何の悪気もなく、そのようなレッテルをはる〇山と、
数秒たりとも、同じ空間にいられるはずがなかった。
自分は、弾丸のように店を飛び出した。
料金を支払ったのか、覚えていない。
(おそらく、まだ注文をしていなかったのだと、思うが)

またしても、脱走。
同じようなことを、繰り返している。
繰り返していることに、情けなさを覚える。

(後に聞いたが、〇山は「アイツの頭の病気、治さなアカンな!」と言っていたらしい)

***************************************

このような、出来事であった。
特に大きなことではない。
だが、ここからなのである。

何故だろう?
この件をきっかけに、
自分の不安は、大幅にマシになった。
寝ているとき以外は、絶えず不安だったのが、
わずかながら、平常な心の時間が存在するようになった。
常不安から、予期不安(不安の発作が来るのでは?という不安)
にまで、症状が改善されたのである、
ラクになったのである。
良いことがあったというわけでもないのに。

心とは、わからないものだ。
一体、何がどう作用したというのだろうか?
精神医療とは、何なのだろうか?

***************************************

さらに妙なことに、
自分はこの後、遠藤医師の診察を受けている。
あの脱走劇があって以来、
会わなくなったというわけではない。
そのまま、脱走していれば、
ストーリーとして、すんなりと落ち着くのだが、
現実は、そうスムーズではない。
診察を受けた証拠に、
「精神病院に一度入ったら出てこれない」
という、〇山のセリフを気にした自分が、遠藤医師に相談している記憶が、
はっきりと残っている。
遠藤医師は、

「それはおかしいですね。入ったら出てこれないということは、ないですよ…」

と、言った。
すると今度は、遠藤医師がまともな人間に見えてくる。

「まとも」

まともとは何なのだ?
何もかもが、わからない。

さらに数回、会話のやり取りをする。
何を話したのか、覚えていない。
だがその時、不意に自分は、

「ここは、もう良いだろう」

と、思ったのだ。
音を立てて波が引くように、思考がスッと冷めたのだ。
誰の何が、正しいのか?結局は、わからない。
だがとにかく、この医師、この病院、この場所を、
自分はもう通過したのだという実感が、はっきりこの手にあった。
もう良い。
自分は、自分の意志で次の医師を選ぶのだ。
誰にも強制される必要はないのだと。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*