太朗のSo What?

世界最強の、主夫ブログを目指します!

主夫日記6月23日 ~虱(しらみ)~

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 ここのところ、
主夫日記を書いていなかったし、
ムスコの成長について、
書きたいコトもあったので、
今日あたり、
ボチボチかな、
と、思っていたら、
思いがけない展開になった。

子育てに、予定調和がないことを、
あらためて、思い知らされる。

いつものように、
ムスコと一緒に、
ムスメのお迎えに、保育園に行くと、
担任の先生が、何やらシンミョーな顔で、


「お父さん」と。


(ヒネてる性格なので、こう呼ばれるたびに、
 『私は、お父さんという名ではない』と、思ってしまう)

元気イッパイのムスメさん、
どうせ、いつものように、
転んでケガをしたのだろう、と思っていたら、
先生は、ムスメの髪の毛をかき分け,

 

「お父さん、ミッちゃんの髪の毛これ、アタマ虱かもしれないんですよ」

一瞬、何のことか、サッパリわからない。


先生は、言う。


「最初フケかと思いましてね、取ろうとしたんですけど、
 こう、くっついて、取れないんですよ。

 これは、虱の可能性高いです。 

 私らでは、判別つかんので受診してください。

 まあ、おそらくクロではないかと」

 

ほんでもって、タオルは、別々に使った方が良いとか、
お兄ちゃんも、診てもらった方が良いとか、
先生、えらくソワソワするもんだから、
こっちにも、ソワソワが移る。
と、いうか、
頭虱って、そんな大ごとなのか?

 

「コレ、アタマ虱って、どうなるんです?」


と、間抜けな質問をしてみる。


「この白い、いっぱいあるのは、たまごですから、
 これがかえると、エラいことに…」


ああ~やめてくれ、オレはこういうのダメだ。
何か、自分の頭まで、痒くなってきた。

木曜日の午後で、
近所の小児科はやっていない。
仕方なく、総合病院に行くことにする。
一度帰宅し、
ご飯をタイマーセットし、
お茶と受診グッズを揃える。
何か、エラく憂鬱な気分になり、
共同購入で持ち帰った、卵を二個割ってしまう。

予想外の受診の面倒さもあるが、
「虱」って…

ムスメは、
ムスコもそうなのだが、
髪の毛がタイヘン濃く、
ムスメが、生まれたとき、
私は幸運なことに、
立ち会うことができ、

ムスメが計りに、
乗ったときも、傍にいたのだが、

感動と共に、
「見事な髪の毛!」と、思い、
安心したのを、覚えてる。
何せ、フサフサでした。

ところが、この髪の毛が、今はやっかいで、
濃い上、
伸びも早く、
ほっとくとすぐ、
ラモーンズみたいになってしまうので、
週明けの朝、前髪を切ったばかりだった。

洗髪も、ラクでなく、
特にドライヤーがタイヘンだ。
正直、冬場は毎日洗ってはいない。


空梅雨とはいえ、
もう6月、
も少し、洗う頻度を増やさないと、
と、思っていたところだった。
何か、自分のせいで、
虱がわいたみたいで、
ますます重た~い、気分になる。

病院に行くと、
バカバカしいかもしれないが、
マスクを二人につけさけ、
格好を、つけているわけではないが、
待ち合いで、
妙に丁寧に絵本を読んでしまう、
自分がいる。
「三匹のヤギのがらがらどん」
の、パチモンみたいな絵本を読んでいたところで、
問診票に、
「アタマ虱の疑い」
と、書きこむと、
看護師さんが、
「それならば、皮膚科へ」ということ。
そうなのか!総合病院に来たことが、幸いした。

開き直った気分の私が、

適当(適度?)に相手をしているせいか、
二人とも、そんなにぐずらない。
ムスコは、
「怪傑ゾロリ」の本を、
私に、読みきかすのだが、
子どもだましな内容で、全く面白くない。
ただ、作中に出てくる、

『なぞなぞ』にはつい、真剣になってしまう。

さほど、
病院も繁盛していない時期なのか、
幸い、長く待つこともなく、
診察室に呼ばれる。
これこれこういう経緯で、
アタマ虱かもしれないんですよ、
と、私が説明すると、
何か、
ドクターは
「私だけが知っている」風の笑顔を見せ、
楽しそうである。
ピンセットでムスメの髪の毛から、

白いモノを取り、薄ガラスに乗せて、
顕微鏡で覗く。

「ああ~これは、虱ですね」
と、やはり嬉しそうに言う。
「何なら、お父さんも見はります?」と、来る。
顕微鏡を覗くなど、中学生の時以来だ。
見てみると、ああそうだな、といったトコ。
オレは、こういうのは、苦手だ…。
ああ~ヤダヤダヤダ!!!
ドクターは、ムスコにも、
「お兄ちゃんも、見てみる?」と、言う。
ムダに好奇心旺盛な、ドクターである。
ムスコは、

テンションが上がるかと、思ったが、
何故か、あまりピンと来ていないようだ。

飲み薬などはなく、
薬局で、
ソレ用の薬剤シャンプーを購入しろ、ということ。
(結構な出費である)
普通は、頭皮に化学薬品など、使用しないのだが、
顕微鏡を覗いたショックで、
今回限りと、あっさり妥協。

19時過ぎには、帰宅することができた。
パートナーが、疲れた体に鞭打って、

1品作ってくれている。

洗髪が、いつもに増して、
タイヘンだった。
アタマに何かつけるのを、ビビるムスコは、
水中メガネ姿。
何かと、
「うわああああ」と、大げさに叫び声をあげる。


薬剤をつけたら、効果を出すために、
5分放置、
香料が、気になるので、
すすいだ後は、石鹸で洗い、
またすすぐ。
これを二人に、行った後は、
車二台を手で洗ったくらいの、
労力を使った気がした。
これを、またドライヤーで乾かす。

乾かしても、
薬剤が、ホントに効いているのか、
どうも、気になり、落ち着かない。
(たまごは残っても、成虫は死ぬらしい。たまごを、
 撲滅さすためには、もう数日、同じ薬剤で洗う必要が
 あるということ)

通園・通学には支障はない、らしいので、
とりあえずは、助かった。

それにしても、
最初に気がついたのが、
経験があるとは言え、
自分でなく、

園の先生なのが、寂しかった。
気づいた先生は、
ムスメの髪の毛を、
よく、可愛い編み込みにしてくれる。
私には、とても出来ない。
ムスメの髪を、ふと、さわった時にでも、
気づいたのだろうか?

不意に
「オトコ親の限界」
何てものを、ずいぶん久しぶりに連想し、

感傷にひたりかけたが、
パートナーによると、
「それは別に、カンケーないのでは」
と、いうこと。

そうだ、確かにカンケーない…。
滅多にないことだが、
ヘンな思いこみというか、
幻想は、
自分の中から、湧いてくるのもだな、
これだけ、
主夫業を重ねてても、と思った。

 

あ、ブログ記事50本目ですね。
50本目が、コレかよ…





 

みんなをしばる共謀罪

 こないだの、
太朗'sカフェで、


(太朗'sカフェについては、コチラ)↓

tarouhan24.hatenablog.com



こんな看板を、車のフロントガラスに、
大きく、掲げていた↓

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すると、
原付に乗った、どんぐりみたいなお巡りさんが、
じ~~~~~~~~っと、コッチを見つめてくるではないか…。

何てことだ、
お互い何もかも、疑ってかかるのが、
もう、当然な世の中になっちまったのか。
ボクは嘆いた。

ちょっと、
昔のコトから、
思い起こして行こう。
小選挙区制になってから…
イロイロあった。
自民党民主党自民党
ああ、けど政党だけ見ると、
変化こんなモンなんや…
どっちにしろ、
数とったトコが勝ちで、

好きなようにできる。


国会は、あのとおり無意味だ。

ついには、
共謀罪なんて、
通さしちまった。
エエ加減に、
政権交代して欲しいから、
通っちまった、共謀罪のことを、
クヨクヨ考えても、仕方ないから、
選挙、選挙。
選挙で勝つこと、考えろ。
ああ、何かどんどん進んで行く。
誰が、一番先端にいるのかを、
競争しているみたいだ。

人間が、
まるでスポーツ・カーのように、
スピーディーで、薄っぺらくなっていくようだ。
今までは、それで良かった。
共謀罪が、通されるまでは。
ネット社会と、オタク文化のおかげで、
竹槍戦術みたいな、
本当~の意味での
無駄な作業はなくなり、

新たな交流も、
獲得するという、メリットもあった。

…政治を、考える。
それは、この社会における、
小さな羽虫のような自分が、
向き合わざるを、得ない行為。
政府が作る「法」
と、エネルギーの元で、

ボクらは生きているのだから。
政変があるたびに、
人は、生き方の棚卸をする。
しないようでは、おかしい。

ボクの場合は、
「もっと、丁寧でないと」
と、思った。
そして、
「ゆっくりでないと」
とも。
まるで、
とてもクソ長い本を、読むかのように、
ゆっくりと。

確かに、
国会は存在しない。

しかし、
だからと言って、
世の中全員が、

選挙のみに注目し、
批評家みたいな目線で、
「対策」を講じたところで、
それは、

ヤリ口の一例を、
示し会っただけで、
この世界に存在する、
重たい石を、汗を流し、
必要な場所へと、移動させたわけじゃあない。
ルールの分析をしても、
グランドには、ひとりもプレイヤーがいない。
何より、本質を見失う。

 

ひたすら、
ネットでの情報や、
実用書の中身を切り刻んで、要約し、
ヤリ口を示し、
シェアしあい、
作戦を研ぎ澄ます。
早い、どんどん早くなる。
何もかもが。
そんなの、作戦に身を置いているだけで、
人生を生きているわけじゃあない。
一体、どうしろと言うのだ?

***************************************

そういえば、
冒頭の、
写真のプラカードは、
共謀罪が、ほとんど、
通されんとせん、
と、いう夜中に作ったものでした。
このスピーディーな世の中に、
あまりにも、遅い。
しかも、デザインがアナクロだ。

シールズとかと、
エライ違いだ。

ところが、
自分でも思っていなかったトコロで、
このプラカードの、
「手書き」が
案外、好評だったりする。

ものすごく、

遅いタイミングで、
きょうび、夜中に絵筆をとり、
政府への怒りを紙上に、
叩きつける
…行為も、アナクロだ。

遅い。
スピードと先読みの時代に、

何てことだ。

でも、

ココに大切な何かが潜んでいるような、
気もする。
悪政へのカウンターとして、
反射的に先取り行為に走るのは、
やむなしだ。

しかし、それは、必要なことだろうか?
ひょっとして、
全くの無意味、無効果の可能性だって、
充分にある。
だって、
世の中は、

全く良い方向に向かっていないから。

薄っぺらで、スピーディーな、
スポーツ・カーのような人間になって、
私たち大人は、子どもたちに、伝えられる大切なモノを、
持てるだろうか?
子どもたちにかける言葉が、
「How to」や「出世術」や「対策」や「工夫」
しかない、大人になっていたのだとしたら、
余りにも寂しい。

大の大人が、
子どもに伝えられることが、
ウィキペディアからの引用だけでは、
将来がコワいのだ。

人と人が、
直接出会い、
生き方を語り合う、
何かを交信する。
今度はそれが、
薄っぺらく、

無効果な

『スピーディー』への、
カウンターとなる。
遅さは、
最速のまわり道では、なかろうか
…と、
ひとり夜に、勝手に思ったりするのだ。

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読書の効用①~カラマーゾフの兄弟~

新聞を読む、というのは、
中々辛いものだ。
なぜなら、

自分は、出来る限り、
悲惨なことからは、
目をそむけようとする人間なのだが、
何かが、私にそうさせないから。

 

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↑例えば、
6月13日の朝日新聞
パレスチナ人の、

男の子は、
自分以外の家族を、
襲撃により殺された。
男の子は、私の息子と同じ歳。

世界から入ってくる、
情報に耐える自信が、
私には、ない。
情報が、重いからではない。
入ってくる悲劇は、
私の足元から、地面を通じて、
悲劇のある場所と、繋がっているからだ。
それが現在であれ、過去であれ。
だから避ける。

でも、自分は

何かの力の作用で、
何処か遠い場所で起こった、
悲劇を、自ら捕えに行くことも、ある。

情報から得た絶望を、

いかにやりすごして、

生きてきたのだろう?

それは、
間違いなく、
読書体験のおかげだ。


カラマーゾフの兄弟

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この古典文学のおかげで、
私はどれほど、
情報の難所を乗り越えることができただろう?

 

大学には、
入学してすぐ、行かなくなった。
18歳にもなって、
文化祭で、プロレスごっこをしたり、
TVゲーム「ぷよぷよ」をしたり、
幼稚なロック・バンドで遊んでいる、
周囲の状況が、
考えられなかった。
この状態の学生が、
40歳くらいになったら、
世の中どうなってしまうのだ?
と、思った。

なので、
アルバイトに行く以外は、
本を読むことにした。
大学は、
山形県にあったので、
冬になると、
アパートの周囲は、
日本海側独特の、
深い雪で包まれ、
信号機からは、つららが下がるほどだ。
外に出ること自体が、
難しい。
本を読むには、
持ってこいの環境だった。

とりあえず、


トルストイの「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ
ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟


だけは、読んでおこうと思った。
何故、長編ばかりなのかというと、
ある作家が、


「長さのある古典は、

 若く、体力と時間のあるうちでないと

 読めない。
 読んでおくとトクだ」


と、言っていたからだった。
実際、その通りだった。
今は、時間がなく、
とても、読めない。
この言葉に、感謝する。

もうひとつ、
これは、
結構、人生の分岐点ではないか、と思うのだが、
なぜ学術書とかではなく、
小説なのかと言うと、
(「資本論」とかに行くコースもあるはずだった)
単なる偶然か、資質なのだろうか…
また、違うタイミングで、
岩波文庫

ドイツ・イデオロギー
なんかも開いてみたのだが、
2ページで挫折した。


サッカーで言ったら、
フィールドに入った瞬間、
勝手に、肉離れを起こして、
退場したようなものだろうか?


これは最近、
ある人に聞いたのだが、
ドイツ・イデオロギー」は、
〇ルクスだか、〇ンゲルスだかが、
まだ若く、思想的にも、固まってない頃の著作で、
そのぶん、
読みこなしもハチャメチャに難しい、
ということらしい。


「薄いから行けそう」

と、思った私が、

浅はかだったのだ。

話を戻そう。
ドストエフスキーよりは、
トルストイの2作の方が好きだった。
トルストイの作品には、
素敵な女性が、出てきた。

アンナ・カレーニナ」のアンナは、
罪の香りがする、きらびやかな女性。


「戦争の平和」のナターシャは、
いつも一緒にいたくなるような、
かわいらしい、女性。

(作品最初の方では『女の子』ですら、あった)
~だったと、記憶する。

この二人の女性に、
この時期に、出会ったことで、
自分の恋愛や、

女性との友情は、
ある程度救われ、
また、研ぎ澄まされてしまったのかも、
しれない。

ただ、ここが
私のアホなところなのだが、
これほどの長編を読んで、
肝心のストーリーの記憶は、ほとんどない。
一回しか読んでないから、
当然だが。

「アンナが、可愛かった、
 ナターシャが、可愛かった」


が、この古典文学を読了した感想では、
情けなさすぎる。

だが、それで良いとも言えるのだ。
小説を読むのは、

気楽なもので、
学術書のように、
暗記したり、
マスターしたり、
論じたりする必要はなく、
言うなれば、旅行のようなものだ。
人物との出会いと、別れ。
うっすらとした思い出が、残れば良い。
「そういえば、あのとき、あんな女の人と出会ったな」
と、いう風に。
それが、後に生きてくる。

付け加えると、
トルストイという、
「おっちゃん」が創作した、
女性像だからこそ、
18,9歳ソコソコの頭でも、
ついていけたのかも、しれない。

トルストイに比べると、
ドストエフスキーの作品は、

「えらく…むさくるしいな」

と、いったところだった。
登場人物のほとんどが、男だった気がする。
カラマーゾフの兄弟
の3兄弟は、全員男で、
もうひとりの、主要な人物は、
兄弟の父親と、私生児の男、
あとは、長老…とか。
まるで、男子高だ。
しかも、
登場人物のひとりひとりが、
妙に理屈っぽく、
掴みどころが無い部分が、あまり無い。

だが、最初に述べたように、
新聞を読むことで、
私に、日常的に訪れる絶望から、
いつも、
救いあげてくれるのは、
この作品を体験した、
記憶だ。

カラマーゾフの兄弟」で、
特に好きな人物は、
次男のイワンと、
三男のアリョーシャ。


イワンは、

論理的に物事を考え、
世の中を、

冷めた目で見てるようだが、
心根は実は純粋で、
それゆえに、
常に、自分で自分を追い詰めている。

アリョーシャは、
無防備なほどの純粋さを、
世間に晒しながら生きているが、
実は、物語に出てくる、
誰より芯が強い。

この二人の、
対話が、
カラマーゾフの兄弟」の物語の根幹を、
支えている。

イワンは、アリョーシャに話し、
問いかける。
まるで、アリョーシャが、
唯一、心の奥底を、

打ち明けられる相手であるかのように。

以下、二人の会話で、
当時印象に残った部分を、
抜粋していく。


イワン↓
「30歳までは、どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪にも、
 オレの若さが、打ち克つだろうよ!
 オレは自分に、何度も、問いかけてみた。
 オレの内部の、この狂おしい、不謹慎とさえ言えるような、
 人生への渇望を、打ち負かすほどの絶望が、

 果たして、この世界にあるだろうか?

 そして、どうやら、そんなものはない、と結論したのさ」
 
イワンは、続けて言う↓
「アリョーシャ、生きていたいよ、
 だからオレは、論理に反してでも、

 生きているのさ。
 たとえ、この世の秩序を信じないにせよ、
 オレにとっちゃ、
 『春先に萌え出る、粘っこい若葉』が貴重なんだ。
 青い空が、貴重なんだよ。
 そうなんだ、
 時には、
 どこがいいのかわからずに、好きになってしまう、
 そんな相手が、大切なんだよ」

 

すると、アリョーシャは、兄イワンに問うのだ↓

「兄さんはなぜ『この世界を認めないか』を、僕に説明してくれる?」

イワンは答える↓

「『野獣のような』人間の残虐なんて、

 表現をすることが、あるけど、

 野獣は決して人間みたいに残酷にはなれないし、

 人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね」

 

イワンは、続けて言う↓

「五つの女の子を、
 両親は、

 ありとあらゆる手で痛めつけたんだ

 ~そのうちついに、

 この上なく、念のいった方法に行きついた。 

 真冬の寒い日に、女の子を一晩中、便所に閉じこめたんだよ」

(これは実際に19世紀のロシアであった、社会事件だろうか?)…太朗の疑問。

 

「自分が、どんな目に会わされているのか、
 まだ意味さえ理解できぬ、

 小さな子どもが、真っ暗い寒い便所の中で、

 悲しみに張り裂けそうな胸を、ちっぽけな拳でたたき、
 血をしぼるような涙を、恨みもなしに、おとなしく流しながら、
 『神さま』に守ってくださいと、泣いて頼んでいるというのにさ。
 お前には、こんなばかな話が、わかるかい」

 

「たとえ、苦しみによって、永遠の調和を買うために、

 すべての人が、苦しまなければならぬとしても、

 その場合、子どもにいったい何の関係があるんだい?

 ぜひ教えてもらいたいね。何のために子どもたちまで、

 苦しまなけりゃならないのか、

 何のために、子どもたちが、苦しみによって

 調和を買う必要があるのか」

 

「そんな調和は、小さな拳で、自分の胸をたたきながら、

 臭い便所の中で、償われぬ涙を流して『神様』に祈った、

 あの痛めつけられた、子ども一人の涙にさえ値しないよ!」 

 

 このイワンの執拗な、

 問いかけに、
 アリョーシャは、


「じゃ、粘っこい若葉は、大切な墓は、
 青い空は、
 愛する女性はどうなるんです! 

 どうやって兄さんは生きてゆけるんです?」


の、言葉と共に、
兄へのキスで、答える。

(今読むと、この状態の男性から愛される女性は、かなり迷惑かもしれない)…太朗


引用は全て、
新潮文庫原卓也訳からで、
上・中・下巻の、

上巻の最後のあたりだ。


(少しだけ、太朗が変えて引用してるとこも、あります)
 

中巻、下巻と読み進めてみても、
次男イワンの苦悩は、特に解決しない。

それどころか物語は、死、殺人、狂気、裁判、冤罪等々、
救いのない方向に、行くばかりだったと、記憶する。

はっきり覚えているのは、
物語の終焉だ。
さまざまな苦難と、兄弟の不幸を見届けた、
三男アリョーシャは、子どもたちに囲まれ、
彼女、彼らに、
希望に満ちた説法をする。
この場面は、ものすごく唐突だった。
絶望の物語に、
不意に現れた希望。

アリョーシャは、子どもたちを、
『美しい灰青色の子鳩』と例え、言う↓

 

「なぜ、悪い人間になる必要が、あるでしょう。
 そうじゃありませんか、みなさん?
 僕たちは、何よりもまず第一に、
 善良に、それから正直になって、
 さらにお互いに、みんなのことを決して
 忘れないようにしましょう」

アリョーシャの言葉の引用は、ほんの一部。
通して読むと、もっと、素晴らしい。


子どもたちは、アリョーシャを取り囲み、
口ぐちに、

 「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」
カラマーゾフ万歳!」
と、希望に満ちた叫び声をあげて、

物語は終息する。

何故、長すぎる絶望が、
唐突な希望となったのだろう?
それは、そんな話だったから、
としか、言いようがない。
通読すると、
「こうなるしか、ない」
と思えるのだ。
夜明けと一緒で、

来るものは、来る。
人間の力であり、人間の力を超えている。
そして、物語そのものの、力だ。

さて話を、冒頭のテーマに戻す。


私は、カラマーゾフのイワンのように、
体の中に絶望的な新聞記事を、通過させる。
それが、カラマーゾフ流に、
根拠のない希望に転換されるのを、
期待して。
絶望を知らぬものが、
社会に対して、
人間に対して、
貢献もできるはずもないからだ。

カラマーゾフの兄弟


この本そのものが、

一度だけ、私の体を通過し、
かろうじて存在する、
耐久力の装置を、
作り上げてくれた。
これが、読書の効用だ。

最も、
カラマーゾフの兄弟
は、そんな単純なテーマの話ではなく、
わずかな引用箇所を見ただけでも、
ピンとくる人は、
ピンとくるだろうが、
19世紀ロシアの生活に、
深く根を降ろしている、

カトリックの教義と、
合理的な現実感覚の対立、
と、いったテーマが大きいのだろう、
多分。

(そういえば、遠藤周作の「沈黙」は、日本型村社会・封建制度

 異端としてのカトリックの対立が、テーマだった。しかも、
 観念的でなく、人間ひとりひとりが、苦悩し、生き生きし、
 血が通っているのは、ドストエフスキーと、一緒)

 

 

冒頭のスクラップ記事と
同日の朝日新聞に、
ロシアで、
逮捕・流血も発生した
反政府デモがあったと、
載っていた。
私は、恥ずかしながら、
現在のロシアの事を、
全く知らないが、
この写真の中に、
イワンやアリョーシャがいるのではないかと、
つい捜してしまう。

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 何となく、
このまま、ダラダラ書き継げそうな、
テーマだが、
長くなり過ぎたので、
一端ここで終了とします。

よって①と、しときます。
続きはあるかもしれないし、
ないかも。

 

 

 

こんな文章にタイトルはいらない

 

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タイトルを見て、
面白そうだと思って、
読んで見ようという気になった方、
すみません。
面白くない文章です。
(よくある話です)
完全に、自分のための覚書です。
タイトル
TATTOO」でも、良いですね。
THE WHOの曲で。

前職の、

CD屋の店員をクビになって、
丸3年、経っていた。
一体、

3年間も、

何をやっていたのだろう、と思う。
現時点で、自分は何ひとつ成し遂げていない。
理屈抜きで、手応えとして、そうなのだ。

つい先程、
超個人的に、
「何でこんな、体たらくに…!情けない…!」
と、思える出来事があった。
別に、人間関係とかではない。
ほんの、小さな事かもしれない。
全ては、自分自身の不甲斐なさ。

「定職」から逃れ「自由」になった日から、
3年。
今の自分の立場を、
人は「主夫」という。
でも、そんなものでは、全然足りないのだ。
自身に成長がなければ、
世の中に変化など、起こるはずもない。

振り返ってみる。
20代から、
30代にかけて、
芸大の環境に、

納得がいかなくなった自分は、
少々、こぼれ落ちる存在になるのは覚悟して
(些細なことだった)
アルバイトをしながらで良いから、
細々と、
自分が表現できることを、
探して行こうと、決意した。
アルバイトを転々としながらでも、
世の中の事を学ぼうという、
強い意欲があった。
どれほど、困難な環境でも、
表現しようとする意欲は、

死ななかった。

納得したら、
就職しようと、思っていた。
惜しむらくは、

「意欲そのもの」しかなかった。
表現したい中身が、特になかった。

3.11以前の、
自分にとって、
現実的な社会問題は、
正直、
「若者の貧困」くらいのモノだった。
それくらい、ノン気でどうしようもなかった。


それでも、
絞り出すように、
20代の表現を生きた後、
何もかもに懲りてしまい、
CD屋のアルバイトとして、
30代いっぱいを、ほぼ過ごした。
一切の表現から、
手を切ったにも関わらず、
かなり出来の悪い店員だった。

40過ぎて、
もう一度、
表現しようと、やり続けている。
方法など、わからない。
こんな駄文を描き続けている。
自分の中の、
死に切れない何かが、
「書け」「書け」と言い続けている。
とにかく、
自分には、無駄にできる時間などないはずなのだ。
風邪をひくと、
悔しくて仕方がない。
責任を取れていないこと、
思いやりにかけていること、
だらしない肉体をしていることが、
悔しくて仕方ない。


ノン気を気どることなど、限界があるはずなのだ。
一分でも惜しいのだ。
その癖、貴重な時間をうっかり、
ドブに捨てては後悔を繰り返し、
友達とは、
考えられる限り、

ダラダラと過ごすのが大好きという、
矛盾に満ちた人間だ。

それでも、
今、生きているこの一日から、
無駄という無駄を、
絞って行こうと思う。
もっと、集中して行こうと思う。
何せ、誰も見ていないだから。
誰も見ていない時間の中に、
自分の最大の弱点があるのだ。

 

月イチスケッチの日

今日は、

友人で画家の、
あさちゃんが呼びかけの、
「月イチスケッチの日」に参加。
草津は志那町の琵琶湖沿いのキャンプ場へ、車を走らす。

車に乗る限り、滋賀でも少しは、アピールしたことになるか↓

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到着後、
友人たちへの挨拶も、そこそこに、
早速、スケッチにとりかかる。
今日の琵琶湖は、ひどく調子が良い。
波の形を捕えようすると、
自然と、波の表情が理解できる。

今日は、子どものように笑っている。

思わず、
「おお!」と声が出るほどだ↓

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杭の並びも、美しい。
杭から、描いてみる。
色もつけてみる。
あっ、白い絵の具を切らしていた。
苦しまぎれに、青と緑のみで仕上げる。

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自分は、色をつけることが、得意でない。
なぜだろう?
と、思う。
人から離れて、湖岸べりを散歩しながら、
はじめて、絵の教育を受けた、
美高時代から描いた、
自分の絵を、
一枚一枚思い出して、考える。

長年、引っかかっていたことだ。
なぜ、自分は絵が描けなくなってしまったのか?

デッサンが好きだった。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。

自分が、高校生のとき専攻していたのは、
日本画だ。
日本画の下書きである、
「骨書き」の状態が、割と好きだった。
筆で描かれた、輪郭線のみの絵。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。

「骨書き」に、薄墨を加える。
この状態も悪くない。
でも、それだけでは、完成ではない。

石の絵を描いたことが、あった。
夢中になって、模様を描いたのを、覚えている。
担当の先生から、
絵具を薄く塗って模様を潰し、量感を出すように、
指示されたが、断った。
自分にとっては、量感より、ディテールの方が、
はるかに、重要だった。
色など、ついでに塗ってるだけだった。

高校二年になって、
課題の絵のサイズが、急に大きくなった。
普通に、展覧会とかで見かけるような、
日本画のサイズだ。

ここで、まったく手に負えなくなった。
デカすぎて、描ききれなくなった。
最後に、一生懸命に描いたのは、
椿の絵だった。
形をとる楽しさは残ったものの、
色を、つけるという作業は、
完全に、わからなくなった。

なので、
ムスメ(3歳)の描いている絵を見て、驚いた↓

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素晴らしい、色彩があった。
父が何十年も、越せない壁の向こう側に、
最初から、いる。

父は、意地のように形にこだわってみる↓

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クロッキーの訓練を、

もう少し、

積んでおけば良かった。


もう一度、琵琶湖に挑んで見る。
まるで、勝負事だ。
そのたびに、負けて帰ってくる。
自分のような、描き方をしていると、
不満がつのるばかりだ。
描く前は、いつも思う。
絵の神様、どうか、ボクのこの、

ちっぽけな寂しさを、
描くことによって、埋めてください。
もっと、うまくなりたい。

波は、激しくなっている。

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スケッチは、楽しい。

楽しくて仕方がない。
絵を描くというのは、
こんなにも、楽しかったのか。
何もかも、許される時間だと思える。

自分の視覚に収まる範囲で、描くのが、
すごくやりやすい。
デカイ絵は、もうたくさんだ。
自分は、小さく描くタイプの絵描きだったのだ。

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↑火をおこす、あきさんと子どもたち。

たくさんの先生に、絵を教わったが、
さほど、仲良くもない先生が、
「自然を描いていて、それが壊されるのを見ると、心が痛む」
と、言っていた。
当時は、何とも思っていなかったが、
もし、この表情豊かな、琵琶湖が、
放射能で汚染されたらと思うと、
心が痛むどころでは、すまされない。

人間にとって、
本当に必要なことが何かを実感したければ、
軽く、スケッチをすればよいのだ。

「お父さんは、いつものことを、描けばいいねん」
これは、ムスコの言葉だ。

そのムスコは、

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とにかく、お姉さんと遊ぶのが、

楽しかったようです…

帰宅して、
今日描いた絵を整理してたら、
過去に描いたのが、
出てきた↓

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そのまま、描いたのだ。
これ以降、
さらなる悲劇が、どれくらいあったのだろう?
今も、あるのだろう?

沖縄の海、福井の海、京丹後の海、
描きたいです。
いつか、スケッチ旅行に行きたいです。

何故、太朗の「So What?」なのか

何というか、
突如として、今までの人生を、
無かったことに、したくなる瞬間があります。

今日が、そうでした。

 

例えば、
経験してきた恋愛とか、
そういうもんを、全て忘れたい。


いい機会なんですね。
そういう時は、

根本的なことに、言及するチャンス。
だから、そもそも、

何故このブログのタイトルが、
「So What?」なのか、書いておきます。
手短かに。

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↑有名な、フリーペーパーなんで、
ご存じの方も、多いと思うんですけど、
滋賀から、全国に発行されてる
「ナナイロつーしん」。
この号に、
ホンマ、

「だから何?(so what?)」


としか、言いようのない、記事があったんですよね。

曖昧な記憶なんですけど、


確か、滋賀に住んでる人が、
京都のハンバーガー屋さんに行って、
普段口にしない、
どっちかいうと、避けている、
添加物入りのジャンク・フードを食べ、
案外、その状況を受け入れてしまった。
良かった、楽しかった。

…みたいな話。

ホント、
思いましたよ。
「だから、何やねん」と。

でも、人生ってそういうことが、大事なんやないかと、
思いましてね。
私たちは、
言うほど、洗練された時間を、

生きているわけではない。
日常というのは、
デタラメで、関連性のないエピソードの連続で、
その中で、

人は、
その人なりに問題意識を抱えて、生きている。

ランダムに、
時間の一部を切り取って見ると、
本当に、


「だから何?」


と、しか言いようのないしろもんだ。
8ミリフィルムの、2,3枚ですもんね。

 

マイルス・デイビスは、曲で全てを表しています。

www.youtube.c



感じることがあれば、

なるべく書き残しておこう。
ただし、自分は、
誇るべき、小学生のような頭の中で、
今、政治が重い問題を抱えていることにだけは、
鮮明な意識がある。
コレは、現実ですもんね、今。
「法」が支配してる世の中で、
「票」を得体の知れないやり方で、
奪い取った人間が、
私たちを標的に「法」
を作っていることは、間違いないようだ。
だから、雑多な日常が、
すべて、

明確に政治に繋がっていることを、
書き表せなければ、
現代において、
物事を表現している、意味がない。
でないと、
何を書いても、
途端に、古臭くなってしまう。

…そんなメッセージを、

仲間たちに伝えた、

記念すべき日が

確かあったんですね↓

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滋賀での出来事です。

去年の10月9日。
その時も、自分は、
一か月くらい、
誰にも心を開けなかった状態の後だったと、

記憶します。

突如として、今までの人生を、
無かったことに、したくなるような。
それこそ、
失恋に近い症状だったのでしょう。

 

きっと、自分は何もかも、

しっかり覚えてるし、
これからも、覚えてるんだろうと、
思います。

親愛なる、まだ見ぬ人たち、
どうぞ、ご期待ください。

お気に入りのお店~パンフルート~

たまには、よく行くお店とかも、

書いてみようと思うんです。
今日は、
京都の醍醐にある、
パンフルート」です。

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うちのムスコとも、チョイと縁があり、
よく行きます。
もう凡百のパンは食べられなくなる、
おいしさと安心素材のパンです。

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↑これは、レーズンボールかなあ~
丸くて、かわいくて、おいしい。

 

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↑やっぱり、シンプルに食パンが一番!


パンフルートに寄ったあとは、
子どもと、平和堂の吹き抜けに、
よく、行きます。
ボクは、吹き抜けとか、踊り場とか、渡り廊下とか、
大好きなんです↓

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移動は、車。
共謀罪はひつようないことを、訴えます。
雨で、濡れましたね。
プラカードはたくさん作ったので、
貼りかえないと。
13日にも、強行採決
冗談じゃないよ!↓

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吹き抜けから、移動。

初めて行く公園、
初めて見る遊具で遊ぶ、

子どもたち↓

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この後は、
図書館に行ったり、
また、別の公園に行ったり。
ボクは、考えごとを始めたので、
子どもたちは、
面白いことをしていたはずなのですが、
覚えていません。
人生って、そういうもんですね。
でも、それが幸せの一部分です。
ボクは、世界一幸せな人間なのではないかと、思うんです。
ボクには、傷ひとつありません。
だから、何とかしないと。

 

オマケです。
ムスコ原作、作画ボクのマンガです↓

なんのこっちゃわかりませんが、
そういうのが、

案外良いのかなとも、思います。

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オマケのオマケ。
ボクの部屋の壁。
ムスコとボクが描いたマンガやら、
思い出のポスターやら、チラシ、
スケッチ、歌詞等でいっぱいです↓

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ムスコの描いたマンガなんか、
またアップしたいですね。

おしまい