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半浦太朗のSo What?

気楽に書いてますので、気楽に読んでくださいね

何もない、春の午前

 

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午前中、

気分転換に、コンビニへ行って、
立ち読みをしていると、
「お父さ~ん」と言いながら、
ムスコがやってきたので、びっくりした。
「お母さんに、ちゃんと行くって言ってからきたのか?」ときくと、
「ちゃんと言ってきた」と言う。

二人で、つくしをとりに行くことにした。
だが、探すと見つからない。
「探すとないなあ」と私は言う。

近所で、一番広い公園に行く。
やはり、つくしは見つからない。
「お父さん、ブランコ押して」とムスコは言う。

もう興味が、つくしからブランコに変わった。
「みっちゃんが、いーひんから!」

妹の面倒やワガママにつきあわなくても良い、

開放感を味わっている。
「次どこ行く?」とムスコは言う。
「散歩しようか?」と私。アテはない。
公園沿いの車道の向こうに、宇治川の土手が見える。
柵が立てられているが、散歩している人は、たくさんいる。
「土手を散歩しよか?けど、どこから、あの柵の向こう側に行くんかなあ?」と私。
「だいちゃん知ってる!」ムスコは、そう言って駆け出す。

そういえば、近所のオジサンに遊んでもらったとき、
宇治川の方まで来たと言っていた。
「たしかあ、このへんやったと、思うんやけどなあ…あった!」
本当に、柵が途切れて、大人ひとりが通れるところがあった。
(こんなとこ、あったんやなあ)私は、全く知らなかったので、驚いた。
ムスコの案内で土手へと登り、手をつないで、川沿いを散歩する。


「大人と一緒のときだけやで」という約束で、
川岸まで近づいてみた。
浅瀬にカメがいる。
しばらく、ふたりで眺める。
「上がってこうへんかなあ」ムスコ
「上がってきたら捕まるし、上がってこうへんやろ」私

ムスコは、カメが陸地に上がってくるのを、じっと待っている。
「カメさんは、臆病やし、上がってこうへんよ。もう行くで!」私はその場を立ち去ろうとする。
ムスコは、しぶしぶ着いてくる。
「カメ飼いたい…」と小さくつぶやく。

雲ひとつない、空を見上げると、高い所に送電線が。
「電線はどこにつながってるの?」ムスコ
「おうちと、発電所につながってるねん。発電所で電気を作って、
家まで送ってるねん」私
「げんぱつって、発電所なん?」ムスコ
「そうそう、原発発電所原発は、あぶなくて間違ったやり方で、
電気を作るから、今、みんなでそれを止めるように、がんばってんねん」私

 

かなり歩いたので、
行きとは違う道で、帰ることにする。

ムスコはまだ、通ったことのない道だ。
「大阪まで行ってしまうんちゃうんかな?」不安そうな、ムスコ。
実は、家はもうすぐそこなのだ。
うつむいて歩いてるムスコは気付かない。
「あれを見てみ、カステラ屋さんやで」私は、ムスコの肩を叩いて促す。

「ほ~んまや、家に繋がってた!」
不思議なのと、安心したのとで、
ムスコはスキップし、

私を置いて、家に駆け出す。
もう、ムスコが知っている道だ。
二人だけの小さな冒険、終了。
おつかれさま。
楽しい一日が、はじまるね。

ええねん

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私は、いつでも悩んでいる。


明日の朝に食べるお米を、二合半にするか、三合にするか?
降水確率が30パーセントなので、洗濯物を外に干すか、中に干すか?
全ての部屋に、ホウキをかけるか、手抜き掃除の日にするか?
ゼ―タクに、ドリップコーヒーにするか、インスタントですますか?
愛の告白を、するかしまいか?

そうそう、昨日あたりから、ムスコとの関係が非常に良好。
何故かと言うと、

気付いたのだが、ムスコとムスメがケンカしているときは、
ほぼ、95%くらいの確立で、ムスメが悪い。
大概、お兄ちゃんの使っているモノを、ムスメは理不尽に横取りする。
なんせこちらも、ケンカの勃発した瞬間は、中々見られないので、
どうしても、体の大きいお兄ちゃんが、何かしたのかなと、
思ってしまう。
(ゴメンナサイ)
それに、言えば話がわかるのは、ムスコのほうやし。
二人に対しての説教でも、
ついつい、ムスコの顔を見てしてしまう。
ムスメは、ふんぞり帰って、
そのかわいさだけで、
自分の身を守っている。

しかし、ほとんどの否がムスメにあることに、
気付いてからは、モメ事が起こるたびに、
ムスコにケンカの原因を尋ね、
妹が悪いと言うならば、彼女から離れさせ、
4月から、小学生になるムスコなのだが、赤ちゃんのように抱っこし、
「泣かない泣かない」とあやす。
(無論お互い、どっぷり本気というわけではなく、どこか芝居がかっているし、
ムスコが悪いときは、ちゃんと怒る。見誤っている可能性も、そらあるけど)

そんなことを心がけてから、ムスコは一層、私になつくようになった。
今日も、晩御飯の食材を買いに行くのに、
意気揚々と着いてきた。
手をつないで、
日暮れの道を、二人で歩くのは楽しい。

300グラム弱のから揚げ用鶏肉が、半額だったので、
2パック買って、帰宅。
今夜はから揚げ(風)だ。

私は悩む。
どんくらいの量を作ろうか。
ムスコは大ハリキリ。

私を手伝おうと、
エプロンに三角巾姿で、
台所に立っている私の真横に、ピタリとくっついている。

「2パック全部、から揚げにしよかな?余っても、明日食べたらええしな」私はムスコに尋ねる。

「ええねん!」ムスコは言う。
「でも、明日にまわしたら、べチャべチャして、おいしくなくなるかな…」私
「そしたらあ、1ぱっくと、半分作ったらええねん」ムスコ
「そしたら、ハンパに余るしなあ…1パックでええかな?」私
「ええねん!」ムスコ
「でも、1パックやったら少ないかなあ」私


「どれでも、ええねん。お父さんはもっと、しんぷるに考えたらええねん」

頭に、電気ショックが走った。
彼は、とてつもなく重要なことを言っている。
2パックだろうが、1パック半だろうが、1パックだろうが、良いのだ。
どの道を通っても、たどりつく場所は、結局同じ。
心さえしっかりしていれば、結局は、ちゃんとおいしく頂けるのだ。
だから、シンプルでありさえすれば良いのだ。

(仙人かオマエは…)
私はムスコに思った。

またひとつ、教えられた。



まあ、食べ物の放射能汚染だけは、
シンプルに考えないんやけど。

とかくこの世は無責任

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♪オレは この世で一番、
無責任と言われた男

ガキの頃から 調子よく

ラクして 儲ける スタイル!

 

植木等(イメージ上での)
が好きなボクにとって、
「無責任」という言葉が、すっかり否定的な意味でしか、
使われなくなったのは、寂しい。

 

♪とかくこの世は無責任 コツコツやるやつぁ、ゴクローサン!

 

狂猫ノリはどこへ行った?

現在は、誰もが責任を取り過ぎている、責任社会だ。

ボクは無責任ですなんて公言してしまったら、誰も笑ってくれないだろう。

皆、「責任をとれ」という言葉で、お互いをがんじがらめにしている。

 

でも、経験的に、

やたらと他人に「責任をとりなさい」という人は、
マイペースで、要領が良くて、お調子モノな人が多かった。

こういう人は、

無意識に地雷をよける術を心得てるとか、
経済的に恵まれてるとか、

寂しさに不自由しないとか、

酒に強いとか、

その他イロイロ、何だかよくわからない、

ささいな、プラス要素を持っていて、
「自分はシッカリやっている」という自負が漠然とあるので、
人に圧を押し付けることに、ためらいがない。

信念さえあれば、責任をとるストレスは、さほどのものではない、

とタカをくくっている。

(比較的、男性に多かった気がする…)
そういう人も、それなりに憎めないのだが、
オレにはメーワクでしかなかった。

「責任をとりなさい」くらいなら、まだマシかもしれない。

ヘタをしたら「人には責任というものが、あります」とか、
人が責任を抱えて、この世に生まれてきたような、
言い方さえある。
んな息苦しいモン抱えて、生まれてきたのだとしたら、
オレは生まれる前の、なんかわけのわからん、混沌とした場所だかに、

帰りたい。

 

原発に関して、
「誰も責任をとらない」という言葉をよく聞くが、
多くの人間を苦しめた、

あんな恐ろしいものが、

まだこの世に存在し続けていて、何故いまだに、

動いているのかを考えてみれば、
それは責任を持って、あんなものを作ったからだ。

いくらなんでも、

「こんなもん、作ったらヤバイ!」

と、組み立ててる最中に、何人かは思っただろう。
社会の授業で原発のことを習ったとき、
小学生のオレでも、やばいと思ったくらいだ。

給料と同調圧力くらいでは、人はなかなか動けない。

皆、責任感がありすぎて、投げ出すことができず、

「やばいよ、作らんと、もうほっとこうよ」とは言えなかったのだ。

電力会社のアルバイトの上に社員がいて、その上に社長がいて、
社長は政治家とつながっていて、日本の政治家はアメリカの政治家と

つながっている。

叡智に満ちた、小学生の頭で考えれば、すぐにわかる。

人を責任の固まりみたいな人格に追い込むのは、
圧政だ。
間違った政治が必ず、存在するのは、
今さら誰の目にも明らかで、

はっきりとおかしいポイントはそこだけだ。

私たちに、責任を強要している大元は、
狂気的な、間違った政治なのだから、
そんなモンにマジメに同調して、責任感のある人間になる必要などない。
皆、小泉純一郎の「自己責任」という言葉を、
あれだけ嫌っていたではないか。

 

人に責任を問うくらいなら、
抱えている責任から、人を解放するように、
働きかけるほうが、まだ世の中をマシにしそうな気がする。
オレは決して、大臣とかに、
「責任をとって辞任せよ!」とかいう言い方はできないだろう。
「アンタ、もう辞めたらええんやで、その方がラクやで。責任とらんですむし。
したら、そんなワケわからん嘘つかんですむで」とか言ってしまいそうだ。
(これで、オレが政治家とか活動家に全く向かないことが、証明できただろう)

 

今、思い出したのだが、
ずいぶん前の話で、

フットサルの試合の約束をしていて、

対戦予定のチームが来なかったことがある。
おかしいと思って、
相手チームの広報担当に電話したら、
「ああ、ああ、ああ」という感じだった。
「この責任を誰がとってくれるんですか!」と言うと、
(この言葉も、もはや冗談だった)
何となく、電話は通じなくなってしまった。
後日、広報担当(そもそも、友達なんです)の彼に会うと、
シャツをぺロリとめくり、

背中を見せ、
「バイクでこけてん、それで行けなくなってん、ゴメンな」

と言っていた。

(キミがバイクでこけたことと、チームが来なかったことと、何の関係があるのだ。
ほんで、背中無傷やし)
突っ込みたいところは、いくらでも会ったが、もはやバカバカしくなり、
追求するのを、止めた。

平和そのものである。

(とはいえ、思い出したらハラが立ってきたが、まあ、それはそれだ)

 

それでも、誰も責任をとらなくなったから、

世の中がおかしくなった、という意見は根強いかもしれない。

そんなことは、ない。
みんな、マジメやで。
結局、誰かが責任をとっている。
一度、誰も責任をとらない世の中を、
実験してみたらどうだろう?

 

そしたら、こんな言葉が出てくるはずだ。
今の世の中に不足している言葉。

「あなたのせいじゃない」

 

 

 

『オッサン』として生きるということ

 

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『オッサン』
それは、この世で一番、どうでもよい存在だ。

 

あれは、いつの日のことだろう?
子供乗せ自転車をひとりで使って、

近所の生協に買い物に行ったとき、

駐輪場の、何もないところで

勝手にこけ、
自転車の下敷きになったことがある。
すると、70代くらいと思われる、
ひとりの老紳士が、真っ青な顔で駆け寄ってきて、
「お子さんは!」と私に言った。
「子供は乗せてないんです」と下敷きになったままの、私が答えると、
「ああ、それなら良かった!」と、
大変爽やかな笑顔で、
老紳士は、その場を足早に去っていった。
足の何かやわらかいとこをふんずけている、自転車の充電器の重量感が、

悲しくも痛かったのを覚えている。

私は、この時の老紳士をリスペクトしている。
この世で優先すべきは、子供、女性、お年寄りだ。
オッサンの存在など、どうでもいい。
(だからと言って、バンバン危険な場所に送り込めということではない、
日常レベルで、どうでもよいということだ)

 

話は、少し飛ぶ。
私の生活のルーティーンは、子供を保育園に送った後、
前述の生協での買い物と、もうひとつはローソンに行って、

コーヒーと新聞を買うことだ。

ここのローソンのお兄さんは、異様なまでに、サービスが良い。
私が新聞を片手にレジへ向かうと、もうコーヒーが用意されている。
「今日は産経新聞ですか?」とか声をかけてくれる。
色白で、爽やかな笑顔で、まるでバンプオブチキンだ。
一度、「袋はご入り用ですか?」と聞かれたことがあるので、
たまたま「いらないです」と答えたら、
驚異的な気遣いで、その後全く袋をつけない。

気の小さい私は
「やっぱつけて下さい」とは口が裂けても言えない。

コンビニ。
ディス・イズ・コンビニ。
コンビニの中のコンビニ。
便利とサービスの洪水。
その中に溺れる、オッサンの私がいる。

しかし、何事にも対極というものがある。
20年ほど前、
京都の木屋町を、友人と二人でブラブラしていて、
入ったことのない、沖縄料理の店に、
思い切って入ってみようということになった。
のれんをくくった瞬間、後悔した。
千葉真一を思わせるオヤジさんが、
典型的な板前スタイルで、包丁を握りしめ、
私と友人を鷹のような鋭い眼光で睨みつける。
当然のごとく、
「いらっしやいませ」などない。
言うまでもなく、客は、ひとりもいない。
「今さら逃げられない」私と友人は思った。

なるべく、オヤジさんから遠いテーブル席に座った。
注文を全く取りにこないので、
着席したまま、
オヤジさんに向かって、大声で、泡盛と耳ガーと豚の角煮を注文した。
(大声がオヤジさんの気に障ったのではないかと、ビビった)

しばらくして、
泡盛と耳ガーが出てきたので、
私と友人は、当たり障りの無い会話をしながら、
チビリチビリとやっていた。
豚の角煮はなかなか出てこない。
しかし私たちは、こういうことに関しては、気が長い方だったので、

おいしい豚の角煮が出てくるのを、ゆっくりと待っていた。

そのまま、一時間半が経過した。

 

この間ずっと、客は私たちのみだ。
「言ってもええよな?」私は友人に言った。
「ええんちゃうか?」友人は言った。
私はオヤジさんに、
「あの…豚の角煮まだですか?」と何故か愛想笑いをしながら、
声をかけた。
「今、作ってる!」
オヤジさんはドスのきいた声で叫び、

額に脂汗を流しながら、鍋と格闘していた。
真剣である。
その後すぐ、豚の角煮は出てきた。
うまいのだが(余りの空腹に、多分何を食ってもうまかった)

やけに、量が少なかったのを覚えている。
残された問題は、ボラれたのかどうかということだけだろう。
これが、寄りに寄って適正価格だったのだ。
高くも、安くもない。
(いっそボッてくれ)私は思った。
余分に金でも払わなければ、救いようがない話だ。

 

私は、この沖縄料理の店のオヤジさんを、リスペクトしている。

オッサン(よく考えたらこの時、私はオッサンではなかったので、
‘大の男’くらに拡大解釈しよう)に、サービスなど不要なのだ。

 

オッサンに優しくする必要など、全くない。
オッサンが入りやすいように場所を作る必要など、全くない。

オッサンにおいしい料理を作る必要など、全くない。
オッサンの話を聞く必要など、全くない。
オッサンのおすすめする本を読む必要など、全くない。

オッサンに贈り物をする必要など、全くない。

オッサンを悪く言った後をフォローする必要など、全くない。

 

 本質的に、オッサンは世の中に不要なのだ。

 イザというとき、オッサンの救助は、一番後回しにされる(人間の本能だろう)のが何よりの証拠だ。

にも関わらず、この世はいわゆる「男社会」(オレが住んでるこの島だけの話?)
というやつである。

オッサンたちは、自分たちが本来、無用の長物であることに、
無意識レベルで気づいている。

それではマズイというので、オッサンたちは、歴史の中で無意味に抵抗を重ね続けた。

結果、

作られたのが、この古臭~い「男社会」なのだ。

オッサンたちは、自分が役に立たない人間になることを恐れている。
有用な人間であろうとすることに、やっきになっている。
だが、本質的に不要なのだから、んなモン抵抗しても、どうにもならないのだ。
そんなテンパった心では、せいぜい大切なものしか守れない。
人間が、役立たずであることを恐れる必要など、全くないのに、恐れてしまうのは、

オッサンたちが形成した、テンパった社会のせいであり、
誠に、オッサンたちは、自分で自分の首を絞めている。

 

『オッサン』
それは、この世で一番、どうでもよい存在だ。

この思いは、今も揺るがない。

そんな私も、この間41歳になり、
『不要な存在であるオッサン』という、厳しい道のりの

第一歩を踏み出してしまった、というわけだ。

 

 

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父が死んでから、20年近くたつ。
あれは、ダイアナが好奇心に惨殺された日だっただろうか?
少し、日がずれていたか…?
8月の終わり。
暑かった。

父はその時代の人としては、背が高く(178センチあった)
同級生の子供たちは、皆、彼を見上げ、

「おっちゃん、2メートルくらいある!」と、びっくりしていた。

数少ない、若い頃の父の写真を見ると、

自分なんか、吹いて飛んでしまいそうな、ハンサムで、
(俳優の阿部寛似の甘いマスクだった)
撮ってる人を斜めから、見ていた。
斜にかまえているという意味ではなく、
シャイだった父は、いつも、はっきりとは人と目を合わせず、
体ごと、逸らし気味に接するような感じだった。
結果的に、父には流し眼の印象がある。

 

父は、戦中の食糧難を体験していた。
青年期までは、北海道で過ごしていたらしい。
空襲などの被害は受けることは無かったようだが、
小学生くらいのとき、干しバナナを食べ、
「この世に、こんなうまいものがあるとは!と、思った」

と言っていた。


手塚治虫のマンガに、
「すきっぱらのブルース」というのがある。
創作かもしれないが、やはり戦後の食糧難の時代、若い手塚治虫が、
女の子との決定的なデートの約束よりも、
知り合いに、ご飯を奢ってもらう約束を優先してしまい、後悔するという、
内容だった。
中高生くらいだったボクが、
手塚治虫がこんなこと描いてる」
と、何の気もなしに、父に見せたら、
「わかるなあ…!」と眉間に皺を寄せてつぶやいた。
その瞬間、当たり前に存在していた父が、自分には理解しようもない、

昔の国からやってきたような気がして、遠い気持ちになったのを覚えてる。
(ボクは父が40歳くらいのときの、子供。これも当時としては、珍しい)


とはいえ父は、
日常的には、あまり悲壮感というものが存在しない人で、
万年最下位、暗黒時代の阪神タイガースを平気で応援する、
度量の広さがあった。
とは言え、タイガースが負けることは、
やはり面白くはないようで、
狭い市営団地の一室で、
妙に写りの悪いKBS京都中継の阪神戦を見ながら、
不機嫌そうに、ゴロリと横になっていたものだった。
そんな光景に嫌気がさし、読売が何なのか、
よくわかっていなかったボクが、巨人ファンになったのを見て、
「小さいときは、掛布掛布言うてたんやけどなあ…」
と、ぼやく父がいた。

 

晩年の父は、借金まみれだった。
定年後に、勢いのみで、喫茶店を開いてしまったからだった。
(自分が知りうる限り、史上最低の喫茶店である。
史上最低など、中々できることではない)

全く借金を返済しないまま、
病気で入院してしまったため、
返済の義務は実質ボクにのしかかり、
ふらふらしていた20歳ごろ、あっけなく
望まない職業に従事することになり、
このことが後に精神を病む遠因になった。
(にもかかわらず、父を恨む気持ちは、今に至るまで全くない)
しかも、借金を返済するために、借金をするという、
典型的な自転車操業をしていたことが、
入院後に発覚し、
周りの人間たちは、
「女でもいるんやないか!」と強烈な悪意をこめて、
叫んでいた。

父の妻に対して、常に焼けた鉄の塊のような復讐心を抱いていたボクは、
その汚いセリフに対して、
空を飛ぶような開放感を覚えた。
(そうやったらええのに、ホンマにそうやったらええのに)

残された、たったひとつの謎は、
父は何故、ボクをあれほど無責任なまでに信用していたのだろうか?
ということだ。
「好きなようにしたらええ」
とよく言っていたが、
ただ、アレコレ言うのがメンドくさかっただけではないのか?
それやったら、アンタにもっと好きにして欲しかったですよ。
それとも…好きにしてたん?
いや、どれほどか苦労してたのか…?
教えてくださいよ。

父が死んでから、
一枚のハガキが届いた。
北海道時代、父は教師をしていたらしく、

その生徒からの便りだった。
便りの主は、父が死んだことを知らずにいた。
ハガキには、
「14歳の子がなぜ…?先生(父のこと)が良かったのでしょうか?」
と記されていた。
神戸で起こった、理解しようのない事件は、
真実が報道されていたのどうか知らないが、
日常を優しく生きている人間には耐えがたいものだった。
父は、ある人間が抱えてしまった、どうしようもない気持ちを、
投げつけることができる人物だったのだ。

そんな父を、私はソンケーしている。

オレは今でも病んでいる

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精神を病んでいたことがある。

具体的に言うと、精神科に通院し、投薬治療を長いこと続けていた。

病から抜けかかる頃、自己治療の一環に、

自分が病にかかった過程を文章に起こして洗い出す、という作業をしたことがある。
原稿用紙にして、300枚くらいだろうか。
買いたてのi-mac(懐かしいねえ)のキーボードを毎日毎日トントントントン
叩いてたものだ。
それを今回、無理やり1,2枚くらいにまとめてみようと思う。

精神を病んだ理由は、

金を騙し取られたショックによるものだ。
だが、今回それは無視することにする。
そんなことまで、逐一書いていたら、収集がつかない。
心の病いを語るのに、重要なのは、理由よりも原因。
理由を語ると、単なるドキュメンタリーになってしまう。
原因を語ってこそ、So Whatだ!

何故自分は病んだのか?

答えはカンタンだ。帰るところを間違えたのだ。

 

主治医の移動で、京都の府立医大から、かなり北部の病院に転院させられていた。
入院ではなく、通院なので、なおさら大変だった。
その後、病状はひどくなり、いよいよ、入院、見学というところで、
とても親切な入院患者に話しかけられたことから、
何故か、抱えていた恐怖が100倍になり、見学の最中にダッシュで院内から脱走したので、
入院することが、できなくなってしまった。

そしたら、どこに帰るのだ?
家に帰るしかない。
父は死んでいて、その妻がいるのだが、
私はいまだに、父の妻を本来の言い方で呼んでいない。
私は極端に太く、朗らかな性格なので、自分を支えるのは、自分自身で充分だった。
(経済レベルの話は、ちょっと置いておく)
ところが、父に妻がいると、私はそれに役割を見なければならない。
その人物が、自身を支える術を何も持たないとしたら…
道連れである。
それに「役割」がある限り、軟禁と言葉の暴力を私は受け続けることになる。

 

心を病む症状は、人の数だけある。
これは、今でもなのだが、閉所恐怖に近い。
飛行機はおろか、「のぞみ」でも怖い。
広島→京都の新幹線で、ちょっとおかしくなり、
ものすごい手汗をかいたのを、覚えている。

沖縄に行きたいと思ってるのだが、これがネックだ。
一番の解消法は自分で運転することだが、
ちょっと難しそうだ。

 

最後にかかった医者には、5、6年くらい通っただろうか?
そこは、精神科でなく診療所という看板だった。
自分から言い出したことだが、
投薬から抜け出す努力が必要だった。それは通院の終わりを意味する。
デパスメレリルソラナックス…薬の名前も何となく覚えている。
10年も飲み続けた薬を止めるのは、千里の道だった。
投薬の終了は、ハーブティー
心底、ホッとしたのを、覚えている。

だが、薬を止めたからと言って、終わったわけではなかった。
必要なことは、全ての決断を自分で行うことだった。
私は、私の人生で必ずやらなければならないことをした。
それは、家との絶縁だった。
絶縁の決断を精神科医に相談することは、なかった。
それは偶然の事故によるものだったが、
もし、家との関係を断ち切ることを、精神科医に相談していたら、
私は今ごろ、苦しみから逃れられなかっただろう。
世間からは、轟々たる非難を受けた。

自分以外に、自分の味方がいない状態が続いた。
しかし、孤立させられたことを、特に恨んではいない。
どうしようもなく、孤立するという状態を学んだのは、
良い教訓だったし、
だから、今日もどこかにある孤独を思えるのだ。
ホンの少しでも。
さあ、どうする?
と、自分に問いかける。

 

料理バンザイ

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つい最近、
料理がキライだ、とか書いた気がする。

それが、こないだ、とむやんと喋ったことが
きっかけで、料理が好きになってしまったかもしれない。
料理ギライは、特に治す必要性も感じていなかったし、
「料理ギライの主夫」
というのも、変わり種で何となく気に入っていたのだが、
「料理好きの主夫」になってしまうと、
これは、全くの普通だ。
平凡もここに極まれりだ。

ここのところ、特に料理をするのがイヤだったのは、
間違いなく、ムスコが原因だ。
とにかく、うるさい。
よく人に言うのだが、
ムスコ=海原雄山
オレ=山岡士郎
この構図だ。

まるで逆なのだ。
(誰もが、マンガ『美味しんぼ』を読んでいるはすだという前提の例えだが…)
少しでも口に合わなければ、
「おいしくない!」(しかも『なってない!』くらいのニュアンスをも、何となしに込めて)
この調子だから、常に父がムスコに異様に気を使っている。
なぜ抵抗しないのか、自分でもわからない。
そして、子供なら誰でもそうだが、
好き嫌いが多い。
彼のせいで使えなくなった、もしくは、よけて食べないといけない、食材。
魚全般、パスタ、脂身の多い肉、香辛料、ネギ、生姜、土鍋で炊いたお米のコゲ
…他にも、まだまだあったはずだが、思い出せない。

自分は素材にこだわらない方ではない。
放射能と農薬から、懸命に逃げている。
米は伏見の山田ファームの無農薬米と、市販の特別栽培の減農薬米。
野菜と卵と乳製品は、保育園の共同購入で、安全農産というところから、いわゆる安心安全のパックセットを頼んでいる。
肉は、なるべく抗生物質とか使ってないものを、頂いている。
魚が食卓に上がることは少なく、ごくたまに、気休めかもしれないが、
日本海側で捕れた、養殖でないものを使う。
調味料も、決まったものしか使わない。
言いたいことは、こだわっています、ということではなく、
原発への怒りだ。

ミスター味っ子周富徳美味しんぼ、なんちゃってマクロビ、重ね煮、若杉ばあちゃん、いろんなモノに手を出したが、
結局、クックパッド(料理の検索サイト)に落ち着いた。
[そういえば、クックパッドレシピを、一冊の本にしました!というのをコンビニの雑誌コーナーで見たことあるが、あれは意味があるのだろうか?]
ところが、夕食の支度のたびに、
いちいち、食材を入力して検索するのが、
かなりの苦痛になってしまい、
これもまた、ムスコのうるささと共に、
料理ギライに、拍車をかけていた。

とむやんとは、恋愛の話をしていて、
「相手に、自分ソノモノが出せなければダメで、それは料理も同じ」
と、ちょっとしたアドバイスをもらったのだが、
これが、実にアタリのアドバイスだった。

自分らしい、料理とは何だろう?
と、ふと立ちどまって考えた。


それは、あの日のガッツ石松だ!

 

…と、いう結論にすぐ達した。
テレビの話で申し訳ないのだが、
おそらく、ゆうに20年前くらいみたテレビ番組で、
ガッツ石松氏が、
その名もズバリ、
ガッツ・カレー」というのを作っていた、
記憶が正しければ、
強気のスパイス配合に、
(いや、スパイスではないか?あれは単なる、カレー・ルーだったか?)
容赦なく、味付きのサバ缶とかをブチこんでいた。
しかも、何故か、野外でたき火で煮込んでいたような気がする。
ガッツ・カレーを口にした人たちは、
口々に「うまい!」「うまい!」と叫んでいたが、
おそらく味覚を感じる神経のようなものが、
ズタズタにされていたのだろう。
しかし、ガッツ・カレーの成否はともかくだ、
その感性にまかせた、博打打ち的な料理のあり方に、

ボクはタイヘンな自由を見た。

自分は、本来そういうタイプの料理人だったのだ。
「うまく作ろう」とするからダメなのだ、
(何か、自己啓発ブログみたいになってきた)
「おいしくない」という感想はいらない。
「うまい!」か「まずい!」
どちらかで結構。
まずかったら、ゴメンナサイ。
それが、今日のお父さんなのだ。
得意料理はない。
いつでも、その場限りのモンしか作れんよ。
だが、すべてがマイペースというわけでもなく、
ムスコの突然のリクエストが、自分にとってスリリングなものなら、
それは受けて立つ。
(以前、いきなり、柚子大根のリクエストされたのに答えたときは、とても楽しかった)

すると、不思議なことに、
開き直ってからの料理は、
ストレスもグッと減り、

ムスコもムスメも、おかずのみならず、

何故かお米までも、バクバクバクバク食べるようになった。
何より、失敗しても、それはそれと思えるようになった。

 

何を作ったかな?
白菜と豚肉を、料理酒と塩だけで煮込んで、
さらにまた塩をふって、食べる料理はうまかったな。

以前なら、ここでポン酢とか作っていたが、
作らない。

もちろん、料理の名前はない。
強いて言えば、タジン鍋とかに近いか?


~まあ、その日の気分、体調にもよるので、
またイヤにもなるだろうし、
煮詰まりもするんやろうけど、
今はとにかく、
料理バンザイ!です。