たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

宮古島、ジェンダー、野党共闘、愛、平和

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ごく身近な人が宮古島に行き、帰ってきた。

この2021年11月14日、
宮古島に建設された自衛隊の訓練場に、
大量のミサイル弾薬が運び込まれることは、
私も知っていた。

彼女から、
ミサイルが運びこまれた翌日の、
夜の島の様子を聞いた。

弾薬庫は、
村落のごく近くにあり、
不気味なほど静か、
そして、こうこうと明るかったそうだ。

穏やかな村落は、
人々がすやすやと眠りにつく場所。
畏怖しなけれはならないような、
暗さの中、
不自然なまでに、
明るい弾薬庫を間近に見ると、
ごく自然な感覚で、

「これは、あかんやろ」

と無心に思えたらしい。

それを聞いた私は、
「ああ、この感覚を本当に大切にしたい」
と深く思った。

「これは、あかんやろ」

この、
論破されてしまおうと思えば、
カンタンに敗北してしまう言葉。

私自身、
東アジアの地図を上から見下ろしたとき、
悪夢のような中国共産党の存在と、
オモチャみたいな防衛ラインが見えて、

「これは、あかんやろ」を、

簡単に覆してしまいそうだ。

でも私は、
「これは、あかんやろ」
という感覚を一生大切に持っていたい、
この感覚を、多くの力で守りたいと思った。
きれいごとではない。

単に、
追い込まれた私が、その道を選択しただけなのだ。

ジェンダーレスが、
鬱陶しく言われてるこの時代に、
言いにくいことだが、
「これは、あかんやろ」
と、恐怖することが出来る感覚は、
女性性の方にこそある気がする。
だから私は、
間接的に、
人を殺さねばならないような、
決断をくだす
破目になるかもしれない、
政治決定の場に、
女性性を持つ友人を、
送り込みたくはないし、
無理くり、
送りこんだところでどうするのだ?
他にもっと、
良い方法があるだろう?と思う。

***************************************

宮古島の話を聞いた後、
自分の住む京都を思うと、
妙な気持ちになる。

私の地元では、
先の選挙で、
第一野党の若手政治家が、
憲法改正に対抗するための、
一回きりの反則技であったはずの、
野党共闘という、
自民党公明党でさえなければそれで良い」
という、
何がやりたいのか全くわからない、
イデオロギーですらない熱狂のドサクサで、
莫大な得票数を確保し、
対抗馬である、
女性候補(自民党の女は女にあらずなのか)を、
全く問題にせずに破った。

この何処をどう切っても、
信用のできない、
マンガの悪役みたいな、
若手政治家は、
その地道に積み上げてきた努力で、
もはや政界のトップの位置すら、
薄らと見えてきたようだ。

こんな男が、
政治のトップに近づいたところで、
宮古島のミサイルはどうなるわけでもない。
我を忘れてしまった無数の選挙権達は、
実際、
この国の何をどうしたいのか、
戦争と平和の最前線が何処にあるのか、
全く深く考えないまま、
こずるい奴を、権力の座に押し上げていく。
(今の自由民主党のトップが、
権力を握らされるようになったのも、
似たような衝動からだろう)



数年前と、
同じことを言いたくないのだが、
野党共闘とは何なのだろうと思う。

「闘!」

誰にもわからないだろう。
本音の部分で、
‘与党を引きずり下ろしたい=権力を我がものにしたい‘’
以外、何も中身がないからだ。
何もないことに対して、
賛同のしようがないことくらい、
人は勘でつかみとれる。

人間全員に、
PCR検査をすれば、
新型コロナウイルスの危機が、
克服できると、
心の底から思っているのだろうか?
コロナ渦の中で、
たった一度の青春を
過ごさなければならなくなった若者のことを、
真剣に考えて、
そのようないい加減なことを、
言ってるのだろうか?



宮古島の今を聞いて、思う。
そもそも、
人は一体何がやりたいのか?
そもそも、
人は一体何がやりたかったのか?

愛のために、
平和のために、
生きているはずではないのだろうか?
忘れてしまったのか?

愛と平和。
それは、特に誰にというでもなく、
自然に存在する感覚のはずだ。
だというのに、
愛とか、
平和とかいう単語が
奇妙に神聖視され、
だからこそ、
安っぽく使われるようになった。

私は、
愛とか、
平和とかいう言葉が、
大きらいになってしまったのだ。


大阪維新について

松井一郎や、
吉村洋文の発信を見るたびに、
ポピュリズムの精神構造というのは、
弾を込めたらすぐ作動する、
速射砲みたいなもので、
熟考は邪魔になるのだなと思う。

自分には、
大阪維新(どこまでも『大阪維新』なのだ!)
の、冷血性に対しては、
軽口を叩けない、という思いがある。

なぜなら、
自分が住んでいる京都が、
宿痾みたいに抱えてる、
共産対反共の理由でさえ、
何十年も、
此処で生活して、
全く表沙汰にならない、
地べたの台詞のやり取りを、
アチコチで耳にして、
「ああ、そういうことなのかも」と、
時間をかけて、
少しずつ霧が晴れ、
理解して行く位だ。

その地でしか、わからないことがある。

大阪維新が、
支配する前の大阪を、
実感として知らない自分が、
テレビで、吉村洋文の血走った目を見ても、
その裏に積み重なった歴史などわからない。



今日偶然、
淀に行く用事があり、
自分は20代前半の3年間、
この街で仕事をしてたのを思い出した。
以前、
このブログの自伝に、
詳しく書いたので繰り返さないが↓

tarouhan24.hatenablog.com

自分は、
淀の仕事場で、
ポピュリズム風な喋り方をする、大阪からやってきた悪魔のような男」
に洗脳され、
騙され、
金を持ち逃げされ、
借金を抱え、
死の寸前に至るまで、
精神を破壊されたことがある。
自分は、その時はじめて、
目的のためには、
手段を選ばない人間というものが、
存在することを知った。

そして男は、
当時まだ、結党されてなかった、
後の‘大阪維新の顔
となる人物との繋がりの一端に、
自身がいることを、
さかんに吹聴し、
おそらくそれは事実だった。

何年も経ってから、
ある国政選挙で、大阪維新の候補が、
自分の住む京都3区に候補を立て、
本気で、当選を狙ってきたことがあった。
だから、
その時自分は、全く思い入れのない、
当時の民進党の候補者を盾にしてまで、
選挙運動に参加した。
これは当然、
イデオロギーでも何でもなく、
自分の青春のトラウマが原因の反射行動だ。
結局、
大阪維新の候補者は落選するのだが、
あの選挙で、
候補者カーの上から、
自分の住む団地に語りかけていた、
松井一郎の応援演説は、
奇妙に見える程、場違いだった。
あのような現大阪市長の姿など、
中々テレビで観れるものではないだろう。



今でも、
自分には、京阪電車の窓から
人には見えない、
大阪と京都の軍事境界線が見える。
淀に来て、大阪の方向を見るたびに、
気持ちがぞわぞわするのだ。

天安門事件

一年前の今日、SNSに投稿した文章です。
今でも基本的な考えは変化していないので、
ブログに転載します↓




天安門事件は、76年生まれの私にも心的外傷です。

中学生のとき、
久米宏が出演しているテレビのニュース映像で、
学生たちが制作したであろう、
洗練されてるとは言えない造形の
‘民主の女神像’
が、破壊されたときには、悲劇性を感じたものです。

長らくそこに飾られるものと、思っていましたから。

民主の女神像の下で、
鄧小平と人民解放軍はどのようにして、
一般庶民を殺したのか、テレビのニュースが全てだったその時代にはわかりませんでしたし、今でもわかりません。

成人してから、
三条河原町にあったメディアショップという、レンタルビデオ店の中古販売コーナーで、
二巻組の映画「天安門」のテープを購入しましたが、
それを見ても天安門事件が一体何なのかは、よくわかりませんでした。

段々と理解していったのは、
国家の指導者の冷静な頭脳は、放っておくと何をしでかすかわからないということ。

(シリアへの空中からの虐殺作戦を、自国の軍隊に指示しながら、日本の通り魔殺人事件に哀悼の意を表明する、ドナルドのように)

そして、
たまたまそこにいた美しい若者を、危険を伴う反体制のアイコンに仕立て上げておき、
影で、それをずるく自分勝手に応援したり、熱狂したりする人間が存在すること。

インターネットのいい加減な情報で、 柴玲や王丹の人生が、その後どうなったのか知ろうとは思いません。

ですが、天安門事件以来、政治運動の中で胸を打つ英雄が出てくるたびに、「よしなさいよ」としか言えない、臆病な人間に私はなったのです。

コロナウイルスとロックンロール

不思議な気持ちで生きている。

コロナウイルスが、
世界を覆いつくしている、
この現在、
信じられないことばかり、起こっている。

新聞をパラパラと開くと、
やれ、
中国とアメリカが協力体制に入っただの、
やれ、
ロシアがアメリカにマスクを贈っただの、
やれ、
中国の誰かが、
日本の保育園にマスクを贈呈し、
お礼をしたいが、
連絡先がわからないだの、
慈愛に満ちた言葉が、
溢れている。

一体、どうしたことなのか?
あれほど遠かった、
世界平和が、
これほど簡単な姿で現れるとは。



私は京都に住んでおり、
二人の子どもがいるのだが、
騒動の最中、
臨時休校に続いての春休みが、
明けた後、
この子らを学校に行かせるのかどうか、
親として判断する必要があった。

家庭内にある様々な理由を検証し、
私はおそらく、
この子らに、
考えられる限りの対策を与えて、
学校に行かすのではないか?
と思った。

だからと言って私は、
ほとんど悩んでいなかった。
どこか、
休校が延長になるような気がしており、
実際、その通りになった。

なぜ、
休校が延長になる気がしたかというと、
ごくごく当たり前の話で、
皆がそのように考えてるだろう、
と思ったからだ。
何しろ、
ウイルスは無差別に人間を襲ってくるから、
皆が同じ不安の中にいる。
千年、万年、
人間は多くの戦争の中で、
優が劣を殺害してこそ平和、
生き残った者が勝者、
という幻想を、
どれほど多くの残酷を経験してすら、
克服できなかった。
彼らウイルスは、
そんな幻想を、
いとも簡単に乗り越えてやってくる。



内閣総理大臣を、
安倍晋三が務めているのは、
単なる偶然だろうが、
たまには彼の顔を見て、
ぶかぶかのマスク姿に、
豊かで脂ぎった髪の毛が、
やつれたように、
数本だらりと、
垂れ下がっているのを見たりすると、
哀れな気持ちにならずにいられない。
長年慣れ親しんだ、
総理大臣の顔が、
このような表情になるのは、
初めてのことだ。

この右翼のプリンスは、
こんな形で緊急事態宣言など、
出したくはなかっただろう、と思う。
体制のため、
国防のため、
美しい国のため、
先祖代々の理想のため、
華々しく成立させたく、
喉から手にいれる程、
欲しかった緊急事態条項が、
敵対していたはずの野党からすら、
突き上げられ、
これほど簡単に成立し、
まさか、
ホンモノの自然災害のために、
使用する破目になるとは。

総理大臣から、
一般庶民まで、
あらゆる立場の人間の価値観が、
崩されて行ってる。
もはや、
考えても仕方ないのだ。
ウイルスの前に我々は平等だ。
菌から見た我々は、等しく手軽で愚かな存在だ。
争うヒマもなく、
社会の動きはストップしてしまった。
人類は、
否応なしに、
長い長い、強制休息期間に入ってしまったのだ。

おかげで私は、
一切の頑張りから解放され、
一日ひとつは、
手応えのある何かを得なければ、
達成感が無ければ、
終わることができないという、
強迫観念からも解放され、
争いごとの大元であった、
野心や上昇志向からもすっかり解放され、
心穏やかな日々を送っている。
自分が今まで作ってきた音楽すら、
すべて捨ててしまっても、
全くかまわない。
(ロックンロール!)
それほどに、世界は変わってしまったのだ。



しかし、
残念ながら、
疫病というものは、
いつかは終わってしまう。
私はコロナ騒動が終わってしまうのが、怖い。
もしも、
数か月で疫病が終わってしまえば、
喉元過ぎれば熱さ忘れて、
人類は何事もなかったように、
あの頃に戻り、
再び無益な争いを繰り返すだろう。
せめて、
一年くらいは、
この状態が続いてくれないだろうか?と思う。
一年も続けば、
ウイルスの流行が去ったとしても、
ある程度の緊張感は、
続いてくれると信じている。
マスク姿も勇ましい、
風の谷のナウシカ
の世界が本当にやってくるのだ。
私たち愚かな人類には、
少々の緊張感が継続されている方が、
余程平和なのだ。

 




京都市長選2020の感想~市民の終わり~

 

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2020年の、
京都市長選挙とは、
一体何だったんだろう?
と、考える。

自分が、
あの市長選挙に、
今までに無く関心を持ったのは、
他愛もない理由で、
地元伏見区投票率が、伝統的に非常に悪く、
選挙の足を引っ張っているという、
悪評を聞いてのことだった。

たまたま、
今回の市長選挙は、
力を入れて応援できる候補者がおり、
自分は週に一度、近所の大手筋商店街に出て、
ウクレレを演奏し、
歌を歌いながら、
候補者の存在をやんわりとアピールした。
仲間に募集をかけ、
集まってもらい、
ポスターやプラカードでの政策宣伝に、
協力してもらった。

もちろん、
こんなことくらいで、
伏見区投票率が向上するわけもなく、
自分がせいぜい、小さな火花ほどの、
発火点になればと思っていた。



わかっては、いたのだが、
公示を前後に、
選挙の様相は変わってきた。

例えば、こんなことがあった。
選挙中、
自分はインターネットもよく利用しており、
面白半分で、
今回の選挙の、
政党事情のひとつを象徴するような写真を、
SNSに投稿してみた。
それは、ホントにどうでも良いような写真だった。

ところが、
投稿と同時に、
その写真が、
いわゆる拡散をされて行き、
さまざまな人たちが、
あーでもない、
こーでもない、
と好き勝手に批評を始める始末だった。

「一体どんな写真だったのか?」

と、問われても、
説明をする必要は全くないと思う。
強いて言うなら、
この広い広い京都市の、
誰も目につかないような一角を、
切り取った風景写真だ。

(なるほどコレは、ネッシーの写真みたいなものだ)

と、自分は思った。

インチキなおもちゃかも知れない、
岩の影かも知れない、
動物の尻尾かも知れない。
ひっくり返った船かも知れない、
人々は、
実際は存在していないものに、
過剰な自意識を投影し、
自らに興奮剤を注射する。

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面白半分でネットを利用した、
自分の責任なのだが、
政党事情のひとつを象徴するような写真、
というのは、
非常にタチが良くなかった。
自分がそれを、
SNSに投稿したのは、
イタズラ心がほとんどだったので、
ネット用語での「釣れた」ということになる。

後からも書くが、
これほど「市民」という単語が、
出鱈目に、
使用されまくった選挙はなかったのに、
インターネットを好む人々の間では、
政党事情が全然、
どうでも良くなっていないのだ。
原因は、
とっくに成立しなくなっている、
安倍内閣打倒のための「野党共闘」だった。
もう長い。
安保関連法の成立からずっと、
野党共闘」というワードは、
幕末の尊王攘夷並の、
強烈なイデオロギー
キャッチコピーとなり、
人々から思考を奪い去っている。
野党共闘を邪魔するものは、
切り捨て御免。
当然の如く、
野党共闘の4文字は、
一部ネットウォッチャーの、
好奇心と憎悪を、
多いに刺激することになる。
自己顕示欲と権力欲の固まりみたいな、
自称選挙評論家、
自称ジャーナリストが、
これに目をつけないはずはない。
昔の写真週刊誌と同じで、
選挙ポスターを映しただけ、
政党の有力者が映っているだけの、
どうとでも解釈できるインチキ写真に、
扇動する類のコメントや記事を加えれば、
ネットウォッチャーは、
穴の開いたチーズに食らいつく鼠の如く、
罠に向かって一直線。
仕掛ける側は、
増幅してゆく、
「いいね」や「リツイート」に、
自らが影響力のある人間だと錯覚し、
麻薬のような快感に溺れる。

ホリエモンや立花孝志といった人間は、
こういった仕組みをよく理解し、
金銭を稼いでいるのだと思う。



ここで、
今まで書いたことを、
一度全部忘れて欲しい。
(無意味なので)

話を身辺に戻すと、
兎にも角にも、
自分はこの辺りから、
選挙ムードに着いて行けなくなった。

毎回のことだし、
選挙とはそういうものなのだが、
街宣カーのアナウンスはうるさく、
街に緊張感とキナ臭い雰囲気が充満してくる。
苦手だ。
情熱と関心が薄らいで行く。

それでも、
自分が応援していた福山候補は、
傑出しており、
彼の陣営が言う「99%の市民」とか、
自分にはよく理解できない概念について、
「市民というのは彼の中で『庶民』のイメージ」と
説明した。
そういうことなら、我が意を得たりだった。
選挙期間中での変化を、
アウトプットするこの候補は、
空気に気押されていた自分を、
刺激してくれたのだ。



しかし、
決定的に最悪だったのは、
ニュースにもなった、
「独善的」「共産党の市長はNO」
等書かれた、
現職側の反共ヘイト新聞広告だった。
あれで、
現職側は、
自分たちの精神が、
汚染されたものであることを、
世間に向かって正直に告白してしまった。

こうなると、泥試合だ。

対立候補側は、
市民のための市長がYES…云々、
ほとんど虚構に近い、
アンサー広告を出した。
(せざるを得なかったのだろう)
毎日の出勤前、コンビニに立ち寄り、
パラパラと新聞をめくっている、
自分には、
どちらがどちらの陣営の広告なのか、
もはや区別がつかない。
(実際、新聞の現物も古紙回収に出してしまったから、
キャッチコピーの文面も、正確に覚えていない)
果たして、
どういう裏事情とカラクリで、
広告合戦のキャッチコピーが決定されているのか、
それはもう、
遥か雲の上の世界だった。

はっきりしたのは、
せっかく候補者自らが、
解きほぐしかけていた、
「市民」という、
得体の知れない概念が、
反共ヘイト広告によって、
高らかに復活してしまったことだ。



お気づきの方も多いと思うが、
言ってしまうと、
市民など、最初から存在しない。
特定の候補者の間近にいる人たちが市民だというなら、
自分は、絶対に市民ではない。
今回の選挙で、
「市民」というワードは、
幕末の尊王攘夷並の、
強烈なイデオロギー
キャッチコピーとなり、
人々から思考を奪い去った。
自民党員、創価学会員、その他政党、自分のような庶民は、
市民に非ず、
切り捨て御免。
切り捨て御免?
いや違う。こちらから逃げ去って行く。
ならばいっそ、
「市民党」という新しい政党を作れば、
全てすっきりするのだ。

(こうなれば「市民」とは、ネッシーみたいなものだ)

と、自分は思う。

インチキなおもちゃかも知れない、
岩の影かも知れない、
動物の尻尾かも知れない。
ひっくり返った船かも知れない、
人々は、
実際は存在していないものに、
過剰な自意識を投影し、
自らに興奮剤を注射する。

一体、私たちは何を見てるのだろう!



投票日も間近な頃、三条河原町で、
著名な山本太郎を迎えた、
大層な街宣があった。
その日は確か、
ムスメの保育園の行事に参加していた日だと、記憶する。
ネットニュースで見た三条河原町には、
京都市周辺から絞り出した、
ほんのわずかの支持者が集まっていた。
自分は、
大多数の庶民と同じく、
はや選挙のカヤの外、フツーに家で過ごしていた。
友情以内の範囲でしか、
選挙活動に参加することは、なくなっていた。



立憲民主党社民党に裏切られた!
ガッカリだ!
と、共産寄りの人間が、
原因を考えようともせず、
言いがかりに近い呪詛の念を漏らすのは、
野党共闘」「市民」以前に、
京都の選挙の名物みたいなものなので、
別にかまわない。
むしろ、
毎回繰り返されるコレが無いことには、
選挙に入ったという気がしないし、
次の市長選挙でも、
必ず起こる現象だ。
(他府県市の方にはピンと来ないかも知れないが、
京都市民主党がその本質を、隠さず示してくれる、
貴重な場所なのだ)

だが、
今後も「市民」というキャッチコピーが、
この京都で継続されていくのかと思うと、
自分は心底ウンザリする。
恐ろしい閉塞感を覚える。
この言葉を使ってはダメだから、
新しい言葉を探すという問題ではない。

こうなれば救いはもう、愛しかないように思う。
お手軽な愛ではなく、
感情や気分から来る愛ではなく、
根本思想としての愛。
胸に愛を秘めて、
エゴを削り落す作業を可能な限り継続し、
世界を見つめることが、
この困難な時代、
最も重要な行為なのだ。



選挙は、結果が出た。
大きく向上した投票率は40%、
庶民のうちの60%は、
3候補の誰が市長になっても良かったのだ。



『♪戦争と選挙はやめてくれ』作詞作曲:たろう

目を覆いたくなるデマ合戦
ネットの言葉は汚くなるし
目立ちたがり屋は出てくるわ
世の中変える主人公気取り

いつの間にやら なりたくもない
相手と同じ顔になっちゃった

戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ

だけどやるしかありません
だけどやることありません

自民党にはイヤ気がさしてるし
社会党には腹が立つ
共産党には何故か説教されて
結局はアメリカの所為なのか?

いつの間にやら なりたくもない
あんたと同じ顔になっちゃった

戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ
戦争と選挙はやめてくれ

だけどやるっきゃありません
せめて寄付くらいしてみようか
だけどお金もありません
ララララ ラララララ…

 

京都市長選について思うこと

京都市はこれから、
市長選挙に入る。
応援する予定候補が見つかったので、
選挙運動のついでに、歌を歌っている。
(歌のついでに、選挙運動をしたくはないものだ)

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自分は選挙運動が大の苦手というか、
キライなので、
選挙期間は、
基本的に憂鬱な気持ちで過ごさなければならない。

まあ、
とりあえずそーゆー愚痴は置いておく。
せっかくだから、
今だけの話なので、
京都市長選挙について思うところを、
少し書いておく。



まず、自分は、
「青いとり保育園問題」に関心がある。

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青いとり保育園は、
京都市立病院に勤務する、
子どもを持つドクターや看護師の、
仕事、子育てを支える園で、
元々は、
市営保育所に近かったらしい。
(↑写真の本「先生、ボクたちのこと きらいになったから いなくなっちゃったの?」の内容から)
だが、
昔から今に至り、
あらゆるところで進行している、
国の、
そして京都市の、
民営化政策のあおりで、
青いとり保育園も、
突然の、
民間委託の憂き目にあってしまった。
自分は偶然、
この問題の当事者に、
関わりがあって、
民間委託の現状を聞いたことがあるのだが、
それはひどいものだった。

民間委託とは、
バクチというか、
たまたま、
マシな企業が入ればマシなのだが、
最悪な企業が入れば、
最悪にしかならない、ということだ。
保育に関することなのに、
人道的な後ろ盾が全くない状態になる。
企業にあるのは、
ソロバン勘定のみ。
ソロバン勘定自体は結構だとしても、
保育=ソロバン勘定など、
あってはならない考えだ。

結果、
アートチャイルドケア社が入りこんだ、
青いとり保育園は、
勤務していた保育士が全員解雇され、
民営化の事情など、
知るよしもない園児たちは、
ある日を境に、
低賃金で雇われた、
全く知らない保育士に囲まれることになった。
解雇された保育士と園児たちの、
お別れ会の映像を見たのだが、
涙の別れの場面は、
とても、正視に耐えるものではなかった。
暴力とさえ言える、
民営化の魔の手は、
園児たちと、
保育士を引き裂いたのだ。



門川大作現市長は、
300億円超の赤字だった市財政を黒字にした、
と言う。

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なるほど。
自分は、
市長に寄り添って、
人の心を薄めてみよう。
確かに、
300億円の赤字を黒字に転換さすのは、
大変な労苦が必要だろう。
貧弱な家計を黒字に転換さそうと、
四苦八苦している自分には、
想像もつかない世界だ。

ならば、
保育園民営化も労苦のひとつだろう。

かつての対立候補だった、
中村和雄氏が訴えた、
観光環境税を、KBS京都の討論番組で、
「観光客の方々からお金を頂くなんて…」
と批判して後に、
チャッカリ観光客から宿泊税をとったりするのも、
労苦のひとつだろう。

京都市美術館命名権を、
企業に渡し「京セラ美術館」にする過程を、
自分は学習したことがあるが、
これも財政健全化のための労苦か。

こうして、
知っていることを並べたてて見ると、
京都アニメーション襲撃事件後の、
最悪な発言が象徴する、
現市長独特の無感覚とも言えるセンスでしか、
達成できない財政健全化だったと、理解できる。

皮肉ではない、
間違いなく現市長の功績だろう。

彼のセンスと功績は、
景観政策にも、表れているように見える。
市街から余分な看板は消え、
よくわからないものは、
淘汰されていってる。
街中をぶらぶら歩くと、
「え、ここもホテルになったん?」
と、
しょっちゅうつぶやくほどに、
宿泊設備は整備され、
かつては街と地続きだった、
寺社仏閣は、
まるで、エサ箱のような扱いで、
海外から観光客をおびきよせている。
近頃の京都市はまるで、
よくできたジオラマのセットのようだ。
見ている方が、
思わず、
「よーやるわ」と言ってしまうほどの、
現市長の演出的な着物姿同様、
まるで、
張りぼてのような文化都市なのだ。

今回の市長選、
3人の予定候補のひとり、
村山祥栄氏は、
選挙対策用の著作のキャッチコピーで、
「こうすれば観光公害は防げる!」
と謳っているが、

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観光公害という言い方は、
あまりに冷たすぎるように、自分には感じる。
むしろ、
映画のセットのように仕立てた、
実際には何の深みもない京都市に、
海外から観光客をおびきよせ、
安くはつかない旅費を散財させている気がして、
旅行者に対して申し訳ないくらいだ。

観光による収益が上がっていると言っても、
現実は、
局所の観光地を場当たり的に活性化させる、
カンフル剤を、
永遠と打ち続けてるようだ。
伏見稲荷大社が、
毎日、信じられないくらい混雑しても、
伏見区在住の自分が、
金銭的にも精神的にも恩恵を受けているとは、
生活実感として、到底感じられない。
現市長の街づくりは、
京都市民の心を豊かにするものなのか?
京阪沿線を散策するたびに思う。

現市長が財政健全化を達成した、
その功績を信じるならば、
彼の役割は、もう終わったのだと思う。
ここからは、
新しい市長による市政が見たい。
前例がほとんどない4期目になど、
立候補するべきでは、
なかったのだ。
かつての蜷川虎三府知事の多選に、
ウンザリだったという昔話は、
京都に住んでいると、
イヤというほど聞かされるというのに。
ステレオタイプ化された、
京都風の皮肉ではないが、
「おくたぶれさんどした」だ。
(お疲れ様でした、の意味らしい。自分も京都弁はよく知らない)
民主党は失敗したのだ。
福山和人、村山祥栄と対峙する、
新たな候補者を擁立するべきだったのだ。
(自民党の事情はよく知らない)

自分は、
京都市は私が住んでいる市!」
という実感のもとで暮らしたい。
京都に生まれてから、一度も感じたことがないのだ。
京都市は、
新聞等で、
何やらかんやらの受賞が報道されているような、
伝統文化の世界と、
わけのわからぬ老舗ライブハウスで行われる秘め事じみた、
アンダーグラウンドな文化が、
双方とも力を持ちながらも、
乖離し平行線をたどっているように見える。
別に、それ自体が問題ではなく、
表の文化と裏の文化が、
繋がる必要もないのだろうが、
何と言うか、少なくとも、
観光の次元だけではない、
京都の奥深い文化を理解し、
それを後押しできるような、
市長の元で、一度は暮らしてみたいと思うのだ。
自分は美しい寺社仏閣も、
今は強制撤去されている、
京都大学前の、ゴチャゴチャした立て看板も大好きだ。
文化的な背景の存在は、3予定候補の誰にも感じない。
これはまあ、自分の勝手な願望だから仕方ない。
そもそも、
仕事の場所が違うのだろう。



と、まあ京都風に、
ねちっこくボヤいてしまいましたが、
こうしていろいろ考え、
自分は3人の中、
福山和人氏を、支持することにしました。
子育て世代として、
彼の訴える「すぐやるパッケージ」の中、
特に、
市独自の給付型奨学金の設立の現実化に、
大きく期待します。

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12月13日~劇団石(トル)の『キャラメル』を観に行く~

劇団石(トル)の『キャラメル』を観に行く機会は、
何回かあったはずだが、
意図的に避けていた。
というより、
決して観に行かないでおこうと、思っていた。

理由は簡単で、
劇のテーマがわかりきっていたから。
加害の感性を、色濃く持つ自分が、
わざわざ、
しんどい思いをしに行くはずがなかった。

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ところが急に、
この、
12月13日の、滋賀県栗東芸術会館での公演を、
見に行く気になった。
タイミングもあったが、
何となく、
劇に自分が呼ばれている気がした。
(理由は、後で気づくのだが)

そうは言っても、
私にとって『キャラメル』を観に行くことは、
重荷であることには間違いなかったし、
開演時間ギリギリに、
隠れるようにして、栗東駅に到着した。
会場に滑り込み、
観劇に来た実感が無いまま、
幕が開く。

劇団石(トル)の舞台を見に来たのは、
初めてではない。
だから自然と、
今まで、散々自分を笑かしてくれた、
きがんさんの躍動する空間の中で、
私は寛いでいた。
ひょっとしたら、
他人にこの劇を説明するとき、
「ああ、喜劇やで」
と説明するかも知れない、と思った。
僭越ながら、
自分の感覚に、少し似ているなと思った。

しかし、
劇がやがて過去にタイムスリップするのは、
目に見えていたので、
現実の私は全く笑ってはいない。
ハルモ二があの日に戻った時、
自分の中に様々な悪夢が蘇った。
レイテ島で死んだであろう祖父は、
慰安所に行ったのか?
テレビ画面で、
アボジ!」と叫ぶ彼女らを見て、
「(テレビを)消せ!」など罵詈雑言を浴びせた、
絶縁した実母の、強力な差別性。
その血を引く自分は、
慰安所にいたら、何をしていたか?
いや、それは誤魔化しだ。
単に、
自分の人生を思い出したら良い。
「あなたが謝る必要はない」
と、俺に言うあなたは、
一体俺の何を知っているのだ?

きがんさんは、
彼女たちの魂を、
自分の肉体に呼びよせている。
同時に、
自分自身も世界に晒している。
そう見える。
私は、
泣きも笑いもせず、
ずーっと無表情で観ていたと思う。
感情を表に出すことができない。

(私は、何ということをしてしまったのだ)
自分の人生を悔いる。



救われた気持ちになったのは、
芝居が終わった後の、
きがんさんの口上だった。
そこでしか聞けない話を、
ここに書く必要はないし、
また、話も変わっていくのだろう。
ただ、
この12月13日の口上を聞いて、
わかったのが、
私はハルモ二に会いたくて、ここに来たということだ。
それだけのことだった。
普通に考えれば、
会うことはかなわない。
どうすれば会えるのか?
きがんさんの表現を通して、
劇団石(トル)を通して、会うしかない。

そして思った通り、
私には、会わせる顔などあるはずもなく、
本能的に最後尾の席で観劇していた。
彼女らの、
パーティーを、
悪夢を、
レボリューションを、
隠れた場所から見ていた。
見ればみるほど、
いつものように、
私は自分を許せなくなる。

だから、
観客席にいた知り合い、
誰とも話す気になれず、
行きと同じように、
帰りも逃げるようにして、
足早に会場を去った。
今後も、誰とも話すことはないだろう。



特筆すること。
帰り道、
会場から、栗東駅までの遊歩道を歩いている間、
私の胸の中に、ほんのりと温かさが湧いたのだ。
突然だった。
胸の中に、
ピンク色の炎を燃やしたランタンのようなイメージが、
湧いたのだ。
それは、実にあたたかい気持ちだった。
あの場(演劇)に立ち会わなければ、
湧かない感情だったと思う。



電車に乗ってしまったら、
そんな温かい感覚は吹っ飛び、
元の、
自分が許せない、
という気持ちに戻るのだが、
あの、
ほんの数分間の温かい感覚は、
今までの人生で、一度も感じたことはなかったし、
今後生きて、生活していく中で、
あれを経験したことは、
私の歩みが、少しでも希望の方向に向かう、
標になるはずだ。

ありがとう、きがんさん。
ありがとう、劇団石(トル)



【少女】作詞作曲:たろう

私はここにいる 私はここにいる

どこにも行きません
どこにも行けません
ここから動かない
ここから動けない

いつでもこの場所に座って
あなたの心 揺らし続けてる

だからここにいて

*

私はここにいる 私はここにいる

何も気にしないで
何も気にしないで
どこにも行きません
どこにも行きません

あなたを許せる日は来ない
だから安心して苦しんで

ここにいて 安心して 苦しんで

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