太朗の主夫日記 ~So What?~

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ド不幸自伝③ ~バカラ~

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≪前回までのあらすじ≫
:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった:

モアイは、
自分を、
今まで全く知らなかったような場所へと、
連れ出した。
例えば、
モアイは、
こんなことを言うのだ。

バカラ行こか」

自分は、
バカラ’の意味がわからない。

「まあ、ついてこいや。社会勉強や」

そう言われると、
まるで雛鳥のように、
自分はモアイの後を追ってしまう。
だからなのか、
モアイの姿形で、一番記憶しているのは、
後ろ姿だ。
背は、それほど高くない。
手足も長くなく、
いかり肩で、啖呵を切るような歩き方は、
本当に、モアイ像が歩いてるかのように見える。
かといって、堂々としているわけでもなく、
常に、何かに怯えているようだった。
いや、『ようだ』ではない。
観光客が、
携帯電話で記念撮影をしているところに、
出くわすと、
モアイは慌てて、
水たまりを避けるように、
カメラの焦点から逃げ出そうとする。

「人の映像に入りたくないねん」

と、モアイは言う。
自分はモアイは何か、
変わり種の宗教にでも入っているのか?
と、思った。
そんな怪しさも、
人物にひとつの‘魅力’があるうちは、
神秘性に変換されてしまう。
オウム真理教の信者などは、
麻原彰晃を、
ハンサム・ダンディーに感じていたというくらいだから。
そういえば、
モアイは麻原のことを、

「アイツも、力は持っとったんやで。ただ、蛇が降りていたらしいな」

と、言っていた。
90年代後半、
オウム事件の記憶は、世紀末の象徴として、
大変生々しく、
まだまだ話題に上がることが、多かった。
原発事故以前、
国の構造そのものの崩壊に、
気づいている人は少なく、
そのぶん、
個人の心は、
それこそ、
草や木のない工場地帯のように、
荒廃していた。

一方、
モアイの立ち振る舞いの方は、
神秘性からは、全くかけ離れたものだった。
チェーン・スモーカーであることは、まだ良い。
チェーン・ドランカーでもあった。
右手にいつも、
安物の缶チューハイを握りしめ、
酒臭い息を吐き、
シラフであるということがなく、
却って、
飲んでいる状態が、シラフに見えた。

服装も、思い出した。
無意味なアルファベットのロゴが刺繍された、
真黒いキャップを深く被り、
サングラス姿で、
酒に焼けた赤黒い顎が、
庇の下から付き出るように、延びている。
常に、
黒もしくはグレーの、
上下スウエットを着用しており、
まるで、自ら闇に飲みこまれようと、しているかのようだ。

モアイは、
夜の街の路地裏へと、入っていく。
自分は、その後を追う。
22歳の自分など、学生のようなものだ。
夜の街に繰り出しても、
街の表側しか知らない。
行くところと言えば、
チェーン店の、居酒屋くらいだ。
モアイは暗闇へと、
暗闇へと入って行く。
もはや闇に溶け込まれ、
終いには、見えなくなっていく。
慌てて後を追う自分も、光から遠ざかる。
かすかなネオンの光を
背中を頼りに、感じとるしかない。
いつのまにか、
地下へと降りる階段を、
一段、一段下って行く。
長い階段ではない。

奥底に、人影の気配を感じる。
近づいても、顔は全く見えず、
背格好からかろうじて、
男であることくらいしか、わからない。

「このビルに、バカラはあるか?」
モアイは、男に尋ねた。

目が慣れてくると、
ブ厚い鉄の扉が、正面にあるのが、
薄ら見えた。
顔が見えないその男は、顎でモアイを促し、
扉をぐいっと開けた。
光が射すかと思ったが、
かすかな青い光が漏れてくるだけで、
相変わらず、暗い。
男の顔が、
幾分、はっきりと判別できるようになった。
見てみると、
赤茶色に染めた髪の毛が、
唯一の特徴と言えるくらいの、
どこにでもいるような、
男だった。
ベストに蝶ネクタイ姿で、
ひどい、仏頂面をしている。

さらに目を凝らすと、
扉の向こうは、広い空間だ。
中央に、
大きなルーレット台があり、
何人かの人間が、
椅子に座って、台を囲んでいる。
モアイは、
馴れた様子で空いている座席に腰掛けた。

「オレはどうしたらええの?」
自分は、モアイに聞いた。
「そこの空いてる椅子に、座っとったらエエ」
モアイは言った。
言われた通り腰かけるとすぐ、

「そこ、座らんといいてくれ」

と、背後から野太い声がした。
振り向くと、
上下ブルーのスーツに、
これまたサングラス姿の大柄な男が、自分を見降ろしている。
仕方なく移動し、
モアイの斜め後ろの、
何もない床に、所在なく立っていることにした。
ルーレット台で、
モアイが何をしているのか、わからない。
モアイの正面に、
先程の男とはまた違う、
ベストに蝶ネクタイ姿の男性が立っている。
(ディーラーというやつだ)

早く帰りたいと、自分は思った。
これが、社会勉強なのだろうか?

「チッ!」

モアイの舌うちが暗闇に響いた。
モアイは、
スウェットのポケットに手を突っ込み、
4,5枚の一万円札を取り出すと、
無造作に、
ルーレット台の上に投げつけた。
ディーラーは、
「ありがとうございます!」
と、叫び、
暗闇の四方八方から

  「ありがとうございます!」        「ありがとうございます!」


        「ありがとうございます!」

                      「ありがとうございます!」
 「ありがとうございます!」

と、声が、聞こえてくる。
モアイが、ルーレット台に投げつけた、
一万円札は、
まるで、鼻をかんだ後の、
ティッシュのようで、
全く価値あるものに見えず、
金銭の尊厳も全く無かった。
例え、自分があの金を、
「バカなことに使うな!」
と、取り上げて、別なコトに使おうとしても、
腐り果てた金は、効力を失い、
誰からも、突き返されそうな気がする。

どれほどの時間、
この空間にいたのか、覚えていない。
どうやって、帰ったのかも覚えていない。

(モアイは一体、金をどんな風に思っているのだろう?)

そんな疑問が残ったことだけ、覚えている。

***************************************

このように、
1998年は、
モアイと二人で遊び歩いていた。
モアイの周りにいた、
元工場の若者たちは、
皆、粉もの屋の店員となっていたので、
モアイは自分を、遊び相手に選ぶしかなかったのだ。
モアイが、
粉もの屋の店頭に立ち、
働いていたのは、開店してほんの2,3日間だけだった。
自分たちだけが、働かさせられてる若者たちは、
次第に、モアイへの不信感を深めて行き、
ひとり辞め、
ふたり辞め、
やがてモアイと自分の二人だけになる。

**************************************

98年7月30日に、
橋本内閣から、小渕内閣へと変わっている。
小渕内閣の記憶は、ほとんどない。
覚えているのは2000年4月、
在職中の小渕氏が倒れ、
急逝してしまう直前の会見映像だ。
当時の自由党との決裂について、
小渕氏が、記者からの質問に答えようとしたときの、
不自然な言葉の空白を捕えた、
あの衝撃的な映像だ。
明らかに小渕氏に、
病魔が襲いかかった瞬間だった。
この政治劇の成り行きに、
全く注目しておらず、何も知らなかった自分は、

(小渕さん、気の毒やな。小沢一郎というのは、ずいぶん冷血な人なんかいな)

と、単にテレビの印象から、そう感じていた。
90年代は、
インターネットより、
テレビや雑誌の影響の方が、まだまだ強く、
余り見る方ではなかった自分も、
時事問題の記憶は、
テレビ映像で脳内再生される。
98年8月に、
丸っこく可愛らしいデザインの、
初代i-macが発売され、
この大ヒット商品を、
さほど、間をおかず購入したはずだから、
この年が、自分のインターネット元年だ。
そうは言っても、
SNSも、アマゾンも無い時代だから、
単に、情報収集の1ツールとして使っていただけだが。

先程、個人の心の荒廃について書いたが、
真に荒廃していたのは、自分の心である。
恐ろしいもので、
荒廃は即、
極度の社会的無関心へと繋がる。
二千円札地域振興券
本当に、
くだらないことだけが、
記憶の断片に残っている。
一方で、
今に至る、
自公連立政権小渕内閣から始まっており、
後の、安保関連法のひとつになる、
周辺事態法も、
小渕内閣で、
成立されてしまっている。
悪ふざけでも何でもなく、
こんな大切なことすら、覚えていないほどの、
荒廃なのだ。
この時期、意識をまともに保っていた方に、
小渕内閣とは何だったのか、教えてほしいくらいだ。
権力者は、庶民に、モノを考えて欲しくはないだろう。
酒、ギャンブルなどに依存してくれれば、
それで万々歳だ。

この他にも、
モアイが、
自分を連れて行く場所は、
競馬場、競艇場、パチンコ屋…
そういった場所、ばかりだった。
本来、自分には全く興味のない所だった。
モアイは何故か、
パチンコ屋の社長や、
そこに出入りする、
知り合い、そのまた知り合いを
次々と紹介してくる。
皆、
モアイと同じように、
拝金的な考えと
刹那的な感性を備えていて、
漂うオーラは、似たようなものだった。

当時の自分の写真を見ると、
上下、スウェット姿で、
夜でもサングラスをしている。
知らぬ間に、
格好までモアイにそっくりに、なっていたのだ。
10数年後、
工場の派遣仲間の若者のひとりと、
街中で偶然再会したとき、

「戻ってきたんやな」

と、言われようやく
世紀末当時に、
自分がおちいっていた状態を自覚し、
背筋に寒いものが走った。

荒廃の例は枚挙にいとまがないし、
もうしつこいので、この辺でやめておくが、
次回、
モアイと沖縄に行ったエピソードだけは、
書いておこうと思う。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→


ド不幸自伝② ~モアイという男~

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その男のことを、
‘モアイ’
と、呼ぶことにする。

モアイと工場内で、
初めて出会ったとき、
彼の顎周りの骨格が、
非常に、
しっかりとしていて、
なおかつ面長なのが、
まるで、
イースター島のモアイ像のように、
見えたからだ。
(悪い感じは、しなかった)

大体、
発表するつもりの文章に、
本名を、使うわけにもいかない。
それに、
モアイの本名を、
パソコンのキーボードで打ち込み、
見るたびに思い出すことに、耐えられない。
自分は、
モアイに酷い目に合わされたのだ。
そもそも、
モアイが最後に使っていたのが、
彼の本当の名前だという保証は、
どこにもない。

あのような、
喋り方をする男に出会ったのは、
初めてだった。

ベタな例えをすれば、
アクの強い、関西弁を使用する、
吉本興業
‘しゃべくりが旨い’
タイプの、
芸人のような感じだ。
彼の一言一言には、奇妙な吸引力があった。
互いの自己紹介をしたとき、
モアイは私に、

「大阪で宝石商の仕事をしとったけど、今は休職中」

と、言った。
自分は当時、
1から10まで、
嘘をつく人間というものが、存在することを、
まだ、知らなかったのだ。

工場に勤めてから、
1年も経つと、
自分の身の周りの人間関係も、
出来あがってきていた。
昼休み、
一時間の休憩時間、
派遣会社の人間たち同士、
機械音が鳴り響く食堂で、
油臭い、仕出し弁当を食べていた。

正社員と派遣社員の間には、
やはり、一定の距離があった。
正社員が派遣社員を見下しているとは、
特に思えず、
(あるいは、気付いていなかったのか)
『所詮、別会社だから』
と、いう単純な理由で食堂のテーブルも、
それぞれに、何となく分かれている、
くらいの感じだった。

派遣会社は、
自分の所属していた社だけでなく、
もうひとつあり、
そちらは、明らかに、
「ランクの低い」仕事に当てられていた。
ロッカーでの着替えのとき、
‘そちら’の、彼らは重油で黒く汚れた作業着を、
脱ぎ去る。
そのたびに、刺青の入った浅黒い肌が、
蛍光灯の光をぎらりと弾く。
見るたびに、
自分は、暗い気持ちになった。

一方、
自分の所属していた方の、
派遣会社には、
同年代の若者が多かった。
入社(単なる登録)理由を、
彼らに尋ねてみると、
「何となく」「雑誌で見て」「親に怒られて」「就職できなかった」「役者志望の劇団員」
…etcと、いったトコロだった。
90年代半ば、
不景気への危機感が、
当事者にも、まだなかった。

湯浅誠さんが岩波新書から『反貧困』を出版したのは、2008年のこと』)

グループをほぼ20代が占めてる中、
モアイの存在は、珍しかった。
彼だけが、40近い
‘オッサン’。
ゆえに、話すコトからは、
酸いも甘いも、味わってきたような
人生経験の豊富さがあるように、
若者たちは、錯覚する。
いつの間にか、
モアイが中心にいて、自分も含めた若者たちが、
彼を取り囲む形になった。

若者のひとりは、
モアイのことを

島田紳助みたい」と言う。

もうひとりの若者は、

松本人志みたい」と言う。

するとモアイは、
彼が、吉本興業に所属している芸人と、
友人関係にあるという話を、
するのだった。
その中には、
今では故人となってしまった、
関西圏では誰もが知る、
大物芸人の名も上がった。

「アイツとは、よう祇園で遊んでいたけど、今の姿からは、
 考えらんくらい、小心者やった」

「宴会のとき、アイツの目の前で裸になったら、
 『オマエみたいな奴は、貴重な人間やから、オレらと一緒に、お笑いやれ』と言われた」

…このようなモアイの話を、
自分たち若僧は、目を丸くして聞いていたのだ。

次第に、
モアイと、会社以外の場でも、
遊ぶようになった。
派遣会社グループの若者たちは、
焼けつくようなストレスを、抱えていたし、
刺激を求めていた。
高いアルバイト代も、
馬鹿馬鹿しい、欲求不満の解消へと、
消えていく。
ひとつは、酒と食欲だ。
グループで酒に強いのは、
自分と、モアイのみだったが、
皆、飲めなくとも、
仕事の帰り、
居酒屋や、焼き肉屋に入り浸り、
安物のビールと、
色のついた、
甘ったるいチューハイを、
ガブ飲みする。

とにかく、
モアイは自分の人生の中で、
‘新しい人間’だった。
彼は、酒の席で(いや酒の席でなくとも)
必ず、在日韓国人のことを、
こちらの耳を潰したくなるような言葉で、
罵った。
使用してはならない言葉の連続に、
自分は、

「どこの国だろうが、良いヤツ悪いヤツはいるやろ?」

と、素朴に応対したのだが、
モアイは、
「なら、一度アイツらと…」
さらに救いようのない言葉を、浴びせる。
自分が、
世間知らずだったのかも、しれないが、
当時、
差別感情の存在は、
道端の石の下側の湿った場所に、
あるように感じていた。
まだ、
ヘイト・スピーチという存在は、表に出ていない。
モアイが石の下から、
引っ張りだしてきた、ヘイトには、
呆然とするしかなかったし、
モアイのような考えの人間がいることが、
不思議で仕方なかった。

なぜ、そのような人間との付き合いを、
辞めなかったのか?
それが、わからない。

とにかく、何でも良いから、
自分は、アテにする存在が欲しかったのだろうか?
モアイと出会ったとき、
父が、すでに死んでいた。
手遅れの癌に犯されていた父が、死んだ日は、
英国で、あの可哀そうなダイアナが、
好奇の目に応える、パパラッチたちの目により、
高速道路で殺された、
1997年の8月30日だったので、
よく覚えている。

21歳で、父を失うというのは、
中途半端だった。
気持ちに踏ん張りを効かせたら、
父の存在など、
特に指針にすることもなく、
人生を、
切り開いていける年齢にも思えるが、
今にして思えば、
ただの子どもだ。

「寄り添う物が、欲しかった」

と、いうわけではない。
しかし、
強烈な個性の、年上男性を見ると、
虫が、電気の光に、
吸い寄せられるかのごとく、
ただ、本能的にそこに向かってしまう。
数字の上では、
成人しているとはいえ、
理由のない本能を疑うほど、
自分の心を、客観的に見つめることができる、
年齢ではなかった。

不幸中の幸いというのか、
両親が、
喫茶店経営の失敗で抱えた借金は、
父親名義によるものだったので、
父の死と共に、
相続放棄し、支払いの義務はなくなった。
それでも、
元妹の学費は稼がねばならず、
家に主要な働き手がいないことにも、変わりなく、
何より、
毎日毎日、兵器を作り続けているという灰色の事実が、
自分の心を、少しもラクにさせなかった。

***************************************

政権は、
相変わらず、橋本内閣だった。
当時自分は、借金を返すことのみを、
目標に生きていたので、
広く社会に向ける目など、持っていなかった。
だから、橋本内閣の仕事など覚えておらず、
ただ何となく、
鈍重な、安定感のようなものがあったのを、
単に感覚だけで、覚えている。
‘ポマード頭’などと、
くだらない指摘をよくされていた、
橋本龍太郎より、
その前、村山内閣の退陣と共に、
アッという間に、
社会党が崩壊してしまったインパクトの方が、
よほど強かった。
自分は、社会党のことなど、
よく知らなかったし、
村山内閣が、
自社連立政権であることも、
ちゃんと、理解していなかった。
それでも、
社会党という、
巨大野党の党首が、
内閣総理大臣の職についたのは、
人生で、初めてのことだった。

(細川内閣の時は、自分はモノを知らない高校生だった上、内閣の存在がアヤフヤだった)

それが、
何も変化を起こせず、
「売党村山」と、言われながら退陣し、
結局、
いつの間にか、変わり映えのしない、
自民党政権に落ち着いている。
自分が政治に対して、
何処か、二ヒルになってしまったのは、
この辺りが、
結構、原体験になっている気がする。

***************************************

モアイとの付き合いが、
本格化するのは、
工場での話ではない。
モアイは、
意外にアッサリと、工場を辞めた。
派遣会社の人事担当の人に
尋ねると、
「お母さんが危篤」
と、いうことらしかった。
(それなら仕方がない)
自分は、
これから、仲良くなるところだったのに、
モアイはずいぶん水くさいな、
と、思った。
モアイに限らずとも、
派遣仲間で、
長く工場の仕事を続ける人間は、
余りおらず、
グループにいる人間の回転も早かった。
自分は、
この兵器工場で、
3年半、
1999年の半ばまで、
働くことになるのだが、
辞めるころには、
周りの顔ぶれが、入社当初とすっかり変わっていた。

モアイから、
再び連絡があったのは、
年も明けた、
1998年の冬のことだった。
多くの人に、
携帯電話が普及し、
個人個人で連絡を取り合うことが、
以前よりも、ずっと容易になっていた。
自分もこの頃に購入し、
そのうち10ケタだった、
電話番号も11ケタに増えることになる。

京都一の繁華街、
河原町の居酒屋で、
モアイを囲む、
『工場同窓会』が、行われた。
自分は、
「お母さんは、どうなったん?」
と、モアイに尋ねた。
「悪い嘘やないやろ」
と、モアイは答えた。

モアイが言うには、
「これから事業をやろう」
と、いうことだった。
木屋町に借りれる見込みの物件を見つけた、
そこで、
タイ焼き、焼きそば、タコ焼き、
粉ものを出す店をやろう、
酒も出して、
客を呼ぼう、
店員が必要やから、
おまえらやらへんか’

…モアイは、
その口の旨さで、
工場にいた時から、
若者たちに、
「組んで仕事をしよう」
と、持ちかけていた。
将来が見えてるものなど、
誰もいなかったから、
皆が、この話に飛びついた。
ただ、自分だけが、
未だに工場に勤めていたので、
参加はせず、
数ヵ月後、
本当に開店した粉もの屋は、
仕事帰りに遊びに行く、
絶好のストレス解消の場となった。

工場→河原町→自宅
の、トライアングルが生活習慣となる。

***************************************

山一証券が廃業したのは、この頃だった。
自分は、未だに証券会社というものが、
何なのかわからない。
だが、
山一証券
と、いう
赤い看板文字は、
事業の中身がわからなくとも、
無機質なビルディングの中に、
あたり前の風景として、存在していたものであり、
それが、無くなるということで、
何となく、
今まで信じて疑わなかった、
国の経済基盤が、
普通のものではなかったのだ、
という実感が、
初めて湧いた。

今でも、語り草となっている、
当時の野澤正平社長の涙とともに、
モアイに飲み込まれていく、
自分の生活も、
ガラガラと音を立てて崩れていくのだった。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→


主夫入門3 ~暗い金曜日~

 

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熊本の市議会で、
ママ議員さんが、
赤ちゃん連れで議場入りするという、
ひとつの問いかけを行い、
これが、どちらかというと叩かれている、
と、いうニュースに心ざわつく。

思ったことは、
熊本市議会に手紙を書いて送ったので、
ここでは触れない。

しかし、
結局、自分はおっさんなので、
おっさんのことしかわからない。
と、自嘲的に思う。
主夫をやっていれば、
少しはママ目線に立てそうなものだが、
そうでもない。

おっさんは、おっさんを知るのだ。
だから、今回のニュースに限らず、
女子
(今回はこの言い方で行く。「女子会」的な用法だ。深い意味はない)
が、ある種の問いかけを、
例えば『怒り』によって表現するとき、
余計なことを言ってくる、
おっさんに対しては、
めっちゃくっちゃに、ハラが立ってくる。

『怒り方も学ばないと』とか、
『怒りの及ぼすマイナス』とか、
『怒るにしろ、言葉を選らばなければ』とか
『それによって生じる責任』
とか何とか言ってくる、おっさんには、
ロクなのがいない。

こういうおっさんは大抵、
無自覚のうちに、
唯物論みたいなモン、を信仰していることが多いので、
論理的構築みたいなモン、に対する、
明確な反証みたいなモン、
を‘議論’とかいう、
いかにも、答えなアカンような状況を、
わざわざ唯物的にこしらえて、せまってくるのだが、
難しい言葉の奥底に隠されているのは、
ザコン同然の、単なる承認欲求で、
結局、うちの小学生のムスコにも劣る存在。
根本的には、おっさんの抱えているスタンスが、
侵食されることを極度に怯え、
とりこし苦労的な、予防線を張っているわけだから、
まあ、全部無視して良い。
多分、酒を飲んでいるだけだ。

そもそも
おっさんの頭の中に
積み重ねられた知識と言えば、
実人生から乖離した、
引用と分析に寄るだけのモノなので、
感性が完全に死んでおり、
指摘してくる内容そのものが、
大したことはない。

「ンなもん、アンタに言われんでも、最初っからわかっとることだわい」

この一言で、
返される程度でありながら、
マトを得たことを、射止めていると思い込み、
自分様が、
一番悲しんでいるような、ムズカシイ顔をしている。

ええい、
このアンポンタンのすっとこどっこい。
今すぐ、
そのわけのわからんコレクション捨ててこんかい。

おっさんなんざ、
マッサージか、
固いビンの蓋を開けるときにしか、
役に立たん。

ハラが立つ。
妙にハラが立つ。
家ン中全部、ホウキで掃除しても、
ハラが立つ。
ちょっと、おかしいぞ。
何でや?

………………………………そうか、オレや。
上に上げたおっさんの行動パターン、
全部、かつてのオレや。
道理でスラスラ書けると思った。

***************************************

こんなことがあったんです。

まあ、
先に書いたようなコト思ったんで、
「女性が怒っているときに、わかったように水を差して来るおっさん、って
見苦しいなア~」
と、
‘理解あるおっさん’風に、
パートナーに伝えたら、

「でも、前【一か月間、怒らないことに挑戦して下さい】って誓約書、私に書かせたよネ」

と、彼女は言うではないか。
私は、頭が真っ白になった。
「そんなことした?」
「した」
(別にパートナーは、イヤミで言っているわけではない。事実を語っているだけだ)
「意見書いうことかな?」
「いや、誓約書。ハッキリ言ってたで。『誓約書書いて』って。私書いたもん」

何ということだ。
私は、このことを完全に忘れていた。
おっさんの記憶は、都合良く淘汰されているのだ。
女子の怒りを
頭っから完全否定し、
それを書面に書かすという、
モラハラ人間が、
こんなに近くにいた。
いや近くやない。
私自身だ。

そういえば、
まだ主夫ではなく、
パートナーが産休・育休を取っていて、
私が外でバイトしていた時分、
育児の苦労で、
パートナーが、不安定になっていたことが、
あったような気がする。
その解決法として考えたのが、
誓約書を書かすというヤツだ…。

ドラえもん
タイムマシンをお願い。
あの頃の私に、ヤキを入れに行きたいです。

***************************************

せめて、
あの頃よりもマシになったと、
信じたいですね。
主夫となって、自分は果たして成長したのだろうか?
とりあえず、酒はやめました。
おっさんは、酒飲まんほうがエエです。
ロクなことしません。

あと、関係ないが、
自分は言うほど、
「もっと主夫が増えて欲しい!」
と、望んでいるのか?
それも、案外怪しいです。

こないだ、
保育園で、
行事のとき、たまに会ってた
パパさんが、
主夫になると聞いて、
最初は嬉しかったんですが、
このパパさん、
若く、ハンサムで、背も高く、
良い感じの人なんですよね。
自分のママ人気
(注:そんなものは存在しない。オレの幻影。いや幻覚)
が、奪い去られてはどうしよう?
と、思いましたよ。
主夫なんて、自分ひとりで充分です。
こんなに楽しいコトなんて、
誰にも教えたくないですね。

それと、
子どもが成長したら、
どうしようかと思いますよ。
主夫でない自分なんて、
それこそ、
ただの
いや、
ただ以下のおっさんですから。

ド不幸自伝① ~兵器工場~

 

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昨日、100円を拾った。
金を拾ったなど、何年ぶりのことだろう。
これは、予兆だ。予兆にちがいない。
金だ。
金が、オレのもとにやってくる。

そういえば、
「不幸は、金になる」
と、
マンガ家の西原理恵子さんが言っていた。
不幸体験に対峙する、
諦めの悪さの象徴として、
ふとした時、
自分の頭の中をよぎる代表格が、
この言葉だ。

西原さんのパートナーは、
これまた有名人の、
高須クリニックの先生なのは、
周知の事実。
高須氏は、
ボクとは真逆のスタンスの、
ある種の悪名高さで、通している。
最近、自分はツイッターを再開したので
(フォローお願いします)
高須氏のを、ちょっと見て見た。
目を被いたくなるような、つぶやきの中で、


西原理恵子のファンは全て僕の大事な人です」

と、あった。
うまく言い表せないが、
結局、
こんな感じの人と自分とは、
反射神経のレベルで、似通っているような気がする。
世にも恐ろしい話である。

せっかくだから、
書いてみよう
「不幸」
なんせ、金になるらしいから。

不幸話なんていうものは、
過去のものとして、
抜け出した状態でないと、
痛々しくて、書けるものではないだろう。
自分は、
抜け出しているから、
書くのだが、
抜け出しているということは、
オチも、わかっている。
あらかじめ決まられたオチに、
向かって、
書きすすめていくんやけど、
そういうのは苦手なので、
不安だ。
明後日の方向に、行くならまだしも、
途中で飽きて終わったら、
どうしよう。
飽きんためにも、
なるべく手短に、
カンタンに書きますね。

************************************

時は、1996年。
21歳のとき。
高校を出て、
アルバイトをしながら、
京都市左京区茶山のアパートで、
1人暮らしをしていた。
正社員として働いていなかったのは、
職にあぶれた…
と、いうわけでなく、
単に、
世の中と、
うまくいっていなかっただけのコトだ。

バイト先の同僚が、

「今の日本、どこかで適当な職についたら、別に食いっぱぐれることはない」
(だから、とりあえず、アルバイト暮らしをしていても良い)

と、言っていたのを覚えている。
自分の認識も、似たようなものだった。
バブル崩壊
と、いう言葉を聞いたのは、
高校生のとき、1993年。
不景気だとは言われてはいたが、
好景気の名残もまだ、あった。
だが、とっくに日本経済は下り坂に入っていて、
雇用システムの崩壊が、スタートしていたことは事実だった。
(後に、身を持って知ることになる)
自分は、ニブすぎて、
いろんなことに、気付いていなかった。
そもそも、
学校を、ドロップアウトしていたため、
新卒の就職状況など、
全く知らなかった。

そのように、
ノン気なアルバイト暮らしをしていたのが一転、
飛び出していた伏見の実家に、戻ることになってしまった。

自分は実家を憎悪していた。
その理由の一部は、
以前のブログで少し触れたが↓

tarouhan24.hatenablog.com

元母親(この言い方が限界)による、
幼少期からの虐待であった。
それでも、戻らざるをえなくなったのは、
元母親と父親が、喫茶店経営に失敗し、
借金を抱えた上、
父が入院することになったからだった。
(すでに、手遅れであった)
加えて、
妹(これも、元)の学費が必要であった。

更新料を支払ったばかりの、
アパートを引き払い、
実家の団地へと、引っ越した。
とにかく、金が必要だ。
気持ちを、切り替えねばならない。
アルバイト雑誌を購入して、
目についた、
一番時給の良い仕事に、迷わず応募することにした。

応募先は、
京都市南部にある鉄工場だった。
募集広告には、
その工場ではなく、
北大阪にある派遣会社の社名が書かれている。
初めて知った、
派遣会社という存在だった。

疑問に思うのだが、
自分のイメージでは、
労働者派遣法を、
派手に規制緩和したのは、
小泉内閣
調べてみると、
小泉内閣の忌まわしい仕事の中で、
製造業も、規制緩和の対象に入っている。
ところが、
施行されたのは、
この時よりはるか後の、2004年。
1996年は、橋本内閣だ。
橋本内閣は、26種の業務を緩和の対象にしたらしい。
ここだろうと思い、調べたが、
26種の詳細のソースが、発見できない。
だが、
この辺りを境に、
アルバイト雑誌に派遣会社の名前が、
急に増え始めたのは、確か。
法の施行と記憶を照らし合わせても、
イマイチ、ぴたりと当てはまらない。
この時期から、
自分の人生は混乱していくので、
いろんなことがデタラメになって、
様々な記憶違いを、呼んでいるのかもしれない。
そもそも、
インターネットでの、大ざっぱな調査では、
お話にならないだけなのかも、しれない。

************************************

製造業の経験など全くないのに、
即、採用だった。
工場内を見学した時、
激しい音で回転する電ノコを、
ブ厚い鉄板に当てがい、
バチバチと火花を立てながら、踏ん張っている、
手持ち面姿の工員を見て、

(自分に、こんな仕事がやっていけるのだろうか?)

と、思った。
不安というより、
今後20年かけて、大切に使うはずだった、
人生のエネルギーを前借りし、
21歳にして、
自分が早くも枯渇してしまったかのような、
気分だった。

就労して見ると、
思っていた程の、恐ろしい仕事ではなかった。
工場では、
様々な鉄塊を、
大がかりなシステムで、
切断し加工し、形にする。
どれほど鋭利な刃物で切り裂いても、
切断面には、ギザギザや鉄屑が付着する。
これを、
工場内では、
「バリ」とか「カエリ」
とか、言う。
加工品は、精密機械の一部になるはずなので、
この「バリ」があると、
機械の動作に支障をきたす。
「バリ」を、
ヤスリ、研磨機、砥石などで削り、
油で洗浄して、
(こればかりは、手作業でないと不可能だった)
計器を使用した、簡単な検査を終えて、
段ボール箱に詰め込み、出荷するのが仕事だった。
さほどでもない、
肉体労働といったところだろうか。


大型の研磨機で、
鉄片のカドを削り取るとき、
ブワッと発生する粉が、
高性能の、防塵マスクを装着しようとも、
自分の健康を蝕み、
寿命を縮めているような、気がしたものだった。
派遣社員だからなのか、
夜勤は、免除されていたので、
夜、眠ることができたのは、
幸いであった。
だが、作業は単調で、
毎日毎日、時間が経つのがウンザリするほど、
遅かった。

とにかく、カネが必要だ。
自分は、信じられないくらい従順だった。
タオルで頭を叩かれても、
そよ風のように、感じた。

従順の成果だろうか。
ある日、

「君、良かったらココの社員にならないか?」

と、工場のセンター長に言われた。

「考えさせてください」

と、自分は答えた。
日本経済は、
ここから、さらに落ち込んでいくので、
派遣社員から、正社員に「昇格」する機会も、
どんどん減っていくことに、なる。
「考えさせてください」
と、答えたのは、
望まぬ仕事の、正社員になってしまって、
人生の牢獄から、
抜けなくなってしまう、
と、いう恐怖もあったが、
とりあえず、
派遣社員として、在籍している方が、
手取りが良い。
そのことの方が、大きかった。
時給1300円は、当時として破格だった。

大体、
社員になるも何も、
自分が、
この工場で何を作っているのかさえ、
知らなかった。
ある日、
隣で作業をしていた社員に、
加工中の鉄片を見せ、

「これはなにになるんですか?」

と、不意に尋ねた。

「それは、オマエ…ミサイルやぞ」

と、社員は答えた。
彼が、冗談を言っているのかと思い、
自分は、愛想笑いで返した。
社員が、呆れた様な無表情で、
自分の顔を見るので、
「ミサイルなんですか?」
と、思わず聞き返した。
「ミサイルや」
彼は、繰り返した。
そんなことを言われても、
実感が湧かない。
自分は、握りしめていたハンカチを、
ポトリと落としたような、気分だった。

「昔は砲弾作ってたんやぞ。こんな(丸い)砲弾。
 ところが、淀が平和の街になってから、砲弾作れんようになった。
 ほんで今は、ミサイルやねん」

自分は、彼が何を言っているのか、よくわからなかった。
少し、パニックになっていたのだろうか、

「もし、原子爆弾を作る仕事だったら、どうします?」

と、自分は言った。
何のために、
こんな、とんでもないことを、
口にしているのだろう?
と、思ったが、
口元から、だらしなく言葉が漏れた。

「そんな、人殺しの道具を作るんやったら、オレ会社辞めるわ」
と、彼は答えた。

真っ先に心配したのは、
PKOだった。
周辺事態法が成立するのはまだ先、1999年。
イラク戦争も始まってはおらず、
1992年の、宮沢内閣のときに成立した、
PKO法こそ、
自分の作る兵器が、
買い手である自衛隊によって、
現実に、海外で使用されるかもしれない、
一番の可能性のように感じた。

PKOの意味が、
「国連平和維持活動」
であることだけは、知っていた。

(平和維持活動なのだから、大丈夫だろう)

自分は、
湧き上がりかけた危惧を、
一瞬で飲み込んだ。
自分は今でも、
PKOの実態はよく知らない。
今(2017年)、
多数の安保関連法が、強行され、
防衛費は拡大し、
当時と違い、
日本が集団的自衛権を受け入れてしまった、
状態となっては、
PKOから、武器使用を連想するなど、
単なる、考えすぎか、大間違いなのかもしれない。
だが実際に、
自分が、ミサイルを製造している事実からは逃れようがない。
(何処で使用されるのだ?)
と、いう恐怖は常に存在する。

作業中、
自分の持ち場の横に座っている、
パートのおばちゃん(皆、子どもの学費稼ぎのために勤務していた)
たちが、

「昨日、訓練(自衛隊)終わったらしいで。ウチから出たやつ(ミサイル)
 大丈夫やったみたいやア。良かったな」

とか、会話しているのを耳に挟んで、
「そうや。訓練!これは訓練に使われているものなんや」
そう強く思い、自分の心を納得させた。
検査中作業中の、
ミサイルの尾に当たる部品を、
清潔な白手袋で、ぐっと握りしめた。

工場は、
大手企業「コマツ」の下請けだった。
コマツは、
テレビCMで、
メジャーリーグの、
ロサンゼルス・ドジャースで大活躍していた、
野茂英雄投手の球を受ける、
マイク・ピアッツァ捕手が、
出演するCMを、流していた。
CMは、
ピアッツァ捕手の、イメージ・ビデオの様で、
コマツが、
何をしている企業なのか、
全くわからないシロモノだったから、
放映の目的が理解できなかったが
…なるほど、イメージアップのためだったのだ。
そういえば、
三菱なんて、
思いっきり軍需産業だ。
日立が「この木なんの木」
東芝が「サザエさん
の、裏で
原子力発電所を建設していることに、
気付くのは、
まだ先のことだったが。

(なんでも良い、カネが必要なのだ)

毎日、こう思っていた。
自分は、気付かぬうちに、
軍産複合体に巻き込まれていたのだ。
工場の作業着の下、
身につけていた、
愛用のジョン・レノンTシャツが、お笑い草だった。

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

つづく→  

主夫日記11月10日 ~主夫日記らしいことを書こう~


子どものことを、書こう。
子どものことを、書こう

…と、思い続けて、
何カ月経つだろうか?
何となく、イロイロあって、
書けんかった。

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ホンマに、
ず~~~~~~~っと、
頭ん中にあって、
まるで、
借金にでも追われているような、
気分だった。

叙事的な、
子どもの成長記録として、
このブログを活用しようというのが、
主夫日記を開始した、
動機のひとつだったのだが、
(もうひとつは、どーでも良いことを書く)
ムリだった。
所詮、オレだ。
根気がない。

大体、
子どもが生まれたときから、
子の成長の痕跡を、
漏らすことなく、
書きとめておきたい、
と、いう願望はあるにはあって、
当時なんかは、
ノートに日記をつけていたのだが、
半年坊主くらいで終わり、
中断後、
また別の新しいノートに、
気まぐれに再開し、
書き始め、
半年坊主で終わり、
今度はSNS投稿に記録し、
何となく書かなくなり、
そして、
このブログへと至っている。

自分でも覚えていないところに、
断片的な記録を残し、
しかも、
それを読み返すことが、
全くないと来ているから、
一体何をやっているんだろう?
と、思う。
結局、
子どもというのは、
ほとんど、こちらが知らぬ内に、
何となく、
成長している気がする。

前回、
子どものことを書いたのは、
夏休み明けで↓

tarouhan24.hatenablog.com休み中の出来事を、
ダイジェスト方式で、
いっぺんに書いている。
この時点ですでに、
成長記録としてのブログは、
破綻しかかっている…。

まあ、もう良いのだ。
そんとき、そんときに、
思いついたこと、
感じたことを書けば、それで良いのだ。

************************************

さすがに、
心配だったのは、

「〇〇君と、△△君がダイちゃん(ムスコのアダ名)見て、
 逃げろ~って言って、遊んでくれへん。ゼツボウやあ」

と、ムスコが言ってきた時のことだった。

(イジメ?)

と、背筋が寒くなった。
そのお友達ふたりとは、
仲良く、遊んでいたはずだった。
先程貼ったリンクの回にも書いたのだが、
家の中に入って来られるのが面倒で、
来るたびに、
「外で遊べ」と言って、
追い返していたのが、
良くなかったのだろうか?
オレのせいで、
ムスコが、
いじめられているのではないのか?
心配のあまり、
自意識過剰気味に、
物事を悪い方へと、
考えてしまう。

…で、コレがどうなったのか、
すっかり忘れてしまった。
今では、
別に、このふたりの友達とも、
無事仲良く遊んでいる。
あれは、
一体何やったんやろう?
確か、
この件は、
担任の先生とも、話あった気がする、
そのときの先生の対応が、
なるほど!
と、思わされるようなものだったはずなンだが、
これも、
残念ながら、覚えていない。

それとも、
別件と、カン違いしているのだろうか?
ムスコ、
靴を池か何かに、
投げ込まれたこともあったようだ。
この件は、
担任の先生が家まで来て、説明してくれた。
さすがに、オレも

「エ~~~~~~~~~~~~~~~!」
と、思わず声が出た。

センセは、

「勢いが余ったんでしょう。やった子には、きつく叱りました」

とか、言ってた気がする。
センセの対応に対する、
自分の納得度と感心度の記憶に照らし合わせて、
コメントが、
こんな、他愛の無いものであったはずないのだが…。
うーむ。

にしても、
センセは、
我が家に来るのが好きなのではないか?
と、たまに思ってしまう。
一度、
「ムスコが工作でケガをした、不注意だった、申し訳ない」
と、言いに来たこともあったのだが、
ムスコの指には、
痕すらない。

「ケガしたのか?」
とムスコに尋ねても、

つぶらな瞳で、
「?」だ。

センセの方と、
会話しているうちに、わかった。
本題はケガの件でなく、
通知表に、
良くない評価を
つけねばならないのだが、
つけっ放しで、
渡すだけでは正確なことは、
伝わらないので、
補足しに来たということらしい。

通知票の、
「思いやり」とか「責任」とかいう所に、
低評価をつけねばならないのだが、
それは、読んで字のごとく、
思いやりや責任感が無いというわけでなく、
ムスコは、
そのマイペースさゆえに、
たまに、周囲が見えなくなることがあるから
…と、いうことらしい。
良い先生である。

自分も、
親らしく、
「それはセンセ…!」
とか言って、
会話を交わしたりする。

「しかし、センセ。それはきっとセンセが、優し言わはるからですヨ。
 怒ったったらエエんですよ」オレ


「ボクね、これでも強く怒ってる方なんですヨ!でも彼(ムスコ)はね…」センセ

「イヤ、わかりますよ。ボクも彼のマイペースさには、ホトホト弱ってますヨ。
 そこに輪かけて、たまに家に友達連れてきますからね。一年坊主連中を見るんは、
 ホンマ大変なことや、思います」オレ

「いやいや、ボクなんか。学校いるときだけの話ですから、お父さんこそ、
 ず~っと一緒で、タイヘンでしょう」センセ

何とも締まらない。

と、まあ
こんな調子で書いていては、
ムスコがまるで、
無神経に、図太く成長しているだけみたいだが、
実際の彼は、
真っすぐで優しく、かつ繊細だ。
それは家でしか、
見せていないのかな?
また機会あれば、
そんなムスコも、
書いてみよう。

でもきっと、
センセや友達しか見たことがない、
ムスコもいるんやろな。

主夫日記11月8日 ~死刑判決と、I hope peace~

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どうも、
子どもを保育園に送りだす以外、
全く家から、出ていないような気がする。

唯一の、
社会との接点は、
コンビニで購入する新聞だ。
新聞報道の正確さなど、
全く、当てにならない。
そんなモノが、
唯一、社会への窓口なのだとしたら、
自分がどんどん、
作り物の世界に生きているかのような、
ヘンな錯覚に捕らわれてしまう。

癖みたいに、
余計なことを考える。
考えては、書く。
こんなことを書くのは、
最後にしようと、
いつも思うのだが、
考えては書く、
と、いうサイクルから、
ちっとも逃れられない。
まるで、
何かに取りつかれたかのようだ。

************************************

いつも買わない、
朝日新聞を買った。
トップ記事に、
何となく、引き寄せられたのだった。
自分は、全く知らなかったのだが、
痛ましい、
連続不審死事件の、判決が出たと書いてある。

記事を読んでいるうちに、
ますます、痛ましい気持ちになった。
被告は70歳の女性で、
4人もの、
高齢男性の不審死に関わった疑いがあり、
判決は死刑だということだ。
被告と男性とは、
いずれも、
結婚、交際していたという。

弁護側は、
「犯人は被告ではない」
と、無罪を主張しているが、
被告本人が、
「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
と、新聞記者との面会で、語っているらしい。
被害にあった男性や、
遺族の方の無念のコメントを、
目にすると、
とても、悲痛という言葉では言い表せない。

************************************


たまに、
孤独について考える。
現実の自分は、
家族もあり、
「平和」な世の中で、平穏な日々を過ごしている。
だが、
ひとたび、
こうした文章の中に、自分を出すと、
客観的な作為のモノサシが、
嫌でも入ってしまうから、
出した瞬間、その自分は、
虚構のようなものだ。
虚構の自分は、
孤独に耐えることができる、
フリをしている。
(このブログの、冒頭部分がそうだ)
しかし、
耐えることができる孤独など、
本当に、存在するのだろうか?

************************************

10年ちょっと前、
車の免許を、合宿で取りに行ったとき、
教官のひとりが、
(おそらく嘱託だろう)
警察での仕事を、定年まで勤めたと、
自己紹介で語っていた。

「辛い仕事をしていました」

と、彼は言った。
聞くと、
事故を起こし、
「免許を取り上げられると、明日から家族を養うことができない」
と、彼に訴える、
運送業のドライバーに、
免許取り消しの処分を下したことも、
あったらしい。
自分は、体中の血が逆流するのを感じ、
思わず、椅子から立ちあがったが、
少しの開き直りもない、
何かを直視した彼の目と、
真一文字に結ばれた唇を見て、
やりきれない気持ちで、
ヘナヘナと、腰が砕けたのを、覚えている。

自分が、
今後、経験することがあるのか、
わからないが、
仕事を完遂するというのは、
あの教官のようなことなのだろうか?

時代は、
良い方向にも、悪い方向にも変化している。
だが、
いわゆる、
‘ひとむかし前の男性’
の、中には、
『生きる』ことよりも、
『生き残る』ことを、
重要視せざるを得ない背景が、
あったのではないだろうか?
あくまで、勝手な想像だが。

形は違えど、
『生き残る』ために『生きる』
と、いう感触は自分の中にも確かに存在する。

真の孤独とは、
生き残らざるを得ない、
やるせなさだろう。
こんな、世の中でなかったら、
誰かのために、
精一杯、優しくしたかった、
という悔いが、
不意に、
ひとりの男の中に、
現れることを想像してみる。

被告女性から、男性へのメールの中には、
「私のような愚女を選んでくれてありがとう」
と、いう文もあったらしい。
女性は、被害者のことを、
「みんな、穏やかで良い人だった」
と、振り返る。
また、最初の被害者である、
長年連れ添った男性には、
「差別を受けた」
として、彼女が明快な意図を向けていたという、
記事もある。

私くらいの人生経験では、何もわからない。

一体、
自分は、何のためにこんなことを、
書いているのだろう。
人命が失われた事件を、
ほじくり返すなど、卑しいことだ…。
新聞記者の取材は、
あくまで、取材したことが書かれているだけだし、
私は、事件を今日のこの記事で知った。
出会いがしらの、又聞きだ。
正確なことなど、わかるはずもなく、
それこそ、
単なる癖で、
余計なことを、考えているだけなのかもしれない。
又は事件を、
架空の物語のように、
勝手に解釈しているだけなのかもしれない。


動機は、金銭?
金銭目的で、
そのようなことが、できるのだろうか?
ドストエフスキー
罪と罰」での、
ラスコーリニコフの犯罪動機など、
現実に比べれば、
単細胞なものだ。


彼女から、
謝罪の言葉は、
ついに聞かれなかった、と記事にある。

「私は何人も殺めた。でも、過去は消しゴムで消せないからね」
「みんな、穏やかで良い人だった」

このような、
言葉が出てくる心があれば、
ウソの謝罪を述べることなど、
簡単だろう。
なぜ、謝罪すらしないのか。
謝罪することにより、
破壊されてしまう心の内が、
(おそらくは)
この罪びとにあるのだとしたら、
それは、一体何なのだ?
わかるはずもない、
somethingだ。
なし崩し的に、裁かれる以外に方法はないのだろう。
オレは、相変わらず、
一番イヤな役を逃れ続けている。
この記事のすぐ横では、
一命で、
何人もの人間を殺めた男が、
世界のリーダーとして、
写真に収まっている。

この世が、
雑多な人間を乗せた
箱舟だと考えると、
そこから落下するものを出すことなく、
航海を続けることが、
いかに難しいかを、たまに考えさせられる。

個人的には
できることなら、
ホッとすることなく、
責任と情熱を持ち続けて、
強く生きたいものだ。

こういうやるせない時に、
使う言葉なのかな。
自分などが使うと、
安っぽくなると思っていたから。

I hope peace

 ~太朗庵~ 1分で出来る、出家

何もかもが、イヤになった。
全て、選挙のせいだ。
終わっても、まだ言うぞ。
何で、こんなワケのわからん解散総選挙
付き合わされ、
ガッチャガチャになって、
ついでにこっちも、
ガッチャガチャにされて、
金、
ぎょうさん使って、
何となく、
元のさやに収まって、
内閣支持率49%ときとる。
(どんな調査をしたのか、知らんが)
おかしい、絶対おかしい。

衆院選でこれまで3回の中で、最も多い得票数により、自民を強く信任してもらった」安倍晋三

おいおいおいおい。
やらんでもエエ解散、唐突にやっといて、他が勝手にコケて、台風来て、ロクすっぽ誰も投票に行かんで、何か信任やおますねんな。
こんな状態から、一体、何をはじめる言うねんな。
ここからはじまることは、全てウソやぞ。
サギですらないぞ。
ほとんど、タチの悪いイタズラや。
コレを国家の中枢にいる、
ええ大人がやっとる。
マジか。

こんな、
ガッチャガチャに付き合って、
ひとり相撲とって、
勝手に、
ガッチャガチャになっとる、
オレもオレや。
全てが、安倍シンゾーと、オレの所為のように、
錯覚する。

ほとほと、
自分にはイヤ気がさした。

決めた、出家する。

瀬戸内寂聴さんと、一緒や。
止めるな。
誰も、止めるなよ。
オレは、世を捨てる。
こんな、独裁政権に税金ビタ一文、払えるか。
(消費税、払ってしまってるやないか!)

今日から、庵をかまえる。
この家…
いや、部屋を庵にする。
看板も、今、作った。
名付けて…

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そう、
大変、ありがたいことに、
オレには部屋がある。
心地の良い部屋なので、
どんどんどんどん、出無精になっている。
近頃など、子どもを保育園に送り迎えする以外は、
全く、家を出ないほどだ。
そして、
出ないほどに、世を拗ねる。

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↑できたての看板を、
窓の外にこうして、貼りつける。

(さすがに、ご近所さんから、アブない人間だと思われたら、
 イヤなので、家の前の通りからは、死角になるところに、
 貼りつけている。気が小さい)

これで、庵の完成だ。
完成と言ったら、完成なのだ。
すると、マジな話、
看板を設置しただけで、
家(正確には部屋が)

「私は、太朗庵です」

と、新たな役割を認識したような、気がする。
単なる、ちらかった部屋が、
本当に厭世感と情緒溢れる、趣たっぷりの、
‘庵’に、思えてくる!
ここは、都会の喧騒から離れた、
静謐なる里山の、一間だ。
(実際は、単なる住宅街だが)

何と、わずか一分で、出家してしまったでは、ないか。

************************************

そんなわけで、
俗世より、はるか離れた
‘太朗庵’
まで、遊びに来てください。

ああ、でも大人はヤだな。
子どもが良い。
大人でも、純粋な子どもの心を持った
…いや、ウソウソ!
自分のコト棚に上げて、何を言うとんねん。
そもそも、大人やなかったら、
マズイやろ。

↓入口(窓ですが)を、開けてください…

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↓靴を脱いで上がると…

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↓このパノラマ!

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まあ、本でも読んで行ってください↓

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それとも、流行りの歌でもかけようか↓

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少しなら、奏でて歌えますよ!↓

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欲は捨てた!
金はいらねえ!
ましてや、
57億円もいらん!マジで、怒!

(安倍シンゾー首相たちがね、あの(!)トランプ大統領の、ムスメさんが関わってる、‘女性起業家を支援する基金’とやらに、57億円出すそうです…。2017年11月3日のニュース!)

全ての、欲は捨てた!
今までみたいに、
コーヒーを奢ってくださいなんて、言いません…!

tarouhan24.hatenablog.com


‘太朗庵’へのお客様へは、
私が、コーヒー頑張って作って、お出しします。
(オレのは、うまいです)
太朗’sカフェとか、
コーヒー奢ってくださいとか、
変則的なワケわからんことをしてるから、
一銭にもならんのだ、
これからは、
正統派にシフト!

なので↓

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よろしく、お願い致します。
流行りのドネーション制!
解釈、間違ってないよネ!

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そんなわけで、
出家した私の、
‘太朗庵’は、

平日の11時~14時まで、
主夫に優しい時間に、
営業…イヤ、
解放しております。

まあ、何だかんだ書きましたが、
‘太朗庵’
に、興味が出た方は、
フツーに、
気楽に、遊びにきてください。
まあ、
徹子の部屋』みたいなモンですかね…。
昔、みのもんたのが、
おもいっきりテレビでやってた、
『チョット聞いてよ!思いっきり生電話』
みたいなノリも、ありやと思います。
多分。

お待ちしてます。

*付記 何なら‘出張太朗庵’とかも、やろうかな…大矛盾してる気もするが。