タロウの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

11月29日、30日~今週もたくさん歌いました~

11月29日(水)↓
仕事帰り、
三条木屋町下る「わからん屋」の、
オープンマイクに行く。
自分も含めて、出演者=観客がたったの5人。
こういう雰囲気が実に良い。

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自分は3番目に歌う。
たった15分のステージ。
「おはよう」
「ジャンプの打ち切りマンガとカネやんの400勝」
「Glory to 香港」
の3曲を歌う。
前回のブログで書いた、
「Glory to 香港」を歌う理由について話す。
わずかでも、伝われば。

出演者の中に、
最近、
京都新聞で取り上げられて話題になった、
岡林信康の「山谷ブルース」原作詞者の平賀さんの姿があった。
人間国宝と握手させてください」
と申し出ると、
「下町の国宝ですよ」とニッコリ。
偉人は、案外身近なところにいるのだな。



11月30日(土)↓
午前中のみ仕事。
家にウクレレを取りに帰った後、
原点とも言える、
京阪伏見桃山駅前は大手筋商店街へ。
この日はどうしても、
大手筋で歌いたかったのだ。
路上で歌える、
まだ見ぬ誰かと出会えるかも知れない、
この感覚が大切なのだ。

自作の「資本主義」という歌を歌っていると、
マスクとサングラス姿の紳士が、
歌を気に入ってカンパをくれた。
全共闘だという、
その紳士は、
京都のシンガーソングライターの、
オクノ修に詞を提供したこともあるらしいが、
ご本人は全く表には出ておらず、
現在は、
難解な数式を日々解くなどして、
研究と思索に満ちた生活を送っているらしい。
ソフィア・ローレンの「ひまわり」の話や、
紳士の青春時代に、
自分と似たような歌手がいた話をしてくれ、
多いに励まされる。
自分の歌は、
ネオレアリズモだと、
身に余る褒め言葉を頂き、
ならばと、
しばらく歌う機会もないだろうと思っていた、
ロスト・ジェネレーションの歌」を歌う↓
https://www.youtube.com/watch?v=ZFIn1ZgyYEA&t=34s
13分超のこの曲。
紳士はじっと聞き入ってくれ、
「ラップが入っているが…ボブ・ディラン!」
と最大級の賛辞をくれた。
(自分では、ポエトリー・リーディングやトーキング・ブルースのつもりでも、
世代の方からしたら、ラップらしい)
全共闘世代なら、
議論がむき出しになり衝突するところを、
直前で回避していると、
自分の詞の特徴を評してくれた。
「40歳を越したくらいから、表現しだすのが一番面白い。
もっと歌いなさい、通行人の耳には必ず届いている」
と、言い残して紳士は去って行った。
ナルホド、
たまたま出会った紳士は、
すぐれた批評家でもあった。
ホント偉人は、案外身近なところにいるのだな。

一時間強、歌った。
思い出せる限りのセットリストは、
「資本主義」
自衛隊のおっちゃん」
「おはよう」
「ジャンプの打ち切りマンガとカネやんの400勝」
「Glory to 香港」
「そよ風」
「生活のうた」
「種」
「戦争と選挙はやめてくれ」
「他人の幸せ許せない」
「みちのみち」
ロスト・ジェネレーションのうた」



その足で、京阪電車に乗り、
今度は、
三条河原町アーケード前でライブ。
時刻は五時。
早くも日は落ちて、
河原町は、
気が早いクリスマスのイルミネーション。
友人Kさんが、励ましに来てくれる。
いつもは、
辺野古新基地に反対する京都行動の、
ステージであることが多いこの場所。
だからなのか、
何となく、社会的な曲から歌い出す。
思い出せるセットリストは…
「Glory to 香港」
「ハローハローハローハローハロー沖縄」
「おはよう」
「ニノヨイサッサイ宮古島
表現の自由
「戦争と選挙はやめてくれ」
「そよ風」
「他人の幸せ許せない」
「絶対ここから抜けだしてみせる」
「二人のシェルター」
「少女」
ここでも、一時間強歌う。

「Glory to 香港」は3回歌う。
どうやって歌えば良いのか、
わからないまま歌う。
しばらく演っていない自作曲を、
思いつきで演ったりするので、
コードがめちゃくちゃだったり、
キーを間違えたりするが、
気にならない。
キーを間違えた曲で、
外国の方がカンパをくれたりする。
声は出る、いやもっと出しても良いなと思う。
扱いが荒いアンプが雑音を出し、
自分には心地良い。
気分が良かったので、ラップもする。
Kさんは香港を想い黒マスク。
真横で、
自分が作った、
辺野古新基地建設NO この場所から】
【南西諸島への自衛隊配備を考えよう】
【Glory to 香港】
のプラカを抱えてくれたり、
撮影してくれたり、
まるでバンドだと思う。
メッセージ・バンドに音楽スキルなど関係ない。
楽しい。

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面白かったのが、
途中、
京都市長予定候補の、
村山祥栄氏の選挙カーが停まったこと。
街頭演説をしたい様子だが、
歌っている京都市民を、
追い出すわけにも行かず、
選挙カーは、何処かへと去っていた。
様々なことを考えたであろう、
困惑の表情の村山氏と目が合った。
全く応援していない予定候補なので、
良いことをしたのか、
悪いことをしたのか、
よくわからない。
正直、
応援している福山和人予定候補か?
と期待した自分がいた。
彼ならきっと、
こんなアホなことをしている、
ビンボー京都市民に困惑することなく、
楽しんでくれるだろうな~
と考えた。

11月21日 ~僕にとっての「Glory to the 香港」~

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1976年生まれなので、
中学生のときに起こった天安門事件は、
ちょっとした、心的外傷になっている。

疑うことを知らない年齢だったから、
天安門広場に学生たちが建てた、
洗練されている造形とは言えない「民主の女神像」も、
永遠にそこに在り続けるものだと、
思っていた。
だから、
像が倒れされたときはショックだった。
広場に集まっていた、
学生たちはどうなったのだろう?
久米宏がキャスターを務めていた、
ニュースステーションを見ても、
像が倒れた下の状況が、
わかる映像は、流れていなかったと思う。

何となく伝わったのは、
人民解放軍は兵器を使用したこと、
学生たちを始め、
多くの人たちが虐殺されたこと。

鄧小平と中国共産党指導部は、
してはならないことを、したこと。

成人してから、
少しでも事件の様子が知りたくて、
三条河原町にあった、
メディアショップという、
レンタルビデオ店の中古販売コーナーで、
まんま「天安門」というタイトルの、
ドキュメンタリー映画の、二巻組ビデオテープを購入したが、
この映画の中にも、
天安門広場のあの時を、
はっきりと捕えた映像は存在せず、
映画の中に出てくる、
柴玲や王丹の、
その後を考えると、
暗い気持ちになり、
それ異常、追いかける気もしなくなった。



香港だが、

「小林サッカー」というコメディー映画が好きだった。
映画が公開されたのは、返還後の2001年。
何せ、飛行機が嫌いなので、
海の向こうのことは、
人から聞くか、映画でも観て想像するしかない。
「小林サッカー」は、かなり好きな映画だった。
コメディーが好きということも、もちろんだし、
何と言うか、
太った男が空を飛ぶ場面があったり、
そーゆー、
自分の内にもあるバカな感覚を、
映画を通じて、共有することができた。
どんな近くの海外も、
自分にとっては、
まだ見ぬ黄金の国を夢見るように、
遠かったのだが、
「小林サッカー」を見終わった瞬間、
香港の空気を、胸に吸い込んだ気がしたものだ。

だから、
今の香港の状態が信じられない。
「小林サッカー」の呑気なコメディー感覚を持った、
あの香港が。



周庭さんが、
発信している情報を見るのが、辛く怖い。
何となく見覚えがあるような、
コンクリートの道路の上を、
黒いマスクをした、学生や市民たちが、
香港警察が解禁した殺人兵器より逃げ惑う。
映像で見ると、
その足取りは、生命力に溢れているようだが、
心の内はどれほどの恐怖とパニックだろう。
「逃げろ、逃げてくれ」
としか、考えることができない。
「小林サッカー」が好きでも、
今の香港に在り得たかもしれない自分を、
想像することができない。
唖然と映像を見ているばかりだった。

だから、
真由美さんから送られてきた、
「Glory to the 香港」の歌詞を見て、
考え込んでしまった。

なぜ涙が止まらない 何故怒りに震える
頭上げ沈黙を破り 叫べ自由を求めて
なぜ恐怖は消えない なぜ信じて諦めない
なぜ血を流しても 前に進むの
自由で輝く 香港のため
星も見えない 暗い夜に
遥か向こうから聞こえる つのぶえ
自由のために ここに集え 全力で闘おう
夜明けだ 取り戻せ香港 
みな正義のため 革命を
どうか民主と自由が永遠であれ 
香港に栄光あれ

歌詞の一部、
「なぜ血を流しても」

自分に、ここが歌えるだろうか?
血を流すとは、
どういうことだろう?と、考える。

周庭さんの発信を思い出す。
天安門事件を想像する。

血を流す…
目をやられ、皮膚が避け、肉が弾け、内臓が飛びだし、
激痛に身悶えすることか?
怖い、逃げてくれ。

「みな正義のため 革命を」
革命とは何なのかと、考える。
本当の革命家というものが存在するならば、
恐らく、
愛する人より、共に闘う同志を選ぶだろう。
自分にはそれはできない。
真っ先に家族を思う。
しかし、
香港の皆がやりたいことは、
革命なのだろうか?
自分たちを脅かすものから、
身を守ろうとしているだけでは、
ないのか?
それなら理解できるかも知れない。
自分たちが、
自分として生きる権利そのものが、
脅かされるとき、
怖くて怖くて、仕方なくとも、
闘いの場に行く時が来るのだろうか?
いややはり、
自分なら家に隠れているのではないか?
それとも、
もはや、
普通に歩いているだけで、
香港警察にわずかでも疑われると、
暴力を受ける対象になってしまう、
そのような状況なのだろうか?

自分の心は、
果して香港のあの現場に在るのか?
と、考える。
何度映像を見ても、
(逃げろ、逃げてくれ)
それしか出てこない。

歌詞を勝手に変えてやろうか?
と思う。
「血を流しても」を「傷ついても」
にする。
原曲をYouTubeで見る。
字幕は、
「何解 血在流」
「傷ついても」ではない。
誤魔化しがきかない。

自分は考えることを止めて、
恐る恐る、只歌って見る。
真由美さんの歌いまわしは、独特で、
真似るのは難しい。
このコードで、
なぜこんな風に歌えるのだろう?と思う。
それでも、なぞるように何とか歌ってみる。
最後の方、

「どうか民主と自由が永遠であれ」 

を歌うと、
正直、胸にジーンと来る。
自分の中身は空っぽだ。
歌が身体を通過する。
只のメッセンジャーなのかも知れない。
しかし、
歌ってみることは大事だ。
全く違う性格の歌だが、
宮古島にミサイルいらないよ、
と伝える、
『ニノヨイサッサイ宮古島』を、
初めて歌ったときのことを、
思い出す。



歌う以外の用意をしないまま、
11月21日、
三条河川敷での、
香港連帯スタンディングに参加する。
新聞記事にもなったし、
スピーカー(話し手)となった人達は、
香港、中国、カタルーニャ、メキシコ、台湾、
正に世界各国から、
愚かな大国指導者の意図を乗り越えて、
半ば偶然集まり、
香港を想って話した。
この日が、
いかに奇跡的な集まりだったかは、
友人たちが素晴らしい報告を書き、
広めてくれているので、
詳しくは書かない。
自分自身は集まりの最中、
この奇跡を実感することができず、
家に帰って思い出し、
こんな導きを、
南海子さん以外誰ができるか?
と改めて思い返した。

ひとりのスピーカーが、
中国共産党を糾弾しながら、
「自由と民主主義のために!」
と連呼していた。
その、
直情的なまでの、
たどたどしさから、
ひょっとしたら、
普段インターネットに、
偏った、
反中国思想を書きこんだりしてるのかも知れない、
と想像する。
何でも良い、
つながるきっかけがあるのなら、
まずは友達になりたい、と思う。
自分だってもはや、
ポップアートの素材みたいな、
習近平の顔を見ても、
笑うことができないのだ。

皆で「Glory to the 香港」を歌う。
理工大学に閉じ込められている、
学生たちのことを考える。
学生たちを救助する現場にいた(!)という、
スピーカーの男性が、
危険な救助に、
10代の中高生の姿もあったと、
泣きながら伝えていた。
何と言うことか。
もはや、そうでもしなければ仕方がない、
極限状況なのか。

極限状況では、
歌が人と人をつなげ、
かすかな勇気を、胸に灯すのかも知れない。
ひょっとしたら、
「この人となら、死んでもよい」
と、思ったりするのかも知れない。
だが、そんな考えは、
この連帯スタンディングが終わった後に、
同じく、
香港の友人より状況を聞いたという、
ひとりのスピーカーが、
たまたま隣にいた自分に伝えた、
香港警察による女性への性暴力の話により、
絶望的に打ち砕かれる。
別の考えが思い浮かぶ。
無法地帯という、
暴力を自分の中で容認できてしまう環境の中では、
またしても、自分は加害者になってしまうことも、
あるのではないか?と。

人間の中身を変えてしまうものは、
一体、何なのだろう?
香港警察は、
かつての人民解放軍のように、
暴力組織としての自分たちを解放してしまった。
習近平は、
一体どんな指令を出したのだろう?
中国から来たスピーカーは、
中国に住む人間の大部分は香港を救いたいと、
思っている。
だが、
それを言うことは許されない状況だと言っていた。
彼は、京都の三条河原なのに、
その場で黒マスクを着用した。
(中国では、顔認証システムが個人に網を張っているのだ)



とにかく、歌った。
皆と歌った。
「Glory to the 香港」
それしかなかった。
歌の導きが無ければ、
あの場にいなかったかも知れない。
歌と、自分との距離がわからないまま歌う。
どんな歌声になっていたのだろう?

家に帰ってからも、
何度も、歌う。
一回歌うごとに、
自分が少しずつ変化するのを感じる。
街で歌う必要があるな、と思う。

先に書いたように、
例え、
自分の中身は空っぽでも、
香港のことを伝える、
メッセンジャーとしての義務は、
アジアに住んでる人間として、
自分にある。
(自分たちにと考えたら、少し気が楽だ)
自分の心は香港のあの現場に在るのか?
何度も、自問自答する。
やはり、わからない。
わからないまま歌う。

その歌声がどう聞こえるのか、
自分にはわからない。

https://www.youtube.com/watch?v=D_rZ01tkUdc&t=10s







11月2日~ピースピースライブに出演する~

昨日11月2日は、
「ピースピースライブ」に参加させてもらいました↓

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この時期は喉の調子が悪く、
行きの道中アカシアはちみつをナメナメしておりました。

なんせ、
豪華ミュージシャンと共演できるので、
チャンスとばかり、本番前に
音楽の質問をいろいろしてみました。

Q「ライブ出演が楽しみ過ぎて、テンションが上がりすぎて、
 ピークが3日前程に来てしまい、当日ぐったりしてしまう。
 良い調整方法はないのか?」
A「3日前のMAXの日に動画を自撮りしてライブ当日に流す」
 

Q「今日演る曲が決まっていない。どうすれば良いか?」
A「それは決めておいた方が良い」

Q「曲が多くて決められない」
A「作りすぎや」

…等々。
私は、曲作りを初めて2年足らず。
オリジナルは共作も含めて、
35曲。
まあ、多いこともないのでしょうが、
キャリアとライブ回数に対して見たら、
過剰供給のため、
完全にインフレを起こしています。
一曲一曲の価値が、
ものすごく低くなってるんですね。
れ〇わ新選組が政権を奪取した後の、
そう遠くない日本の未来を見るようです。

冗談は置いといて、
すばらしい共演者の方々でした。
以下、出演順↓

中塚智彦…ともさん、一見ハンサムな兄さんですが、沁み出る感情、ともさんにしか見えない世界を弾き語るロッカーです。

タロウ…私です。

あゆるん…アイドル性あふれる歌声の、ウクレレ先輩ママさん。「るるらるら」は疑り深い自分も素直に感動する名曲です。

ザハラファイヤー…名高い大阪のレゲエバンドで、生で見れるのが楽しみでした。メッセージで踊らされましたね。一曲目で持っていかれ、テンションが上がりすぎたため、名曲の「段ボールハウス」をまったりと聞いてました。

井上総司…この日はじめてお会いした、今どき珍しい朴訥かつ直情的なまでの、純フォークシンガーの方でした。

コージーのむら…このライブを情熱プロデュース。あらゆる差別や暴力と闘い、全力をもって、音楽で世界を変えようとしてはるのが伝わるステージでした。積み重ねに裏打ちされた、熟成ワインのような深い声、こればかりはマネできません。この場に呼んで頂いて、ホント光栄です。

ハッピーワンステップ…この日の舞台会場であったGnomeさんのバンド。ギター、キーボード、ベースのエレクトリック編成で、こんな隠し玉があったのか!とびっくりしました。

私はというと…
セットリスト
1 おはよう
2 少女
表現の自由
4 夫をあの世の送りたい(short.ver)

中々、良かったですよ。
20分の中に、メッセージを込めて歌いました。
時間の関係で、
「夫をあの世に送りたい」
はサビの部分のみを、繰り返しました。

「一緒に!」
と、合唱を強要したのですが、
お客さんは何のことがわからず、

「え~っ…?」
という、戸惑いの声が上がったのが忘れられないです。

ザハラファイヤーVoかおりさんが、私とは思えんカッコ良い写真を撮ってくださいました↓

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以上。
歌いますヨ!ライブに呼んで下さいね~(^^)/


9月5日 ~週刊ポスト編集部に電話をする~

近頃は、
大阪まで、職業訓練のための学校に通う毎日だ。



電車通学が、割と好きである。
線路沿いのコンビニで必ず新聞を買う。
今日の駅前では、公明党の市会議員が、
ゼンマイ人形のように喋っていた。

電車の中で新聞を広げるが、
ここのところ、ロクなニュースがない。
いや、
悪い記事なら、まだマシなのかもしれない。
話題の、週刊ポストの広告、

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が、目に入ってきたときは、息が止まったものだ。
(9月2日の京都新聞
3日間、
悶々としていたが、
やはり、週刊ポストに電話で意見することにした。



通学の身なので、
平日に時間がない。
仕方がないので、
学校の昼休憩の一時間を使うことにする。



まあ、意見というよりは抗議である。
好き好んで、
抗議の電話をする人間がいるだろうか?
気が重いコトこの上ない。
出来ることなら、
机に打っ伏して寝ていたい。
少しでも休憩して、疲れを取りたい。

人前では気が散るので、
コンビニの、イートインを探すが、
何処も満員だ。
さすが大阪。
精一杯、迷惑にならない場所をと、
配慮した結果、
路地裏の、ビルとビルのすき間の、
何とも言えないスペースに、
陣取ることになる。
自分のスマホで、
ネットで調べた、
週刊ポスト編集部の電話番号を打つ。

びびっている。

あのような見出しを、企画する編集部。
鬼畜のような人間が出てきたらどうしよう。



「はい、週刊ポスト編集部です」

抗議が殺到して、
回線がパンクしているのでは?
と思ったが、
すぐに繋がった。

(本当に、週刊ポストの編集部だ!)と思う。

電話の向こうには、
テレビドラマに出てくるような、
出版社のオフィスビルの風景があるはずだ。

「私、京都に住んでいる〇〇太朗と申します」自己紹介をする。

「…はい」
生返事だが、よく通る男性の声だ。
心当たりの無い名前だ?
と、いった感じの反応だ。

「お忙しいところ、すみません。今週発売の週刊ポストさんの、今話題になってますね。広告の見出しついて意見したいことがあって、お電話させてもらいました」

私は緊張したまま言った。

「は…はい」
と、男性の声のトーンは神妙になる。
意外だった。
きっと、
高圧的な対応だろうと思っていたから、
おかげで、
少し緊張がほぐれた。

「大切なことなので、出来れば、編集長とお話しさせて頂きたいのですが、可能でしょうか?むしろ、小学館の社長さんが出てこなければいけない程の、重要な話だと思うのですが、せめて編集長さんと思いまして」私は言った。

「…それは、不可能です」男性は言った。

それ以上は突っ込めず、
私はまず、
この男性に、
一通り思うことを、
なるべくすっきり、喋ろうと思った。

記事は読んでおらず、
広告の見出しへの抗議であること、
中でも、
「10人に1人は要治療、怒りを抑制できない韓国人という病理」
という見出しは、
常軌を逸している、
私は日本人だが、
私には、
コリアンの友人、知り合いは、
子どもの頃から今に至るまで、
たくさんいるが、
見出しのようなことがあり得ないのは、
普通に生きてて、
当たり前にわかること。
広告は、
電車内、新聞と様々な場所で目にする。
もし、
この広告を日本にいるコリアンの、
子どもたちが見たら、
一生心に消えない、トラウマになるかもしれない。
過激な人間が、
暴力をふるうきっかけになるかもしれない…等。

電話に出た男性は、
終始「はい」「はい」と、
神妙な調子を保って返事をしている。
要領良く、
取りつくろっている様には、聞こえない。

私の方が、
ほとんど一方的に語っていた会話の、
わずかなすき間に、
男性は、

「ここは、週刊ポストの編集部に繋がっているので、そういったことは、小学館の広報の方へ言って頂いけないでしょうか?」と言った。

「何故でしょうか?私の友人が、同じような思いで、小学館に電話をしたら、この週刊ポスト編集部の番号を案内されたそうです。週刊ポストさんの書かれた記事だから、編集部に、お伝えするものではないでしょうか?」

私がそう言うと、
男性は困って沈黙した。

深い意味など、無いのだろう。
私も、客商売をしていた頃があり、
クレームの電話を受ける立場だったことがある。
受ける立場なら、
余所に言ってくれと思う。
だが、私は商売上のミスや理不尽にクレームを入れているわけではなく、
ヘイトに抗議しているのだ。

「あなたは、私が言ったことをどう思います?もし、コリアンの方や、子どもがこの広告を目にしたら」私は言う。

「個人の意見は、言えないです」男性は言う。

「どうしてですか?」

…男性が、何と答えたのか、
よく覚えていない、
と、いうより理解できなかった。
テープを回すつもりなどなかったから、
意味が不明だと、記憶に残らない。

週刊ポストのことを、自分が代表して言える立場ではない)

男性は、そんな風に言った気がする。
要するに、
この男性には、
組織の論理の圧力が、働いているのだろう。

私は、
週刊ポストの方ですか?」と尋ねた。
「はい」
「ならば、週刊ポストのことを言っても良いのでは?単純に」
「その立場に無いんです。返事できるものに代わります」
「あなたで良いですよ、あなたの意見が聞きたいんです」
「…返事できるものに、代わります。どういったことをお伝えしたいのか、もう一度言って頂けないでしょうか?」
「今、言っていたことです」
「今、言っていたことは?」
「今、言っていたことです」
「それでは伝えようがないので」

「もう一度、同じことを言ったら良いですか?」

私は、
努力して最初に言ったことと、
ほぼ、全く同じことを言った↓

『記事に関する抗議ではなく、
広告の見出しへの抗議であること、
中でも、
「10人に1人は要治療、怒りを抑制できない韓国人という病理」
という見出しは、
常軌を逸している、
私は日本人だが、
私には、
コリアンの友人、知り合いは、
子どもの頃から今に至るまで、
たくさんいる。
見出しのようなことがあり得ないのは、
普通に生きてて、
当たり前にわかること。
広告は、
電車内、新聞と様々な場所で目にする。
もしこの広告をコリアンの、
子どもたちが見たら、
一生心に消えない、トラウマになるかもしれない。
過激な人間が、
暴力をふるうきっかけになるかもしれない…等』



ほとんど待たずして、
人が代わった。
今度こそ、
とんでもない鬼が出てくるのでは?
私は、また恐怖した。

週刊ポスト副編集長のHです」

先程の男性以上に神妙な声だった。
「え…?何さんと仰いました?」
副編集長とは聞こえたが、
名前の部分の声が小さく、
聞きとれなかった。
「Hです」
「Hさんですか…わかりました。〇〇太朗と申します。今週の広告の見出しについて意見したいことがありまして…」

何度でも同じことを言うつもりだ。
しかし、
休憩時間の終わりが迫ってくるのが、気になる。

「激動の日韓情勢について、様々なシュミレーションを行うのが記事の趣旨でした。しかし、ご指摘頂いた点、韓国をまとめて論拠するといったところは、誤解をまねく表現であり、配慮が足らなかったと思います…」

副編集長だからと言って、
ズバズバと喋るというわけではなかった。
先程の男性と同じように、言えないことの方が多いようだった。
それにしても、
【韓国をまとめて論拠すること】が、誤りであるなど、
私もうまく言い表せないニュアンスを、
週刊ポストの副編集長が、
言葉として、持っていることに、
妙な感じがした。

「お詫び文は出されていましたよね。誤解をまねくとか、他のご意見と合わせてとか、正直、取り繕ったようにしか見えないんですよ。あの見出しは誤解しようがない書き方でしたよ。そのまま取るしかないというか…うまく言えませんが」

「あのお詫びは、週刊ポストの総意ということで出させて頂きました。真摯に受け止めさせて頂くよりないと思います」

H副編集長の言うことは、よく理解できなかった。

私は、
様々な言葉で持ちかけてみたのだが、
結局は、
「誤解をまねいた」「配慮が足らなかった」「真摯に受け止める」
といった、慣用句に終始してしまうのだった。
だが、
H副編集長の口調は、
まるでロボットの様だというわけではなく、
まぎれもなく、血の通った人間の物だった。

私はそこに賭けてみたかった。

「Hさん、お子さんはいらっしゃいますか?」
失礼な質問をした。

「…私ですか?おりません」

H編集長は、
戸惑いを隠さず答える。
非道な質問には、戸惑って当然だ。
何と人間らしいかことか。

「失礼なことを聞きました。いろんな人に対して失礼ですね。今、言ったこと後悔してます。子どもがいれば、想像しやすいかと思ったんです…そうですね。私が、一番お聞きしたいのは、もし、コリアンの少年や少女、それに限らず子どもが、広告を電車内や新聞で見たら、どういう気持ちになるか?Hさんは、どう思われるのか?それが聞きたいんです」

「子どもに限らず、様々な方が見られると思います。配慮に欠けていたと思います」

「Hさん、もし子どもが見たらに限って、答えて頂きたいです。多分、私はそれが一番聞きたいんだと思うんです。重要だと思うんです」

「配慮に欠けていた。お詫びしなければならないと思います」

「あのお詫び文で、充分だとお考えでしょうか?」

週刊ポストの総意です。真摯にご意見を受け止めたいです」

堂々巡りが続くのだ。

「Hさん、私が聞きたいことはシンプルです。もし、子どもがあの広告を見たらどう思うか?Hさんの考えが聞きたいんです。人間対人間で喋りたいんです。無理に謝らなくとも良いのです。広告が正しかったと思われるなら、むしろそう言って頂きたいんです」

私は、こうなったら、
露悪的になってやろうと思い、
なおも言葉を続けた。

「私は汚な~い人間ですよ。週刊誌は、キレイごとや無いゆうのもよく分かります。ゴシップやエロ記事も、大好きです。韓国も、ムンジェインも別に好きではないです。嫌いなくらいかも、知れません。ムンジェインを叩いても、面白いと思いますよ。今週の文春みたいに、叩いてください。でも、ひとつの民族を、丸ごと叩くのはヘイトです。一線を越えてます。Hさん、あの見出しを子どもが見たら…」

どうやってかわし続けていたのかな。
どのように問い掛けても、
Hさんには、
自身がどう思っているのか、仰って頂けなかった。
絶望的な平行線だった。



結局、
話が、終わりに差し掛かかることになったのは、
イムリミットの為だった。
休憩時間が終わる。

私は、H副編集長に、
検証記事を書いて、
時間をかけて廃刊に持っていた方が良い、
長年愛読していた、
金ヤン(金田正一)の巨人キャンプ訪問記事など、
大好きだったので、
廃刊したら、
残念だがと伝えた。

それにしても、
ヘイトを出してしまった雑誌の、
責任者に近い人物が、
エリート然とした紳士的な物言いと、
知性的な声を持っているという事実は、。
一体何なのだろう?と思う。



最後に、私はHさんに伝えた。

「このやり取りを、ブログに書きたいんです。よろしいですか?あ、私何でもない人間です。私が書いたブログなんて、友人くらいしか読みません。Hさん、お名前は…出さない方が良いですよね?」

「そんなことはないです。何かを書かれるということに大して、その自由をこちらが制限するのは違うと思います」

「そんなことはないですよ、Hさん。プライバシーの問題ありますからね。何かを書くというのは、書く方が配慮をすることなのだと思います。やはり名前は出しませんよ」

「………」

そう、表現の自由なんて、
私には要らないのだ。

「貴重なお時間を頂いて、ありがとうございました」
と互いに言い合って、
電話を切った。
虚しかった。
何処へも行きつかず、
着地点の無い、このやり取り。



休憩時間をギリギリまで使い果たし、
私は小走りで、
学校へと戻った。
天気予報の通り、
雨がパラパラと降ってきて、
この後、どしゃ降りになった。
私の心もどしゃ降りだった。

でも↓

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雨上がりに、虹は出ましたけどね。


8月25日~久しぶりの大手筋路上ライブ~

8月も、結構歌ってます。
友達に呼んでもらったり、
押し掛けたり、
町内の地蔵盆だったり。
一回一回レポートを書きたいのですが、
中々(^_^;)

今日は、
暑さもマシになってきたこともあり、
久しぶりに、
近所の大手筋商店街で、
路上ライブをやりました。

セットリストは、

ニノヨイサッサイ宮古島 (MASA,KAORI)
大きくなると (DAICHAN,太朗)
悲しくてやりきれない (フォーク・クルセダーズ)
Only love can break your heart (二ール・ヤング)
ハローハローハローハローハロー沖縄
少女
あなたがわからない
ロスト・ジェネレーションの歌

友達
He should be the last emperor~天皇陛下はいらない~
自衛隊のおっちゃん
生活のうた
雨の音 (DAICHAN,太朗)
太朗のラップ
みちのみち (DAICHAN,太朗)
イムジン河 (フォーク・クルセダーズ)
*括弧無いものは私の作詞作曲です。

17曲、一時間半。
調子が良かったというか、
結構発見がありましたね。
弾き語りのコツを、掴んだかもしれません。
今までは、演奏することが、
どうにも申し訳なかったんですが、
今日は、
ああこんな感じなら、
歌っても良いだろう~
と、思えるようになりました。

理由はいくつかあると思うのですが、
まず、

アンプとマイクのサジ加減が、
何となく掴めたんですね。
8月は、
三条河原町の京都行動にも、
参加したのですが、
そん時遊びで、
人の演奏でPAごっこをしたのが、
効いたんです。
全くの無頓着だった、
機材の設置を、
ちょっと意識的にやりました。

マイクとアンプがしっくりくると、
声の出し方も、
ウクレレの弾き方も、
ヘンに肩に力が入ることなく、
周りの景色も良く見えました。
フォークシンガーっぽかったです。
ご機嫌に演奏していると、
通行人の方も笑顔になってくれて、
嬉しいもんですね。

加えて、
段々、
コードを押さえられるようになってきてるし、
息つぎも、
出来るようになってきました。
ここんとこは、
あまり曲も作らず、
家でヒマがあると、
練習していたのも、
プラスでした。

それに、
歌と自分に少し距離ができましたね。
今までは、
歌のメッセージが自分そのものすぎて、
しんどい部分があったのですが、
今日は、
歌自体が頑張ってくれたというか。

そんなわけで、
珍しくゴキゲンで歌ってたのですが、
スマホの操作を誤り、
動画も何も残っていないので、
ウマくいったと自分で言ったところで、
証拠はないです。



今日のメッセージは、
このボードです↓

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興味を持って、話しかけて下さる方もいたのですが、
口下手なので、
「こういうことです」
くらいしか言えず、
気恥ずかしくなりました。

ところが、
「太朗のラップ」という歌を歌っているとき、
思いがけず、

あの美しい島が、
宮古島
と、沖縄本島しか行ったことないけど、
あんなトコが、
ミサイルや軍隊なんぞで、
キナ臭いのは、
ボクは…

とかなんとか、
ブツブツ訴える自分に驚きましたね。

問題を知ってくれる人が増えることを、
願ってやまないです。
知も力もない自分が、
知ってるだけでは、どうしようもないですからね。
誰かが、何とかしてくれるかもしれない。
問題は、
抱えられる限り、
たくさん知りたいです。

最後は、
イムジン河」を歌ったのですが、
ヤマト民族(多分)の自分は、
これを歌ってはならないと思っているので、
歌ってしまったのは、
はずみです。
しまったと思いましたが、
嘘をつくのも良くないので、
ここに書いておきます。


あいちトリエンナーレの、少女像撤去について思ったこと

こんな歌を、書いた↓

【少女】 作詞:作曲 太朗

私はここにいる
私はここにいる

どこにも行きません
どこにも行けません
ここから動かない
ここから動けない

いつでもこの場所に座って
あなたの心 揺らし続けてる

だからここにいて
だからここにいて
だからここにいて

*

私はここにいる
私はここにいる

何も気にしないで
何も気にしないで
どこにも行きません
どこにも行きません

あなたを許せる日は来ない
だから安心して苦しんで

ここにいて
安心して
苦しんで

ここにいて
安心して
苦しんで↓

https://www.youtube.com/watch?v=AFdtPsshUmQ



暗く、辛い日々が続いている。
私は、なるべく波風を立てずに生きていたい方だ。
争いは、できる限り避けたいから、極力何も語らないし、
語ったとしても、当たり障りの無い言い方をしようと思っている。

歌を歌ったり、
絵を描いたりしたら、良いのだと思う。

でも、近頃は歌を作って歌っても、何も伝わらない。
こんなイヤな言い方をしなければ、
伝わらないのか?と思うことが多い。
皆、同じ顔をして、同じ言葉を使い、同じことで悩み続け、同じ議論をしている。
何故、こんなことになってしまったのだろう?
思えば、
安倍内閣の政策は、世の中をすっかり50:50に分けてしまった。
人々は、何VS何という風にしか、物事を捕えられなくなり、インターネットの言葉は過激になるばかりだ。
世の中全体が、すっかり不感症にでもなってしまったのだろうか。



あいちトリエンナーレの騒ぎが耐えられない。
展示作品であった少女像が、多くのが脅迫をきっかけに撤去された事件だ。

最初に言いたいのは、戦地における軍隊という状況に私がいたら、私は間違いなく少女を利用していただろうということだ。

幸運なことに、今私は戦乱の状況ではない中を生きている。
仕事に疲れたり、仕事を探すことに疲れたり、そもそも生きていること自体に疲れたり。そんな夜、私は強烈な渇きを覚え、安らぎを求める。さらに幸運なことに、私には家があり、家族があり、話相手がおり、コンビニのお菓子や、アルコールや、気晴らしのインターネットがある。精一杯、息を吹き返した後、大して勉強もせず睡眠をとり、わずかばかりの活力を取り戻し、明日へと自分の心と体を繋ぐ。

戦地でないから、善人なのだ。



少女像を、出来る限り見ないようにしてきた。視界に入ったとしても薄目で見ていた。
何故なら、恐ろしいからだ。
彼女の瞳に自分の心の中に潜む欲望を見透かされている気がする。
いや、きっと見透かされている。そういう瞳をしている。蹂躙され尽くし、傷つき尽くした後に、魂が凍ってしまったような、澄んだ瞳。



このあいちトリエンナーレ事件で異常なのは唯一、異性愛者の男たちだ。
そして私は、異性愛者の男性だ。いわゆる多数派というやつだ。

確かに、友人の中には、腹の中がカラッとしていて、お日様みたいで、絶対、この人なら生まれてこの方ハラスメント、とりわけ女性に対してハラスメントなどしたことないだろうな、と思える男性はいる。悪意を込めて言えば、あまり男っぽくない男性だ。

しかし私がSNSの世界で何回か見かけたのは、少女像の横に腰かけたり、寄り添ったり、あげくに手を添えたり、花束を捧げたり、記念写真を撮影したりする男たちの姿だ。
実におぞましかった。
恥は、無いのか?と思う。
どういった神経で、少女に寄り添うなどというマネが出来るのだろうか?
何故そこまでして、自分の腹の内にモザイクをかけることができるのだろうか?
そんな者を多く目にしたのは、私がそういった恥知らずな男たち側の人間だからと思う。

少女像の瞳の問いかけにひとりの男として向かいあうことなく、国際問題や、歴史認識や、人権問題や、表現の自由や、イデオロギーとして、主張するのが最も楽チンだ。正義に逃げれば、自らの立場は保証される。
逆に言えば、少女像に恐怖しショックを受け、自分が解釈したい方に歴史を解釈し脅迫までする卑怯者の方が、作品に対して全うな反応を見せているのだ。

大体、あの作品は芸術作品として二流以下だと思う。
少女像は傷つけられ、物静かに悲しみ、怒りに満ち、激痛に満ちている。美術館如きに陳列し、安っぽいアートに仕立て上げ、椅子を設置し、わざとらしく問い掛ける。
何をどうしろと言うのだ?
怖い。私は怖いだけだ。
土下座して、血が出るほど額を地面に打ちつけても、少女の苦痛に対しては何ひとつ意味がないのだ。
立派な人間だから、己に厳しいわけではない。ただ単に彼女の瞳から逃げきれないだけだのことだ。

死ね、気持ち悪いおっさん。
死ね、太朗。

7月7日~ふしみ政治カフェで歌う~

こんにちは、太朗です。

7月7日、

喫茶うずらにて行われた↓
https://www.cafe-uzura.info/

「ふしみ政治カフェ」に、ウクレレミュージシャンとして参加しました。

「♪生活のうた」
「♪ロストジェネレーションのうた」
「♪資本主義」

の、3曲を歌わせてもらいました。

作詞作曲は、全て私太朗です。

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そして、

この日のもうひとりの主役は、

友人でもある、

日本共産党府会議員の、西山のぶひでさん↓

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今回、政治カフェのテーマは、

「高すぎる学費・奨学金問題」であり、

西山さんは、学生時代からこの問題に取り組んでいたと、

聞いていた。

私も、奨学金に苦しめられ続けている当事者なので、

話を交えたかったのだ。



西山さんの話を聞いて、
根本から認識が変わったのは、学ぶことは権利であること。
基本的人権であること。

これは重要なことだ。

私は、必要なのは給付型奨学金を始めとした、救済措置であると思っていた。

だが、それ以前にある「ひとしく教育を受ける権利」をすっかり忘れていた。

権利を忘れ、
対策だけで頭がいっぱいなんて、
小泉内閣を筆頭とする、
歴代政権の冷徹な政治にすっかり頭が毒されている証拠だ。

救済措置以前に、
「高等教育(高校・大学)無償化」の大目標を掲げないと、
何処にもたどり着けないのだ。
(ちなみに「高等教育」が高校・大学を指すことも西山さんの話で初めて知った)

 

私は、私の抱えている問題しかわからないが、

西山さんの元には、
学費・奨学金問題の様々な事例が集まってくる。

やはり、取り組んでいる年季がちがう。

知らないことが、たくさんあった。
何より、

学費・奨学金問題は私の世代(ロスト・ジェネレーション)だけでは括れず、
「ロスジェネ以降」と捕えられると思った。

少しずつ、改善されてる状況もあるらしい。

西山さんが運動をスタートした学生時代は、
学費・奨学金が、問題として取り上げられること自体が無かったらしい。
就職難が想定されておらず、
「貸りたものは、返して当たり前」という感覚で、
奨学金が人の人生を追い込むものと、知られてなかったのだ。

 

最近は、
与党も少なくとも、問題にしないわけにはいかず、
そういう動きを生み出しているのは、
やはりひとりひとりの、
「このように苦しんでいる」という現実の声。
そういった声が、
どんどん西山さんに、集まれば良いと思うし、

日本共産党が、
以前からこの問題に取り組んでいるというのも、納得した。
「学費・奨学金問題」に様々な種があることは、間違いないようだし、
(保守好みの言い方だと、国力が落ちるということ)
西山さんにもある確証が出来たのでは?と思った。

そして、小泉内閣には、
もう一度きっちりとした批評が必要だということも、確認できた。

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それにしても、この政治カフェは面白い。

 

はじめて顔を合わせた、

ドイツ在住を経験した方から、
ドイツは、
人や教育へのお金のかけ方が、
日本とは全然違うということを聞いたり、

 

定年退職された先輩世代の参加者から見た、
中年世代や若者についての話を聞いたり、

自身の観点の死角に気づかされるのが、何とも刺激的。

 

私の歌の歌詞にも質問があり、
新曲の「♪ロスト・ジェネレーションのうた」↓
https://www.youtube.com/watch?v=ZFIn1ZgyYEA
の冒頭の詞、

ロスト・ジェネレーション 心開けよ   ロスト・ジェネレーション 正直になれ
ロスト・ジェネレーション 団結はせずに ロスト・ジェネレーション 世界に語れ

この中の、

「団結はせずに」

というフレーズが話題になる。

この政治カフェのゲームメーカー的存在の、

日本共産党市会議員、
やまね智史さんの批評によると、

 

「組織にしばられることを良しとしない世代の声を代弁しながら、それでも一緒に声をあげようと呼びかけているように思えた」ということ。

 

なるほど、
私はそういうことを重要視しているのかも、知れない。
(政党に所属するかどうかという問題ではない)

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私は、

これからの政治を動かすのは、
より個々となった声の集積だと思うし、

「こんな悲劇がある」という風に100人の声が、
約分されて、
単調なキャッチフレーズに収まってしまったら意味がないと思う。
そんな具合にして、

次世代の若者の姿を想像すると、
SEALDs以降のムーブメントも見えてくる気がする。

より個であり、
より分業的で、
よりまとまり、
より観念から離れ、
より生活実感的なムーブメント。

 

 

私的には、ふしみ政治カフェは、
政治カフェというより、哲学カフェだ。

議論があるわけではないが、
個々の哲学を深めることができると思う。
(教育者の参加もあった)

少人数だったが、
大盛況が良いというわけでもなく、

カフェは、話し合いという名の港であり、
日常生活が航海だという感覚があった。

 

(日常生活運び出す、政治意識がいかに重要なことか!)

 

交流の中で、
難解な言葉は一切出てこないのに、
本当に大切なものは何かを見極める洞察力、
友情を深めるための忍耐力が磨かれる。

地に足を着けて生き、
それぞれの場所から、
それぞれのやり方で、
政治的な課題に取り組むインスピレーションが得られるし、
終わったときには心地良い興奮があった。

 

そんな良い会は、滅多にないし、
また毎回成功しなくともかまわない。
にしても次回、
秋の開催が今から楽しみなのだ。

 

ふしみ政治カフェ、
喫茶うずらの珈琲とカレーライスの力、
やまね智史さんの人間力が本当、大きいと思う。

あ、それと私の歌もね。
(写真も数点、やまね智史さんより拝借しました♪)