たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

月イチスケッチの日

今日は、

友人で画家の、
あさちゃんが呼びかけの、
「月イチスケッチの日」に参加。
草津は志那町の琵琶湖沿いのキャンプ場へ、車を走らす。

車に乗る限り、滋賀でも少しは、アピールしたことになるか↓

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到着後、
友人たちへの挨拶も、そこそこに、
早速、スケッチにとりかかる。
今日の琵琶湖は、ひどく調子が良い。
波の形を捕えようすると、
自然と、波の表情が理解できる。

今日は、子どものように笑っている。

思わず、
「おお!」と声が出るほどだ↓

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杭の並びも、美しい。
杭から、描いてみる。
色もつけてみる。
あっ、白い絵の具を切らしていた。
苦しまぎれに、青と緑のみで仕上げる。

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自分は、色をつけることが、得意でない。
なぜだろう?
と、思う。
人から離れて、湖岸べりを散歩しながら、
はじめて、絵の教育を受けた、
美高時代から描いた、
自分の絵を、
一枚一枚思い出して、考える。

長年、引っかかっていたことだ。
なぜ、自分は絵が描けなくなってしまったのか?

デッサンが好きだった。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。

自分が、高校生のとき専攻していたのは、
日本画だ。
日本画の下書きである、
「骨書き」の状態が、割と好きだった。
筆で描かれた、輪郭線のみの絵。
でも、それだけでは、どうにもならぬ。

「骨書き」に、薄墨を加える。
この状態も悪くない。
でも、それだけでは、完成ではない。

石の絵を描いたことが、あった。
夢中になって、模様を描いたのを、覚えている。
担当の先生から、
絵具を薄く塗って模様を潰し、量感を出すように、
指示されたが、断った。
自分にとっては、量感より、ディテールの方が、
はるかに、重要だった。
色など、ついでに塗ってるだけだった。

高校二年になって、
課題の絵のサイズが、急に大きくなった。
普通に、展覧会とかで見かけるような、
日本画のサイズだ。

ここで、まったく手に負えなくなった。
デカすぎて、描ききれなくなった。
最後に、一生懸命に描いたのは、
椿の絵だった。
形をとる楽しさは残ったものの、
色を、つけるという作業は、
完全に、わからなくなった。

なので、
ムスメ(3歳)の描いている絵を見て、驚いた↓

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素晴らしい、色彩があった。
父が何十年も、越せない壁の向こう側に、
最初から、いる。

父は、意地のように形にこだわってみる↓

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クロッキーの訓練を、

もう少し、

積んでおけば良かった。


もう一度、琵琶湖に挑んで見る。
まるで、勝負事だ。
そのたびに、負けて帰ってくる。
自分のような、描き方をしていると、
不満がつのるばかりだ。
描く前は、いつも思う。
絵の神様、どうか、ボクのこの、

ちっぽけな寂しさを、
描くことによって、埋めてください。
もっと、うまくなりたい。

波は、激しくなっている。

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スケッチは、楽しい。

楽しくて仕方がない。
絵を描くというのは、
こんなにも、楽しかったのか。
何もかも、許される時間だと思える。

自分の視覚に収まる範囲で、描くのが、
すごくやりやすい。
デカイ絵は、もうたくさんだ。
自分は、小さく描くタイプの絵描きだったのだ。

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↑火をおこす、あきさんと子どもたち。

たくさんの先生に、絵を教わったが、
さほど、仲良くもない先生が、
「自然を描いていて、それが壊されるのを見ると、心が痛む」
と、言っていた。
当時は、何とも思っていなかったが、
もし、この表情豊かな、琵琶湖が、
放射能で汚染されたらと思うと、
心が痛むどころでは、すまされない。

人間にとって、
本当に必要なことが何かを実感したければ、
軽く、スケッチをすればよいのだ。

「お父さんは、いつものことを、描けばいいねん」
これは、ムスコの言葉だ。

そのムスコは、

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とにかく、お姉さんと遊ぶのが、

楽しかったようです…

帰宅して、
今日描いた絵を整理してたら、
過去に描いたのが、
出てきた↓

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そのまま、描いたのだ。
これ以降、
さらなる悲劇が、どれくらいあったのだろう?
今も、あるのだろう?

沖縄の海、福井の海、京丹後の海、
描きたいです。
いつか、スケッチ旅行に行きたいです。

お気に入りのお店~パンフルート~

たまには、よく行くお店とかも、

書いてみようと思うんです。
今日は、
京都の醍醐にある、
パンフルート」です。

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うちのムスコとも、チョイと縁があり、
よく行きます。
もう凡百のパンは食べられなくなる、
おいしさと安心素材のパンです。

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↑これは、レーズンボールかなあ~
丸くて、かわいくて、おいしい。

 

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↑やっぱり、シンプルに食パンが一番!


パンフルートに寄ったあとは、
子どもと、平和堂の吹き抜けに、
よく、行きます。
ボクは、吹き抜けとか、踊り場とか、渡り廊下とか、
大好きなんです↓

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吹き抜けから、移動。

初めて行く公園、
初めて見る遊具で遊ぶ、

子どもたち↓

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この後は、
図書館に行ったり、
また、別の公園に行ったり。
ボクは、考えごとを始めたので、
子どもたちは、
面白いことをしていたはずなのですが、
覚えていません。
人生って、そういうもんですね。
でも、それが幸せの一部分です。
ボクは、世界一幸せな人間なのではないかと、思うんです。
ボクには、傷ひとつありません。
だから、何とかしないと。

 

オマケです。
ムスコ原作、作画ボクのマンガです↓

なんのこっちゃわかりませんが、
そういうのが、

案外良いのかなとも、思います。

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オマケのオマケ。
ボクの部屋の壁。
ムスコとボクが描いたマンガやら、
思い出のポスターやら、チラシ、
スケッチ、歌詞等でいっぱいです↓

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ムスコの描いたマンガなんか、
またアップしたいですね。

おしまい


 

 

私は、恋愛経験豊富か?

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恋愛について、

何度も、語ろうとする人間ほど、
愚かなものはない。
私のことですね。

恋愛が、

うまくいけば、
ゴルフでいうところの
ホールインワン
それで終了、大成功。
おしまい。
あとは、世のため人のために、
役立つ生き方をすればよい。

私の恋愛は、
全て、失敗というか、
いや、失敗などという立派なものでなく、
単なる、愚かな体験で、
語るに落ちる。

どうしようもない。

恋愛経験豊富というのは、
結構な言葉だが、
自らの重荷や失敗や傷を
抱えて、店先に並べるようなマネを

して、何の意味があるのだろう、

と、思う。


ただ、それは自分に換算したら、

と、いうだけのことであって、
赤の他人の恋愛が

一体、どうなっているのか、
精密機械の中身同然、
私には、
本当に全くわからない。

そんな体たらくだから、
前回の記事で、

文筆家として、
何でも書く!と宣言したものの、↓

tarouhan24.hatenablog.com


一番人気のあるジャンル、
「恋愛相談」だけは、
キッパリ、お断りしようと思っている。

さらに言うと、
私は、恋愛経験豊富ですらない。
恋愛経験豊富でも、ないくせに
恋愛のことを、

繰り返し、語ろうとする人間は、
いよいよもって、救いようがない。

 


私は、詐欺的な、空想家だ。


20年以上前に、
30分間、
食事をしただけの
彼女のことも、
さも、恋愛の入り口から、

出口までを、経験したかのように、
詩的に仕立て上げることが、できる。

その、

20年以上前、
30分間、
食事をしただけの彼女から、

何故、私が逃走したかを、
最初に、述べないといけない。


「将来は、お店をやりたい」


彼女が放ったその一言から、逃走した。

本当に、

ただそれだけ。

記憶は曖昧だ。
京都に住んでる人間らしく、
鴨川べりで、

会話していたような気がする。

 

30分、

食事をした後、

散歩した。
何作かの、共通の好きな映画の話をし、
いくつかの、共通の好きな音楽を見つけた。
その後、
…それとも、その前だろうか?
確か、カラオケに行った。

私は、
椎名リンゴとかを歌って、
(当時の)今時の、人間を演出していたが、
実際の私は、つげ義春
「やなぎや主人」が、大好きな、
20歳だった。

だから、

将来、
どこぞのお店に佇んでいる、
自分と彼女を想像すると、
反射的な恐怖から、逃走するしかなくなったのは、
必然だった。


これでは
全くの、説明不足ですね。
お許しください。
経験していないも同然の、

恋愛を語ることなど、
「面白い夢を見た」話同様、
聞く側からしたら、

全く、面白くないものなんです。

ハッキリと覚えてることは、
その後、
直接だったか、
他人を通じてか、
「また、逢いたい」

と、いうメッセージが彼女から、来たこと。


「これは不幸だ、大失敗だ」

私は、思った。


ラインもSNSもなく、
連絡方法が、
携帯とメールしかなかった時代
に、救われる。

文字通りの、
単に逃走。

彼女だけでなく、
彼女近辺の人間関係からも。

「引っかけ」そこね、
「引っかけられ」そこねた、話。


私の恋愛経験は、豊富でしょうか?
違いますよね。

全く、
こんな話は、

書く方にも
読む方にも、時間のムダなんです。

 

5月29日、
おそらく、
一年で、

一番気持ちの良い風が
吹く日。
今、運動会の代休で、
学校が休みの子どもが、
友だちを
家に連れてきて、
私の作業の邪魔をしている。

ここには、
生活があるだけ。

結局は、
「努力する」とか、
「頑張る」とか、
「襟を正す」とか、


『恋愛』とは、
かけ離れた、
暑苦しいワードで、
文章を終わらせることになる。

まるで、ヤケクソ。


夏の前に、
梅雨があります。

筒井康隆の死

 4月8日の朝日新聞で、

作家の筒井康隆が、
慰安婦像に性的侮辱表現をして、
問題になっているという、記事があった。

どのような、ひどい表現をしているのかは、
確認する必要がないな、と思った。


何せ、この作家はただ単に、もう古いのだ。
20年くらい前までは、この作家の信奉者は、
まだ、ちらほらいた。
作家は、朝日新聞の取材に対し、
「あんなものは、昔から書いてます。
ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう」
と発言していたが、そうではない。
読んでいない連中が、存在するのではなく、
もはや、彼の作品に興味を持つ人間が、

これからの時代、存在しなくなるのだ。

 

全盛期の彼は、
パロディーとか下品な表現とかで、

タブーに触れ、
人の神経を逆なでする面白さを、

信奉者と共有し、
「良識」がある人間を、
頭が固く、ようふざけへんバカ、

というポジションに
無理やり追い込み、
精神的優位に立ち、
快感を見出すというのが、お家芸だった。
(一言で言うと、悪童)
彼と、彼の信奉者の間では、
事の本質や人権感覚を「あえて無視」して、
面白さを最上のものとすることが、

粋であり、知性的であるという、
暗黙のルールがあった。(かつては)


彼の全盛期からは、
とうに時は流れ、
世界は、
様々な問題を、
現実的に解決の方向に向かわせなければならない、
時代にシフトチェンジした。
単純なことだ。
ちょっと思い出しただけでも、
阪神大震災オウム事件、9.11、原発事故。
たくさんの悲劇があったからだ。

今や、彼が人生をかけて、
苦労して作った‘超’虚構世界や笑いなど、
全くの、無用の長物になった。
彼が頑張って論陣を張っていた、
言葉狩り’の問題など、
政府が本気で共謀罪などを
成立させようとする時代には、
あまりにも、のどかなもので、

そもそも、誰も覚えていない。

脱走と追跡のサンバ」「虚構船団」
文学部唯野教授」「残像に口紅を
「パプリカ」
を、それぞれ2ページずつ読んだ、
ボクは、立派な筒井ファンだろう。
念のため、
どんな発言をしたのか見てみた。

なるほど、
事の本質や人権感覚を「あえて無視」して、
面白さを最上のものとする、
お家芸
1兆歩ゆずって、
面白さを見出してみようとも、
思ったのだが。
もはや、面白さすら、ない…。

作家は、
すべてを見透かしてるかのごとく、
「炎上狙いというところもあった」
とも、言っている。
この開き直って、自分のやってることに対して、
傍観者になるという芸風も古い…。
虚しい…。

何故、地位も名誉も確立したであろう、
老作家が、
今さら現役では通用しない、
ボールを投げにマウンドに向かったのだろう?
それは、死の恐怖。
自らが消えゆく恐怖ではないだろうか。
「良識」的な生き方をしてきた人間ならば、
その志は、必ず誰かが引き継ぎ、
死など、存在しない。
だが、面白さを生業にしてきた、
老いた作家の生き様など、
誰も、引き継がない。
作品と共に消えゆく自己存在。
イタチの最後っ屁として、
この騒動につながる、くだらない発言をしたことで、
彼は、彼の人生と作品が、なにひとつ意味がなかったことを、
自ら証明してしまったのだ。

彼の作品は、韓国で発売中止になったそうだが、
そんなことをするまでもなく、
あと10年もすれば、
彼の作品は完全消滅するだろう。
本当に、只の消耗品だったのだ。
もはや、彼より若く、
どれだけ才能のない人間が、
軽く作文を書いただけだとしても、
この巨大な才能を持つ天才の作品より、優れてしまう。
それは、仕方がないのだ。
残酷な時代の流れなのだ。

「SFとか、虚構なんて、なんの意味もなかったんだよ、
普通で良かったんだよ」
いくらなんでも、
人生の最後にかけられる言葉が、これでは、
あんまりだろう。
気の毒すぎる。





失恋のしようがない

 

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手品師が、いきなりタネ明かしの話から、始める気分です。


以前、友人何人かに、
「自分はいつも失恋状態だ」と話したことがある。
それは単に、その時、自分の周りに渦まいていた感覚を、
正直に表現しただけのことだったのだが、
具体的に「失恋状態」って何なんだ?
と問われると、自分でもはっきり説明がつかなかったので、
様々な考察を呼び込むことになってしまった。

友人に会うたびに、
「今でも、失恋状態なの?」と聞かれる。
聞く立場に回ると、確かに、その言葉は謎めいている。

でも、タネ明かしをしてしまうと、簡単なことなのだ。
人は誰でも、失恋をするし、
『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』
シンプルな話だ。

 

「失恋状態」という言葉を振りかざしてしまったからには、
責任をとって、
失恋に関する問いに、何でも答えてやろう、
という気になった。
出来ないことではない。

 

『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』


元々からして、シンプルな話なのだから、答えられるはずだ。
それに、自信を持って言えるのだが、

何せ、自分は星の数ほどの失恋をしてきたのだ。

でも、待てよ、と思う。
失恋が、自分が考えるほど、シンプルな話だとしたら、
自分が経験する失恋など、
ひとつにくくって、まとめて終わってしまうのではないだろうか?
一抹の不安にも、かられる。

ローリング・ストーンズに、
「ルビー・チューズデイ」という歌がある。
これは、キース・リチャーズの失恋を歌ったものだ。

♪さよなら ルビー・チューズデイ
君の名前を呼ぶことが出来ない
君は日が経つにつれ変わる
それでも僕は君がいないと淋しい

何てもったいない!
とボクは思う。
「ルビー・チューズデイ」はストーンズの名曲だけど、
最上級の曲ではない。
人生の一大事を、たった一曲の、いい加減なバラードに
託して、投げ出してしまう。
自分の失恋がひとくくりにされて終わってしまうという、
ボクのみみっちい、恐怖に比べて、何て潔いことか。
もし、自分に音楽が作れたら、
ひとつの失恋を、無くなりかけの絵の具のように、
薄めに薄めて、引き延ばしに引き延ばして、
大事に、セコく、使いまわすだろう。

しかし…そもそもボクは、
本当に星の数ほどの失恋をしているのだろうか?
映画と、ごっちゃになっているのかもしれない。
好きな映画のほとんどは、失恋映画だ。

 

①言わずと知れた、

ハンフリー・ボガードの「カサブランカ
世界一、格好よく失恋しようとする男の物語。
どうかあれを、男の自意識過剰と言わないでおくれ。
そんなことを言われたら、救いようがない。
トレンチ・コートでも着るしかない。

ウディ・アレンの「アニー・ホール
失恋を確かめるには、人生は余りにも、短い。

渥美清の「男はつらいよ
全盛期は、年二回、盆と正月に彼は失恋していた。
それを確認して、観客は、すっきりとした気分で映画館を出る。
まるで、孤独な生贄だ。

イラン映画の「オリーブの林を抜けて」
女は、男の元をなぜ去るのか、全く説明をしない。
「何故なんだ」と男は問う。

二人は歩く。

オリーブの林を。
二人の距離は、いつまでも縮まらないまま、映画は終わる。

⑤シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ファイナル
ロッキーは、エイドリアンとの死別という、
最大の絶望と遭遇する。
ロッキーは、ロッキーらしく、
マッチョな力で、絶望を乗り越えて行く。
年老いた彼が、次の女性に期待して!

 

果たして、ボクの体に染みついた失恋感覚は、
映画の影響か、現実のものか?
検証するほどに、わからなくなる。

ただ、ボクの失恋の記憶は、
現在のものではない(はずだ)

時間が経過する限り、誰の人生にも失恋は存在する。
たとえ、本人が自覚していなくとも、
心の小さな叫びに、耳を傾けてみれば、
確実に「起こっていること」だというのが、わかるはずだ。

失恋という音のない爆発を繰り返して、人は生きている。
決して届かない、異性、同性。
社会的な圧力や矛盾のために、

大切なものが、奪われる気持ち(それは、失恋の比ではないか)
でも、失恋のせいで、死も同然の気持ちになることだってある。
インターネットなど無かった、
10代の頃の失恋と別離は、
相手が死ぬのと同じことだった。

何が言いたかったのだろう?
そうだ、
『失恋は人生の中で、衝撃的な出来事だから、
乗り越え、糧にして生きていく』

このシンプルな話だ。

だが物事は、額面通りシンプルには行かないものだ。
歌、映画、現実、記憶、
どれを振り返っても、
何回くりかえしても、
失恋をうまく乗り越えられない。
失恋がうまく乗り越えられない限り、
自分は、愛の置きどころをずっと探し続けている気がする。
愛は決して、ひとりで成り立つものではない。
必ず、対象は必要だ。
たとえ失恋によって、対象が変わっても。
(実際は、変わってほしくないと、強く願う)
いよいよ、究極的に追い詰められてしまったら、
それこそ「カサブランカ」のように、
強がって見せるかもしれない。

あなたが、希望を持って生きてゆけますように!
あなたが、希望を持って生きていますように!
こんな風に言える失恋なら、むしろしてみたいものだ。
人を愛おしく思う気持ちが、継続的に存在するというのなら、
もはや、失恋のしようなど、ないのかもしれない。

 

本当のことを言いたくなる人は、

限られている。
すべてを打ち明けたくなる人。
それは、もう逃れられない恋愛感情だ。
それなのに、
「あなたの全てを、知りたいっていうわけじゃない」
と、言われたことがある。
今にして思えば、その瞬間から、失恋は始まっていたのだ。

とかくこの世は無責任

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♪オレは この世で一番、
無責任と言われた男

ガキの頃から 調子よく

ラクして 儲ける スタイル!

 

植木等(イメージ上での)
が好きなボクにとって、
「無責任」という言葉が、すっかり否定的な意味でしか、
使われなくなったのは、寂しい。

 

♪とかくこの世は無責任 コツコツやるやつぁ、ゴクローサン!

 

狂猫ノリはどこへ行った?

現在は、誰もが責任を取り過ぎている、責任社会だ。

ボクは無責任ですなんて公言してしまったら、誰も笑ってくれないだろう。

皆、「責任をとれ」という言葉で、お互いをがんじがらめにしている。

 

でも、経験的に、

やたらと他人に「責任をとりなさい」という人は、
マイペースで、要領が良くて、お調子モノな人が多かった。

こういう人は、

無意識に地雷をよける術を心得てるとか、
経済的に恵まれてるとか、

寂しさに不自由しないとか、

酒に強いとか、

その他イロイロ、何だかよくわからない、

ささいな、プラス要素を持っていて、
「自分はシッカリやっている」という自負が漠然とあるので、
人に圧を押し付けることに、ためらいがない。

信念さえあれば、責任をとるストレスは、さほどのものではない、

とタカをくくっている。

(比較的、男性に多かった気がする…)
そういう人も、それなりに憎めないのだが、
オレにはメーワクでしかなかった。

「責任をとりなさい」くらいなら、まだマシかもしれない。

ヘタをしたら「人には責任というものが、あります」とか、
人が責任を抱えて、この世に生まれてきたような、
言い方さえある。
んな息苦しいモン抱えて、生まれてきたのだとしたら、
オレは生まれる前の、なんかわけのわからん、混沌とした場所だかに、

帰りたい。

 

原発に関して、
「誰も責任をとらない」という言葉をよく聞くが、
多くの人間を苦しめた、

あんな恐ろしいものが、

まだこの世に存在し続けていて、何故いまだに、

動いているのかを考えてみれば、
それは責任を持って、あんなものを作ったからだ。

いくらなんでも、

「こんなもん、作ったらヤバイ!」

と、組み立ててる最中に、何人かは思っただろう。
社会の授業で原発のことを習ったとき、
小学生のオレでも、やばいと思ったくらいだ。

給料と同調圧力くらいでは、人はなかなか動けない。

皆、責任感がありすぎて、投げ出すことができず、

「やばいよ、作らんと、もうほっとこうよ」とは言えなかったのだ。

電力会社のアルバイトの上に社員がいて、その上に社長がいて、
社長は政治家とつながっていて、日本の政治家はアメリカの政治家と

つながっている。

叡智に満ちた、小学生の頭で考えれば、すぐにわかる。

人を責任の固まりみたいな人格に追い込むのは、
圧政だ。
間違った政治が必ず、存在するのは、
今さら誰の目にも明らかで、

はっきりとおかしいポイントはそこだけだ。

私たちに、責任を強要している大元は、
狂気的な、間違った政治なのだから、
そんなモンにマジメに同調して、責任感のある人間になる必要などない。
皆、小泉純一郎の「自己責任」という言葉を、
あれだけ嫌っていたではないか。

 

人に責任を問うくらいなら、
抱えている責任から、人を解放するように、
働きかけるほうが、まだ世の中をマシにしそうな気がする。
オレは決して、大臣とかに、
「責任をとって辞任せよ!」とかいう言い方はできないだろう。
「アンタ、もう辞めたらええんやで、その方がラクやで。責任とらんですむし。
したら、そんなワケわからん嘘つかんですむで」とか言ってしまいそうだ。
(これで、オレが政治家とか活動家に全く向かないことが、証明できただろう)

 

今、思い出したのだが、
ずいぶん前の話で、

フットサルの試合の約束をしていて、

対戦予定のチームが来なかったことがある。
おかしいと思って、
相手チームの広報担当に電話したら、
「ああ、ああ、ああ」という感じだった。
「この責任を誰がとってくれるんですか!」と言うと、
(この言葉も、もはや冗談だった)
何となく、電話は通じなくなってしまった。
後日、広報担当(そもそも、友達なんです)の彼に会うと、
シャツをぺロリとめくり、

背中を見せ、
「バイクでこけてん、それで行けなくなってん、ゴメンな」

と言っていた。

(キミがバイクでこけたことと、チームが来なかったことと、何の関係があるのだ。
ほんで、背中無傷やし)
突っ込みたいところは、いくらでも会ったが、もはやバカバカしくなり、
追求するのを、止めた。

平和そのものである。

(とはいえ、思い出したらハラが立ってきたが、まあ、それはそれだ)

 

それでも、誰も責任をとらなくなったから、

世の中がおかしくなった、という意見は根強いかもしれない。

そんなことは、ない。
みんな、マジメやで。
結局、誰かが責任をとっている。
一度、誰も責任をとらない世の中を、
実験してみたらどうだろう?

 

そしたら、こんな言葉が出てくるはずだ。
今の世の中に不足している言葉。

「あなたのせいじゃない」

 

 

 

『オッサン』として生きるということ

 

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『オッサン』
それは、この世で一番、どうでもよい存在だ。

 

あれは、いつの日のことだろう?
子供乗せ自転車をひとりで使って、

近所の生協に買い物に行ったとき、

駐輪場の、何もないところで

勝手にこけ、
自転車の下敷きになったことがある。
すると、70代くらいと思われる、
ひとりの老紳士が、真っ青な顔で駆け寄ってきて、
「お子さんは!」と私に言った。
「子供は乗せてないんです」と下敷きになったままの、私が答えると、
「ああ、それなら良かった!」と、
大変爽やかな笑顔で、
老紳士は、その場を足早に去っていった。
足の何かやわらかいとこをふんずけている、自転車の充電器の重量感が、

悲しくも痛かったのを覚えている。

私は、この時の老紳士をリスペクトしている。
この世で優先すべきは、子供、女性、お年寄りだ。
オッサンの存在など、どうでもいい。
(だからと言って、バンバン危険な場所に送り込めということではない、
日常レベルで、どうでもよいということだ)

 

話は、少し飛ぶ。
私の生活のルーティーンは、子供を保育園に送った後、
前述の生協での買い物と、もうひとつはローソンに行って、

コーヒーと新聞を買うことだ。

ここのローソンのお兄さんは、異様なまでに、サービスが良い。
私が新聞を片手にレジへ向かうと、もうコーヒーが用意されている。
「今日は産経新聞ですか?」とか声をかけてくれる。
色白で、爽やかな笑顔で、まるでバンプオブチキンだ。
一度、「袋はご入り用ですか?」と聞かれたことがあるので、
たまたま「いらないです」と答えたら、
驚異的な気遣いで、その後全く袋をつけない。

気の小さい私は
「やっぱつけて下さい」とは口が裂けても言えない。

コンビニ。
ディス・イズ・コンビニ。
コンビニの中のコンビニ。
便利とサービスの洪水。
その中に溺れる、オッサンの私がいる。

しかし、何事にも対極というものがある。
20年ほど前、
京都の木屋町を、友人と二人でブラブラしていて、
入ったことのない、沖縄料理の店に、
思い切って入ってみようということになった。
のれんをくくった瞬間、後悔した。
千葉真一を思わせるオヤジさんが、
典型的な板前スタイルで、包丁を握りしめ、
私と友人を鷹のような鋭い眼光で睨みつける。
当然のごとく、
「いらっしやいませ」などない。
言うまでもなく、客は、ひとりもいない。
「今さら逃げられない」私と友人は思った。

なるべく、オヤジさんから遠いテーブル席に座った。
注文を全く取りにこないので、
着席したまま、
オヤジさんに向かって、大声で、泡盛と耳ガーと豚の角煮を注文した。
(大声がオヤジさんの気に障ったのではないかと、ビビった)

しばらくして、
泡盛と耳ガーが出てきたので、
私と友人は、当たり障りの無い会話をしながら、
チビリチビリとやっていた。
豚の角煮はなかなか出てこない。
しかし私たちは、こういうことに関しては、気が長い方だったので、

おいしい豚の角煮が出てくるのを、ゆっくりと待っていた。

そのまま、一時間半が経過した。

 

この間ずっと、客は私たちのみだ。
「言ってもええよな?」私は友人に言った。
「ええんちゃうか?」友人は言った。
私はオヤジさんに、
「あの…豚の角煮まだですか?」と何故か愛想笑いをしながら、
声をかけた。
「今、作ってる!」
オヤジさんはドスのきいた声で叫び、

額に脂汗を流しながら、鍋と格闘していた。
真剣である。
その後すぐ、豚の角煮は出てきた。
うまいのだが(余りの空腹に、多分何を食ってもうまかった)

やけに、量が少なかったのを覚えている。
残された問題は、ボラれたのかどうかということだけだろう。
これが、寄りに寄って適正価格だったのだ。
高くも、安くもない。
(いっそボッてくれ)私は思った。
余分に金でも払わなければ、救いようがない話だ。

 

私は、この沖縄料理の店のオヤジさんを、リスペクトしている。

オッサン(よく考えたらこの時、私はオッサンではなかったので、
‘大の男’くらに拡大解釈しよう)に、サービスなど不要なのだ。

 

オッサンに優しくする必要など、全くない。
オッサンが入りやすいように場所を作る必要など、全くない。

オッサンにおいしい料理を作る必要など、全くない。
オッサンの話を聞く必要など、全くない。
オッサンのおすすめする本を読む必要など、全くない。

オッサンに贈り物をする必要など、全くない。

オッサンを悪く言った後をフォローする必要など、全くない。

 

 本質的に、オッサンは世の中に不要なのだ。

 イザというとき、オッサンの救助は、一番後回しにされる(人間の本能だろう)のが何よりの証拠だ。

にも関わらず、この世はいわゆる「男社会」(オレが住んでるこの島だけの話?)
というやつである。

オッサンたちは、自分たちが本来、無用の長物であることに、
無意識レベルで気づいている。

それではマズイというので、オッサンたちは、歴史の中で無意味に抵抗を重ね続けた。

結果、

作られたのが、この古臭~い「男社会」なのだ。

オッサンたちは、自分が役に立たない人間になることを恐れている。
有用な人間であろうとすることに、やっきになっている。
だが、本質的に不要なのだから、んなモン抵抗しても、どうにもならないのだ。
そんなテンパった心では、せいぜい大切なものしか守れない。
人間が、役立たずであることを恐れる必要など、全くないのに、恐れてしまうのは、

オッサンたちが形成した、テンパった社会のせいであり、
誠に、オッサンたちは、自分で自分の首を絞めている。

 

『オッサン』
それは、この世で一番、どうでもよい存在だ。

この思いは、今も揺るがない。

そんな私も、この間41歳になり、
『不要な存在であるオッサン』という、厳しい道のりの

第一歩を踏み出してしまった、というわけだ。