たろうの音楽日記

日々の音楽活動に関する覚え書きです。

ド不幸自伝⑮ ~小泉純一郎~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で、治療者選択と社会復帰を試みる:

*************************************

この『ド不幸自伝』の、
第一話を読み返してみると↓

tarouhan24.hatenablog.com


自分は、
青春時代に必ず通過せねばならない、
〈人生とは何か?〉を、考える作業を、
断ち切られたまま、ミサイル工場での仕事を始めている。
そしてモアイと出会い、二度目の借金を抱え、
精神を患った。
そんな過程を経て、
アルバイト探しに帰結した自分に、
やりたい仕事などあるはずがない。
単に生活していくことのみが、目的だ。

2001年に入ろうとしていたが、
インターネットの発展はまだまだで、
求人雑誌と張り紙をアテに、
アルバイトを捜していた。
登録型の日雇い派遣から、
マンション建設現場に出たり、
森永の工場で、
チョコレート菓子を一ヶ月間、夜勤で作り続けたり、
観光客向けの舞妓コスプレ専門の写真スタジオを、
操作ミスで解雇されたり、
アルバイトは、
どれも長続きしなかった。
だが、アルバイトを探して、
働いていることそのものが、
自分でも信じられなかったくらいなので、
続かないことは、全く問題ではなかった。
そして、どの職場にいても、
変わらないのは、
休憩時間にプラスチック弾のような向精神薬を、
人の目を避け、
何かの言い訳のように飲みほすことだった。

***************************************

闇に深く潜っていた間、
一体どれほど、世間を見る余裕がなかったのだろう?
自分は知らぬ間に25歳で、
気がつけば、小泉内閣が登場していた。
(2001年4月26日)

第9話~春はこわい~
に書いたが、
症状の悪化のピーク(2000年度ほぼマル一年)
と重なった、
森内閣の記憶はほとんどない。
森内閣の退陣も、
その後に小泉内閣が登場する経緯も、
やはり、
アルバイトを探しながらの、病みあがり状態であったからか、
ほとんど覚えていない。

小泉純一郎が、
たまの自民党総裁選で、
わずかばかりの票を取る人物だという程度の認識は、
テレビのワイド・ショー知識で持っていた。
だが、この冷酷な目をした人間が、
総理大臣の座へと上り詰めた過程を、
全く覚えていない自分は、
彼が自民党アウトローだった、という実感がイマイチ湧かず、
だから、
キャッチ・フレーズとしていた、
自民党をぶっこわす」
の意味も、全くわからなかった。

だが、
自民党をぶっこわす」
の意味がわからなかったのは、
小泉内閣の成立過程を、
知らなかった所為だけではない気がする。
そもそも自分は、
小泉純一郎が「ぶっこわそう」としたほどの、
強固な自民党の存在を感じとっていない。
散々書いてきたように、
橋本~小渕~森の3内閣の元で、
悪夢のような20代前半を、自分は過ごした。
自分の目には、
上記の3内閣は、
もうとっくに「ぶっこわれ」
かかっている自民党を、
ムリヤリ自民党たらんとさせ、
冷や汗混じりの演技をしながら、
坂道をゆるやかに、
転がっているように見えていた。

では、
こわれていない自民党とは、何なのだろう?
イメージするには、成人する前の記憶に、
遡らないといけない。

こわれていない自民党とは、
イコール=自民党が(正確には55年体制が?)
作った、戦後繁栄ニッポンそのもの。
憲法9条を看板に、
経済大国で、
円が世界を席巻し、
海外の古い油絵一枚を、何十億という値段で購入し、
経済力で勝負ができるからして、
間接的にも、
戦争に決して参加することなく、
平和の代償である、
沖縄の米軍基地や、原子力発電所の存在に、
ほとんどの人間が気づかない。

こんなものが、成り立っていたのは、
自分の幼少期の、せいぜい中曽根内閣辺りまでではないかと、
思っている。

小泉純一郎が、
チョーシ良く「自民党をぶっこわす」
などとわざわざ言う必要もなく、
自民党は、ほとんど壊れていたのだ。

郵政民営化に、
全く実感が湧かなかったのも、
皆が、小泉純一郎の手による
「もう壊れている自民党をぶっこわす」
というインチキに、
まんまと付き合わされていたからだし、
(要するに、小泉劇場
小泉純一郎は、自らの嘘をよく自覚していて、
単に郵政民営化という名の、
彼の作ったゲームを楽しんでいたのではないか?
と、想像する。
だから今になって、
郵政民営化とは何だったのか?
と問われても、
「ようわからん」のが、
当時を生きていた人間のホンネな気がする。

おそらく、
小泉純一郎の満足は、
ほとんど壊れかけていた自民党を、
指で‘チョン’と押して、
完全に崩壊さすことにあったのではないか?
と、思う。
彼の動機は何につけても真空であり、
政治意欲には意味がない。
その象徴が、
本当の意味で、
自民党をぶっこわした」
イラク戦争への自衛隊派遣だ。
これこそが、
小泉内閣以前の自民党では、考えられなかった悪夢だろう。
郵政民営化に比べて、
どれほどまでに、はっきりとした、
また、致命的な破壊行為だろうか。
庶民は、
「ぶっこわす」快感と高揚の引き換えに、
何という大きな代償を払ったのだろうか。
丁度今(2018年4月)
当時の、
陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が公表され、
現地での戦闘状態が明らかにされてきている。

小泉純一郎が作った毒入りアルコールを
庶民皆が、匂いも嗅がずに飲み干した。
自分は、人生の中で数多くの失敗をし、
また、数多く騙された。
だからこそ、
同じ失敗は二度と繰り返してはならないと思う。
彼の言う脱原発など、自分は全く信用していない。
また、純一郎のやり方を、
色濃く引き継いでいる、
小泉進次郎を、さらに深く信用していない。

***************************************

向精神薬を、
何処で処方されていたかと言うと、
近所の人の紹介で知った、
山科にあるメンタル・クリニックだった。
看板には、精神科という名称を掲げておらず、
教育相談なども受けている、
開けたムードのクリニックだった。
(実際は、医師も数人おり、薬も出るわけだから、純然たる精神科なのだが)
初診の日に、自分にとって、
4人目の精神科医である、
そのクリニックのドクターに、
今までの過程や、催眠療法を受けたこと、
よくわからない医師に薬を変えられたことなどを、
簡単に説明すると、

「ほう…催眠言うても、あなたは眠くなる~みたいなんやないんやね」

と、言いながら、糸に吊られた五円玉を揺らす動作をし、柔和で茶目っ気の混じった笑顔を見せた。
思わず自分も、笑い返すと、

「…まあ、ベテランの先生いうのは、時に面白い薬の処方をするから、このまま様子を見ましょうか」

と、今度はマジメな言葉が帰ってきた。
4人の精神科医の顔は、今でも明快に覚えているが、
(そう言えば、全員男性だ)
この太い眉毛を持つドクターは、
初めて人間らしさを感じさせてくれた、精神科医だった。

「とりあえず、ここで良いかな」と、自分は思った。

仮の宿の主人が、
雨と風に打たれた自分を、微笑みで迎えてくれ、
差しだされた温かいスープを、
ゆっくりと飲みほしたような、感覚。
真っ白で冷たかった指先に、体温が戻ったような気がした。

つづく→☆次回最終回

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*








ド不幸自伝⑭ ~コラム医師と、催眠療法~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で働くことになった自分は、‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために、金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、精神病院へと搬送される。強制入院寸前まで行きかけたところを脱出し、その後自らの意思で、治療者選択を試みる:

***************************************

しかし、
様々な精神科医をハシゴしたものだ。
遠藤医師(今、一体何処で、どのような治療をしているのだろう?)
との縁が切れた後も、
クセのある精神科医との縁は、中々切れるものではなかった。

前回も書いたことだが、
心を取り戻しているときは、

「また大きな不安がやってきたら、どうしよう?」

と、恐れている。この状態を『予期不安』という。
実際に不安が復活するのは、
閉所や、人混み、乗り物内などであることが、多かった。
一度、地下鉄東西線をわずか二駅乗っただけで、
不安症状が復活し、
誰もいない蹴上駅のホームに降りて膝をつき、
恐怖と闘っていたのを、覚えている。

こんなことを言うと、

パニック発作だったのか?」

と、問われることが多いのだが、
何故か、どの医者に当たろうとも、
病名を定義されたことは一度もなく、
自分は何の病気だったのか、
未だにわからない。

自ら命を絶つことはもうなく、
生きることは可能になった。
とは言え、
いつ何時、襲ってくるかわからない不安の所為で、
行動することができなければ、どうしようもない。

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精神科医も商売であることに、
変わりはないから、
(悪く言っているわけではない)
患者の共感や、期待を刺激する情報を流し、
客として引き寄せる努力をするのは、当然のことだ。

自分が抱えている、
閉所、人混み、乗り物等に対する予期不安の心情を、
細かい部分まで、
まるで見透かして書いたようなコラムを、
京都新聞の記事で見つけ、
即、コラムを執筆した医師が、院長を勤めている病院を調べて、
治療を受けに行ったことがある。

***************************************

今思い返しても、謎だ。

医師は、
いかにもなベテラン感が漂う、濃い白髪をした、
初老の男だった。
コラムを執筆したはずの、
(記事の最後に〇〇病院院長と、フル・ネームでハッキリ記されていた)
その医師と対面したとき、
自分は当然、理解してくれるものだと思って、
「乗り物に乗るのが怖い」ことを、医師に告げた。
すると医師からは、

「乗ってもいないのに、怖がってもしょうがない」

と、いう明快な答えが帰ってきた。
(そのあまりの明快さに、自分の頭は一瞬、真っ白になった)

「先生のコラムに書いてあったような状態なんです、自分は」

余程、コラムをアテにしていたのか、
そのように言えば、伝わると思ったのだが、
医師の方は、

「アンタの場合、行動療法しても仕方ないしな…」

と、独り言のようにつぶやき、
薄笑いをしながら、ボールペンを弄んでいる。

(行動療法とは、何なのだ?)
と、いう疑問を口にする間もなく、

「とりあえず薬変えてみよか?」

と、医師は事も無げに言った。
「大丈夫なんですか?」
と、尋ね返したら、
「それは、私がキメることやないか!」
と、医師はまたもや薄笑いの表情で、そう答える。
自分は、二の句も継げず、
医師の笑い顔を無感情に眺めた。

すると突然、

「苦しい言うてるやないか!!!」

と、いう若い女性の叫び声が、診察室内に響き渡った。
そしてすぐ、
〈ガチャン!〉と、いう破壊音がした。
医師は、
治療中(?)の自分のことなど、全く忘れたように中座して、
女性患者に近づくと、

「何が、どう苦しいんや?」

と、カケラ程の感情も込めず、このように尋ねた。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と、同じ言葉を繰り返す。
すると医師は、
「いや、だからどう苦しいんや?」と、また言う。
女性は、
「苦しいって言うてるんや!」と言う。

自分は、
状況を理解するとか、腹が立つとかいう以前に、
なるべく早いうちに、
この場から、逃げ出す必要を直感的に感じた。

(やばい。ここは、やばい)

あのコラムは、一体何だったというのだろう?
今にして思えば、ほんの少し、
アカデミックに精神医療を勉強した人間なら、
誰にでも書ける、文章だったのかもしれない。
もしくは、
まるで別の人物が書いたのかも、しれない。
どちらにしろ、
文章というのは、
書いたその人に、実際会いでもしない限り、
余り信用するものでない、という心掛けだけが残った。

叫び声を上げていた女性が、
どのようにして治まったのか、全く覚えていない。
一応、医師は女性の近くに寄り添ってはいたが、
恐らく女性の方が、
怒りを長く、
継続させてもいられなかっただけのことだろう。
付き添いらしき母親は、
ずっと悲し気な顔をしていた。

この時、
医師によって変えさせられた、
薬の内容は、
完全に投薬治療からオサラバをする、10年後まで続いた。
10年間、
「あの医師が決めた薬で良いのか?」
という心配事を、抱え続けるハメになったわけだ。

***************************************

次は、
催眠治療を受けた。
そんなモノをアテにした理由は、
子どもっぽく単純なもので、
催眠術に、
魔法のようなイメージを持っていたからだ。
レアな治療法であり、
実践している医院は、
書籍などで調べてみたところ、関西でも数えるほどだった。
京都には一軒もなく、
大阪の医院まで、京阪電車で通わねばならなかった。
(皮肉なもので、
治療というハッキリした目的があると、
乗り物への不安感は、やや和らぐのだ)

実際受けた、
催眠療法」は、イメージとは、
かなり異なっていた。
糸に五円玉をぶらさげ、
目の前でゆらゆら揺らしはしなかった。
医師はまず、
患者(自分)を、少し角度のあるベッドに寝かし、
絶えず傍について、

「あなたの足を意識しなさい。重くなる、重くなる」
「もっと足を意識してください。毛細血管の隅々まで血液が行き届くように」
「今度は、重たかった足が、あたたかくなる、どんどんあたたかくなる」

このような言葉を、体の各部位に順番に投げかけていく。
頭から先っぽまで、すべての血のめぐりを良好にして、患者を深いリラックス状態に落とし込む。
今度はその状態で、
患者にとって、マイナスとなるイメージ
(自分なら、モアイ)
を克服し、乗り越えるかのような、
励ましのプラスワードを投げかける。
(患者の人生の困難は、事前に行われる医師とのミーティングで記録されているのだ)

例えば、
「あなたは、駅で、彼(モアイ)に偶然出会った。しかしあなたは決して、彼から目を逸らすことはなかった。すると彼は何処かに立ち去ってしまった」

と、いう風に。
催眠療法」と、いうよりは「自律訓練法」と言った方が、治療内容を正しく説明している気がする。

この医院にも、2,3か月は通ったと思う。
「結局、効いたのか?」
と、問われれば、
効いたような気もするし、さして効いていなかった気もする。
この催眠療法で、
「モアイから目をそらさない」
という、
イメージを持ったことは、悪いコトではなかった。
ひょっとしたら、その言葉の記憶は、
この「ド不幸自伝」の執筆を、
無意識レベルで勇気づけているのかも、知れない。
(ただの、後付けかもしれないが)

冷たい言い方をすれば、
結局、暗示にかけられただけ、
と捉えることもできる。
治療が進行していくと、
今度は患者同士のグループ・ワーク
(ミーティングの類)という、
新たな段階に進むよう医師から勧められた。
少しは興味もあったが、
現実社会に開かれた場所でもない院内で、
人生をひとつの新展開に持ちこむことは、
治療の着地点を、
余計、見えにくくしてしまうのではないか、
という予感がした。
結局、
何処かのタイミングで、
催眠療法そのものに、自分は冷めてしまったようだ。

***************************************

グループ・ワークを拒否し、
今日が、催眠療法の最終日だと決めた日、
京都に帰る京阪電車特急の車内で
(アルバイトでも探そうか)
と、思ったのを覚えている。
自分のいる場所は、病院の中ではない。

この日は確か、雨が降っていた。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*

主夫日記3月28,29日 ~沖縄家族旅行の思い出②~

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出立前に大きな問題が、
まだ残されている。

私は、飛行機がこわい。
めちゃめちゃ、こわい。

これから行くという時に、
何を今さら、と言われるかもしれないが、
こわいものは、こわいのだ。
私は20代前半の頃、
精神疾患的なものを患ったことがあり、
(詳しくはブログ内の『ド不幸自伝』に記しています)↓

tarouhan24.hatenablog.com

その後遺症で、
ちょっとした、乗り物恐怖症になってしまった。
(今は、『パニック障害』という言い方のほうが、良いのかな?)
ビョーキの全盛期は、地下鉄を数駅を乗っただけで、
パニック状態に陥り、駅で倒れていたものである。

それもあって、旅行嫌いの出無精になった、
いうトコもある。
近所の薬局で鎮静剤を購入し、
古いi-podにビートルズの音源を入れる。
ビートルズが好きというよりも、
抑揚の効いたメロディーの音楽を聴いて、自意識を消すためだ。

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まあ、あの頃から大分経っているので、
おそらくは大丈夫だろうと、
ある程度はタカをくくっているのだが…。

***************************************

あっという間に、
伊丹に到着し狭い機内に入る。

生きた心地がしない。

パートナーと、子ども二人は、
キャッキャッと、はしゃいでいる。
この人たちの神経が、人間とは思えない。
パートナーみるまには、
通常、人が感じ取れないことまで、
第7感で感じとる、
鋭敏な感性を、普段は備えているというのに、
こーゆー飛行機とかは、全く平気らしい。
どないなっとんねん。

にしても、
飛行機の何がイヤかというと、
離陸までゆ~っくり、時間をかけるトコロだ。
じわじわ、
キョーフを味あわせるような、この悪趣味。
まるで、大相撲の
「時間いっぱい」だ。
何故、サクッと飛ばない。

文句ばかり言ってるようだが、
あの離陸の瞬間の異常な振動は、
どうにかならんのだろうか?
沖縄どころか、宇宙に行ってしまう気がする。
ムスコはワクワクの余り、
歯をくいしばりながら笑っている。
ポール・マッカートニーが、私の耳元で絶叫している。
ジョン・レノンかもしれんが)
おかしい。
マジでおかしい。
何故、気球のように、
ふんわりと、飛び立ってくれんのだ。
おびただしい量の手汗。
もうダメだ。

***************************************

気が付くと、
安定飛行に入っていた。
先程までの恐怖は何だったんだろう。
ああ、何かオレすごい克服したなあ。
これなら、
単なる飛行機ギライだ。
20年余りの懸念を乗り越えたのだ。
横を見るとムスコが、
退屈だと怒っている。
確かにこの状態では電車と変わらん。
中央の座席やし。
したらずっと、
あのナナメに上昇してゆく状態が良かったんかい。

ああ、今から沖縄に行くんやなあ…と、ふと思う。
まだまだ、大げさに考えている。

つづく☆


主夫日記3月28,29日 ~沖縄家族旅行の思い出①~

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家族で沖縄旅行に、行くことになってしまった。

主たる目的は、会社員を辞め、
独立開業するパートナー(女性)が、
本島中部の西原で行われる、勉強会に参加するためである。

パートナーの生業は作家。
「みるまに」という名で、
数秘術と刺繍を組み合わせた、独特の表現活動を行っている。
彼女が参加する勉強会の中身とは、数秘術の講座。
数秘術とは、生まれた月日と名前から、人の在り方や指針を見出す、
統計学らしい。
(私にはよくわからない)
数秘に関しては、
ほぼマスターの彼女だが、さらに磨きをかけるべく、勉強。
また、沖縄で受講することにも、大きな意味があるということだ。
大したものである。

それもあって、
旅行のコーディネートは、
すべて、パートナーみるまにがやってくれた。
私の能力は、ほぼ子ども同然。
ネットを駆使して、
飛行機やレンタカーや宿の手配をしている、
みるまにが、魔法使いのように見えて仕方ない。

10代後半から、20代に入った頃、
まだ「交通公社」の雰囲気も残る,
JTBの窓口に行き、
現金とビジネスホテルガイドを片手に、
都会をひとり旅していた頃は、
自力で旅をしている実感は、あった。

(私は、自然環境が圧倒的に苦手なため、都会にしか行けない)

まさか、
ネットなどというモノが、
発明されるとは、思っていなかったし、
スマホなどという不安なものが、
各種手続きの媒体になるとは、
これまた、夢にも思っていなかった。
時代の流れに着いて行けない。

この先、ひとりで生きていけるのか、不安だ。

***************************************

出立の前、
NHKの番組
あさイチ」が、
『沖縄 母親たちが見た基地』
という特集を放送していた。
イムリーなので、
小学校2年生になる、ムスコと一緒に見る。
普天間基地間近の、
保育園や小学校に、
米軍機から空き瓶や、窓枠が落とされ、

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しかも落とされた保育園に、
「自作自演だろう」という、
非人道的な嫌がらせの声が届く。

この現実を見たムスコは、

「(この番組)見るんじゃなかった…」
と、悲しそうな顔を見せた。

そこで、

「これは、ホンマにあったことやけど、そんなんに負けんように頑張って、
平和を作ろうとしてる大人を、キミもたくさん知ってるやろ。
ほんで、お父さんも、お母さんもそのひとりや」

と、このように、私はムスコに告げた。
そして、迫りくるものを押し返すように、
両手で、
「バン!」
と、はじき返す動作を見せた。
すると、ムスコの表情が一瞬でサッと晴れ、
「自分も一緒に押し返す!」
と、いうではないか。

まずは、心を作ることが大事だ。
お父さんは、ウレシイ。

ちなみに、
番組は、イノッチと有働アナ最後の日だったらしい。
イノッチおない年。スキや。

***************************************

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つづく☆

 

ド不幸自伝⑬ ~不幸の終わり~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通い、医師の手によって、強制入院させられるところを逃走する:

***************************************

自伝を書くというのは、つまらないものだ。
ただ、起こったことを、順繰りに書くだけだから、
意外性の入りこむ余地がない。
主人公である自分が、
精神疾患を患ったところで、
それが単なる現実であるからには
次から次へと、
ランダムな人物と関わり、
さして意味のない会話を交わし、
大したファンファーレもなく、
時間は過ぎ、
やがて終わる。
とはいえ、
自伝が意外性と無縁であっても、
この陰々滅滅たる活字の連続が、
何となく、小説風になってきたことは、
副産物というか、
書いている自分にとっても、本当に意外だった。

これは、果たして自伝なのか、小説なのか?
書き終わってみれば、わかるのだろうか?

***************************************

前回、
病院を脱走したときに、
自分の病気は治りはじめていた、
と書いた。
だが、当時の自覚としては、
病院を全力で脱走したとはいえ、
苦しみは続いている。
だから変わらず、途方に暮れていた。
内なる自分の力には、気づいていない。
新芽のような、力の発動に気づくには、
もう一刺激が必要であった。

***************************************

それは、少しだけ妙な出来事である。

自分は、
付き合いを良くしようと、心していた。
何でも良い、
人に会う機会があるというのなら、
なるべく、話に乗る。
どれほど不安だろうが、
何とか押しきって、他者に触れる。
それが大事だと感じていた。
家と散歩だけでは、腐り行く。
(このように意欲がある時点で、好転しているのだが)

ある日、
中学の同窓会が行われるという、知らせを聞いた。
当時だから、
おそらく携帯電話のメールでの、知らせだろう。
24歳など、子ども同然の年齢で、
10代とそう変わりない。
学校に行ってた時分など、身近なものだ。
同窓会の類も、
割と頻繁に開かれていたような気がする。

「行こう」自分はすぐそう決めた。

船だ、自分は船に乗っている。
生きているからには、死なない。
死なないのだ。
「人」は怖いかもしれない、
海だ。人は海だ。
自分は船に乗っている。
大きな船に。沈むことのない船に。

そのように、言い聞かせた。

***************************************

治療目的で、
参加している自分に、
宴会を楽しむ気持ちの余裕などない。
同級生と再会したところで、
何の感動もなく、ただ座っている。
不安の液体が、
縁いっぱいに注がれたカップを、
頭の上に乗せているようなものだ。
必死で、平衡感覚を保っている。
アルコール類には、一切手をつけなかった。
周りからは、単なる無愛想に見えたことだろう。

店の場所は忘れてしまったが、
おそらく河原町の何処か。
狭い京都の繁華街、
モアイの粉物屋の跡地からも、近かったかもしれない。
悪夢の舞台となった場所に、
あっさり舞い戻り、
同窓会という一日を、過ごしている自分がいることが、
今では、妙に不思議に思える。

***************************************

あれは、二軒目の店だったと思う。
20人弱の同窓会メンバーは、
河原町の居酒屋から、出町柳駅近くにあった、
今でいうカフェのような場所へと、流れていた。
自分も含めた、
そのうちの10人くらいが、
広い丸テーブルの席を取り囲む。
顔を上げると
視界いっぱい、ぐるりと人間の顔があった。
今まで、書いていなかったことなのだが、
当時の自分は、タバコを吸っていた。
スマートフォンも無い時代なので、
誰とも離したくない間を、
嫌味なく誤魔化すのは、
宙を見てタバコを吸うのが一番だった。
喫煙が、
今ほど問題視されておらず、
タバコの価格も安かった。
一言言えば、
さほど遠慮せずに、喫煙することが可能で、
煙に苦痛を感じている人間に、
気づくことが難しかった。
自分以外にも、タバコを吸ってる人間は多く、
丸テーブルは、もうもうと煙に包まれていた。

煙の中に、〇山がいた。

「イヤやな」

と、自分は思った。
〇山のことは、
このように、
名前を書く気にもなれない程、嫌っていた。
(この自伝も終わりに差し掛かっているので、ニック・ネームを考える気にもなれない)
〇山は、かなりの色男だったが、
話の内容が無神経で、
「何人」の女性をモノにしたとか、
そういうことを、
まるで成果のように、吹聴するような人間だった。

席を立ちたかったが、
自分に機敏な動きをする元気はない。
〇山は、何故か場の中心になって喋ろうとしていた。
妙に、懸命である。

「オレは、出家した」

〇山はいきなり、そんなことを言う。

「仏の道に仕える身になった。修行の成果で、オレは昔と変わった。めちゃくちゃ社交的になって、人と話す性格になった」

「髪の毛、あるやん」周りにいた誰かがそう言う。

「いや、今の時代、髪の毛とか関係ないない。アレはイメージやねん」

おそらく〇山は、身に起こった出来事を話しているのだろう。
だが自分には、まともな話に感じられなかった。
常人ならば、
一端、立ち止まって考えるべき過程が、
丸ごと抜け落ちたまま進行している。
違和感に、不快感。
いやそもそも、本当の話なのかどうかもわからない。
サイコパス気質…。
まるで、モアイだ。
道徳がない。
心に痛覚がない。
〇山はまくし立てるように、喋る。
聞きたくない。
すると〇山は、
全く予期しないことに、
自分にとって、耳に刺さらずにはいられない、ある単語を使い始めた。

「今度、師匠が精神病院に入ることになった。一度入ったらもう出てこれへん。そしたら、オレがもう一歩上の立場に行ける」

精神病院?
何故、精神病院という単語が出てくるのだ。
それも、〇山の口から。
精神病院とは、
これほど耳にするくらい、身近な存在だったのか?
〇山は、
己の職場の不幸だの、精神病院だのを語るのが、
何故あんなに楽しそうなのだ。

「うわああああ!」

気がつくと自分は、叫び声をあげていた。
つい最近、その精神病院とやらに、
閉じ込められそうになったばかり。
「一度入ったら出てこれない」
何の悪気もなく、そのようなレッテルをはる〇山と、
数秒たりとも、同じ空間にいられるはずがなかった。
自分は、弾丸のように店を飛び出した。
料金を支払ったのか、覚えていない。
(おそらく、まだ注文をしていなかったのだと、思うが)

またしても、脱走。
同じようなことを、繰り返している。
繰り返していることに、情けなさを覚える。

(後に聞いたが、〇山は「アイツの頭の病気、治さなアカンな!」と言っていたらしい)

***************************************

このような、出来事であった。
特に大きなことではない。
だが、ここからなのである。

何故だろう?
この件をきっかけに、
自分の不安は、大幅にマシになった。
寝ているとき以外は、絶えず不安だったのが、
わずかながら、平常な心の時間が存在するようになった。
常不安から、予期不安(不安の発作が来るのでは?という不安)
にまで、症状が改善されたのである、
ラクになったのである。
良いことがあったというわけでもないのに。

心とは、わからないものだ。
一体、何がどう作用したというのだろうか?
精神医療とは、何なのだろうか?

***************************************

さらに妙なことに、
自分はこの後、遠藤医師の診察を受けている。
あの脱走劇があって以来、
会わなくなったというわけではない。
そのまま、脱走していれば、
ストーリーとして、すんなりと落ち着くのだが、
現実は、そうスムーズではない。
診察を受けた証拠に、
「精神病院に一度入ったら出てこれない」
という、〇山のセリフを気にした自分が、遠藤医師に相談している記憶が、
はっきりと残っている。
遠藤医師は、

「それはおかしいですね。入ったら出てこれないということは、ないですよ…」

と、言った。
すると今度は、遠藤医師がまともな人間に見えてくる。

「まとも」

まともとは何なのだ?
何もかもが、わからない。

さらに数回、会話のやり取りをする。
何を話したのか、覚えていない。
だがその時、不意に自分は、

「ここは、もう良いだろう」

と、思ったのだ。
音を立てて波が引くように、思考がスッと冷めたのだ。
誰の何が、正しいのか?結局は、わからない。
だがとにかく、この医師、この病院、この場所を、
自分はもう通過したのだという実感が、はっきりこの手にあった。
もう良い。
自分は、自分の意志で次の医師を選ぶのだ。
誰にも強制される必要はないのだと。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*


ド不幸自伝⑫ ~精神病棟見学記⑵~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる:

***************************************

先程の、
コンクリートの墓場が地獄なら、
デイケアは天国的な場所にすら見えた。

遠藤医師が何と言ったのかは、
覚えていないが、
彼は、実に面白くなさそうな顔で、
自分をデイケアの職員に引き渡した。
自分を受け取った、デイケアの職員は、
薄いピンク色の、動きやすい服装を、
ピシリと身にまとった、
20代後半くらいの若い女性。
失礼だが、
名札の「北条」の文字を覚えてしまった。
当時流行していた、
ショート・ボブとでも言うのだろうか?
髪型の名前が、
自分にわかるはずもなかったが、
切っただけのような、無頓着さ。
とにかく、
全体の印象が小ざっぱりして、
俊敏に動く人だった。
(結局、会ったのはこの一日だけだったが)

「久しぶりの、人間や」そんな気がした。

彼女が、何と言って自分を迎えたのか、
覚えていない。
病棟から流れてきた、
突然の、
新たな利用者である自分を見て、
少々は戸惑ったのかもしれないが、
彼女に排他的な雰囲気は、少しもなかった。
とにかく、丁寧に対応してくれたことだけ、
覚えている。

病棟と違って、
デイケア施設の窓は大きく、
温かな光が、
フローリングの床に反射している。
広い空間の一角には
喫茶スペース、
それに、
やわらかい椅子が並んだ、休憩スペースもある。
窓を開けると、
青い芝生が敷き詰められた中庭に、
すぐ出られるようになっている。
これなら、
簡単に『脱走』することができる…。

***************************************

確か自分は、
中庭にしゃがんで、
スコップ片手に、
土をプランターに入れる作業をしていた。
何故、土をいじる作業をしていたのだろう?

思い出した。

「花壇作り」の課題だ。
デイケアには、タイムスケジュールがあり、
利用者は、何らかの課題を選択して、
時間を消化する。
そして、
夕方に帰宅することになっている。

自分は、土に触れたかったのだ。
少しでも、有機物に触れることが、
改善のひとつだと本能的に感じていた。

土。
土が、冷たい。

7,8人ほど利用者が、
コーラス・グループを作って、
合唱曲を歌っているのが聞こえてくる。
これもデイケアの課題だ。
曲は、

翼をください

すぐ傍で歌っているのに、
まるで、はるか遠くから聞こえてくるかのようだ。
その歌声は、
利用者たちが、
デイケアにいる現状に、
満足しているわけではなく、
いずれは、
この場所から飛び立ちたいと、願っている風に聞こえる。
考えてみれば、曲が
翼をください』というのは、
少し、当てはまり過ぎている。
ひょっとしたら、後付けの記憶かもしれない。
だが、悲しげな声であることだけは、
記憶違いではない。

歌、ラジオ体操、ゲーム…。
課題をこなしている、
利用者を見て、
自分もとにかく、何かに没頭したい、
何かに集中して、
少しでも、
我を忘れる瞬間がやって来て欲しい、
不安と恐怖への強い自覚から、逃れたい。
そういう風に思った。

もう一度、土の冷たさを感じてみる。

気持ちの良い感触。それでも、心は晴れない。
また土を掬う。
すぐ傍に積まれた、球根を植えてみる。
「これで良いですか?」
と、北条さんに尋ねる。
「あ、いいですよ」
北条さんは、戸惑い半分にそう答える。
イヤ、本気で戸惑っているわけでは、なさそうだ。
きっと、
受け答えの際の、彼女のクセだろう。

(自分は、動ける)

そう自身に言い聞かす。
あの蛾のような、老患者たちには申し訳ないが、
入院病棟に戻るのは、恐ろしい。

デイケアの利用者は、
ずっと、同じプログラムを続けるのではなく、
一時間立てば、
休憩を挟んで、別の作業に従事する。
まるで、仕事か学校のようだ。

壁に貼られている、スケジュール表を見ると、
「喫茶係」というのがあった。
読んで字の如く、喫茶スペースで、
作業に従事する係のようだった。

「喫茶係やってみます」

自分は、北条さんに提言した。
「大丈夫ですか?ムリしないで下さいね」
と、彼女は答えた。

「アルバイトをしてたんです」

自分が言うアルバイトとは、モアイの粉物屋のことだった。
自分はモアイにカネを吸い取られながら、
面白がって、
粉物屋のカウンターに侵入し、
作業をしていたこともある。

「オッ、それは頼もしい」

と、北条さんは言った。
だが実際のところ、動ける自信はない。

喫茶係は、
自分と利用者の女性二人が、担当することになった。
それに、北条さんも加わる。
皆で、揃いの三角巾をつける。

(自分は、デイケアの方が向いている)
心に言い聞かす。

客がいなかったのは、
開店して10分の間だけであった。

時間は11時過ぎ、
丁度ランチタイムに突入する頃である。
喫茶スペースに来るのは、
院内の人間だけでなく、
外部からの、
医療機器メーカーか何なのか、営業マンらしき、
黒スーツ姿の男性数人の姿もあった。
自分は、コップに氷を入れる作業に従事していた。
ただ、氷を掬っているだけなのに、息が切れる。
だが、それを悟られるわけにはいかない。
様子を見ていると、
まともに動けるのは、
北条さんのみで、
ふたりの女性は、表情に生気がなく、
客の注文を、マトモに取ることすら、
ままならないようだった。
黒スーツの男たちは、
そんな彼女たちにも、容赦なくイライラした態度を示す。
北条さんも、
フォローが出来たり、出来なかったりだ。

(いつも、こんな感じなのか?)

まるで成り立っていないのが、不思議だった。
自分は、ひたすら氷とジュースを入れる。
呼吸が荒くなる。

(考えが、甘かった)

ハアハアゼエゼエと、息切れの音が漏れる。
動悸がする。恐ろしい。

***************************************

「忙しかったですねエ!」

と、北条さんは三角巾をはずして、自分に言った。
答える気力はない。
(今日は、特別ということなのか?)
状況を、理解しようとした。
今にして思えば、
単に、健常な人間からすれば、
どうということにない、労働なのだろう。

落胆したのは、
「喫茶係」の課題が終わっても、
それに課題の最中であっても、
胸の中にある不安が、少しも抜け落ちないことだった。

(一体、何をどうすれば、この胸のうちの『毒』は、俺からおさらばしてくれるのだ!)

その時、
背後から急に、
誰かが自分に話しかけてきた。

「自分、初めての人やなア~」

聞いたことのない、声だった。
振り向いて、その人物の顔を見てみた。

特別な人物ではない。
ただのデイケアの利用者、ただの男だ。

「ハイ」

とでも、自分は答えたのだろうか?
男の顔は、マヒしているのか、
ひどく引きつっていた。
それが、はにかんだような笑顔であることは、わかった。

「オレなんか、ここに入ってもう12年やああ」
そう言って、
男はさらに顔面をくしゃくしゃにして、笑った。
その瞬間だった。

「おわああああ!」

-と、叫んだのは、自分だった。
デイケアの空気が凍りついた。
自分は、とっさに北条さんの手を握った。
「先生を、呼んで下さい!」
そう叫んだ。
「どうしたんです!?」
と、北条さんは言った。

「今の人が、今の人が怖いんです!」

自分は、話しかけてきた男のことを、そう言った。
ひどいことを、口走ったのものだ。
自分は、
この場所でただのひとりも友人を作り、
住み着きたくなかったのだ。
だから、

「ここに入って、もう12年」

この言葉が耳に入ったとき、
恐怖が、瞬間的に増幅した。
体は急速に冷え、全身が震えて動けない。

「どうして、気さくな人なのに?」北条さんは言った。

自分は、怖々男の顔をチラリと見た。
その顔は、今でも記憶に残っている。
写真のように固定された、顔。
その無表情が、
悲しみなのか、戸惑いなのか、驚愕なのか、わかりようもない。

***************************************

5分も経たないうちに、
遠藤医師がやってきた。
彼は、震えて動けずにいる自分を見下ろし、

「私も、5、60人からの患者を抱えてまして…」
と、最早はっきりと、露骨な嫌悪の態度を示した。

「もう良いんです!」自分は言った。
「何が良いんです?」遠藤医師は言った。
「良いんです!」

自分は、
北条さんの手を離し、遠藤医師からも遠ざかり、
窓を開け、庭へと出て、

そのまま脱走した。

おそらく、
話しかけてきた男も、
北条さんも、
デイケアの利用者も、
遠藤医師も、
皆が、自分を見ていただろう。

絶望の塊のような気分だった。
恐怖の球体と化した自分が、
道を転がっていた。
どうやって帰ったのだろう?
何故無事に、抜け出れたのだろう?
治療代は、支払ったのだろうか?
全く覚えていない。
だが、現に生きている自分がここにいて、
こうして文字を打っているのだから、
無事だったことには、間違いない。

だが、しかし、だ。
今、気づいたことがある。

自分は、
この時、治りはじめていたのだ。

治ったのは、
もっと後のことだと思っていた。
違う。好転はもう始まっていたのだ。
逃げた。自分は逃げた。
とにかく走って逃げた。
実際には、
息も絶え絶えの精神病患者が、
走れたはずもないだろう。
だが、心は走っていた。
抜け出した方法は、覚えていなくても、
目に映った景色は、覚えている。
病棟の灰色が溶け、足元の芝生の青緑が流れた。
温かい、春。
青緑は、流れる。
どんどん、スピードを上げて流れる。
足裏が、非力に地面を弾く。
靴越しの、その感触も覚えている。
抵抗した。
土を蹴った。
黄色いタンポポが点在していた。
蹴った。どんどん蹴った。
逃げろ。ここから逃げろと。
逃げるのだ、と。

自分は、治ろうとしていたのだ。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*







ド不幸自伝⑪ ~精神病棟見学記⑴~

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≪前回までのあらすじ≫

:20代前半。両親の借金のため、兵器工場で、働くことになった自分は‘モアイ’像によく似た男と、知り合いになった。自分はモアイと、頽廃的な遊戯を繰り返した果てに、消費者金融でモアイのために金を借り入れる。モアイは逃走し、ショックとストレスから精神を破綻した自分は、京都市北部の精神病院へ通うことになる:

***************************************

何故だろう?
記憶の男よりも先に、
診察の番がまわってきた。

死霊に取り憑かれたまま、
自分は、遠藤医師の前に座った。
開口一番、

「今にも自殺しそうなんです、自分が自分を殺しそうなんです」

こう言った。
心の内を、
順序立てて、説明する余裕がない。

「重傷です!」

遠藤医師は言い切った。
「入院してください。このまま行くと、精神分裂病という、もっと恐ろしい病気になります」
遠藤医師は、手に持っていたボールペンを、机に投げつけ、
(医者が患者の目の前で、そんなことをするはずがない。おそらく、記憶違いだろう)
険しい顔で、立ちあがった。

「これから、病棟を案内します」

遠藤医師の、この決断の早さは何だというのか。
自分には、彼が気が狂っているように見えた。

精神分裂病?分裂する?おれはおれだ。苦しいだけだ。精神分裂病ってなんや?)

「着いてきてください」
遠藤医師は、傍にいた看護師と共に、
彼の背中に隠れていた、隠し扉のような出口を開けると、足早に診察室を抜け出した。
自分は、着いていくしかない。

(彼は、どうなるのだ?)

医師の不在のために、放置されてしまっては、
待合室で男は、頭を引っ掻き続けることになってしまう。

遠藤医師は、無機質な速足で歩く。
自分は、ひたすら着いていく。
入院病棟への侵入が許されたのだ。
いよいよ、院の内部にまで食い込むことになる。
だが内も外も、表も裏も、
どこに行こうが、
冷たいコンクリートの壁であることには、変わりない。
視界が、灰色いっぱいに、
埋め尽くされていくような気がする。
こちらは、歩くことが辛いというのに、
遠藤医師は全く歩みの勢いを、ゆるめない。
遠藤医師は、自分の病状を、
全く理解していないのでは?と、思う。
履いていられない程に、スリッパが重い。
視界の灰色は、脂肪のようにだらしなく溶けていく。

(入ってしまえば、自分は安心できるのだろうか?)
そんな思いも、湧く。

***************************************

エレベーターに乗り、
病院の最上階へと、到着した。

(新しい住家の確認になるかもしれない)

わすかでも、心地良さや安らぎの要素を、
拾い集めようと、じっと目を凝らす。

甘かった。

そこにある景色はどう見ても、
現世の「墓場」だった。
まるで、水しずくひとつない廃校のプール。
窓から少しは、光が射しているというのに、
空間全体が暗い。
寝巻姿の何人かの老患者が、
蛾のように、身動きひとつとらず、
ぽつりぽつりと、それぞれ、わずかずつ感覚を開け、
壁にピタリと身を寄せている。
患者の数が、少ない理由がわかった。
全てここに「寄せ集められて」いたのだ。
段々と、状況が理解できてゆく。
老人たちが「停まっている」お尻の下も、
むき出しのコンクリートだというのに、敷物ひとつ敷かれていない。

記憶が確かなはずはないのだが、
そこここに、扉があった。

(固く重い扉の向こうには、何があるのだろう?自分の部屋になるのだろうか。ここに「停まる」老人たちが、友人となるのだろうか?)

「ここなら、すぐに誰かが駆け付けられます!」

遠藤医師は、
自信たっぷり、爽やかな微笑みさえ浮かべながら、
そう言った。

(どうして、この医師は、自分をこの場所に閉じ込めるようなことができるのだろう?)

遠藤医師に、怒りを感じたというわけではなかった。
そもそも、怒りを感じる気力などない。
まして、
この場所にいる、老患者たちと自分を差異化したわけでもない。
ただ単に、医師の物言いに、本能的な恐怖を感じたのだ。

この医師は、仕事に馴れすぎている。
馴れというのは、一歩間違えれば非常に恐ろしいものだ。
遠藤医師は、
この、精神病棟という場所が、
唯の場所ではないことを、感じることが出来なくなっている。
絶望的鈍感だ。
医師のヒューマニズムの心底を、限界を、
全く、思いがけない角度から通知された気がした。
冷静に考えれば、
治療というものは、担当医にもよるし、タイミング(!)にもよる。
ケースバイ・ケースだ。
だが、公共の大病院が発点となった、精神医療のルーティンワークは、
悪気があろうが無かろうが、
その存在が人を救うためよりも、整理することが目的になってしまっている。

一部の現状を、肌で感じてしまったというわけだ。

「引きました、おれは引きました」

自分は、遠藤医師にそう告げた。
「引いたんですか…」
遠藤医師は、明らかに不満気な表情を見せて、言った。
彼がそんな表情をしているのを見たのは、
診察を受けて以来、初めてのことだった。

「あっちは、どうなんです?」

自分は、
窓の外に見えている、別棟を指差した。

「あれは…デイケアですよ?」遠藤医師は言った。

「あっちの方が、まだ入れそうです」
デイケアが何なのか、わからなかったが、
自分は診察室から、この最上階に来る間、
そのデイケアの持つ雰囲気を、遠目で捕えていた。
見る限り、
病院内で唯一、清潔で明るい雰囲気だった。
とにかく、人が動いてる。
何やら、売店らしきものもある。
ソファや壁の色だろうか?黄やオレンジ系の暖色が、見える。
それだけでも、ホッとさせられる。
どのような患者が、あそこにいるのだろうか?

「あっちなら、行けるかも知れません」自分は、意志を押し通そうとした。

「そうですか?なら見学してみましょうか…?」遠藤医師は、渋々言った。

まるで、アルバイトの面接の失敗を、繰り返しているようだった。
次、雇われないと、もう生きていける場所が、ないのかもしれない。
そんな感じだ。

つづく→

*この自伝は、事実を元にして書いていますが、あくまでフィクションです*